閉鎖 今までこのようなサイトに来ていただいて本当にありがとうございました。 いきなり姿をくらまして本当にごめんなさい。 しばらくネットに繋げない状況下におりました。 そしてこれからはなかなか更新が出来ないと思ったので閉鎖という形をとらせていただきます。 本当に今までありがとうございました。 実は姿をくらましたのは二回目なのです。 折角なのでその理由を書いていこうかと思います。結構つまらないものなので読み飛ばしていただいても構いません。 事件は一昨年の8月6日。夏休み。私は学校のファッションショーの練習からへとへとで帰ってきました。 うちのマンションの前には黒い車が数台止まっていました。 入り口付近だったため邪魔だなと思いつつ横をすり抜ける。 そして自分の家のドアを見ると何やら張り紙が…。 暑さと疲れで朦朧としていたためほとんどその張り紙の意味がわかりませんでした。 私がボーっとしていると車から数人の黒尽くめの男達が私を囲んだ。 彼らはどことなく顔がにやけていました。でも私は理由もなく恐怖を感じました。 「あの…家入りたいんですけど」と恐る恐る言うと「ごめんね。これ(張り紙)剥がしとくから」と笑顔で言われた。 いそいそと家に入り落ち着くためにPCを開いた。確か弟はもう家にいたと思う。 すると電話が掛かってきた。嫌な予感がした。 「もしもし?奥さん、大変なことになったねぇ」 と今にも笑い出しそうな男の声が聞こえた。 「は?」と思わず声に出した。 「あれ?娘さん?○○(私の名前)さん?」 ソレを聞いた瞬間私はゾッとした。なんで私の名前を知ってるの?? 「ごめん、なんでもないよ」と言われ切られた。 何かが起こってる。しかもとてつもなく不幸なことが始まる。そう確信しました。 いつも家にいるお母さんが家にいない。お父さんにも連絡がつかない。 しばらく考えているとうちの会社の事務員さんが慌てて家にきた。 とりあえずトイレに行きたいと言うので貸して、お茶を出した。 するとまた電話が。電話のディスプレイに出された名前は母のものだった。 出てみると母の声は小さかった。どうやらトイレの中から電話しているようだ。 内容は保険証やその他の書類学校の教科書や制服を持って逃げろというものだった。 母のただ事ではない態度にすぐさま荷物をまとめた。 パンパンの鞄にノートパソコンとデジカメを入れたらもう何も入らない状態だっ た。 私にはまだ小学生の幼い弟がいる。弟の分の荷物もまとめた。 これから長い戦いになるであろうと思い、弟の鞄には着替えとゲームを詰めた。 本当は学校の教科書やランドセルも持たせなくてはいけないのにそこまで頭が回らなかった。 最後に自分の部屋を見渡した。私の部屋には数多くのPENICILLINグッズがある。 それは私の宝物だった。そこは私の城だった。PENICILLINは私の全てだった。 次第に私の目頭が熱くなった。直感したのだ。 もうこの部屋には戻って来れない。 今まで私の支えのなっていたPENICILLINに一礼し「今までありがとうございました」と言った。 ものの10分で荷作りをし私たちは家を後にした。 外に出ると相変わらず黒い車が止まっていた。 何気ない顔で横を通りすぎる。横目で車の中を見ると中の男性と目が合った気がした。 私たちは近くの親戚の家を目指す。 弟には「○○ちゃんの家にお泊りしにいこうか!」と心配させないようにした。 親戚のうちに着きしばらくお世話になることになった。 なるべく弟や親戚に心配かけないように笑顔でいた。 その夜、母から電話が掛かってきた。 声を聞いた瞬間に泣いてしまった。 なんでも父が借金をしていたらしくその取立てがきたらしい。 母は軟禁状態で昼間はトイレに行くと言って相手の目を盗んで電話をしたようだ。 今は母方の親戚の家に身を隠しているらしい。 父は行方不明。 つまり私たちは捨てられたんだ。 携帯の充電器を持ってくるのを忘れたから途中で電話が切れてしまった。 親戚の家には一週間お世話になり、母方の親戚の家に行くことになった。 夜人気のないのを確認し車で移動。そして母の元へ。 あの時の母の笑顔で満ちた安堵の顔は忘れられない。 数日後、父と連絡を取った母が「お父さんに会いに行こう」と言った。 待ち合わせの場所は病院の待合室。 ここなら借金取りは来ないと思ってのことだ。 数日ぶりに見た父は疲れきった顔をしていた。 私達に会う気まずさは計り知れないものだ。 それまで私の中にあった父への軽蔑の感情が同情に変わった。 8月31日。 私たちは新しいマンションに越した。私の物は何一つない。 あるのは目新しい家具。みんな新しく生活必需新をそろえた。 もちろんその部屋にPENICILLIN関連のものは無い。 しばらく悪夢にうなされて眠れなかった。 朝目を覚まし天井を見て「またこの天井か」と思い、あの出来事は夢ではなかったのだと痛感させられる。 このころ「花園キネマ」が発売された。このカップリングの「若きウェルテルの悩み」の落ち着いたメロディーが私の心境を表しているようだった。 何度もこの曲を聴いて泣いた。 PENICILLINの曲が聞きたくて中古でもいいからCDを買おうとした。 だが一つ一つとPENICILLIN関連のものが増えるとまた無くなるのではないかという恐怖が沸いた。そう思うだけでつらくなりCDが買えなくなった。 でも新曲のCDは買えた。聞くたびに元気が出てきた。 そしてこの事件から約一年。 この生活にもすっかり慣れて、このことをよく思い出してしまう。 前までは新しい生活に追われ悲しがってる暇は無かった。 だから最近になってよく思い出してしまう。 大切なものが一瞬の内に消えてしまう恐怖を。 そしてPENICILLINの曲を聴くとつらくなる。好きなのに聞くのがつらい。 なのでこのサイトも閉鎖。 でもファンを辞めるきは全く無い。好きなものはPENICILLINと胸をはって言えるから。これから時間をかけてPENICILLINが心の支えだった時を思い出す。 そしてまたライブに参戦したい。 今まで来てくださった皆様、本当にありがとうございました。 このサイトを通じていろんな人に会えた事を感謝します。 またいろんなサイトに出現すると思いますのでその時はヨロシクお願いします。 ここまで読んで下さってありがとうございます。 これで本当に閉鎖です。