宋襄之仁
宋襄之仁 意味
無益な哀れみをかけることのたとえ。また、おろかな情けのたとえ。不必要に情けをかけて、その結果、自分が痛い目に遭うこと。宋襄の思いやりの意から。▽「宋襄」は中国春秋時代の宋国の王襄公。「仁」は情け。
宋襄之仁 出典
『春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん』僖公きこう二二年
宋襄之仁 句例
◎宋襄の仁の報い
宋襄之仁 用例
役にも立たないあわれみをして、ひどい目にあうことを宋襄の仁というのだと父が言っていた。<森敦・わが人生の旅>
宋襄之仁 故事
中国春秋時代、宋が楚そと戦うに当たり、敵が河を渡りきらず、陣形が整わないうちに攻撃しようという進言に対して、襄公は「君子は人の困っているときに苦しめてはいけない。堂々と戦うべきだ」といって聞き入れず、楚に敗れてしまった故事から。
王は成ろうと思っても成れるものではない。勝手に止める事も許されない。有事においては特に顕著である。戦うべき時に戦い、勝つべき時に勝つのが王者である。
力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
力なき正義は反攻を受け、正義なき力は弾劾を受ける。
それ故に正義と力を結合せねばならない。
ブレーズ・パスカル曰く
下界において力なき正義と力ある不正が激烈な死闘を開始する。しかし、両者とも間違っている。力なき正義は反攻を受け無力化していくだろう。具体的には生計が破綻する。
正義なき力は圧政となり弾劾を受けるだろう。つまり、刑務所に送られる。
どんなに現在の力があってもそれを維持をする事はできない。万物は流転するからだ。
既に勝敗は決した。故に力と正義が結合する手法を学ぶべきである。
部隊別の作戦図
■舞台は日本の戦国時代
「武田信玄2」(原題 Takeda2)は,その名のとおり,戦国大名の武田信玄を主人公とした歴史ストラテジーゲームだ。開発元はカナダのMagitech社。同社は過去に「武田信玄」(Takeda)と「Strength and Honor」をリリースしており,本作「武田信玄2」が3作めの作品となる。本作をいきなり「カナダの企業が作った戦国時代のストラテジーゲーム」という(イロモノのような)形で紹介してしまうのは,適切でない。本作で描かれている日本観には違和感がないし,歴史考証の部分も気になる点はとくにない(ローカライズの質の高さによるところも大きいだろう)。個人的には,こういうゲームこそ日本のメーカーにぜひ作ってもらいたいと思うところだが,今や制作された国をうんぬんいうことに大した意味はないだろう。
(略)
合戦のウリはこれだけではない。高低差による部隊の移動速度や弓矢の射程の差,騎兵のスピードによる打撃力の違い,疲労や士気の要素,各兵士のモーション(例えば足軽なら槍を前に突き出しているか地面に立てているかなど)の違いまで加味されているなど,細かなリアリティにこだわって作られているのだ。
既に世界の覇権は日本と中国に絞られました。核保有国であり大人口の中国に対して日本が勝るのは幾つかの分野に限られます。中央では人口10倍の中国労働者に日本の労働者は壊滅的な状態になっていくでしょう。速力勝る騎兵は山頂に人を指揮、兵糧で勝る重装歩兵も丘陵地帯に布陣してチャンスを待つしかありません。無力な正義を振りかざす人間に付き合ってはなりません。彼らは力なき正義でありそれは無効なのです。資産は兵糧であり、智識は弓矢や銃砲の火力、コミュニケーション能力は速力です。兵糧で勝る人間で日本精神の保有者は温存して決定的な状況まで待ちましょう。弓矢や銃砲である智識は集中した方が効率が上昇します。火力の十字砲火です。騎兵はその速力が命ですから決勝点までは遊撃に徹しましょう。ここまでガリア軽装歩兵が弱体だとは思っていませんでした。短期的な視野でしか動けない彼らが十分過ぎるほど疲弊するまで2年から5年程度は丘陵から睥睨していましょう。それが勝つ為には必要なのです。
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