編集委員の声

No.39に関するツリー

[39] 無知の涙。

投稿者
WEB多事争論編集委員Q川洋子
投稿日
03/28 22:26

「日本の司法は、人を一人殺しただけでは ごめんなさいと言えば許されるんですか? そんなのおかしいとおもいませんか?」

これは、いわゆる“闇サイト殺人”で、愛する一人娘をむごい手口で殺害された、母親の言葉。被告の3人に言い渡された刑は、二人が死刑、一人が無期懲役。

自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。
だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。ただ、想像するのは、殺された娘の、思い。
彼女は、母親に、「犯人に死を!」とさけんでほしがっているだろうか。

思うのは。

私が事件に巻き込まれてしまって、殺されても、
家族や、愛する人には、犯人の死刑を望んでほしくはない。と、いうこと。
自分が殺されたあとに、
憎しみいっぱいに犯人の死を望むことで、前に進もうとしてほしくはない。
そんなことしたって、失った命は、戻らない。

自分の娘と、娘の友達を手にかけた畠山鈴香は、二審でも無期懲役。
殺害された豪憲くんの父親のコメントも、やはり、
「2人の子供を殺害しながらいずれ社会復帰できる判決。このような世の中でいいのか」

二人殺したら殺していいのか?そんな世の中がいいのか?
死刑は、国よる合法的な殺人だ。
それを望むことは、殺人を、認めてしまうことなんじゃないか。
そんなの、自分が被害者なら、死んでも死にきれない。
と、思うのですがー。

偽善なのかなあーーー。

永山則夫の文章に、いまさら衝撃を受ける日々なので。

罪がある
犯罪者である
人生の敗北者である
そこには悲哀な物語があろう
がしかし負けたのだ人生に
詩だけは知ってくれるであろう
人間であったことを
(永山則夫「無知の涙」より)

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[40] Re:無知の涙。

投稿者
H.T
投稿日
03/28 23:43

井上波さんの正しい戦争って..の争論の覧や戦争の覧でも述べさせて頂いたのですが、復讐は復讐を生む、死刑も似ていると思うのです。やはり、私も自分が被害者だったら、愛する人に、死刑で復讐をしてほしいとは思いません。
以前テレビで、アメリカの死刑囚の公開死刑についての特集をみた事があります。爆破犯だった死刑囚の死刑が執行された時、被害者の家族であるの一人の老婦人がこう言いました。「あぁ..これで(死刑を執行してしまった事によって)私自身も、あの死刑囚と同じ人殺しの立場に落ちてしまった。」と。
被害者の気持ちを考えると非常に悩むべき深く難しい問題ですが、死刑の前に、まず終身刑の制度の設立について、司法には考えて頂きたいと思っています。

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[41] Re:無知の涙。

投稿者
伊賀 敏
投稿日
03/29 00:00

山口母子殺人事件でもそうですし、それ以外の裁判でも同じです。 すべての人が異口同音に言われるのが「不満」なんですよね。


じゃあ、何に対して不満なのか?


よく考えてみると、司法に対する不満なんですね。 裁判に関わった人の99.9%は不満が残ると答えているのです。 有罪率と同じですね。


司法は国民に対するサービスなんですが、国民は司法サービスに満足していないというのが現状です。


懲役400年があってもいいし、再審がもっと簡単に行えるようになってもいい。
裁判は弁護士と検察官と裁判官の司法試験合格組の仲間内談合みたいなもので、被告や被害者ですら、ほとんど発言しないわけです。


真実は解明しないし、適当な落とし所を探って、刑の相場を符丁で談合するんですよ。 これには関係者は愕然とするでしょう。 こんなものか?と思いながら結構短い時間と共にすべてが過ぎ去ってゆく。 納得もしないし、満足もしない。 


死刑で終わりか、そうではないのかではなくて、被害者、遺族の心のケアや情報開示、フェアーな裁きや罪への考え方のレクチャー。 先にやるべきことはもっと一杯あると思いますよ。


被害者や遺族でさえ司法を批判できない、すくみ社会ですね。

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[81] Re:無知の涙。

投稿者
おいおいおい
投稿日
04/14 19:42

麻生総理に対する捏造の読み仮名間違い追求

これこそ、無知の涙でですな!!


おーーーい、吉岡、早く弁明しに出てこいよー-

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[82] Re:無知の涙。

投稿者
774n
投稿日
04/14 21:57

>>自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。

ただの思考停止ですね

>だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。

他者の痛みになんらの斟酌をしないのですね。
「理解するつもりもない」
というひどい言葉を被害者の親族に言い放つのですか そうですか

>ただ、想像するのは、殺された娘の、思い。
>彼女は、母親に、「犯人に死を!」とさけんでほしがっているだろうか。

今、ここに居ることのできない人の言葉が聞こえるのですねw
あなたは霊媒師ですね(棒

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[83] Re:無知の涙。

投稿者
長文
投稿日
04/14 22:44

死刑の論議は色々な立場からの意見があり、時に感情論にもなりつつ進むもので、存置派・廃止派ともにイデオロギー的な議論になることもしばしばです。
ですので、どんな意見でもそれなりの論拠なり説得力があるものだと思いますが、理解できないのはこのトピックのような廃止派の人たちによる遺族の方々への攻撃です。
このQ川洋子さんの意見は特に酷いものだと思います。

>自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。
>だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。
と、遺族感情を理解するつもりはないとするのはまだ分からないのではないですが(それでもこの言い草はどうかと思いますが)
>ただ、想像するのは、殺された娘の、思い。彼女は、母親に、「犯人に死を!」とさけんでほしがっているだろうか。
被害者を持ち出して、亡くなってしまってるが故に誰にも分かるはずのない被害者の感情を勝手に自分に都合の良いように想像する。しかも「ほしがっているだろうか」と反論しにくいように書く嫌らしさ。もし遺族がこの文章を読まれたならどう思われるでしょうか。

また「自分が死んだら」という仮定をする無神経さ。普通は「愛する人が殺されたら自分がどう思うか」でしょう。それでも「自分が死んだら」という仮定にしたのは、被害者は死刑を望んでいないという自分の理論に沿わせるためではありませんか?
遺族の感情は分からないのに、何の罪もなく突然殺された側の気持ちが何故分かるのですか?自分が被害者ならという仮定は何の意味もない、ただ遺族を煽るだけの物にしか見えません。
偽善かどうか気にしていらっしゃるようですが、はっきり言います。偽善ですらないただの自慰行為です。

サイト全体にいえることですが、「論」を自称するのであれば、最初から誘導を行うような設問の立て方は止めるべきです。
このトピックでも「国による合法的な殺人」という重要な論点が存在するのに、大半を感情的な遺族への(間接的な)攻撃に費やしてしまっている。この気持ち悪さに何故気付かないのか理解できません。

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[89] Re[2]:H.T

投稿者
長文さんへ
投稿日
04/15 01:30

先ほどは、他ツリーにてメッセージを頂きありがとうございました。孤独な中、考え方は違えども励まして下さる方がいて本当に救われました。他ツリーに少しお礼を書いたのですが、ここなら見て頂けるのではと思い、書き込みました。
レス制限あるのに使ってしまい、皆様本当に申し訳ありません!
このツリーの問題に対して私は、なかなか結論を出す事ができずにいます。考えれば考える程、悩みます。幸い、皆さん真剣に論じていらっしゃる方々が多く、大変勉強になります。倫理的な問題と遺族の感情、どちらをとるのか。難しいです。長文さんの意見も伺う事が出来て光栄でした。

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[84] Re:無知の涙。

投稿者
A・S
投稿日
04/14 22:53

あなたは『自分』が殺されたとしてもあの世(天国ではないですよ?)から『その人を許してあげて』と言うのですね。

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[85] Re:無知の涙。

投稿者
投稿日
04/14 23:29

私(=被害者)が犯人の死を望まないから、遺族に死刑を望むなというのは
おかしくないですか?
Q川さんが家族や愛する人に「私が殺されても犯人を憎まないでね」と
言われたから、たとえそれらの人が惨殺されても犯人の死刑は望まない。
というのならつじつまは合うと思いますが。
そう言われても、実際にはすんなり受け入れられないんじゃないかなあと思いますが。

私はそもそも遺族が死刑を望むことの何がいけないか分からないです。
死刑にするのをためらうほど、人を殺すのはいけないことなんですよね。
それなのに何故それだけのことをしでかした者の死を望んではいけないのですか?
人を憎むことで前に進むことの何がいけないかを、明確にしてほしいです。
>そんなことしたって、失った命は、戻らない。
とありましたが、違いますよね?
犯人を憎もうが許そうが死んだ者は帰ってこないんです。
だから何を回復のとっかかりにしようが、どっちが優れているわけでもなし、
外野がやいやい言うことじゃないと思いますが。
というか私は事故で家族を亡くしておりまして「人を憎むことで前に進むな」なんて
見ず知らずの人に言われたらさぞかし腹が立つだろうと思います。

裁判員制度の公判で遺族が発言すること、そしてそれが判決にどういう影響を与えるのか、
といった観点なら遺族が死刑を望むことの是非を問う余地はあるかもしれません。
けれども、Q川さんは死刑を望むこと自体が悪しきことだと考えているように読めました。
遺族にとってはあなたが考えるより切実な問題であることを、まず知ってほしいです。

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[86] Re:無知の涙。

投稿者
頑張れ TBS
投稿日
04/14 23:51

TBSに深いご縁のあった、坂本堤弁護士一家殺害事件のご遺族に率直にそのお考えをぶつけてみてはいかがでしょうか?
「死刑は、国よる合法的な殺人だ。それを望むことは、殺人を、認めてしまうことなんじゃないか。」と。世田谷一家殺害事件、池田小事件のご遺族に疑問を投げかけてみればより多角的に返答が得られることでしょう。
 ただ、文中の「自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。」という件を拝見するといかに他人が苦しみもだえてようとそれを受け止めるあなた様のご意思がおありかどうか、またこの文章を読めば紙より薄っぺらい人間性の持ち主に心開いて話してくれる奇特な方が現れるのかどうかという懸念もございます。
 自らの命が突然理不尽にも奪われるという想定上で殺人犯・死刑に対しての存念を広く社会に振りまき、あるいは現実に夢も希望も奪われた犯罪被害者の遺族の切ない願いをも傷つけているという可能性も無きにしもありません。
尤も、「憎しみいっぱいに犯人の死を望むことで、前に進もうとしてほしくはない。そんなことしたって、失った命は、戻らない。」と相手が自分の言葉で傷つこうが憎悪を募らせようが気にも留めない方でしょうから、余計なお世話でしたね。
 これほど底抜けに割切りのいい方ばかりの世の中でしたら、直ぐにでも悩みもなけれ鬱になる方も殆どいない、オメデタイ社会になるのかもしれませんね。
 私はどんなに頼まれ金を積まれても、そんな他者の感情に思いをはせることのない、乾いた空間に住みたくはありませんが。
「他人の気持ちは絶対に分からない→理解するつもりはない」という方ばかりが住む社会には生きたいとも思いませんね。

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[87] Re[2]:無知の涙。

投稿者
H.T
投稿日
04/15 00:33

以前、ここに意見を述べさせて頂いたものです。あの時、心ではそう思っていましたが、果たしてもし自分がその立場であったら..と書き込み後もずっと考えていました。
戦争と憲法の問題とも少し似ているかと思いますが、人間としての理想と現実の間で非常に悩む問題だと思います。私にはどうしても結論が出せませんでした。
ですので、多くの方の死刑制度に対してのご意見を伺いたいです。よろしくお願い致します。

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[90] Re[3]:無知の涙。

投稿者
長文
投稿日
04/15 01:43

自分が常々疑問に思い、また残念に思っているのは死刑議論がイデオロギーの枠に組み込まれてしまっていることなんです。
左派とされ革新派とされる人々、護憲派とされる人々が死刑廃止派になる傾向が強いように思います。もちろん存置派に右の人が多いという意見ももう一方であるとは思いますが、ただ日本の世論の大半が死刑存置派であることを考えれば、死刑存置派=右派と単純にはならないでしょう。
このサイトはどちらかというと左派の方が多いように見受けられますが、ログを見ても死刑廃止の意見ばかりなのも上記の傾向を示しているように見えます。
国家が命を奪うことへの反発や人権の観点から左派と死刑廃止の意見が結びついてるのかもしれませんが、ここが自分の大きな疑問とするところです。

死刑とは「犯人が死刑に値するレベルの殺人を犯した」という罪に対しての罰であります。
全犯罪の中で殺人として起訴され有罪を受ける割合というのは極僅かであり、その極僅かな殺人罪の中で更に一部だけが死刑となっている現状を理解してください。つまり、殺人という罪を犯しているのに懲役数年ですむケースが大半ということです。
こう理解すれば、死刑という罪に当たるケースが極稀なものであることが分かります。そして「死刑に値するレベル」がかなり絞られて判断されていることも分かるのではないでしょうか?
では「死刑に値するレベル」の犯罪がどの程度か、については事例を調べていただければ分かってもらえると思います。同じ人間が起こしたと思えないような残虐なもの、無慈悲な殺人が行われたケースばかりだと理解されるでしょう。

ここで上記の疑問に行き着くのです。
すなわち死刑に値する殺人とは、人が理解しうる最悪の「人権侵害」が行われているものであるのに、何故左派の方々は加害者の人権だけにとらわれ、もっと言えば護憲や戦争を語るかのごとくイデオロギーの問題にしてしまうのか?と。
憲法の問題などは直接の被害が発生しているケースよりも観念的な政治的な議論であり、そうであるから机上でイデオロギー的に右左に分かれて争っていることも理解できます。
しかし、死刑に関しては実際に甚大な被害が発生し、遺族は現在進行の形で苦しんでいるのです。

これは左の人だけでなく右の人にも言えることですが、どうかイデオロギーの立場から発した死刑議論を行わないで欲しい。
ここの多事争論編集委員の皆さんに顕著ですが、「自分は左派で市民派で人権派だ」→「だから死刑廃止派なんだ」という経路があるのではないでしょうか?勿論その逆の「自分は右だ」→「だから死刑賛成だ」という人もいるでしょう。
繰り返しになりますが、死刑は実際に被害を受け人が亡くなり遺族が苦しんでいるのです。その現実から出発した議論でない限り何の意味もない。
このトピックのQ川洋子さんはその観念がごっそり抜け落ちてるとしか思えません。
死刑には冤罪を含め問題が多々あることも事実です。そういう点について実際の被害者のことも念頭に置きながら、そしてイデオロギー的な観念は脇において議論されることが望ましいと思います。

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[91] Re[4]:無知の涙。

投稿者
長文
投稿日
04/15 02:02

無駄な長文申し訳ありません。と謝ったそばからもう少しだけ失礼します。
H.Tさんのツリーなので H.Tさんのご意見に対して自分の意見を述べさせてください。

>以前テレビで、アメリカの死刑囚の公開死刑についての特集をみた事があります。
>爆破犯だった死刑囚の死刑が執行された時、被害者の家族であるの一人の老婦人がこう言いました。
>「あぁ..これで(死刑を執行してしまった事によって)私自身も、あの死刑囚と同じ人殺しの立場に落ちてしまった。」と。
これは難しい問題ですが、この老婦人が自らを人殺しだと思わざるをえなかったことを考えるととても辛い。
このことをもって「老婦人を人殺しだと思わせたのは死刑制度が悪い」とするべきでしょうか?自分はそうは思えません。死刑は確かに命を奪うものですが、刑罰として命を奪うのであって、殺人のように誰かの欲のために奪われるわけではないという認識がとても大切だと思います。
たとえば懲役刑は国家による監禁と同じです。もし犯人が懲役を受けたなら老婦人は「私は犯人を監禁してしまった」と思わなければならないのでしょうか?
そう考えれば老婦人が自らを人殺しなどと考えること自体が過ちだと分かると思うのです。
その場にそのことを理解して「そうではないんだ、貴方は犯人のような人殺しとは全く違う」と言ってくれる人がいなかったのかと思わざるを得ません。

もう一つ、死刑の代わりとして持て囃されている終身刑ですが、これにも大きな疑問があります。
というのも終身刑というのは生きてはいるものの一生刑務所から出られないという性質のものであり、下手をすると死刑よりも重大な人権侵害を含んでいる可能性のあるものだからです。
様々な議論があるので私もまだ意見が纏まってませんが、簡単に終身刑が死刑に変わりうるものではないということだけは言えます

上記の長文と合わせて突っかかるような物言いにまたなってしまい申し訳アリマセン。熱が入るといつもこうなってしまい反省しています。

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[92] Re[4]:無知の涙。

投稿者
H.T
投稿日
04/15 02:20

そういう傾向はあるかもしれません。左は死刑廃止、右は死刑存続、まずその観念を取っ払って、遺族の気持ちを第一に考える事が大切なんですね。ただ、まだ悩んでいる問題があるんです。
以前、報道orニュースステーションでみたんですけど、死刑が決まった後、遺族と被告が、面会などで交流する内に被告を許す気持ちがうまれた。そして遺族が死刑を望まなかった場合があったんです。その遺族は、死刑の中止を求めたのですが、結局判決どおり死刑は執行されたケースがありました。遺族は被告の死を悲しんでいました。これは非常に非常に稀なケースとは思いますが、そういう場合、私は司法は遺族の気持ちを最優先させたら良かったのではないかと思いました。皆さんはどのようにお考えになりますか?
長文さん、死刑制度について大変詳しく教えて頂きありがとうございます。
今日は、明日早いんでもう寝ます。
論の途中ですみません。お休みなさい。

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[93] Re[5]:こちらこそすみません。

投稿者
H.T
投稿日
04/15 02:28

最近、考えながら文を書くのでとても遅く、長文さんの2回目の論に気づかず、同時レスしてすみません!こちらの論には、また後日よく読み、お返事を書き込みたいと思います。ありがとうございます。お休みなさい。

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[94] Re[6]:こちらこそすみません。

投稿者
長文
投稿日
04/15 03:25

自分も文を書くのが遅く、更に性質の悪いことに無駄に長文になるという始末ですのでお気遣いなさらないでくださいw

>死刑が決まった後、遺族と被告が、面会などで交流する内に被告を許す気持ちがうまれた。
>そして遺族が死刑を望まなかった場合があったんです。
これに関して意見を述べます。
実は私は遺族の意見を刑罰の軽重に影響させることにかなり消極的です。こう言うとおそらく「お前はさっきまで遺族が苦しんでると何度も言ってただろ」とお叱りを受けるかもしれません。
弁解させてもらえるなら、私が言いたかったのは「遺族の中には」苦しんでいる方がいらっしゃるということあり、現在も苦しんでいる人がいるという事実を認識して欲しかったということなのです。

かなり現実から離れた例え話をします。ある公営住宅に身よりもなく、親戚もおらず、近所づきあいもしていないお年寄りの方々がいらっしゃったとします。このお年寄りばかりを狙い残虐な方法で殺害し、金銭を奪った犯人がいたとしましょう。
この場合、被害者には遺族も知り合いもいません。では死刑を求める遺族がいないからと言って犯人は死刑を免れていいのでしょうか?同じような殺人を行ったのに遺族がいた為死刑になるケースもあるでしょう。
果たして遺族の有無で死刑を決めてよいものでしょうか?遺族がいたとしても、暴力夫のように家族から嫌われている場合では死刑を求めないケースもありえると思います。
或いは宗教上の理由や死刑廃止派というイデオロギーの為に死刑を求めないケースも出てくるかもしれません。このように考えていけば、必ずしも遺族の感情と刑罰の軽重を結びつけるのが正しくないと考えられるのではないでしょうか?

死刑の判断はまず何より犯人が行った犯行そのもの(構成要件)を見るべきです。客観的に死刑に値する犯罪なのかの判断を行った後、犯人の更生の可能性等犯人の主体面を判断して死刑判決を行うべきでしょう。
遺族の意見というのは最後の最後で加味される程度で留めておくべきというのが私の意見です。感情的には遺族の意見を取り入れて欲しいという気持ちもあります。しかし、遺族の性質によって刑罰が左右されるのはやはり正しくない。

遺族の意見を刑罰に直接影響させることには消極的ですが、一方で加害者との対話や遺族が意見を言える機会を増やすことには私は賛成です。
修復的司法というものがあります。説明するとまた長くなるのでお調べになってください。 H.Tさんが仰ったケースのように対話による交流が新たな道を開く場合があります。そのような機会を司法は積極的に取り入れていくべきでしょう。
ただし、刑罰に関してはなるべく客観的な要素で判断を行っていく。この両面からのアプローチを上手く両立させるのが良いのではないかと思っています。

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[95] Re[7]:長文さんへ

投稿者
H.T
投稿日
04/15 07:00

いつも大変丁寧に説明をして下さり、本当にありがとうございます!長文さんの論には説得力があります。しかも、わかりやすく書いて下さって、助かります。
まず最初の老婦人の件、罪を監禁事件に置き換えるとわかりやすいですね。また、被害者の遺族である老婦人に、「私も同じだ」と、そのように思わせないようにする事も大事なのでは。という考え方もユニークな考え方だと思いました。
被害者が天涯孤独 だったらというケースも、自分は考えた事がなかったのですが、例え遺族がいなくても、罪は罪ですものね。この考え方には、とても納得させられました。
長文さんがご指摘されているように、死刑制度には免罪や宗教、イデオロギーの問題など課題点は沢山ありますが、専門家の賛成派反対派が集まった論議の場が必要だな、これは、簡単に廃止ではなく、論議をつくして答えを出す問題だと思いました。
なかなか難しい問題ですが、長文さんのおかげでまた違う一面を知る事が出来ました。ありがとうございました。

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[88] Re:無知の涙。

投稿者
名無し
投稿日
04/15 00:52

>自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。

なるほどねえ、以前から不思議に思ってたんですよ、
マスゴミの連中って被害者や遺族にマイクを付き付けて「今のお気持ちは?」なんて平気で聞きますよね。
普通の人間なら分かる筈なんですよね、大切な人を失った気持ちなんて。
それが分からない奴だからなんですね。

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[96] Re:無知の涙。

投稿者
(笑)
投稿日
04/15 11:00

なんかものすごい違和感を感じるんですが。

>自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。
>だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。

「わからない」といいつつ、実際に家族を惨く殺された方の心情は「理解するつもりはない」?
しかもこの文章に対して持ち出すのが

>彼女は、母親に、「犯人に死を!」とさけんでほしがっているだろうか。

何この根拠のない妄想。
事件の状況をご存じないのか?被害者は必死に命乞いをしながら撲殺されたんだ。
少なくとも心安らかにすべてを赦すという心情だったとは考えにくくないですか?


>私が事件に巻き込まれてしまって、殺されても、
>家族や、愛する人には、犯人の死刑を望んでほしくはない。と、いうこと。
>自分が殺されたあとに、
>憎しみいっぱいに犯人の死を望むことで、前に進もうとしてほしくはない。
>そんなことしたって、失った命は、戻らない。

それは単なる個人の考え。万が一に備えて遺言にでも書いておけばいいんでは。

結局、この方の意見は

1.被害者の遺族の心情は知ったことではないし理解もしない

2.だって被害者だって犯人に対して恨みなんか抱いていないかもしれないし

3.なんたってこのワタシは殺されたって犯人に死刑なんか望まないんだから

つまるところ「死刑に反対」を大大大前提とする人が、現実の事件や被害者の
親族の発言をどう理解するか、というわかりやすい例だと思う。
犯人の人権を慮るのも結構だが、こういう卑怯な理屈にはウンザリする。

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[98] Re:無知の涙。

投稿者
市民
投稿日
04/15 12:03

あくまで私見ですが
抑止力を持たすには刑罰は必要です
ただ、死刑は可能性の消去であるのも否めません
人の命や可能性をお金で語るのはお勧めできるものではないですが
やはり定量的に算出して刑務所内で労働賠償にすべきのような気がします
例えば年齢(若い方が高い)やそのときの能力(才能や立場で高い)で
算出し、半額を家族へ半額を国庫(社会貢献)へすべきのような気がします
単純労働なら例えば月20万であれば1億稼ぐのに約42年です
才能や能力があればもっと早く稼げるでしょうその能力を
社会や遺族に還元する事で謝罪をするといった意味では
こういった、どこも得をするような方法を模索しないと
建設的ではないと思います
つまり死刑に代わる死刑並にほとんどの人が納得できる刑罰があればというか
それを考えずして、死刑廃止を訴えるのは意味が無いでしょう

私は、人権は義務を果たす又は果たそうとする者にのみ認められるべきだと思います
つまり他人の人権をエゴで奪った者の人権を保障する必要はないのではないかと思います
よく権利のみを振りかざす人がいますが、本来権利とは義務と表裏一体であり
義務を果たさない者には権利を訴える資格は無いと思います
そういった意味では、死刑もあって当然だとも思っています

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[108] Re[2]:無知の涙。

投稿者
市民さんへ
投稿日
04/16 20:10

H.Tです。市民さんの意見を伺い、罪を償う方法として、労働してその賃金を遺族や社会に返すという方法もあるのだなと思いました。犯罪の抑制の為に刑罰も必要とおっしゃる市民さんの意見に納得です。
日本には、死刑と無期懲役の選択しかないのですが、終身刑があってもよいのでは?と思います。そこで、罪を償いながら働き、そのお金を遺族と社会に返すのです。罪に対する反省とともに。
倫理的にみて人が人を裁くのに大賛成とはいえないのですが、(笑)さん達もおっしゃってるように、本当の気持ちはご遺族にしかわからない。わからない私達が裁判員になって裁いてもいいのか、問題は深く、わからなくなります。
今年から遺族が裁判で直接被告に気持ちを訴える事が出来る制度がはじまりましたね。この制度は遺族の気持ちを伝えるという点で遺族の気持ちを考えた制度だなと思います。
死刑制度も裁判も、なった人間にしかわからない問題があり、私達で結論を出す事なんてできない問題だと感じました。しかしながら、真剣に被害者、遺族そして被告の更生について論議し、考える事は大切だと、ご意見を読みつくづく感じました。

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[110] Re[2]:無知の涙。

投稿者
名無し
投稿日
04/16 21:18

残念ながら刑務所を快適なホテルであるかのように考える犯罪者がいます。
刑務所に入りたかった、戻りたかったから誰でもいいから殺した。

少なくとも、囚人を養う為に支出される税金の方が、囚人が働くことで得られる収益よりも遥かに大きいのが実情ですからね。

終身刑や無期懲役なんてのは、結局は税金、つまりその一部は遺族や被害者の納めた税金で加害者を食わせてやる制度なんです。

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[111] Re[3]:H.T

投稿者
名無しさんへ
投稿日
04/16 22:03

そうですね、刑務所も税金で運営されているんですもんね。
名無しさんがおっしゃるように、最近は、刑務所に入りたいから、死刑になりたいから犯罪をおこしたという犯罪があります。以前は考えられない事でした。
そのように思わせてしまう今の社会にも問題がある、と私は考えます。本当は社会や人のせいにしてはいけないんですけれど..。
死刑をする事がないような社会、犯罪をおこさないような社会作りも大切では?その為にも犯罪の抑制としての死刑制度は必要なのか?それとも他の方法があるのか?悩みます。
またまた理想主義者と笑われてしまいそうですが、本当にもうこれ以上、犯罪被害者の遺族を増やしたくありません。死刑になるような犯罪がおこらない社会になれば一番いいんですけどね。
名無しさん、ご意見ありがとうございました。これを見て、マスコミや司法が、少しでも考えてくれたらいいのに。と願っています。

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[113] Re[4]:H.T

投稿者
磯永征司 E-MAIL
投稿日
04/16 23:13

 現在、世界では死刑廃止した国、法律はあるが停止している国、廃止を検討している国、全部合わせれば、100カ国近くになるのではないか。流れとして、大きく歴史は動いている。
 私は死刑は廃止すべしと考える。どんな理由があろうと、「殺人」はすべてを根底から抹殺するものであり、生命は本来、自然に生きられるだけ生きるという事が前提でしょう。勿論、寿命、病気、飢餓、不慮の事故・事件などでの死亡者が多いが、人為的に殺すことは、どんな理由でも、そして、だれもそれを行うこと、命を奪う事はしてはならない。
 これは、理屈ではない。生命観に根ざした倫理観です。(勿論、現在の日本にはこの制度があるので、廃止すべきである。即合意は難しい現状にあると思うので、有期懲役例えば外国であるように懲役150年とか、終身刑を考え、実施すべきと考える。
 

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[115] Re[5]:H.T

投稿者
長文
投稿日
04/16 23:38

>現在、世界では死刑廃止した国、法律はあるが停止している国、廃止を検討している国、全部合わせれば、100カ国近くになるのではないか。流れとして、大きく歴史は動いている。
私が死刑廃止議論の中で最も腹立たしいと感じているのがこの「世界的潮流だから廃止しよう」という意見です。
上の[90]にて既に長文で書いたことであるので繰り返しませんが、この「世界的潮流だから廃止しよう」という意見こそ実際の被害を全く想定せず、被害者遺族の存在を無視し、ただただ廃止という結果の為だけの理由付けに過ぎないものです。
これに対して「世界の流れであれば軍備も世界の流れだろ」という反論が出て、結局イデオロギーの対立になっていくことに心のそこから腹が立ってくるんです。
何故「国内」で悲惨な殺され方をして無念でたまらない人々が存在し、残された家族や知り合いが苦しみ続けているのに、「世界」が出て来るのか。
刑法と刑罰とはその国における正義の結晶であると思っています。もちろん海外における理論などを取り込むことも重要ですが、何よりその国民にとって正義にかなった刑罰かどうかが最も重要だと私は信じています。
世界的な流れだとか、そんなことでどうやって被害者や遺族に説明できるんでしょうか?どうやって国民に説明できるでしょうか?

また「絶対に命を奪ってはならない」と仰っている一方で、身体の自由を永久に奪ってしまう終身刑には何の疑問もなく賛成してしまう死刑廃止絶対主義の考え方。
意地悪なことを言えば、死刑廃止国を増やし続けているEUが紛争に介入し、そこで殺人を行っていることを無視する無理解さ。
すべて「死刑廃止」であれば何でもいいという愚かな考えに何故至ってしまうのか、大変残念に思います。

あまりにカッカきてしまっているので乱れた文章で見苦しいですが、ともかく納得できず、こういう意見が死刑論議を歪めていると気付いて欲しいです。

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[119] Re[6]:H.T

投稿者
長文さんへ
投稿日
04/17 09:32

おはようございます。朝から一生懸命かいていた論が送ろうとしたら二度もエラーで消えてしまい、かなりショックです‥自分としては久しぶりにいい論書けたと思っていたので残念です。最近皆さんの論がとても高度な内容なので、自分の器の小ささが恥ずかしいです。
本題に戻りますと、倫理観に基づいた死刑制度反対の磯永さんの意見と、現実問題として死刑を考えた長文さんの意見両方に、納得する点がありました。どちらが正しいのか私には述べらる事ができません。しかしながら、今回の磯永さんの先ほどの論の中の「世界的潮流だから反対」という意見にはやはり疑問を感じます。100の国で認められているからいい考え、かどうかはわからないと思います。
しかし、磯永さんがおっしゃる人間の倫理観に基づく死刑制度の見直しには、私も同じ思いを持っているのでわかります。そちらには同感です。
ですが、実際に現実問題となると、やはり犯罪の抑制としての死刑か或いはそれ以外の刑の必要性はあると考えます。長文さんの意見も理解出来るのです。
倫理観と現実問題が、メビウスの輪のように私の頭の中をぐるぐるまわり、やはり結論が出ません。
では、長文さんにお聞きしたいのですが、長文さんは死刑制度において、人間の倫理観などの問題は全く無視していいとお考えですか?
聞きにくい質問を、わかりにくい文章でお尋ねしてすみません!よろしければお考えを伺いたいです。お願い致します。
今度こそ、送信エラーにならない事を祈りつつ、送ります。

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[124] Re[7]:H.T

投稿者
長文
投稿日
04/17 19:29

自分もツリーに上限があるとは知らなかった頃、会心の長文を書き上げて投稿ボタンを押したのに投稿されなかったことがあります。その時は10分程放心状態でしたw なので今はPCのメモ帳に保存しながら書いています。投稿前に保存したものを読むことで修正点を見つけられたりするのでお勧めです。

>最近皆さんの論がとても高度な内容なので、自分の器の小ささが恥ずかしいです。
私は死刑制度について大きな関心があり、いくつか死刑議論を見たり参加してきたから分かるのですが、私の論も含めて死刑議論は一種のテンプレート化している部分があると思います。廃止論者がこう言えば存置論者がこう返す、存置論者がこう言えば廃止論者がこう返す、と決まった形が存在するのです。
例えば磯永さんが仰った「世界的潮流だから廃止しよう」という意見は廃止論者の挨拶のようなもので皆言います。それに対して「世界的潮流なら軍隊を持つのも潮流だが9条を廃止するんだな」と返すのがパターンになっています。
或いは廃止論者が抑止力がないというデータを出せば、存置論者が抑止力があるというデータを出すといったようにやり取りも一種固定化されています。
私が上でイデオロギー化していると言ったのはこういう事態で、高度に見えても実は決まりきったやり取りを繰り返しているだけだったりします。
私もその罠に陥りやすいのでこのトピックでは気をつけているつもりなのですが、ズッポリ罠に嵌っているかもしれません。

H.Tさんはご自分を器が小さい、ぐるぐると考え込んで結論がでない、信念がぶれてしまっていると仰っています。もしかしたら、その状態こそ一番正しい論に近いかもしれません。
死刑論議に限らず、二つの陣営に分かれてやりあう論争は、次第に相手への攻撃のテンプレート化と身内内輪での馴れ合いが進み、「論」が死んでいくように思います。
決まりきったやり取りを繰り返すうちに「話し合っても無駄」ということになり、結局結論も何もないまま自分達の陣営に閉じこもってしまう、これは「論」でも何でもないでしょう。
特に死刑議論は、実際に人が殺されるという最も重い被害が生じています。そのことを忘れ、形ばかりの一見「高度」な議論を繰り返しても意味がないのかもしれません。
むしろH.Tさんのように悩み苦しみ、様々な意見を見ていく中で出す答えこそが最も正解に近いのだと、最近私は思うようになっています。
ですから、どうかご自分のことを責めないでください。

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[128] Re[8]:H.T

投稿者
磯永征司 E-MAIL
投稿日
04/17 23:41

 H.Iさん、長文さん、2つほど前提を。
 ひとつは、私は死刑廃止が潮流だから私もそれの乗るとはしていません。逆です。残虐である、非人道的であるという意識の高まりおよび実証研究で死刑があるから殺人が減るという結果は出ていない。
 おそらく、これらをあわせて、死刑廃止、停止、検討の国が多くなっている事実、傾向を示しているだけです。
 なぜ、死刑に反対かはもっと突っ込んで書いてみる予定です。

 次に、「人殺し、殺人」は通常いう意味で使っています。特に死刑に論の商店をあわせて書いていますので、ご指摘の点は忘れているわけではありません。これからの論は、より厳密になりますので、おっしゃられている「尊厳死」また「正当防衛」「自殺」等カラムと思います。

 以前、その時纏めたものを下敷きに、再構成したいと思います。観点は、生命感、倫理観、法律的分析、精神的分析、死を前提とした死刑囚、尊厳死、自殺等になるかと思います。

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[129] Re[9]:提案

投稿者
H.T
投稿日
04/18 09:36

おはようございます。
論がますます白熱してきました。死刑制度を考える事は、他の命に関わる事を考える事にも繋がると思います。まだまだ議論がしたい。
しかしながら、私達の意志とは別にこのツリーもレス数が少なくなりました。
そこで、レス数達しましたら、ここの下にあるマイルス・デイビス の欄を使って論を続けませんか?空いてるみたいなので。苦肉の策です。
しかしながら、サイト側の方々にお願いです。本当にレス制限だけでも何とかして頂きたいのです。他の多くの閲覧者の方々も同じようにお願いしているのですが、ぜひ検討して頂きたいです。
死刑制度を通して、「人はなぜ、人を殺してはいけないのか?」という問題のこたえにも、少しでも近づく事ができたら..と思います。よろしくお願いいたします。

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[130] Re[10]:提案

投稿者
磯永征司 E-MAIL
投稿日
04/18 10:47

 テーマは「人をなぜ殺してはならないか」それをどう考えるかです。現象としては色々有りますが、最初の問いに「死刑」をメインにしながら、「殺人罪」「戦争、テロ」・・・と関連して考えていけば、総体として「人を殺す」という事が色んな角度から、考えられるのではないかと思います。

 前提、3つ。
 私は自分の意見が絶対だとは考えません。どちらかというとはっきり絶対ということは極力排除して考えます。時代、場所、抜け落ちた観点、思いもよらない現実がありうるからです。しかし、そのときは何らかの判断をし、言動を示さなければなりませんので、そうしなければ何も出来ませんので、これが正しい、これが妥当という事で言動します。
 次に、発言者、受け止める人との思考方法、言葉遣い、言葉の意味、ジックリ相手の言いたい事を読むか、さっと読んで早とちりしやすいか、こだわりの点・あるいはこだわりの性格等々が違いますので齟齬が出やすい。このことを理解したうえで、議論したいと思います。
 第3に手段、こういう主の問題はメールでやると、詳しく誤解にないようにすると、とても長くない、耐えられない。短く書くので、誤解や誤読や言ってもいないことを言っているとなったり、言葉遣いが大問題になったりで、本題がそっちのけになるケースが見受けられます。また、電話は、まだ良いですが、やはり困難な場合が多い。対面で相手の顔、すぐニュアンスの確認が出来るのが意見が違っても良い方法です。

 そういう、難しいハンデーをしょってやることになりますので、「ゆっくり、ジックリ、相手の言わん事を斟酌しながら」進められれば良いなと思います。
 それと、問題は多岐にわたり1冊の本でもだめなテーマでしょうから、それを承知でやることになりますので、論点を分けて書いたら送る方法を私はとろうと思っています。よろしくお願いいたします。

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[125] Re[7]:H.T

投稿者
長文
投稿日
04/17 19:34

前置きがあまりに長くなりましたが、本題に入りたいと思います。制限がある中、ツリーを分けることをお許しください。
>人間の倫理観などの問題は全く無視していいとお考えですか?
死刑が命を奪うものであり、「命を奪う」という人間の最重要な倫理を犯すことが正しいのか?というご質問だと解釈したのですが、もし間違っていれば遠慮なく仰ってください。
ちょうど磯永さんに対するH.Tさんの設問「人を殺しても許される場合」にヒントがあると思うのでお借りしてお答えします。
筑紫さんは二つの場合、死刑と戦争に限っていますが、私は他にもケースがあると思います。例えば、戦争でなくても相手が殺しにやってきている場合、この時正当防衛の結果相手を殺したとしても無罪の可能性が残りますし、世間も「しょうがない」と納得する可能性があります。他にも、銀行強盗などで既に人質を数人殺害しており、更に殺害しそうな犯人を射殺することも「しょうがない」と認められる可能性があります。可能性としたのは、ケースによっては「駄目だろ」と判断されるものがあるためです。
また、尊厳死の問題も命を奪うという問題に踏み込むものでしょう。
いずれにせよ、「命を奪ってはいけない」という最高の倫理であっても時に例外や曖昧な領域が設けられるものです。「絶対に駄目」という杓子定規な考えでは答えの出ないものが多いことも分かります。重要なのは例外をどういう基準で認めるか認めないか?なのではないでしょうか。私にとっての倫理とはそのような例外を限定していくものです。

「絶対命を奪ってはいけない」、確かに素晴らしい倫理観かもしれません。ですが、上で挙げたように例外が存在しますし、死刑論議では一つの矛盾を抱えることになります。
廃止論者の方々の中には、刑務所に入り死刑を待つ死刑囚をまるで純粋無垢な人のように言い、その素晴らしい人を国家が縊り殺すが如きイメージで死刑反対を論ぜられる方がいらっしゃいます。
そこには死刑囚が「何をした為に死刑にされるか?」という重要な視点が欠如しています。
彼らは何をしたのでしょうか?答えは簡単です。他人の生命を自らの欲の為に奪ったから死刑囚となったに他なりません。これは[90]の意見の繰り返しです。
H.Tさんは倫理観を全く無視していると仰いますが、事件から死刑に至る過程において最も倫理観を無視しているのは一体誰でしょうか?
命は絶対に大切だという倫理観を持っていながら、最も残酷に命を奪った人間がいることには無頓着という矛盾。もしかしたらH.Tさんはその矛盾に気付かれている為、ぐるぐる考えていらっしゃるのかもしれません。私もまたその矛盾に苦しむものです。
私の現在の回答は一つ、死刑はあくまで罪に対して執行される刑罰であり、欲の為に命を奪う殺人とは絶対に異なるものである。
これが私の倫理観です。

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[117] Re[5]:H.Tより

投稿者
磯永さんへ
投稿日
04/17 01:28

お久しぶりです!! この状態になってから、磯永さんの論をいくつか(たぶん全部)拝見させて頂きました。普段と変わらず、動じずに冷静に論を述べられる姿をみて尊敬しました。今朝の特派員のツリーの書き込みも、記者がいいたかった事の本質をついていて、よかったです。私も磯永さんのように何事にもぶれない姿勢と信念を持ちたいと思っていたのに、信念すらぶれそうになった時もありました。学んだ事も多々ありますが、寝不足気味で仕事中眠いです。垣根を越えた論はいいけれど、信念はぶれてはだめですよね。磯永さんを見習いたいです!このサイトが存続するように、私も微力ながらお手伝いしたいです。
論に戻りたいと思いますが、先ほど私も、死刑制度の存続よりも終身刑制度を取り入れたら?と述べた所、税金で犯罪者を一生面倒みるのはいかがなものかという意見がありました。私はそこで揺れたのですが。例えば、刑務所に入れば最低限の生活は送れるから凶悪犯罪をおこす人が増加するのでは?という主旨のご意見だったのですが、磯永さんはどのようにお考えになりますか?
私も本当は、人が人を裁く(殺す)死刑制度には反対なのですが、ここで皆さんの異論反論をきくうちにどちらが正しいかわからなくなってしまいました。本来は私達が議論するより、被害者遺族の方々の意見を尊重する問題なのかもしれません。死刑の代わりに犯罪を抑制できる刑があればいいのですが..。

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[118] Re[6]:H.Tより

投稿者
磯永征司 E-MAIL
投稿日
04/17 07:49

 犯罪を侵し(誤審もあるが)刑務所に入る。これは当然。刑罰は時代により考え方、やり方が変わってきています。昔では、殺す、それでも飽き足らなければ、足を切り、手を切り、舌を抜く。火あぶりの刑とか、石で殴るとか、ギロチンとか。
 「残酷」な刑を「残酷でない人・執行人)がやるということは2重に残酷です。刑はその残酷さゆえに、人権思想が育つ中で、「人間(性)」に絡む問題として、次第に変わってきていますし、死刑も廃止の方向にあります。野蛮な行為はすべきでないという思考です。
 戦争でもそうです。第一次世界大戦以後、国際連盟がつかられましたが、結局戦争が起こり、今でも戦争の完全な「違法化」(これを目指す運動が進められています)が出来ない状態で、少しでもそのやり方に制限をかけようと苦渋の選択がされています。「残酷な殺し方、捕虜は既に敵ではないので、非戦闘員といて保護する。大量虐殺兵器や残酷な兵器は禁止する」などです。いたちごっこの様ですが、「戦争の違法化(国連憲章では、戦争は一般原則として違法としています。ただし、策定時、当初はなかった集団的自衛権・個別的自衛権が、当時の中南米の紛争状態の中でその国々がアメリカと共同して、この条項が入りました。ただし、国連軍が立ち上がるまでの間)」が実現しない間は、これを強化するしかない。
 最近では、地雷、クラスター爆弾がほぼ合意され、実行されつつあります。また、核のない世界も目指されつつあります。「皆殺し兵器ですから、人間の共食いです」。
 そして、殺人(人を抹殺する、人間が人間を)は、「死刑囚」「執行人」「裁判官」とてもきわどい精神状態に追い込みます。これほど人間を貶める事はない。ただ、その制度がある以上行使されます。

 だから、執行は、首に縄をはめ「ぎゅっ」と締めますが、2人でやります。ただ、どちらが締めたかは分からないようにしてあります。足元の板を落とす人は6人いますが、一斉にボタンを押す。これも、誰のがそうしたかはわからないようになっています。
 狙撃手(例外はありますが)も6人で狙う。しかし、誰のタマが当たったかは、知らされない。これほどの衝撃を受ける事柄だからです。人の命を人が奪うという事は。

 「殺人死刑囚に飯などを食わすことは税金から出されている」という物言いは、命より金に目のくらんだものが考え付くであろう思考で、私には理解不能。比べる、それを出してくること事態が、既に思考、精神が穏当でない証しであろう。
 人は死ぬまで、生きる。どんなむごいことをした人間も生物(命)としては、生きる。行為がよくないし、被害を防ぐ、さらには更正させることが今の刑罰の基本思想ですから、終身刑、懲役150年で事足りる。何のために、死刑にする必要があるのだろうか。
 これはアメリカなど外国の学者が研究して発表していることだが、死刑があるからといって殺人の件数が減るということにはなっていない。お構いなしに増えている。ほかの原因が大きいからです。したがって、これに基づき、効果のない最大の「人間の尊厳」を抹殺する事を止める国が多くなっているのです。

 個別的な感情論ではなく、制度として、人間として、「人を殺すことに正当化」を与える余地を残すことのほうが、よほど、人を殺しても良いのだという逆説になる現実を知るべきである。「戦争の違法化」と同じように「人を殺す」ことは何人とも、どんな権威も権力に夜も「違法である」とするのが正しい。確固とした譲れない一線である。

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[121] Re[7]:磯永さんへ

投稿者
H.T
投稿日
04/17 12:45

ご意見どうもありがとうございます。
私は、以前からずっと、人が人を裁く裁判制度、特に死刑制度に疑問を頂いておりましたので、未熟ながらこの論には頻繁に参加させてもらっています。
以前、「筑紫哲也News23」で、少年が「何で人を殺してはいけないのか?」という事を尋ねたそうです。残念ながらその時の放送を私は見ていなかったのですが、その質問は筑紫さんにとってもずっと答えの出せない課題だったようです。私も答えを長い間考えていますが、未だに明確に出ないのです。
当時筑紫さんは、人を殺すことが許される場合は2つしかない、1つは戦争もう1つは死刑だ、というような事をおっしゃったようですが、筑紫さんご自身もその答えに納得していたわけではなく、長い間悩んでいらしたようです。
どんな場合であっても、人は人を殺してはいけないのか?それとも、いい場合もあるのか?そこが、この死刑制度の問題或いは戦争における殺人についての考える鍵となるのでは?と私は考えています。
この論に対しては、本当に、深く真剣に論じあいたいです。レス制限を何とかしてほしいです!

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[114] 東金事件

投稿者
おいおいおい
投稿日
04/16 23:31

TBSは「カラオケに一緒に行った事自体が問題」とは
思ってないのかなー。

会社としてそう思ってないから、坂本弁護士の情報をオウムに渡せたり
したのかな...


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 千葉県東金市の保育園児殺害事件の報道をめぐる週刊誌「フラッシュ」の記事で
名誉を傷つけられたとして、TBS(現TBSホールディングス)が16日までに、
発行元の光文社に500万円の損害賠償などを求め、東京地裁に提訴した。
同日の第1回口頭弁論で光文社は争う姿勢を示した。

 訴状によると、フラッシュの08年12月30日号は「『TBSスクープ美人記者』の
“行きすぎ”取材」とする見出しの記事を掲載。記者が容疑者の男をカラオケに
連れ出したような印象を与えた。TBS側は「カラオケには行ったが、誘ったのは
ほかのメディアの記者で記事は事実に反する」と主張している。

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週刊争論

最後の多事争論

筑紫哲也の軌跡

追悼メッセージ集

日本記者クラブ賞授賞お祝い