2008年09月25日

ジュリ〜〜〜〜ぃ!!!

昨夜のNHK「SONGS」は沢田研二さんでした。
ジュリーです。
60才だそうです。還暦です。
金髪でした。
太っちゃったけど、「君だけに愛を」を歌ったらやっぱりスーパースターでした。
ジュリーと言えば ザ・タイガースです。
私が夢中になった最初のアイドルグループです。
タイガースの中で私が一番好きだったのが瞳みのるさん。ピーです。
彼はザ・タイガースが解散した後、京都に戻り中退した母校の定時制に入りなおし、卒業後K大学へ進学。その後K高校の教師になったそうです。(教科書も編纂されるくらいの立派な教師になられたみたいです。)
あんなに華やかな世界にいたのに、その変わりように驚いたものでした。
TVでGSブームの回顧をしても決して瞳みのるさんの事は語られませんでした。それはもう徹底してましたね。それだけ違う世界に行ってしまったということなんでしょう。

その番組で、ジュリーの他にサリー(岸部一徳さん)とタロー(森本太郎さん)も出演されていました。
その時、サリーさんがピーの話をされました。
解散コンサートの後、ピーがサリーに「京都に帰らないか。帰らないなら一生会わない。」と言ったとのこと。あの時は意味がわからなかったそうです。
サリーは「おさみ」という名を「一徳」と変えて俳優さんになりました。
あれから37年。メンバーの誰もピーとは連絡をとっていないみたいで…
そして3人で彼に捧げる「Long Good-by」という歌を作ったそうです。

るんるんLong Good-by
            詞:岸部一徳、沢田研二  曲:森本太郎

 こんなに長い別れになるなんて あの時は思わなかった
 (中略)
 ほんとうにほんとうに楽しくて いつもいつも一緒にいた
 永遠に今が続いていくと思っていた あの頃に

 (中略)
 僕らはきれいな大人になれたかな
 年ばかり重ねていたかな
 今なら分かちあいたい
 僕には君の決断がまぶしかったよ
 君は今は東京のどこかで暮らしてるんだ
 ほんとうにほんとうに君のこと いつもいつも気にかけてる
 永遠の今が続きならば 一度酒でも飲まないか


3人の思いが込められた歌で、胸が熱くなってしまいました。

ザ・タイガースがデビューしたのが1967年。
私は2枚目のシングル「シーサイドバウンド」あたりからどっぷりとハマってました。
解散した頃には少し引いてましたけど。
行きましたよ。日劇ウエスタンカーニバル。
「キャーキャー」叫んでました。
「ヒューマンルネッサンス」というLPアルバムは、私が初めてお小遣いで買ったLPで、今でも大切にしています。
旧約聖書を題材にしたこのアルバムの中のどの曲も好きでした。

映画もありました。
「世界はボクらを待っている」(1968年)
「華やかなる招待」(1968年)
「ハーイ!ロンドン」(1969年)
今だにパンフレット持ってます。バッド(下向き矢印)

ザ・タイガース.jpg












どれもストーリーはひどいし、演技は下手だし、中学生の目から見ても幼稚な映画だな〜と思いながらも、スクリーンに向かって「キャー」って。馬鹿です。
私が高1の頃、日比谷ツインタービルの地下にライブハウスのようなものがあって、一度そこに出演したタイガースを観に行ったことがあります。
あんなにすごい人気だったタイガースのライブに普通に行けたって事が、今思うと不思議ですね。
そんなに広い会場じゃなかったのに。
まだ、あんなところに行くのは不良だと思われていたんでしょうかね。
国際劇場のコンサートも観に行きました。
1971年、ザ・タイガースは解散。空前のGSブームも泡のように消えてしました。
最後の武道館のチケットはさすがに取れなくて悲しかったわ。
たった4年位しか活動しなかったけど、ザ・タイガースは私にとっては永遠のアイドルです。
だから、ジュリーは還暦になろうとも喜寿を迎えようとも、ジュリーであり続けて欲しいなぁ。
 

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/hisa50sky/tb.cgi/7645899
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※半角英数字のみのトラックバックは受信されません。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのコメント
見のがしてしまったぁ。
Hisaさんは おとなし系の物が、お好きだと思っていました。
なあーんか安心した
(^-^)g"
そうそう、不良って思う大人多かった。私の父もです。(自分は料亭遊びするのになぁ。遊びを知ってるから娘に厳しかったのかもぉ?)
私はラジオのイヤホンで聴いてました。
だってだって学校に行って皆と話が合わなくなるんですもん(;_;)
GSのブームが終わる頃に親友の10才年上のお兄さんが青山ビクター近くでサパークラブを開店。
ジュリーィには会えなかったけど…岡本信(グループ名忘れました。歌詞は『若さゆえ苦しみ〜♪』とか、カーナピィツ、山下敬二郎(柳谷金五郎の息子)寺内たけしとブルージーン(リードベースの人は今は青山に事務所を持つ芸能プロダクションの社長で今も私と付き合いあるのです)それに田宮二郎など芸能人に会う事が出来ました。
皆さん優しくてね。チビチビと言って可愛いがってくれて、私のリクエスト他の人の曲なのに歌ってくれました。
ちょっと自慢(*^_^*)
本当に懐かしいなぁ。
Posted by なお at 2008年09月25日 16:05
>なおさんへ
岡本信… ジャガーズね。
当時岡本信の追っかけやってた同級生がいたわ。
カーナビーツのアイ高野は確か最近亡くなったわね。
春頃、NHK-BSでGS特集をやってましたっけ。
ハプニングス・フォーやダイナマイツも出てたわ。オックスの野口ひでと(今は真木ひでと)も出て。懐かしかったわ〜
ちょっと痛々しい感じがする人やら、すごくかっこ良く年を取ってるひとやら。
みんなの青春時代なんですね。

私は都心に住んでたから、日劇なんかに行くことには、日比谷に映画観にいくような感覚だったから、何故大人達が不良呼ばわりするのか理解できなかったわ。音楽聴きに行ってるだけなのに。
でも、当時NHKに出られたのは、髪の短いブルーコメッツだけだったんですよね。
日比谷公会堂のオックスのコンサートに行った時、まわりでバタバタ倒れるのを見た時には驚いたわ〜
Posted by Hisa at 2008年09月25日 17:23
本当にすごかったぁ。そうよね!音楽を聞きに行くだけでね!
私の家は銀座から歩いて帰れる距離だったけど
GSは不良と言ってた。
演歌の時代だったし、大人達は子供とテレビのチャンネル争いと強烈なエレキのビートに業を煮やしたのかも?
そうそう!
私の旦那は若い頃
安岡力也とか婦人服のイタリアゴジの社長と遊び仲間だったから
霞み町の馬車クラブにタムロしてたらしいのよぉぉぉ。
これぞ不良だわぁ〜
Posted by なお at 2008年09月25日 18:41
>なおさんへ
昔は新しいものはまず否定されたわね。
その点では大人が中心の社会だったのかしら。
今なんて何でもありで、メディアも抵抗なく若者の文化を受け入れてる気がする。
今の腰パンなんかに比べたら、長髪なんて可愛いもんよね。

しかし、力也さんとお友達だなんて不良ね〜(笑)
Posted by Hisa at 2008年09月25日 22:30
SONGS
今日の再放送で見ましたよ。
始め誰だろう?沢田研二に似てるけど?
本人でした(笑)
太ってお腹も出て、でも金髪が似合ってましたね。
Posted by なお at 2008年09月30日 16:14
>なおさんへ

そうそう、見た目はねぇ。 あの美しかった姿は何処へ…
でも、歌ったらやっぱりジュリーなのよね。
Posted by Hisa at 2008年09月30日 21:19
 
※半角英数字のみのコメントは投稿できません。