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2008年8月22日号
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「シャンド顕彰碑」萬福寺に完成
明治のお雇い外国人
 
シャンドの言葉を刻んだ碑と
小笠原住職
 

 明治時代、日本に初めて複式簿記を導入したイギリス人アラン・シャンド(1844〜1930)の顕彰碑と、シャンドの子・モンタギューの墓碑が芦ノ湖近くの萬福寺に再建され、8月8日に序幕式が行われた。

箱根で息子が急逝

 シャンドは明治5年から大蔵省で働いていた“お雇い外国人”で、銀行簿記を導入し銀行監査を行った人物。著書「銀行簿記精法」や「銀行大意」は銀行草創期に教科書のように読まれた。明治6年、シャンドは避暑のため家族で芦ノ湖畔を訪れるが、その際に長男モンタギューが病気で急逝してしまう。シャンドは萬福寺境内に息子を埋葬し墓のそばに1本のカエデを植えたという。

北伊豆地震で墓石は埋没

 シャンドは明治10年に帰国後も日露戦争の戦費の調達に尽力したが、生涯息子モンタギューの墓を気にかけていたという。高橋是清など当時の政財界の有志たちは墓の供養を続けていたが、1930年(昭和5年)に起こった北伊豆地震で墓碑は土石流に埋没。戦後になるとシャンドの名前も薄れていった。

有志が再建

 再建された顕彰碑と墓碑は、シャンド研究者で大東文化大学教授の前川邦生氏と元銀行員の鈴木豊明氏が意気投合し、銀行や簿記専門学校などに協力を求めて完成にこぎつけたもの。「天下ノ事会計ヨリ重キハナシ」と彫り込まれた顕彰碑は息子モンタギューの墓碑に寄り添う。同寺の小笠原聡住職は「埋没後は物理的に掘り起こせない状態だった。やっと恩返しができて嬉しい」と話している。

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