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07/04 16:27 |
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渡辺 亮 |
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07/01 11:05 |
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あかる |
120 |
3 |
07/01 08:45 |
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早期帰国実現や帰国後の自立支援を怠ったとして、中国残留婦人の3人がひとりあたり2000万円を支払うように国に求めた訴訟で、東京高等裁判所は6月21日、原告の請求を棄却した。 宗宮英俊裁判長は「国に著しい懈怠があったとはいえない」などと理由を述べた。 現在、全国各地で中国帰国者が同様の訴えを起こしているが、高裁の判断が示されたのは初めて。 弁護団は、 「今回の判決は、中国残留邦人の時計の針を、敗戦時の混乱時に逆戻りされるに等しいむごいものであり、到底受け入れられない。ただちに上告を準備したい」 との声明を出した。 「原告の請求を棄却する」宗宮裁判長の言葉は、あまりにあっけなく発せられた。 傍聴席では、判決に落胆する人や、戸惑う人、互いに目を合わせる支援者がいてざわついた。原告の弁護人は、腕組みをし「うーん」と床に視線を落とす。そんな中、原告のひとり、西田瑠美子さん(73歳)は、傍聴席を見下ろす位置にいる裁判長をじっと見つめていた。その大きな瞳は、怒りよりも悲しみよりも、寂しさが映っているように感じられた。 「私たちをなぜもっと早く連れて帰ってくれなかったんですか」と国の責任を問うときには語気を荒げ、目に怒りをたたえた。一方で「若い方が、歴史を知ろうとしてくれることは本当に嬉しい」と少女のような笑顔もみせた。その西田さんが、寂しそうにじっと裁判長を見上げる姿は意外であり、痛々しくもあった。 「やっぱり日本に帰りたかったですか」と質問したときの西田さんの反応が忘れられない。きょとんとし、「当たり前ですよ」と一蹴された。 西田さんは、11歳のときに家族とともに満州に渡った。終戦を迎え、日本に帰ろうとするが、港には警察も関東軍もいなかった。日本行きの船は、待てど暮らせど来なかった。生きるために、無給で中国人の家で使用人として働き、中国人男性と結婚した。再び祖国の土を踏むまで、約40年という歳月が過ぎた。 「国が講じた帰国実現策の当否については、最終的には主権者である国民の自由な言論と選挙による政治的評価にゆだねるのが相当である」 と明確な判断を避けた。また自立支援義務違反については、 「帰国した中国残留邦人に対し、国は日本語教育、就労支援、生活指導や住宅施策等、数々の自立支援策を講じてきた」 との見解を示した。 宗宮裁判長は、 「最近では内閣総理大臣が、中国残留邦人に対する新たな自立支援策をまとめるよう厚生労働省に、指示したことが報道されている。帰国した中国残留邦人に対する新たな自立支援策等の検討が、速やかに進展することが期待される」 と最後に述べた。しかし、その間、西田さんら原告たちには、一度も目を向けていなかった。
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