1 真夜中のラジオGS談義   ラジオ日本

 お昼のラジオ「失神」談義   NHK FM


 真夜中のラジオGS談義

TMCBアワー / HIDETO'S MIDNIGHT CAFE (ラジオ日本)

文中敬称略 

序文 この放送番組について


2002年7月12日 by Miki

1992年8月24日放送

HIDETO'S MIDNIGHT CAFE

 

こんばんは!真木ひでとです。 今日は東ちゃんもウチのボーイもみんな夏休みっていうことで---あっちへ帰ったり、こっちへ帰ったり、お盆休みをくれって言ったりで、最近の若い子は生意気で・・・東ちゃんは他にミュージック・コメンテーターっていう仕事を抱えてるから、『今日はちょっと寄れないよ』って言ってですね、僕はひとりでこのお店を仕切らなきゃいけないという---ですから、僕は一人な訳ですから、TMCBの皆さんにもちょっと残っていただいて、ここで遊んで行ってくれないかな、と思ったら、『出るよ』と言いながらみんな今帰っちゃいましたよ! 優しいのか冷たいのかわかんないっていう連中ですけど(笑)」

「まあ、引き続き僕もこうやって、2時半からやってるわけですけども、今日はひとりっていうことで、いつもは洋楽かけてますから、鬼の居ぬ間ってことで、たまにはTMCBアワーでも、Hideto's Midnight Cafe でもかけない、オックスの隠れたヒット曲などを特集してやってみようかなと思います。 これはみんながいない時じゃないと、かけれない! たまたまずいぶん前にいろんな方からリクエストをいただいてますので、そういうものに沿いながら今日はやってみたいと思います」

「一番最初の曲は「ガール・フレンド」と「スワンの涙」の間の曲で一応4、50万枚売れたんですけど、オックス通じゃないと知らない、というこの曲をまず Midnight Cafe しょっぱなから行ってみたいと思います。『ダンシング・セブンティーン』♪」

曲:オックス「ダンシング・セブンティーン」

「いや〜もう、何か自分で聴いてても感動する程若い! 当時は野口ヒデトって言ったんですけども、ヒデ坊の声はホントに可愛かったなと(笑)。 こういうかすれ声じゃなかったな--と。 何でこんなに声変わっちゃったのかなー? やっぱり演歌の発声法が身に付いてから、演歌っぽい声になったのかなあ。 こういう青春の躍動感あふれるような声に、戻れないんでしょうか(笑)! これが「ダンシング・セブンティーン」と言いまして、オックスの2枚目のシングルです」

「それからリスナーの方から、ずいぶん前にお便りをいただいてて、時期が到来しなくて読むのを控えてたんですけど、この方は6月22日に「オックス・クライ」とか「テル・ミー」のオックスのライブ・ヴァージョンを聴いて大変感動なさったということで、オックスの失神曲をリクエストしてくれた方に、この場を借りてお礼を言いたい、ということです」

「で、この方から非常に無理なリクエストがありまして----『スペシャル・ゲストに赤松愛ちゃんを呼んで下さい』(!)---これは断言します。 ゼッタイに無理です! 彼は出てきません!! はっきり言って、彼はもう会社の社長さんですから、大阪からわざわざ出てくる暇もないでしょうし、特にこの日曜日の深夜っていう時間帯には出てこないんじゃないかと思うんで・・・ もし、赤松くんが----バンド活動やりたいって言うんだったら、オックスも再結成するような話も出てくるかと思うんですけど、ちょっと赤松くんが出てこないんじゃないかと思うんで、オックスは解散したまま、という気がします。 その分TMCBなんかで楽しんでもらってると思うんですけどね」

「-------ホントはこのコーナーも、僕は自分でギター弾いてライブなんかもやってみたいんですけど、前のTMCBアワーでライブ・ヴァージョンとかやってますからね、こっちもやっちゃうと同じような感じになっちゃうんで、まあ今日は鬼の居ぬ間ってことで(笑)TMCBアワーでもMidnight Cafe でもかけられない、オックスの隠れたヒット曲をやっていこうという訳で「ダンシング・セブンティーン」から始めた訳です」

「次の歌はちょうどオックスが、当時国際劇場っていうのがあって、そこではじめてワンマンコンサートやりまして。 3日間9回ステージ、だから1日3回かな?それで9回失神して(!)延べ何百人もの失神者が出た、という感じのコンサートだったんですが。 昭和44年の3月半ばだったんですかねぇー(*3月28日から3日間だったと思われる)で、昭和44年の国際劇場の新記録を作ったんですが、翌年当時人気全盛の、藤圭子さんにあっさり記録を塗りかえられた、という話もあります(笑)」

「そのとき発売して、オリコンのチャートではベスト10近くまで行ったんですけどね、意外にこれも知られてない大ヒットだと思います。 結構マニアックな人で好きという人が多いんです。行ってみたいと思います、オックスの4枚目のシングルです。『僕は燃えてる』♪」

曲: オックス「僕は燃えてる」

「この『僕は燃えてる』のちょっとあとに、赤松愛くんが加橋かつみさんの脱退事件に誘発されるように、オックスからいなくなってしまいまして---あの時はそうですね、取材陣から逃れるために、お茶の水の『山の上ホテル』に幽閉されて。 いろんな週刊誌の記者から隔離されたみたいになりました。 当時は某大手プロダクションに所属してたんですが、そこの人たちに隔離されて--(笑)。 子供ですからね〜聞かれちゃうと、いろんなことしゃべちゃうから、隠れた方がいいって言われて、まずそこに隠れて、あとは目黒の『雅叙園ホテル』に隠れたりしました。-------『僕は燃えてる』を聞きながら、いろいろ思い出しちゃったんですけど」

「それから僕がソロで『野口ひでと』っていう名前で、フィリップスからシングル出したことなんか書いて下さってるんですが---《フィリップス時代の曲から『他に何がある』をリクエストします》---知る人ぞ、知るっていう曲ですね。 4千枚くらいしか売れてない曲だと思うんだよね(笑)こういう曲知ってるっていうのは、ホントに通だなって思います」

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「これは昔の古いレコードで、僕の部屋の倉庫から出して来たんで、レコード針のノイズがバチバチって入っちゃうんですけど、せっかくリクエストもらったんで、フィリップス時代の「野口ひでと」の頃の僕のソロ・シングル「他に何がある」を聴いてください」

曲: 野口ひでと「他に何がある」

(ここで、ボーイ達が突然「ただいま〜」と帰ってくる)

「あれ〜どうしたの?」

「いやー真木さんのこと考えてると、実家でオタオタしてられません!」

「びっくりした!お化けかと思って、ドキッとしちゃったよ。じゃ、今の曲聴いた?」

「聴きましたよ!」(二人揃って)

「俺がソロになって--フィリップスってホントはグループ・サウンズがすごく多かったんだよ。テンプターズとか、スパイダースとかジャガーズ、カーナビーツとか、みんなフィリップスだったんだ。 俺はオックスのときビクターだったんだけどね、ここに移籍して第1弾目だったんだ。 これはね、ジョン・レノンの「マザー」っていう曲に似てて、アレっぽいんだけど。 これを出して、全然ヒットしなかったんだけど、当時としては結構先取りしてた音楽なんだよ。 でも、本当にこの時期は希望に燃えてたし、一生懸命頑張ったんだけど、全然売れなくてスケジュール真っ白になっちゃって、意気消沈した時代なんだよ--苦節の時代が始まった、というか。 その時に思い出に残ってる曲なんだよ」--------

「最後の曲はオックスの大ヒット曲でしめくくろうということで、オックスの3枚目のシングル、何とこれは100万枚以上売れたという話なんですが--「スワンの涙」!

曲: オックス 「スワンの涙」

「---ということでね、今日は僕、真木ひでとがひとりでお相手しましたけど、来週は元に戻って、通常のコーナー枠でやってみたいと思います。 じゃあ来週まで、さようなら!」 


1992年8月17日放送

●TMCBアワー

 

出演:森本太郎(タイガース)、真木ひでと(オックス)、アイ高野(カーナビーツ)、今井久(パープル・シャドウズ)、三原綱木(ブルー・コメッツ)

森本「なんだか暑いから、恐い話が聞きたいね。 そう言えば、オックスが昔合宿してたところ、僕の家の近所だけど---青葉台の。お化けが出る話、あれホントなの?」

真木「ホントの話なんだ! 僕等も最初『これ、ひょっとしたらドロボーなのかな』とか、いろんなこと考えたんだけど-------あとから調べたんだけど、無縁仏の墓地がこの土地にあって---女の人の泣き声がしくしく聞こえてきたりするんだ。 僕と岡田志郎が経験したので、一番恐かったのは、誰〜も入ってないお風呂からお湯を流してる音がするんだ! 洗面器のカラン、カランっていう音がしたりとかさ。 それで、僕と岡田志郎が見に行ったんだけど、タイルも何も濡れてないんだよ! お手伝いのおばさんが、その音やっぱり一緒に聞いてるんだよ。 それで自分は『誰かメンバーの人か、ボーヤさんが入ってるのかと思ってた』って。 (だんだん声のトーンが低くなる)---------------で、お祈りしてもらって、お札まで貼ったんです」

(一同、真剣に聞いている)

真木「それで、ここを出なきゃいけない、ってことになって。 でも人気全盛の頃だから、僕と赤松愛には部屋を貸してくれないんですよ。 ファンの人が詰めかけて、迷惑掛けるからって。それでとうとう僕は、最後まで残ることになっちゃって。 でも恐いから、夜中はずーっと近所の小料理屋まで遊びに行ってて------」

森本「それであのあと、全部出たあとも、借り手がなかったみたいだね」 

真木「なかった。 だからアパレル産業とかが、昼間しか使ってなくって。 あの一帯っていうのは、いわくつきの場所だったみたいで、近所のトンネルでは、やっぱり幽霊が出るとか--トンネルの横の土手のところから赤ん坊の泣き声がするとかね。 青葉台は一等地だったって言う風に聞くけど、不気味なところでしたよ」

森本「あの、僕等も四谷の多聞町っていうところに下宿しててね。 僕はホントに見てないんだけど、岸部四郎が「見た」って言うんだよね。 夜みんなが出てったあと---地方公演だとかっていうと、メンバーじゃなかったから、自分ひとりじゃない。 でも地方から出てくるファンとかがいるから----。 で、夜中の2時頃目が覚めて---1階だから台所から外見たら女の人が髪を梳いてるんだって! うすいガラスだから顔は見えないけど、シルエットでわかるじゃない、夜中でも外にライトが点いてるから! それでゾーッ!として、いなくなってから外に出たら、ファンの子が二人いたらしいんだ。 それで『今髪の長い、こんな人いなかった?』って聞いたら、『いなかった』って言うんだって! それからシロー、ずっと寝られなかったって言ってた。 今度来たら聞いてみるけどね」

真木「でも、『丑三つ時』っていう言葉あるでしょ、あれホントにそうだ、と思った。 合宿所に出てくるのも2時頃が一番多いんだよ」

高野「今(この番組)やってるような時間帯だね!」

真木「だからね、それウソだ、と思って週刊誌の人とか、テレビ局の人とか、レコード会社の人とかが来たわけ。 それで、一生懸命押して開かなかったドアが、風もないのに、パッと開いたりとか言う現象があったんだ!---------------」****中断

 

ライブ・コーナー

知りたくないの(英語版)  Vocal 三原綱木  Guitar 三原綱木、 今井久

ビートルズナンバー(曲名不明) Vocal アイ高野   Guitar アイ高野、真木ひでと、

 

**(怪奇現象のお話の部分をテープで聞いているうちに、突然テープがからんで切れてしまい、聞けなくなってしまいました。 オックスの合宿所に幽霊が出る話は有名で、当時雑誌にも報道されました。)

 


2002年5月5日

1992年7月27日放送

●TMCBアワー

出演:森本太郎(タイガース)、真木ひでと(オックス)、アイ高野(カーナビーツ)、今井久(パープル・シャドウズ)、三原綱木(ブルー・コメッツ)

リスナーの方から「みなさん、あのユニフォームはどうしてらっしゃいますか?」というハガキが届いたので、今日の話題は、当時のGSの衣装から

森本「綱木さん、ブルーコメッツの衣装は?」
真木「今でもとってます?ブルコメの時の衣装って」
三原「もうないよ、どっか行っちゃった」
真木「オックスは解散のとき、ステージからファンの子にみんな投げたんですよ。だからひとつのズボンをバリバリに破られて、とってった、とかね。でも今考えたら、投げないで取っとくべきだったと思ってね。今こうしてGSがブームになってて、あの頃の衣装って、結構今貴重でしょ」
森本「貴重だよねえ〜」
真木「展示して、これがオックスの衣装だとか、タイガースの衣装だとかブルコメの衣装だとか、ってできる訳じゃないですか。だからあげなきゃよかったと思って」
森本「僕のは意外にとってあるんですよ。 京都の実家に送ってあるからね」
真木「将来タイガース展示館か何か、開こうと思ってるんですか(笑)!」
森本「いや〜、そうは思ってないけど(笑) GSクラブ、というかメモリアルクラブバンドで1回そういうのやるとおもしろいね。 過去の貴重な物持ってきてね」
真木「カーナビーツは?全然とってないの?」
高野「もうダメだね〜。過激だったから、破れまくっててさ」
真木「すり切れちゃって、ボロボロになるんだよね」
高野「ウチのおふくろが、何点かとってると思うんだけど」
三原「多分今井ちゃんはね、きっと持ってるよ」
今井「とても着られないよ!」
真木「パープル・シャドウズって、ホントに『パープル』の衣装だったね!」
三原「そうそう、紫なんだよ」
森本「派手じゃない!!」
真木「グループとしては結構地味に見えるけど、衣装はすごい派手なの着てたよねえ」
今井「あれ着てキャンペーン行って歩いてて、ヘンな目で見られたよ(笑)」
森本「派手だったんですねえ〜」

ライブ・コーナー

**(このコーナーは、本当にリハーサルなしてやっていたそうで、いつも何をやるかは、その場で決まる。演奏はもちろんギターだけ。お聴かせできないのが、残念です。)

真木「僕は、TMCBアワーでは、ストーンズにこだわりたいってことで、僕が出てきたら、ストーンズばっかり」
森本「前にもストーンズ歌ってくれたよねえ、ひでと」
真木「ビートルズは、みんなに任せて、僕はストーンズってことで。今日はね、あれ行きません? Ruby Tuesday」
森本「あっ、いいなあ〜! 僕らもね、これタイガースのステージでやってた曲でね」
真木「ルビー・チューズデイっていう曲は歌ったことなくて、だから今日初めて歌うんですよ。」
森本「あっ、そうなの?」
真木「この曲だけは、どういう訳かストーンズ物でやらなかったんですよ。
------じゃ、これは僕がカウントか何かで行くんですか?」
三原「オッケー!カウント行こうよ」

ルビー・チューズデイ    Vocal 真木ひでと
              Guitar 三原綱木 森本太郎

もう1曲は、アイ高野のヴォーカルで、「ストップ・ザ・ミュージック」

ストップ・ザ・ミュージック Vocal アイ高野 
              Guitar 三原綱木 森本太郎

**(このあと、この曲がカップスの「銀色のグラス」や「ダンシング・オールナイト」に似てるという話題になり、話が終わらないまま、番組は時間切れ!)


1992年7月6日放送

●TMCBアワー

出演:森本太郎(タイガース)、渡辺茂樹(ワイルド・ワンズ)、真木ひでと(オックス)、岡本信(ジャガーズ)

オープニングの雑談のあとはTMCBの「GSが好きさ好きさ好きさ」を一曲。

リクエストはがきをくれたファンの方が、ちょうど誕生日だということで、みんなでバースディ・ソングを歌ってプレゼント。

さて今日は岡本信が、昭和43年の新宿ACB(アシベ)の、2月、3月のスケジュールを持参。当時のジャズ喫茶の話から。

森本「これ見ると、誰が出てるかわかるんだ」
岡本「昼の部、夜の部ね」
渡辺「毎日やってんだね!これ」
岡本「当時は毎日やってたんだよ」
スケジュールを見ながら、バロン、ドリフターズ、フラワーズ、ハプニングス・フォー・・・出演バンドの話に花が咲く。
森本「順番に見てると‐シャープ・ホークスが出てるねぇ、安岡力也の。それとリンド・アンド・リンダース」
岡本「リンドは関西だよね」
真木「リンドって大阪にいたんだ。それとキングスってウチの福井利男がいたバンドだよ。」
森本「あつ、そうか」
真木「このときはもう脱退して、オックス作ってたんだけど、このときまだ僕ら大阪にいて---」
岡本「キングスのメンバーがバラバラになって、大阪に一回帰って作ったのがオックスなんだよね」
森本「じゃオックスの前身か」
渡辺「やっぱり欲しいよね〜こんなジャズ喫茶!」

ライブ・コーナー

森本「じゃあ恒例のライブをやろうか」
岡本「ひでとはやっぱりローリング・ストーンズ調だから」
真木「じゃあ、Time is on my side !」

タイム・イズ・オン・マイ・サイド  vocal 真木ひでと

Guitar 森本太郎、渡辺茂樹 

渡辺「大体ひでとはストーンズの雰囲気だよね」
真木「ちょっとクラいからね」
岡本「オックスとかテンプターズというのはストーンズ調だね」
渡辺「ひでとの『黒くぬれ』大好きだよ」
岡本「声の質が合ってるんだよ」

もう一曲はビートルズのナンバーを岡本信が歌って、終了!

ハロー・グッドバイ  Vocal 岡本信 Guitar 森本太郎、渡辺茂樹


2002年3月1日 

1992年6月29日放送

●TMCBアワー

出演:森本太郎、加橋かつみ(タイガース)マモル・マヌー(ゴールデン・カップス)アイ高野(カーナビーツ)今井久(パープル・シャドウズ)渡辺茂樹(ワイルド・ワンズ)

ゴールデン・カップスの「愛する君に」で番組がスタート。すぐ誰とも仲良くなる、デイブ・平尾のことが話題にのぼる。

さて、この日のトークはウェスタン・カーニバルの楽屋でのこと。当時は年功序列がずいぶんきびしかったという。 

森本「僕ら新人のときは、先輩は寺内さん(寺内タケシ)とブルージーンズでしょ、裕也さん(内田裕也)、ブルーコメッツ、シャープ・フォークス、シャープ・ファイブっていたからね。」

「あの時代は先輩後輩がきびしくて、新人の頃はとにかく、一番先輩の楽屋から『お疲れさまでした』ってあいさつに回らされたよ」と、タロー。

渡辺「僕ら入ったときには、スパイダーズは楽屋は決まってて、もう二つ部屋とってた」

高野「そうそう、楽屋にもランクがあったよね」

渡辺「スパイダーズは二つとって、1個は田辺さん(田辺昭知)と正章(堺正章)さんしかいないのね。あとみんな、こっちの方に固まってんの。でもウェスタン・カーニバルの楽屋って楽しかったね」

森本「ウェスタン・カーニバルでつらかったのは、リハーサルが前の日の夜中でしょ。朝方の4時くらいまでリハーサルやって、そのまま、あの狭い楽屋でみんな寝るじゃない、それで1回目のステージが11時で、一日3回やってたからね〜」

曲: G・S・Cによる「元気な背番号」。 

ライブ・コーナー  Guitar 今井久

ミッシェル (ビートルズ)   Vocal  加橋かつみ

And I love her (ビートルズ) Vocal マモル・マヌー

 


1992年6月29日放送

●HIDETO'S MIDNIGHT CAFE

この年は、沖縄返還後20年目。1969年、オックス時代に、まだ返還前の沖縄に行ったときのことを東さんに聞かれて、ひでとが話し出す。(*オックスは1969年の4月に沖縄公演をしている)

東「真木さん、沖縄行ったことあるでしょう?」

真木「まだ返還前にパスポート持って行ったよ、69年かな。あのときの沖縄ってすっごい異国情緒あってさ。那覇空港から飛び上がるとき、涙出たよ」

東「当時はまだ軍関係者だけが入れる店って、いっぱいあってね」

真木「昔行ったときは、コンサートやって、空港にいっぱいファンの人が見送りに来てくれて、夕陽が落ちる瞬間に飛行機が上がって行ったんだ。夕陽の中に沖縄本島が浮き上がって見えて、そしたらすごいノスタルジックな雰囲気になっちゃって---飛行機で旅して、涙出たのってその時がはじめてだったね」

曲:Freeの「 Be My Friend」(ひでとおすすめの曲)

*フリーが東京に来た時に、モップスが前座をやった。会場でひでとはモップスの鈴木ヒロミツを呼んで、中に入れてもらい、ステージを見たそうである。

真木「サンケイホールで見たんだけど、小型版ローリング・ストーンズみたいだったんだ。その時この『ビー・マイ・フレンド』をやったんだけど、その動きたるや、ミック・ジャガーを彷彿とさせるようものがあって---で、この歌をオックスもレパートリーに入れようって、ことになって。これがファンに受けたんだよ!でも、やった!と思った半年あとに、オックスは解散したからね。だからすごい思い出深いよ。大体オックスがこういう歌に目覚めてきた頃に、演奏もうまくなっていったんだけど、その時にはもうGSブームは終わってたんだよ。だから、すごい印象的な曲なんだ」

 


2002年2月14日 by  Miki

1992年5月25日放送

●TMCBアワー

出演:森本太郎(タイガース)真木ひでと(オックス)アイ高野(カーナビーツ)鳥塚しげき(ワイルド・ワンズ)

この日の話題は、所属プロダクションのことから。 当時渡辺プロ系のGSが出るジャズ喫茶と、ホリプロ系のGSが出るジャズ喫茶とがあった。 オックスはホリプロに所属。

「最初は池袋ドラムでも、新宿ACBにも、出てたんだけど、人気が出てくるとだんだん、出られなくなっちゃった」と、真木ひでと。

実は、GSの祭典ウェスタン・カーニバルも、渡辺プロのステージだったので、ホリプロ所属のオックスは、一度も出られなかったのである。 

週刊セブンティーンで、「ウェスタン・カーニバル観戦記」という企画があり、オックスは2階の最前列をとってもらい、客席でステージを見学、その感想を誌上で発表することになったのだとか。

「でもくやしかったから、タイガースとか、テンプターズとか、ライバル視しているグループのことは、あまりほめなかった!」のだそうである・・・

ライブ・コーナー  

As tears go by (ローリング・ストーンズ) vocal 真木ひでと

Daydream believer  (モンキーズ)  vocal 鳥塚しげき 

「ぼくはストーンズの担当だったから、今日はストーンズやってもいいかな〜」とひでと。 すかさず、アイ高野が「テル・ミー」のイントロをギターで弾きはじめた。「それやったら、失神しなきゃなんないよ!」とあわてるひでと。 結局「いつもストーンズの早い曲ばかり、やってるから、今日はストーンズのスローな曲を」ということで 、As tears go by。

そして鳥塚しげきが、モンキーズのナンバーを歌って、今回は終了。


 

1992年6月14日放送

●TMCBアワー

出演:森本太郎(タイガース)三原綱木(ブルー・コメッツ)アイ高野(カーナビーツ)渡辺茂樹(ワイルド・ワンズ)

トークはGSの衣装のこと。

「スパイダースの衣装が、一番カッコよかったね」と言うのは、森本太郎。「タイガースはベビー・ドールで作ってたけど、当時はちょっとあれ、抵抗あったよ」

「ゴールデン・カップスは、一応コシノジュンコで作った衣装あったんだけど、いつもフリーだったよ」と、マモル・マヌー。

「かまやつさんなんかは、ウェスタン・カーニバルの舞台げいこ用の衣装って作ったんだってね。それっておしゃれだね」と、チャッピー。

ライブ・コーナー  

今日の誓い(ビートルズ)   Vocal 森本太郎/アイ高野

                Guitar 三原綱木/渡辺茂樹 

My Girl (テンプテーションズ) Guitar &Vocal三原綱木  

 


 

1992年6月22日放送

●HIDETO'S MIDNIGHT CAFE  オックス特集

 

いきなり オックス!!の掛け声と、ファンの大歓声とともに、「オックス・クライ」のライブ・ヴァージョンで番組が始まり、びっくり!

前回オックスのファンの女性から、「オックス版『テル・ミー』をかけて欲しい!」と、ひでとあてにハガキが来たので、今回はそのリクエストにこたえて、オックス特集となったのだった。 

――「オックス・クライ」を聴きながら、東さんとマスターのひでとのGSトーク。

東「あの頃は最初から最後まで、キャ〜!だったね」

真木「こうして聴くと、リズムくっちゃってるんだけど、当時はモニターとか、そういうのな  いから、あれだけキャーっていわれてると、何も聞こえないし、自分で適当なところで歌っていくしかなかったんだよね〜」

東「テレビで見てたよ。シングル盤も「スワンの涙」とか持ってたし」

真木「A級GSとB級GSに分けると、B級GSから、けっこうプレーヤーとしてすごい人がいっぱい出てるからね。ダイナマイツの山口富士夫さんとか、ビーバーズの石間秀樹さんとか―ロック系のルーツというか、そういう人がたくさんいたね。 A級GSの僕たちは、意外に、ロックブームのときには失敗したよ」

東「PYGだってそうだね」

真木「音的にはすごい良かったのに、アイドル系の名残としてみんなが見るから、野音でやったときには――」

東「『帰れ〜!』になっちゃったよね、いいバンドだったのに」

真木「『花・太陽・雨』とかも、いい歌だったのに、ショーケンとジュリーが組んでやるっていうこと自体が、世の中の人の反発を買っちゃってね。 逆にGSのとき、なんというか圧力をかけられて、のびなかったモップスとかが、だんだん芽が出てきたのが、この時代」

東「ところでこのライブ盤、『出船』とか入ってて、目が点になっちゃたんだけど!」

真木「でも、それをやらないと、失神者が多くなっちゃって、大変だったんだ」

東「あ〜、クールダウンさせるわけね」

真木「一瞬、テンションが落ちるところをねらって、最後に『テル・ミー』とかに入ってくわけだから。 あれを延々ローリング・ストーンズとかビートルズとか、やってると、もう失神者続出どころか〜 さっきのライブ盤のときなんか、心臓マヒおこした人いたんだから!」

曲: 失神曲・オックス盤「テル・ミー」。

真木「最後のほう、赤松愛がからんでくるんだけど、これはね、実は先に落ち着きすぎちゃって、不完全燃焼版のテル・ミーなんだ。 本当は、あれドラムの音なんか聞こえてたけど、オックスのテル・ミーってベースの音しか残ってないっていう位、楽器を投げ飛ばしたりなんかしててね。 この状態のときはまだドラムセットが残ってたから、ホントに中途半端なテル・ミーだったんだよね。 でも、今こんなことやったら、オレ死ぬよ!」

東「当時、テレビの歌番がやたらあって、いろんなグループいっぱい出てたよね。実際口パクじゃなくて、生で演奏してたでしょ、あれ、思い出しちゃった」

真木「GSを知らない世代は、オックスは『スワンの涙』で失神してたと思ってる人が多いんだ。 『テル・ミー』だって、オリジナルのストーンズを聴くと、そんなにハードじゃないから、なんでそんな曲で失神できるんだろう、ってのがあるけど、それが今これ聴くと解明できたんじゃないかなあ。

東「ちゃんと演奏してたね〜」

真木「この時はキャーって言われてて、演奏は荒かったけど、でもちゃんとしたレコード聴くと、当時のGSは下手だ下手だって言われながらも、歌はうまいし、コーラスはきれいだし、やっぱり日本のロックのルーツはこの時代だから」

**(まだCD化されていないオックスのライブ盤が、ラジオでかかったという感激ものの出来事でした。実は私、当サイト管理人はこのときはじめてオックスのライブ盤「テル・ミー」を聴いたのです!)