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【社説】

評価委来日 五輪観を語ってほしい

2009年4月20日

 二〇一六年夏季五輪の招致レースがヤマ場に差しかかっている。焦点は財政などの運営面。ただ、オリンピックそのものについての具体的な論議が聞こえてこないのが残念なところだ。

 東京をはじめ、シカゴ、マドリード、リオデジャネイロの四都市が競っている二〇一六年夏季五輪招致。十月二日の開催地決定へ向けて重要な要素となる国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の現地調査が始まっており、東京は十九日まで四日間にわたり同委の視察を受けた。多くの夢を育(はぐく)む五輪開催だけに、ここはぜひとも招致実現へと大きく踏み出したいものだ。

 ただ、その招致レースで、オリンピックそのものについてあまり語られていないことは残念と言わざるを得ない。

 招致合戦の最大の焦点となっているのは財政面。世界同時不況の中、IOCもそこに特別な注意を払うとしており、今後も財政基盤が評価のカギとなりそうだ。そのほか環境への配慮や施設の充実、コンパクトな競技場配置などが競い合うポイントとなっている。

 が、どう運営するかの一方で、どのような大会にするのかという具体的な主張はあまり聞こえてこない。五輪の現状についての分析と見解。それに基づいて、どのように個性的な大会をつくっていくのか。五輪精神を実際にどう生かすか。そういった論議の影が薄いのだ。たとえば、ショーアップされた豪華さを売り物にするのか、素朴で親密な雰囲気の大会にするのかという点などは、誰もが聞きたいところではないか。各候補はいずれ劣らぬ大都市パワーを示すのには熱心だが、それらの面はなおざりにされている印象がぬぐえないのである。

 招致レースだけではない。五輪招致に関しては都市再生の側面が強調される傾向がある。五輪そのものというより、手段としての価値が重視されているのだ。もちろんそれも大事だが、五輪をどう考えるのかという本論抜きで都市開発ばかりに目を向けるのは、いささか本末転倒ではないか。

 五輪はどうあるべきか。その理念をどう具体化するのか。将来へのビジョンを二〇一六年大会にどう投影するか。そうした、オリンピックそのものを真摯(しんし)に考える姿勢を忘れてほしくない。財政問題が幅を利かす招致レースだが、十月に決まる開催都市には、その「五輪観」を世界に向けて詳しく語る義務があるはずだ。

 

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