■2009/04/20 (月)
議会というトリック |
阿久根市議会が特に愚かだというつもりはない。
そもそも、議会というものの仕組みがものすごくバカバカしい。
1、議会では議員同士の議論ができない事になっている。
2、議案を提案した者は相手に質問が出来ない。取調べのようなものだ。
3、質問は三回まで、
4、判定する者はいない。
5、多数決ですべてが決まる。すなわち、理屈も良心も関係ない、多数勢が好きなように決めてしまう。
私は議会規則を初めに誰が作ったのか知らない。しかし、どういうつもりで作ったのかは解かる。良心でも道理でもない、欲に引かれる社会を作ることだ。
この国、そして世界がデタラメな状態になっているのには難しい仕組みによるのではない、薄っぺらで極めて簡単なトリックに人間の欲が絡めとられた事による。
臨時議会を覗いてテレビ取材を受けた。しかし、最も肝心なところが放送から外された。
「職員組合に乗っ取られた議会に意味は無い。自治労が市民をどれだけ意識するかだけだ。人件費を書いた紙が勝手に剥がされた件については、本当の権力者が職員である事を示したもの。」と発言した。
今の阿久根市議会は「役人の役人による役人の為の議会」だ。反対派議員達は保身のために役人を守る。職員給料削減に賛成した反対派議員は自分のために世間体を気にしただけ、その本心は反対した蜜柑議員と同じ。了解の上でそれぞれのたてまえを守った。見せ掛けがどのようなものであろうとも、ひたすら「自分の為」だ。議会の仕組みがこれを許している。
「市民の皆さんがどれだけ目覚めるか、そこだけにすべてがかかっています。」
MBC放送
http://www.mbc.co.jp/newsfile/news-v/00145312_20090420.shtml
KKB放送
http://www.kkb.co.jp/news_move/jchan_move_detail.php?news_flg=2¶m1=20090420¶m2=184436¶m3=1
最後の所にご注目!
職員給与削減案にただ独り反対する蜜柑幸雄議員に山田議員が
「あなただけ反対だ」と言うと、
蜜柑議員は「あなたも座れ」と腕をつかんだ。
■2009/04/19 (日)
政見放送 愛の政治 |
兵庫のおじさん 政見放送
http://www.youtube.com/watch?v=sJACwH7auEE&feature=related
■2009/04/18 (土)
祝!阿久根市長失職 市民は覚醒するか |
報道関係者から再度の失職についてコメントを求められたが、夕方の放送に間に合わなかったらしくテレビ放送はなかった。にもかかわらず、その内容が諸野脇正氏が書かれたものとほとんど同じだったのには驚いた。
氏は私の考えを正確に理解いただいていると感じる。
諸野脇 正の闘う哲学
http://shonowaki.net/2009/04/post_72.html
竹原信一氏の目標は市民の「覚醒」である。
だから、竹原信一氏にとっては、出直し市長選挙での勝敗はどうでもいいことである。「覚醒」した市民が対立候補を選ぶならば、それはそれでいいのである。
---抜粋おわり---
諸野脇正氏と阿久根市議会、そして報道関係者に心から感謝する。
■2009/04/15 (水)
公僕が市民を家畜扱い、民主主義 |
主(あるじ)が代理人(政治家)に任せっぱなしにしている時、僕(しもべ)たちが何をやりだすか?
しもべが代理人を篭絡してやりたい放題になる。市民にいくらかでも自覚があれば僕もでたらめはできない。 しかし、市民が自らの立場を忘れて代理人(政治家)の事を主人あるいは親分と勘違いするために、しまいには家畜扱いされている。
公僕が代理人(政治家)を篭絡して手をつなぎ、市民を家畜扱いする、それが民主主義の現実だ。役人は大体、政治家など欲深で頭の弱い、ただの威張り屋と見ている。あしらうのは簡単だ。
民主主義と呼ばれる仕組みにあって、市民は主(あるじ)である事の責任を自覚していない。本来、主には知って管理する責任が有る。
住民は働き手でありながら主人でもある。
民主主義は住民に主人としての責任も仕事も担わせる仕組みだ。投票がめくら判だから経営がデタラメになった。
しかし、大衆が適切に代理人を選ぶ事は非常に難しい。カネの為に大衆の心理を操作する煽り新聞屋のやりたい放題になりやすい。大衆は正体を失い、主権は乗っ取られる。
代理人としての自覚ができる人間に主の役割を担わせ、大衆が労働者である事に不幸を感じない社会の仕組みを考える必要がありそうだ。
■2009/04/15 (水)
広報あくね 市長のコラム |
http://www.city.akune.kagoshima.jp/osirase/koho/h21_4/2.pdf
私の目指すもの
「市民と議員と語る会」で櫁柑議員が「職員の給料は国が別枠で出している」との発言をしました。これは大きな間違いです。阿久根市では平成19年度に正規職員の人件費に約24億円もかけましたが、これは阿久根市が自由に使える一般財源からの支出です。また彼は「市職員の給料で購買力を増している」とも発言しました。まったく市民を見下しています。市民は職員からおカネを恵んでもらう必要などありません。高すぎる職員給与を適正化すれば公共料金を安くしたり、給食費負担を補助するなど福祉を充実させる事ができます。公共事業の負担金も確保できます。市民の暮らしをもっと楽にできます。
木下議員は「市長は国に陳情に行って、交付金をもらって来るのが仕事」との発言をしましたが、国は市長が媚びる所に交付金を追加するわけではありません。反対派議員たちは市長を邪魔にする一方で、手数料等の値下げに反対するなど、市民を突き放す闘争をしています。議会が格差を広げてきました。私は市役所の人件費を市民のために配分し直して、皆が痛みや喜びを分かち合い、支えあう阿久根に変えるつもりです。
阿久根市長 竹原 信一
■2009/04/15 (水)
みんなで渡れば破綻 |
知事会の「地方財政の展望と地方消費税特別委員会」の中間取りまとめ報告書http://www.pref.nagano.jp/soumu/zeimu/chijikai/honbun.pdf
より抜粋、
地方財政は、今後とも深刻な財源不足が継続
○一般財源総額が今後も抑制され続けた場合、義務的経費や社会保障関係費の増大により、財源不足が拡大
○財源不足を補填する基金残高も年々減少し、平成23 年度までに枯渇、地方団体の財政運営は完全に破綻
抜粋終わり、
全国の自治体は急激に財政状況が悪化、転落する見通しだ。国も余裕はない。 「職員給与が他の市町村と比較して高くない」などと悠長な事を言っている余裕は全くない。
市の財政が破綻した場合、最も大きな被害を受けるのは弱者や低所得者だ。 私は今の改革は急ぎすぎどころか、間に合わないとさえ思っている。
今回提案する職員給料削減6パーセント程度、市長報酬削減30パーセントなどが成立しなければ、給与水準が前年度よりも上がってしまう。この議案に対して、議会が私の選挙対策などと言いがかりをつけて反対する可能性も有る。これによる損害は全て市民が受ける一方で職員と市長は手取りが増えてしまう。
それこそ、蜜柑議員グループと職員組合が最も望んでいるところだろうが。 自分達は、この負担を全て子供達に押し付けてしまう。“恥ずかしい、申し訳ない そして腹立たしい”。
それにしても、「職員賃金を減額すれば地方交付税も減額される」などと言う痴呆職員と痴呆議員がまだ少なからずいる。おそらく、県議、国会議員にもいるだろう。
職員給与を減額しても交付金は変わらない。職員給与を減額すれば財源に余裕が出来て市民サービスに振り向ける事ができる。
■2009/04/13 (月)
前後の補助輪を外せ! |
補助輪の付いた自転車は走らなくても倒れない。
職員が給与に見合わない、役に立たない仕事をしていても給料も上がり続けて、降格もされない。走らなくても役所は倒れる事はない。
この結果、職員はほとんど無意識に、市民のために走る事よりも、役所を支える、補助輪を強化する方向での仕事をするようになる。
速度は最低限に抑える、走る速度が遅いほどに補助輪は傷まずに済む。これが役人体質と言われるものだ。
市民の痛みを直接感じ、やりがいのある職場にするには補助輪を外さなければならない。民間では当たり前だが、「止まれば倒れる」仕組みにすればよい。役所の仕事は競争ではない。住民に負け組を作ってはならない所だ。
判断基準すなわち速度は、市民が感じる役所満足度だ。このために、市民(主権者)と職員に経費がどれだけかかっているかを意識できる環境にする。経費に見合わない現場は急速に改善を進めるしかなくなる。補助輪が外れた状態だ。
この結果、職員は市長や上司ではなく市民の幸福を日々の目標にするようになる。
自転車の前輪に補助輪が付いていてはハンドルがきれない。
市長というハンドルにも補助輪が付いてくる。個人的なシガラミ、職員からのご注進、職員による議員やマスコミを利用しての抵抗などだ。市長がこれらの補助輪に頼っていては市民の為にならない。
市長が補助輪に頼っていれば言い訳には困らない。しかし方向を変えられず市政は泥沼にはまっていく。この補助輪を外すには市長自身に市政判断能力と覚悟が必要だ。速度(市民への成果)を自分で感じながらハンドルがきれなければならない。これは議員も同じだ、欲や恐怖心そして「票のために」と選挙の時につけてしまった支持者という補助輪が判断を誤らせる。
「補助輪のついた政治と行政」これが市政を悪化させてきた原因だ。立ち直らせたければ補助輪を外せ。
昨日、大阪府立体育館で日本ミドル級タイトルマッチがあった。
阿久根出身の淵上誠君が挑戦者、10ラウンドの壮絶な戦い。命がけの闘いだった。
すばらしい試合内容で私は「勝ったかもしれない」と思ったが、判定は2対1でタイトルを取る事はできなかった。
彼は仕事をしながら毎日厳しいトレーニングを自らに課して日本のトップレベルにまでに生長した。 私は淵上誠を誇りに思う。
選挙に出る事は本当に恥ずかしい、選挙ほど自分に合わない仕事はない。
私は市長などという偉そうな立場に魅力を感じたこともない。
自分の事を「われわれ」としか言えなかった前市長の状態を思い出せば屈辱的な気分になる。
それが嫌でたまらないので、市長の椅子は借り物だと考える事にしている。
まともな人間がやらないから私がせざるを得ないハメになった。
仕事は難しくない。今までの市長がやってきた事がデタラメに近いので少しばかり時間と手間がかかるだけ。私にとっておかしな事を変える作業は苦ではない。変えないことの方がつらい。職員の給与や退職金、仕事のやり方、市民に対する態度。多くがあまりにも幼稚だ。
これを直すことぐらい市長の権力を使えば出来てしまうものばかり。ほんのすこしづつ改善し始めたところだ。これくらいで「急激に」などと大騒ぎ。まったくひど過ぎる。
議会も邪魔をしている。しかし議会を変えるのは私の仕事ではない。主権者たる市民に頼るしかない。主権者が市長を別の人に決めてしまうのならば私の仕事はここまでで終わり。残念だがあきらめるしかない。
ただし、民間の視点をはずさずに仕事のやれる人に代えていただきたい。
民間の経営センスを活用しなければ絶対に阿久根市役所は良くならない。
とりあえず、「役人の城」から「住民の城」に変えることができれば市長は誰でも良い。
私から見て、(めったに見ないが)できそうな人はやらない。
今までの状態を守っていくだけの、市長が利権だと考えるような人間ばかりがやりたがる。困った事だ。
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