B先生の件に関しては、先生にも言葉足らずな面が連綿とあって、その不満要因が今回の事件になったと思っている。

   内部の教職者の間で、妙な緊張感を持っている人がいたのは確かだ。私の見る限り、私が先生に接して感じる限り、それは無用な緊張感だと思われたが、つまり、自分が勝手に作り上げた緊張感をマインドコントロールだと主張しているのではないかと思われる。

 私も先生には数数失礼をしたが、そのことで冷遇されたことはないし、何かを強要されたことはない。
 一応、会社だったり組織だし、給与や手当てが発生してるので、それなりの命令はあるのは当然で、それを支配的だというのはお門違いもはなはだしい。

 現在私は、その教会に行っていないが、そのことも誰からも指摘されたことも、冷遇されたこともない。
 内部の先生たちのことでも色々書かれているが、ほとんど、事実無根か、針小棒大に話されているだけだ。

 セクハラに関しては、私個人印象としては、被害者だと名乗る女性たちは、逆マインドコントロールされてるのではないかと思っている。
 実際、被害者の会の先生は、カウンセリングのプロで、人をコントロールできる人だ。
 私はその人も知っているのだが、こちらの意図しない結論を導き出す不思議な人だった。

 しかも、この事件がとりただされ始めたころ、被害者数は30人を越えているとまで言われていたのに、先ごろ雑誌に乗った人数は10人で、しかも、証言したのはそのうちの2人程度。
 被害者の会のHPでも、その人たちの被害状況を書いた文章しかなく、しかも、別々の人が書いているはずなのに、先生の口調が一緒なのはわかるけど、被害者の口調まで一緒というのは、不思議でならない。しかも以前、ニュースにまでなったリバイバルジャパンのときの被害者と同じ口調なのだ。

 被害者側についている牧師先生たちは、それらの矛盾を検証しているのだろうか?と不思議でならない。
 被害者側の証言のみを一方的に信じて、教会側の証言はすべて虚偽だとする根拠がまったく見えないし、そうゆう不公平なものの見方が、クリスチャンでないにしてもあっていいのか?クリスチャンならなおさらと思うのだが。
 先生側としては、やっていないことは、やっていないというしかないのだが、それがあいまいであるとして、受け入れてもらえないのだ。

 12月に先生が、被害者だと名乗る人たちの前で、一応の謝罪はした。それは、先に書いたようなキスやハグをセクハラだというなら、そうなのだろうという、謝罪で、被害者の証言全部を認めたわけではないのだが、その謝罪を持って、認めたじゃないか有罪だ!という人もいる。


 今、沈黙をいさぎよしとしていた先生もようやくこの問題に対し、対応しようとしている。

 被害者だという人も加害者にされている人も、私の知っているあるいは親しみのある人たちだ。裁いたりののしりあったりしないで、すべてが元のとおりに戻ってくれることを強く望むし、そう祈らずにはいられない。