公安警察のデッチ上げを叫ぶのに、被害届(捜査協力)は矛盾ではないのか?
警視庁公安部は17日、<極左>の革共同・革マル派の車輌を破損させた疑いで、右翼団体員13人を逮捕した。(産経新聞)この事件は今年5月3日の憲法記念日に起きた。
先ずこの事件に対する革マル派の公式サイトに掲載されてある「改憲阻止を訴える全学連の行動に国家権力が仕組んだ襲撃を糾弾する」を見て頂きたい。
『5月3日、「憲法記念日」のこの日、有楽町マリオン前において、憲法改悪に反対する街頭情宣にとりくんでいたわが全学連と革共同革マル派の情宣隊にたいして、乱闘服で身を固めた反共右翼約20団体50〜60名が襲撃してきた。この襲撃事件は、警視庁公安部公安第二課、丸の内警察署、第一機動隊、反共右翼の四者が綿密に仕組んだ作戦にもとづいてひき起こした謀略的な破壊攻撃にほかならない。国家権力は、改憲の大濁流に抗して唯一改憲阻止の闘いを革命的に推進しているわが全学連と革共同革マル派にたいする憎悪をむきだしにし、右翼をファシスト突撃隊として、白昼公然と衆人環視のもとで改憲反対運動を破壊するという画歴史的な攻撃をうちおろしてきたのだ』
更に詳しく知りたい方はアドレスを紹介しよう。http://www.jrcl.org/
何故この問題を今回取り上げたかといえば、今回の事件が反体制<極左>の終焉を意味する出来事であったからだ。
この事件を革マルは右翼と公安警察が仕組んだ攻撃だと主張してきた。しかし、今回右翼団体員が逮捕されたのは、革マルが国家権力に被害届を提出したという事に他ならない。仮に被害届けは出さなかったにしても、捜査協力は絶対していると思もう、それ以外には考えにくいのだ。
確かに被害届を受けなくとも警察官が逮捕することはできる。しかし、このような場合は現行犯逮捕であり、警察官の目の前で事件が発生した場合、警察官は即座に逮捕することも可能だ。
この事件において、事件発生以来半年を経過してから、関係者が逮捕されたということは、革マル派が公安警察の調べに協力した結果として、逮捕状が執行されたと見るのが妥当だろう。
『わが全学連と革共同革マル派は、今回国家権力と右翼とが一体となって仕掛けてきた謀略的な破壊攻撃にたいして断固として反撃するものである』
この革マル派の言ってきた反撃の手段が、公安警察への被害届出があったなら、これほど笑える話は最近ではめったにお目にかかることなど出来ない。
革マル派のナンバー2と称されてきたダラ幹ことJR労組の松崎明は既に権力と一体となって、自らの保身に奔走している有様である。この松崎明に対して、死刑執行を宣言した同じく<極左>の中核派も内部崩壊の状況に襲われている。
今回の事件は戦後史における<極左>運動の終焉を象徴する事件として記憶に留めたい。
このブログでこの記事を取り上げるにあたって、私には忘れられない記憶がある。1975年11月26日から12月3日まで全国の公務員がストライキ権を求めてストに突入した。国鉄の国労と動労もストに参加したので全国で列車はストップした。利用者が怒って暴動一歩手前となり、労組も慌ててストライキを止めた。
この時、「鬼の動労」と言われたのが革マル派の松崎明動労委員長であった。山形県米沢市はこの動労の東北のストライキの拠点となった。当時私は23歳であったが、この米沢の動労の拠点に仲間と共に殴り込みをかけ私は逮捕された。
すぐ釈放されたが、略式起訴され罰金刑を受けて、前歴者リストに記載されてしまったのである。国家権力の転覆を叫ぶ<極左>はこの時は被害届を出さなかった。代わりに被害届を出したのは日本国鉄道であった。この当時の<極左>にはまだ反権力思想があった。