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[11] 『おくりびと』が勝ったわけ

投稿者
JNNロサンゼルス支局 藤原 哲
投稿日
2009/2/27 20:04

アカデミー賞前日の21日、米アカデミー芸術科学協会の本部にある劇場で、「外国語映画賞シンポジウム」が開かれていた。この場で、候補入りした5作品それぞれを5分ほどにまとめたクリップが上映された。
『おくりびと』からは映画の冒頭部分、本木雅弘さん扮する納棺師が納棺の儀式を美しい所作で行うシーンが流された。劇場にはおよそ1000人ほどの観客がいた。朝早くから劇場前に並んで席を確保した人たちだ。
映画の都に住む、根っからの映画好きといった雰囲気の人達だ。『おくりびと』のクリップ上映中、観客の反応を注意深く見ていた。北米では公開前であり、投票権のあるアカデミー会員向けの上映会は非公開であるため、このシンポジウムが観客の反応を見るにはほとんど唯一の機会だったからだ。
老若男女の観客たちは、厳粛な場面では水を打ったように静まり返り、笑うべき場面ではドッと沸きかえっていた。字幕というハンデがありながら、製作者の意図がストレートにハリウッドの映画ファンに伝わっていた。反応の鋭さは5作品中随一だった。「ひょっとすると..」と感じた瞬間だった。
アカデミー賞は世界中にいるおよそ6千人の会員による投票で決定されるが、外国語映画賞だけは他の部門と趣が違っている。作品賞であれ主演女優賞であれ、他の部門が、極端に言えば映画を見なくても投票できるのに対し、外国語映画賞の場合は5作品全てを見た証明がなければ投票が出来ないのだという。
会員向けの上映会で押してもらうスタンプが5つ集まらなければ投票資格を得られないのだ。他の部門では「好きな女優が出ているからこの作品」とか、「自社が関連しているからこれ」など比較的軽い気持ちの投票も少なくないのだという。しかも対象となる作品が全て既にアメリカで公開されているわけで、評判などにも左右されやすい。一方の外国語映画賞では、字幕つきの5作品を見た人が6千人中何人いたかは分からないが、賞の選出は、それなりに気合の入った会員が行ったと見ることはできる。
しかも各国では公開済みでも北米ではまだという作品ばかりだから、「一般の評判」というものには左右されない。『レインマン』でアカデミー作品賞を獲得するなどハリウッドでも屈指の名プロデューサーと言われるマーク・ジョンソンさんと話をする機会があった。
『おくりびと』の受賞を現地メディアが『番狂わせ』と報じたことについてマークさんは「誰もまだ映画を見ていないんだ。新聞の記者も編集者も。イスラエル映画が強いという予測だって映画を見たうえでなされたわけじゃない。そう言われているからそう言うというだけのこと」「最も斬新で力のある映画が『おくりびと』だったから受賞につながったということ」と話していた。
主演の本木雅弘さんは「不景気で暗い世相の中、アメリカの人も癒しを求めたのでは」と鋭く分析した。倒産、失業、差し押さえ...。暗いキーワードばかりが飛び交う中でのアカデミー賞。きらびやかなレッドカーペットはいつもどおり、いやむしろいつも以上に華美に演出されていたようにも感じられた。
しかし外国語映画賞は、テロや戦争を描いた大テーマの作品ではなく、別れの儀式をめぐる内面の物語だった。別れの普遍性だけではなく、この物語が主人公の再生の物語であることも「気合の入った会員」の心を捉えたはずだ。この作品の候補入りが3年前だったら、いや1年前だったとしても、賞の結果は違ったものになっていたかもしれない。それほどに急激にアメリカ人は傷つき、落ち込み、再浮上する出口を探している。そんなことを感じさせたアカデミー賞外国語映画賞だった。

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