@wikiメニュー編集表示ツールヘルプブックマーク登録RSS登録
このウィキに参加ログイン
新規ページ作成
すでにあるページをコピーして新規ページを作成 スレッドフロート型掲示板から引用して新規ページ作成(α版) ブログの内容から引用して新規ページ作成(α版) ファイルをアップロードして新規ページ作成(α版) 他のホームページから引用して新規ページ作成(α版)
[PR] 無料ホームページ @PAGES [PR] 無料SNSレンタル @PNE [PR] 無料フォーラム型掲示板レンタル @BB [PR] 選べる無料掲示板 @BBS [PR] 2ch型無料レンタル掲示板 @chs
@wikiで新規wikiを作成
このページを編集 このページを編集(メニュー非表示編集;α) このページをコピーして新規ページを作成 このページのページ名を変更 このページの編集モードを変更 このページの閲覧/編集権限の変更
このページにファイルをアップロード
このウィキにファイルをアップロード(FTP機能/管理者のみ利用可)
メニューを編集(メニュー部分は非表示で編集)
このページの最新版変更点 このページの編集履歴(バックアップ) このページへのリンク元 このページへのトラックバック
このページをPDFで表示(α版)
関連ページ(α版) 関連ホットワード(α版)
このwikiのページ一覧 編集履歴(バックアップ)のあるページ一覧 このwikiのタグ一覧 このwikiの更新情報RSSこのwikiの更新情報RSS このwikiの新着ページRSSこのwikiの新着ページRSS
このwiki内を検索 @wikiパーツ▶  @wiki便利ツール▶  このwikiの管理者に連絡
@wiki助け合いコミュニティ @wiki助け合い掲示板
wiki(ウィキ)って何?
初心者ガイド
ご利用ガイド 良くある質問 プラグイン一覧 編集モードの違いについて 不具合や障害を見つけたら 管理・設定マニュアル
はてなブックマークする FC2ブックマークに追加 Livedoor クリップに追加 Yahoo!ブックマークに登録 del.icio.usに追加
はてなRSSに追加 livedoor ReaderにRSSフィードを登録 Yahoo!にRSSフィードを登録 BloglinesにRSSフィードを登録 NewsGator OnlineにRSSフィードを登録 iGoogleにRSSを追加
@wikiパーツ:あなたのサイトにWikiデータを簡単表示!
最近更新したページの一覧を表示する 最近作成したページの一覧を表示する このwiki内を検索するフォームを表示する このwikiのタグクラウドを表示する 自動リンク辞書を利用する
@wiki便利ツール:トップページ
まとめサイト作成支援ツール RSSかんたん作成 興味キーワードをチェック!!(RSSナビ) いろんなblogのRSSかんたん作成ページ アマゾン商品検索(簡単アフィリエイト) wikiに株式情報(日本)を表示 wikiに株式情報(中国)を表示 かんたんHTML直接入力 Q&Aサイトかんたん連携作成 wikiに為替情報を表示 はてなアンテナと簡単連携

外国人政策 > 報道記事ストック > カルデロン一家問題(社説)

社説

社説:カルデロンさん 親と日本で、に道開け(信濃毎日新聞/2009/03/08)

http://www.shinmai.co.jp/news/20090308/KT090307ETI090014000022.htm
3月8日(日)
 フィリピン人の両親の不法滞在で、国外退去を迫られている埼玉県蕨市の中学1年生、カルデロン・のり子さんの処分の期限が、あす9日に迫った。
 のり子さんは日本で生まれた。両親の祖国に行ったことがなく、日本語しか話せない。日本で勉強を続けるために、家族3人の在留特別許可を求めている。
 法務省は、のり子さんだけなら許可を出すという。両親については、あくまで退去させる方針だ。
 両親と離れて日本で1人で暮らすか、勉強をあきらめてフィリピンで暮らすか-。13歳の少女に、あまりに残酷な選択肢だ。教育を受ける権利や、親と引き離されない権利を定めた「子どもの権利条約」にも反している。

 欧米諸国と比べて、日本政府の不法滞在者への対応はかたくなで、外国人と「共に生きる」視点が弱い。法務省は、のり子さんの人権を守り、日本で両親と暮らせるよう道を開くべきだ。
 のり子さんの両親は90年代初めに、それぞれ他人名義のパスポートで入国した。のり子さんは小学5年になるまで、そのことを知らなかった。不法滞在が発覚したのは2006年だ。
 地元ではいま、一家が日本に残れるよう支援の輪が広がっている。のり子さんの同級生らは嘆願や署名を続けている。蕨市議会は、家族3人の在留特別許可を求める意見書を全会一致で可決した。
 森英介法相は、両親が国外退去した後、のり子さんに会いに来たければ、再入国を認めると述べている。「退去」の事実をつくることにこだわっているようにみえる。四角四面の対応である。
 移民問題に長く取り組んできた欧米が参考になる。
 不法入国や不法滞在は、犯罪に結びつきやすい面があり、各国は規制や取り締まりを強めている。その一方で、長期の違法滞在者に在留を認める“恩赦”を繰り返してきた。一律に排除するのではなく、滞在年数や地域での暮らしぶりを重くみている。
 英国は、7年以上の違法滞在者で子どもがいる場合、家族全員に永住権を与えている。心身が伸びゆく大切な時期に、子どもを住み慣れた地から追い出すべきではないとの考えからという。
 のり子さんの両親は20年近く日本で暮らし、生活の基盤を築いてきた。入国の仕方は間違っていた。けれど、まじめに働き、地域に溶け込んできた。その年月の重みを受け止めて、社会の一員として迎え入れるときだ。

社説:フィリピン家族―森法相はここで英断を(朝日新聞/2009/03/12)

http://www.asahi.com/paper/editorial20090312.html#Edit2
 一家は埼玉県蕨市で暮らしている。36歳の夫は、内装解体会社で後輩に仕事を教える立場になった。38歳の妻は専業主婦。13歳の娘は、音楽の部活動に打ち込む中学1年生だ。
 どこにでもいそうな3人家族。フィリピン人のカルデロン一家である。
 一家は17日に強制送還されるかもしれない。両親が90年代前半に、それぞれ偽造旅券を使って入国したからだ。
 妻は06年に不法在留で逮捕され、執行猶予付きの有罪となった。昨年9月には一家の国外退去処分が確定した。
 退去処分になっても、家族の事情や人道的配慮から法相が滞在を認める制度がある。この在留特別許可を一家は求めたが、認められなかった。
 法務省の姿勢はこうだ。極めて悪質な不正入国だ。十数年滞在した事実はあるが、ほかの不法滞在者への影響を考えると厳格な処分で臨むべきだ。裁判所も退去処分を認めている。
 法律論はその通りだ。だが、だからといって子どもの幸福をないがしろにしていいわけはない。
 彼女は日本で生まれ育ち、日本語しか分からない。「母国は日本。家族とも友だちとも離れたくない」という。思春期のごく普通の女の子だ。
 同じようなケースで、子どもが中学生以上だった場合には在留が認められたことがある。「処分が出た時に長女は小学生。中学生になったのは訴訟で争ったからで、すぐに帰国した人との公平を欠く」という法務省の説明に、説得力はあるだろうか。
 法務省も、近所の親類に預けることを前提に長女だけに在留許可を出し、両親が会いに来るときは再入国を認めるとの案も示した。そこまで配慮できるのなら、森法相はいっそ一家全員に在留特別許可は出せないものか。
 彼女の望みをかなえることが、日本社会に不利益を及ぼすとは思えない。
 長女の学校の友人や地域住民らからは、一家の残留を求める嘆願書が約2万人分も集まっているという。蕨市議会は「長女の成長と学習を保障する見地から一家の在留特別許可を求める」との意見書を採択した。
 一家はすでに地域社会を構成する隣人として認められ、職場や地域に十分貢献している。一人娘は将来、日本を支える一人になってくれるはずだ。
 日本に不法に残留する外国人は約11万人とされる。日本社会に溶け込み、いまさら帰国しても生計が立たない人々は多いだろう。在留特別許可も年1万件前後認められている。
 日本社会ではすでに外国人が大きな担い手になっている。今回のようなケースはこれからも起きるだろう。いまの入管行政でそれに対応できるのか。社会の一員として認めるべき外国人は速やかに救済する。そんな審査システムをつくることが検討されていい。

社説:カルデロンさん 親子在留を許すべきケースだ(毎日新聞/2009/03/13)

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090313k0000m070118000c.html
社説:カルデロンさん 親子在留を許すべきケースだ
 強制退去処分を受けた日本生まれのフィリピン人、カルデロンのり子さんと母親サラさんの仮放免期限が16日に迫った。先に父親アランさんを強制収容した東京入国管理局は、「両親が自主的に帰国する意思を表明すればのり子さんの在留を認め、表明しなければ3人とも強制送還する」と通知している。入管当局なりの妥協案かもしれないが、脅しとも映る対応を潔しとしない。諸事情を勘案し、一家に在留特別許可を与えるべきケースではないか。
 アランさん夫妻は出稼ぎのため、92、93年に相次いで他人名義のパスポートで来日。結婚して、95年にのり子さんを授かった。アランさんは内装解体工として働き、今では後輩を指導する立場だ。所得税、住民税を納めてもきた。のり子さんは埼玉県蕨市の市立中1年生。明るく、音楽部の活動にも熱心で、たくさんの友だちに囲まれている。
 一家が地域社会に受け入れられている様子は、蕨市議会が在留特別許可を求める意見書を採択し、2万人を超す住民らが法務省への嘆願書に署名したことでも明らかだ。一家が引き続き滞在することが、社会に害を及ぼすとは考えにくい。逆に、一家が強制送還されれば、日本語教育を受けてきたのり子さんは言葉と文化の壁に直面する。
 出入国管理は厳正に行われるべきだ。が、実務上あいまいな面もあり、毎年1万人近くが日本人の配偶者となったことなどを理由に在留特別許可を受けてもいる。単純労働は認められないのに、実際には来日外国人の労働力を当てにしている職場が少なくない。不法滞在の取り締まりを徹底する態勢が整っているとも言いがたい。のり子さんが教育を受けてきたのも、行政が不法滞在を容認していたからだとも解釈できる。
 一家のように犯罪集団などと無縁に勤労、就学を続ける来日外国人については、不法入国・滞在をいつまでも問題視せず、一定のルールを作って正規に受け入れるべきではないか。国際化時代の社会の要請にも合致しよう。真実の権利関係と違っても一定期間継続した事実があれば、法律効果を認める民法の時効の考え方を援用すればいい。善良な市民として長年居住する来日外国人は、在留を認められてしかるべきだ。
 法務省入管局長が81年、衆院法務委員会の答弁で長期滞在について人道的配慮から特別に在留を許可する方向を示唆したことも想起したい。ヨーロッパの国々が、一定期間居住した外国人に在留許可を与える法制度を設けていることも参考にしたい。
 今回、入管当局が「両親の意思表明」にこだわるのは、子どもの権利条約に反して親子を引き裂きたくないからだろうが、同条約が掲げる子どもの利益を最優先とする原則こそ尊重されるべきは言うまでもない。

社説:一家の在留に首相の決断を(日経新聞/2009/03/13)

社説2 一家の在留に首相の決断を
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090312AS1K1200612032009.html
 これは政治決断が必要なケースである。不法滞在で東京入国管理局から強制退去処分を受けた埼玉県蕨市のフィリピン人一家が、家族そろって日本にとどまりたいと在留特別許可を求めている問題だ。
 埼玉県蕨市に暮らす会社員、カルデロン・アランさんと妻のサラさんは1990年代に他人名義の旅券で入国し、娘ののり子さんをもうけた。のり子さんは同市内の中学1年生で13歳。フィリピンに渡ったこともないし、日本語しか話せない。
 一家に対する強制退去処分は裁判で確定している。東京入管は(1)両親が自主的に出国するならのり子さんだけは在留を認める(2)自主的に出国しない場合は一家を強制送還する――と通告し、今週初め、まずアランさんを施設に収容した。
 入管当局はきょう13日を回答期限としているが、両親にとって13歳の娘を残した出国はつらい選択だ。このままだと母子も収容され、17日に送還される可能性がある。
 たしかに不法滞在者には厳格な対応が欠かせない。しかしこの一家の場合、両親は地域社会に溶け込んで平穏に暮らしてきた。のり子さんもすっかり日本人として育ち、級友に囲まれて学校生活を送っている。
 過去には中学生になった子どもを持つ家族には在留を認めた例もある。しかし法務省や入管当局は、一家に退去命令が出たのがのり子さんの中学入学前だから特別扱いはできないという。前例に固執した、あまりにもかたくなな姿勢ではないか。
 欧州諸国などでは、不法滞在でも平穏に過ごして子どもを育てている場合は柔軟に対応している。それだけに今回の問題には海外メディアも関心を示し、国連の人権理事会が調査を進めるなど国際社会も注目していることを忘れてはならない。
 不法滞在の取り締まりと例外との兼ね合いは難しいテーマだ。制度改革や運用の改善は今後の課題だが、今回はまず人道的な立場から一家の在留を許可すべきである。これを認めたからといって、入管行政の根本が揺らぐわけではないだろう。
 もう時間がない。ここは政治家の出番である。森英介法相、そして麻生太郎首相は一家が日本に残れるよう決断を下してほしい。

社説:フィリピン人一家 同情と法の運用は別問題(産経新聞/2009/03/13)

【主張】フィリピン人一家 同情と法の運用は別問題
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090313/trd0903130257001-n1.htm
2009.3.13 02:57
 不法入国のため、国外への強制退去処分を受けた埼玉県蕨市のフィリピン人中学生、カルデロン・のり子さんと両親の一家3人の最終的ともいえる処分の期限が迫ってきている。
 法務省東京入国管理局は、両親が入国管理法違反で日本に不正に入国した以上、法律を曲げるわけにはいかないとして、一家の日本滞在期限を今月16日までと通告した。一家がこれを拒めば17日にも強制送還される。
 のり子さんの母は平成4年に、父は翌年にそれぞれ他人名義のパスポートを使って来日した。のり子さんは7年に生まれ、地元の小学校を経て今は中学1年生で、日本語しか話せない。
 日本人として育てられたのり子さんに衝撃が走ったのは18年7月、小学5年生の時だった。
 母親が買い物途中に警官の職務質問を受けて逮捕され、裁判でも執行猶予付きの有罪となった。一家は強制退去処分の取り消しを求める訴訟を起こしたが、裁判所はこれを認めず、昨年9月に最高裁で一家の退去処分が確定した。
 その後、一家は再三にわたり、在留の特別許可を東京入管に申請している。そのつど、同入管は、のり子さんが日本育ちであることなど、人道的な面を考慮して、申請のたびに1カ月程度の短期間の滞在許可を出してきた。

 異例の措置を取ってきたわけだが、法務省は13日までに両親が自主的に帰国する意思を示さなければ、17日に家族全員を強制送還すると通知した。その一方で、森英介法相は、のり子さんのみの在留を認め、両親はいったん帰国し、日本に1人で残ったのり子さんに会うために短期間の再入国許可を出すと表明するなど、最大限の配慮も見せている。
のり子さんは「3人一緒に日本に残りたい」と涙ながらに訴える。その気持ちは、痛いほど理解できる。同情もしたい。のり子さんには何の責任もない。
 しかし、両親は偽造旅券という悪質な手口で入国した。日本に不法入国する外国人は、年間約11万人いるといわれる。年々減少はしているが、日本は欧米に比べまだまだ、入国管理が緩やかだとする指摘もある。
 温情を優先するあまり、あしき前例をつくるのはまた問題だ。違法を見逃した場合、それがアリの一穴となり犯罪を呼び込むことにもなりかねない。

社説:フィリピン家族 親子同居の道筋つくれ(東京新聞/2009/03/23)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009032302000070.html
 両親は帰国し、中学一年の娘だけ日本に残る…。不法滞在のフィリピン人家族の問題は、それで解決したわけではない。両親が帰国しても、日本でいずれ同居できる方策を国は模索すべきだ。
 確かにフィリピン人カルデロン・のり子さんの両親は、一九九二年から九三年にかけ、偽造旅券で入国した。二〇〇六年には母親の不法滞在が発覚し、執行猶予付きの有罪判決を受けた。強制退去の取り消し処分を求める訴訟を起こしたものの、昨年九月に最高裁で国外退去処分が確定した。

 しかし、のり子さんは日本生まれの日本育ち。埼玉県内の中学校に通う少女である。日本語しか話せない。フィリピンに行ったこともない。日本の社会にも、学校生活にもなじんでいる。
 法務省が十六日に、のり子さんに在留特別許可を出したのは、そうした事情に配慮したからだ。両親についても、原則的に五年間は再入国できないが、森英介法相は「退去後に子どもさんに会いたいのであれば、(一定期間後に)上陸特別許可を出す」と述べ、短期の再入国を認める方針だ。
 両親は来月十三日に帰国すると、既に入国管理局に伝えた。問題はそれからだ。のり子さんは親類とともに日本で生活し、学業を続けるが、親子に長く離れ離れの暮らしを続けさせてよいものだろうか。娘と会うため、両親にフィリピンと日本の間の往復をずっと繰り返せというのだろうか。
 両親が帰国しても、「一緒に日本で生活したい」という家族の願いをかなえるべく、国は継続的に力を尽くすべきである。両親はこれまでまじめに働き、長期間、日本社会にも受け入れられていたのだ。二万人もの地域の人々らから、一家の残留を求める署名があり、市議会でも同趣旨の意見書を採択した点にも留意してほしい。

 日本が批准した国連の「子どもの権利条約」では、意思に反して、児童が父母から分離されないことを明記している。いったん両親が帰国したら、違法状態は解消する。両親は法に従うのだ。やがて再び来日するだろう。
 その後も短期在留を繰り返すのは、家族の結び付きの点からも経済的にも、あまりに不自然だ。国際化時代にもそぐわない。両親に長期滞在を認め、いずれ「定住者」の在留資格を与える方策を国は真摯(しんし)に探るべきだ。晴れ晴れと日本で暮らす道筋をつくることを望む。それが人道であろう。

海外報道

DFA-to-help-Pinoy-family-facing-Japan-deportation


フィリピンのマニラで木曜日、外務省は日本で直面している比のカルデロン一家に対する強制送還を受け入れる準備があると述べました。声明は東京入国管理局が一家の娘、のり子さん(13歳)を残すか残さないかを決めなければ強制収容し国外退去処分にすると表明した後に出されました。
エステバン・コネホス・ジュニア・フィリピン外務省移民労働担当次官は、木曜日に声明の中で「日本国法令の適用に関連して同国で実施されている手続きに沿って、外務省および関連機関はカルデロン一家に対しフィリピン社会への再同化支援を含む人道的、そのほかの援助を行う用意がある。」と述べました。
伝えられるところによれば、6年間、日本の教育を受け日本語しか話せない子供を強制送還する事は「薄情である」と考えられており、入国管理局は、子供が既に中学生以上の場合には特別在留許可を不法滞在家族の子供に与える傾向があるとしています。
2006年以来、フィリピン人の家族は、一家で一緒に残れるように日本政府に働きかけてきましたが最高裁判所は去年の9月に請願を棄却しました。エステバン・コネホス・ジュニア・フィリピン外務省移民労働担当次官によると、フィリピンの外務省はカルデロン一家のケースを「密接にモニター」していると述べました。
また、「東京のフィリピン大使館も在留資格の問題を抱える家族に連絡しています。」と、彼は言いました。
日本入国管理局によると、1月現在、およそ11万3072人の不法な在留外国人がいます。
フィリピンの海外調査委員会は、2007年、202、557人のフィリピン人が日本に在留していることを示しましたが、そのうち何人が不法滞在者かについては言及しませんでした。
2007年に、約7,388人の外国人が特別在留許可を取得しており、2008年には3万9382人が強制送還されています。

「のり子が日本に帰化した暁には我々にも永住許可を与えてほしい」とカルデロン夫妻

【マニラ】
フィリピン--フィリピン人のカップル、アラン・カルデロンさんとサラ・カルデロンさんは15年間以上に渡って入国管理局からの目から逃れ続けてきました。夫妻は1993年に偽造パスポートを使用し日本に不法入国しました。
アランさん36歳、サラさん38歳の二人は日本の法律から永久に逃れられると考えていましたが、夫妻はついに身分がばれ入管に捕まりました。月曜日の夜、13歳になる娘を残してカルデロン夫妻は日本から強制送還されました。
アランさんとサラさんは、日本生まれの娘が学校で勉強を続けられるように永住許可を嘆願してきました。日本政府はのり子さんに対して人道的観点から滞在を許可し、両親に対しては自発的に帰国する事に同意しなければ、一家3人を強制送還すると、何週間も前から警告を出していました。
成田空港のインタビューで、夫妻は、「日本の親戚の下に預けた娘と共にまた暮らせるように日本に戻る事を望んでいると」答えました。アランさんとサラさんは戸籍に記載されているマニラに(Tondo)に戻りました。
夫妻は、観光ビザを取得できるように、(すなわち日本の政府が夫妻に再入国を許すまで)当面の最初の課題は仕事を見つける事だと話しています。
また、アランさんは、自分たちの名前が入管のブラックリストに含まれていなかったと言いました。
のり子さんは現在、彼らが住んでいた埼玉県にある中学校の二年生です。「私は悲しいのです・・・」と、のり子さんは以前、東京の北にある埼玉県の蕨市の彼らの自宅でレポーターに答えました。
「手作りのお母さんのお弁当が食べられないのはすごく寂しいです・・・」先週の月曜日に成田空港で記者のリポーター陣に囲まれながらインタビューに答えたと公共放送のNHKは報じました。

日本語しか話せないのり子さんは、日本人のビジネスマンと結婚したカルデロンの義理の姉妹にあたる親戚の下に預けられました。既に、のり子さんには在留特別許可を与えられ日本に滞在することが許されています。
アランさんは日本の警官が家に来て私たちを逮捕した際はとても驚いたと、その時の事をふり返ります。『ある日、3人の日本の警察官が家にやってきて、「逮捕する。オーバーステイについて尋問する。」と私達に告げました』と、アランさんはタガログ語で話しました。

彼はほとんど英語を話せませんが、日本語は流暢に話すことができます。アランさんは日本語が上手なだけではなく、外見も日本人に見えます。(横目で色白な肌、角刈りの髪にやぶのような眉毛)

彼はどのようにして入管にばれたかについては詳細を明らかにせず、同胞のフィリピン人による密告による可能性を否定しました。「だれも我々を密告しませんでした。日本当局の効果的な捜査の結果だと思います」と彼は言いました。

夫妻は1933年に日本にやってきて、最初はサラさんが親類の助けと共に様々な商品を販売しそして、アランさんは建設会社で働きました。「何故、のり子さんはタガログ語を話す事を学ばなかったのか」との質問に話が及ぶと、アランさんは、「教えようと試みたが娘は日本語を話すことを選択したのだ」と言いました。

「我々は我々の言語をのり子に教えようとしたが、彼女はそれのいずれも持っていないでしょう。」 「そして、のり子が家から外出すれば、彼女の友人と級友は皆、日本人です。」と、アランさんは説明しました。
アランさんとサラさんは、「娘が日本に帰化することが認められるかどうか確かなことは今は判らないが、我々はのり子が16歳か18歳になれば日本に戻って一緒に住むことになるだろうと思う」と言いました。
夫妻は、のり子さんが日本に帰化した場合、彼女が日本政府に対して、両親にも永住許可を与えてほしいと陳情してくれることを望んでいます。
このカルデロンケースは日本で大きな注目を集め報道されました。そして、2万人以上の人が一家3人の日本での在留を認めて欲しいと署名しました。また、このケースはアムネスティ・インタナショナルと国連人権委員会の注意を引き付けました。
(日本政府に対して質問書を提出しました)。しかし、移住事柄を担当する森英介法務大臣は、政府がこの家族を助けるために最善を尽くしたと言いました。
http://www.philstar.com/Article.aspx?articleId=457711&publicationSubCategoryId=202
ソース:The Philippine Star
|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|