2009年04月17日
博物館の庭園
去年は行きそびれたので、今年こそと。
春と秋の期間限定で庭園を散策できる。
それほど広くはないが、春は桜、秋は紅葉が楽しめるみたい。
桜は八重桜が少し咲いてるだけで、シーズンはおしまい。春の公開も明後日で終了で、ぎりぎりセーフでした。
池を囲むように樹木といくつかの建物がある。
説明書きを読むと、桂宮から茶入を賜った折、それを披露するために建てた茶室とのこと。
へぇ〜〜。
元々京都の伏見にあり、その後大原の寂光院に移され、1963年に茶入とともにこの博物館に寄贈されたそうだ。
へぇ〜〜。
さすがに桜も終わったので、阿修羅展は混んでたけどこの庭園に来る人はほんの少し。
足が疲れてたけど、一回りした。
今度は秋の紅葉の時に来てみよう。
大人気!
に行ってまいりました。
上野の国立博物館の平成館の前に着いた時、携帯でブログを更新しましたが、5分程度で中には入れて。
でも音声ガイドを借りるつもりだったので、そこでまた並んで。
平日の朝からこんなに来場者が多いってことは、土日はこの2倍?3倍?
ゴールデンウィークはさぞかし…
10分程並んで音声ガイドを借りました。
今回のナレーションは黒木瞳さん。
入ってすぐは、明治初期に興福寺中堂から出土したという、創建時にかかわる遺物「中金堂鎮壇具」と呼ばれる工芸品の数々。
でも、あまりにすごい人垣のため、見るのをあきらめて次の部屋へ。
「十大弟子像」が並んでいます。
釈迦に仕えた十人の高弟の像で、智恵、神通、頭陀(物事にこだわらない)ほか、それぞれに優れた能力があるのだそうです。
表情が緻密で、今にも動き出しそうです。
「八部衆像」は仏に仕える神だそうですが、こちらも表情がとてもリアル。
阿修羅もこの八部衆の中の一つのようです。
その中の「五部浄」という像が少年のような表情で、そして頭にゾウのかぶり物。
あっ!どこかの怖い宗教団体がかぶってましたよね、ゾウ…。
余計なことを思いながら、いよいよ阿修羅像へ。
さすが人気ナンバーワン!
すごい人だかりです。
昨年の薬師寺展の時と同様に四方から見られるようになっていますが、3重にも4重にも人が囲んでいます。
係員が「立ち止まらないで下さい!」と言っていたけど、誰も聞きゃしません。
動いているのは一番外側で見ている人だけ。(私もその一人)
それにしても、久しぶりに見る阿修羅像です。
興福寺で2回ほど見ましたが、ガラスごしだったから、生は初めてだわね。
阿修羅は古代インドの神話に出てくる戦いの神で、戦うことの苦しみが業となり阿修羅道をさまよう宿命となったそうです。
この阿修羅像は三つの顔にそれぞれの表情。
「永遠に救われることのない阿修羅道という世界。
苦しみをかかえたその表情に、人は複雑な心の内を重ね合わせてしまうのでしょう。」
というような事を音声ガイドの黒木瞳さんは言っていました。
納得!
これらの仏像、一部破損しているものもありますが、1300年前の天平時代のものを、こうして今私達が見ることが出来るということは有難いことです。
幾度かの火災にもかかわらず、守られて来たのですから、いかに当時から大切にされていたかわかります。
昔の豪族たちは、仏教に心の安らぎや救いを強く求めていたんですね。
最後の部屋は鎌倉時代の仏像です。
こちらも素晴らしい!
持国天、増長天、広目天、多門天の四天王像。
そして、薬王菩薩と薬上菩薩。
天平時代の仏像も良いけど、鎌倉時代のも迫力があって好きです。
しかし、すごい人気です。
展示数は少ないけれど、人が多いので足が疲れました。
興福寺は中金堂を再建するそうで、来年着工、2015年に落成の予定だそうです。
私、還暦の年。
見に行けたらいいなぁ。
2009年04月15日
ギターが主役のフラメンコ
以前NHKのトップランナーという番組に出演した時にたまたま見ていて、若く才能あふれるフラメンコのキタリスト沖仁さんを知った。
彼のフラメンコギターは、伝統的なものをベースにご自分で作曲したオリジナル曲なのだ。
昨夜のコンサートは、その沖仁さんの他に
カンテ(歌)の 石塚隆充さん
パルマ(手拍子)とバイレ(踊り)の伊集院史朗さん
ギターの小林智詠さん
が出演。
沖さん曰く、
フラメンコの主役は本来カンテであるが、日本でのフラメンコは踊り手が最も多く、次にギタリスト、最も少ないのがカンテだそうだ。
まぁ、そうだろうなぁ。
「一般のフラメンコのイメージは女性が赤い衣装を来てバラの花をくわえてカスタネットを持って踊るというのでしょう?でもそんな格好で踊る人はいません。」と沖さんが言うと、客席からは
「え〜?」という声。
そんなもんなんだろうなぁ、フラメンコの印象なんて。
日本はチョンマゲで刀差して歩いてるっていうイメージと同じと、沖さん。
フラメンコと言うのは、まずカンテがあり、ギターがついて最後に踊りが出来たのだそうだ。
昔、スペインのアンダルシア地方で奴隷として虐げられていたジプシーの魂の叫びが歌になったのがフラメンコの始まり。だからカンテが主役なのだ。
と、簡単なフラメンコの解説があり、沖さんのギターソロ、カンテが入り、そしてパルマが入り、ほんの少しバイレがあり、もう一人のギタリストの小林さんが入り。
若い男性ばかりのフラメンコのステージだった。
フラメンコの中でも重要なパルマと呼ばれる難しい手拍子も、簡単なものをお客さんにも打ってもらうという趣向があったりして。
なかなか一般的ではないフラメンコギターの素晴らしさを、こういったコンサートで多くの人に知ってもらいたいという情熱が伝わってくる、楽しいコンサートだった。
沖仁さんのコンサートなので、カンテやバイレが少なかったのがちょっと残念だったなぁ。
2009年04月14日
不思議な味
2009年04月09日
さよなら、とうこさん
昨日は東京宝塚劇場にて星組公演観劇。
この公演で男役トップの安蘭けいと娘役トップの遠野あすか、その他数名の生徒が退団する。
とうこ(安蘭けいの愛称)は下級生の頃から見ていた。
初舞台から18年。
経験を積むごとに歌唱力に磨きがかかり、いい男役になった。
今回はトップのさよなら公演なので、作品はさよならモード一色。
特にショーはタイトルからして「ア ビヤント」またねっていう意味らしい。
主題歌も
きっと必ず
優しいあなたの笑顔見せて
だから今はつらいけれど
勇気出して 笑顔でさよなら
美しい思い出よ
ア ビヤント
(詞・藤井大介)
フィナーレの前、星組の生徒達が歌うこの歌に送られて、とうこさんが大階段を上っていく。
私も思わずウルウル。
2002年に宙組の姿月あさとが退団した時のショーも藤井先生で、やっぱりズンコさんを送る為のショーだった。
ファンは泣かずにはいられない。
フィナーレのトップ2人のデュエットは黒燕尾と白のドレス。
これが見納めかと思うと、またウルウルしてしまう。
宝塚を退団したトップは再び歌手や俳優として舞台に立つ人が多いが、この宝塚での舞台とはまったく違う。
それがすごく寂しい。
ご贔屓が二人退団してしまう友人のY介ママも、26日の千秋楽までは、公演を観る度に涙涙でしょう。
このショーでは専科に移った美穂圭子さんの歌がたっぷり聴けるのが嬉しい。
ところが、このとうこさんのさよなら公演は表紙に写真が。
やっぱり、トップの写真が表紙を飾るのがイイなぁ。
2009年04月06日
上野の桜
地元だけど…。
車窓からところどころに見える桜の花を楽しんだ。
そして、京成上野駅前で下車。
昔、上野東宝、上野松竹、上野宝塚という3つの映画館があった所が新しいビルになって、飲食店が3店舗出来ていた。
その中の和食の「音音」で
そこはそのまま上野公園なのだ。
ここらあたりは公園のはずれだけど、それでも桜があちこちにある。
すると、
地元に住んでいたのに、毎年の花見客の混雑がイヤで、避けてた上野の桜だったけど、こんな素敵な枝垂れ桜があったなんて
やっぱりさすが上野ね。
変わらぬ美味しさ
2009年04月05日
最近気になること
わたくしの元来のずぼらな性格のため、気まぐれブログはなかなか更新できませぬ。
蕾のまま思わせぶりだった桜の花も、4月に入ってやっと咲き乱れております。
今日は最近私がやたら気になることをふたつ。
最近の
TV番組で多くなったと感じる感動話。
泣ける歌っていう番組は何度か見たけど、歌自体だけでなく、その歌が作られたエピソードで泣かせようとしてるのもあって。
困難を克服したとか親への感謝の気持ちとか、それはそれでイイけど、だからって…
スタジオに集めたタレントなどが
泣く場面をアップにして。
もし誰も泣かなかったら、NGで放送しないのかしらん?
ドラマや映画などを観た時、美しい自然や風景に出会った時、人の優しさや愛にふれた時なんかに心を打たれて涙が出てしまうことはあるけど。
感動って人それぞれに違うものだし、押し付けられるものでもないと思う。
ほらほらイイ話で感動したでしょ?
泣けるでしょ?
って、感動の押し売りだ。
それってTV局の傲慢だよなぁ。
もひとつ、最近TV
でやたらに聞く「勇気をもらった」っていう言葉。
すごく気になる。
例えば、プロスポーツを応援して勝って熱狂して「勇気をもらった」とかさ。
で、そのもらった勇気はどうなったの?なんてつっこみたくなる。
勇気って人からもらうものじゃないと思うんだけどなぁ。
蕾のまま思わせぶりだった桜の花も、4月に入ってやっと咲き乱れております。
今日は最近私がやたら気になることをふたつ。
最近の
泣ける歌っていう番組は何度か見たけど、歌自体だけでなく、その歌が作られたエピソードで泣かせようとしてるのもあって。
困難を克服したとか親への感謝の気持ちとか、それはそれでイイけど、だからって…
スタジオに集めたタレントなどが
もし誰も泣かなかったら、NGで放送しないのかしらん?
ドラマや映画などを観た時、美しい自然や風景に出会った時、人の優しさや愛にふれた時なんかに心を打たれて涙が出てしまうことはあるけど。
感動って人それぞれに違うものだし、押し付けられるものでもないと思う。
ほらほらイイ話で感動したでしょ?
泣けるでしょ?
って、感動の押し売りだ。
それってTV局の傲慢だよなぁ。
もひとつ、最近TV
すごく気になる。
例えば、プロスポーツを応援して勝って熱狂して「勇気をもらった」とかさ。
で、そのもらった勇気はどうなったの?なんてつっこみたくなる。
勇気って人からもらうものじゃないと思うんだけどなぁ。