わがリベラル友愛革命 <その2>
美の国・日本を復興したい。

 私がゴルフをあまり好まないせいかもしれないが、機上から眺め下ろしていくつものゴルフコースが視界に入るとき、バブルの爪で国土が抉り取られてしまったような誠に悲しい心持ちになる。8年前、1500に満たなかったゴルフ場の数は(それでも多いと思うのだが)、今では2100を超えている。許可申請中のものも500余りあると聞くが、狭い国土で1つのスポーツのために、これだけの面積がいるわけがない。別にゴルフに怨みがあるのではなく、象徴的に目に見えるので申し上げたのだが、国土が経済活動の食い物になってしまった顕著な実例である。もっと遡って考えれば、戦後日本の経済成長が歴史的に日本人が最も大切にしてきたもの、すなわち美徳を奪ってしまったのではないかと感ずるのである。

 私は、日本の政治が、そして日本人が呼び戻さなければならない最大の価値は「美」だと信じている。友愛の提唱者でもあるクーデンホーフ・カレルギー伯は、日本を美の国と呼んだ。彼の著『美の国』には次のようなことが記されている。

 古代ギリシャ・ローマ時代の道徳は美を基盤としていた。そして神学に基盤を有する「善と悪」の対立の代わりに、美学を基盤とする「気高さと卑俗」という対比が生まれた。プラトンは倫理的な価値と美学的な価値を一致させていった。一方で、孔子の儒教は理の原理を基盤としており、それは調和、換言すれば美を基盤としていることになる。孔子の理想も気品の高い人間にあった。ところがヨーロッパでは、キリスト教の布教とともに宗教的、神学的倫理感が勝るようになり、中国では共産党の思想が儒教を破った。結果として、日本が儒教に基づく美的倫理感を有する唯一の大国となったのである。

 日本をほとんど書物のみで理解されたクーデンホーフ伯のことゆえ、やや美化されすぎているきらいもあるが、日本には少なくともかつて武士道に見られるように、「美」を尊ぶ精神が強く存在していたことは事実である。

 第2次世界大戦に勝利した米国が日本の武士道精神の復活を恐れたこと、そして敗戦後の日本を急速に立ち直らせるために導入された欧米型経済合理主義が実に見事に機能したことにより、経済的価値が美的価値を浸食し、「美」に対する倫理感が日本社会から消失してしまったのではないかと考える。経済合理性から外れた価値が捨象され形骸化してしまったことが、日本の今日的不幸ではないかと想像する。

 醜悪な委員会室封鎖のピケ戦術が、まさにいい例である。小沢一郎氏がその著書の中で否定しておられた少数者の横暴による審議拒否を、自ら率先して行わねばならなかったところに問題の本質がある。

 この行為そのものはけっして正当化されるものではないが、言論の府を閉鎖して長く平然としていられたのは、国会がすでに言論の府としての機能を喪失しているからであろう。議会が形骸化し、予算や法案が委員会に送られてくるときには結論が出ており、議論はあくまで形式的な時間調整にすぎない。議会制民主主義の基本である論争という美的倫理が欠如している現在の日本の国会の現状は、きわめて重症と言わざるを得ない。

 美的倫理感の欠如は、しかしながら何も政治に限らず、卒業より入学重視・知識偏重の学校教育、責任回避の論理渦巻く官僚制度、住専に見られる常軌を逸した金儲け主義の業界など見渡す限りである。私は日本を今一度「美の国」に戻すため、美の心と友愛の精神を基軸に、日本の政治を根底から見つめ直して参りたい。

 過日、「フォーラム日本の進路」で講演された隅谷三喜男先生は、日本人に哲学がなくなったと慨嘆されていた。確かにそのとおりだと思う。厳しい政治不信のなかで、一見甘すぎるとの批判を覚悟のうえで、あえて私は美的倫理感と友愛精神を自分の人生の原点、いわば哲学と捉えて行動していきたいと考えている。

 祖父一郎が三木武吉先生らと共に保守合同を成し遂げたのは、後に「55年体制」という言葉を生む1955年のことであった。当時はイデオロギーの対立があり、社会党の左派と右派が怨念を乗り越えて統一を果たしたことに触発され、緒方竹虎氏率いる白由党と一郎率いる民主党とが合併した。革新合同と保守合同が同時に成立したのである。米ソの東西冷戦構造の進行に伴い、形式的に日本においても、自由主義市場経済を柱とするアメリカ側の自民党と、社会主義を標榜するソ連寄りの社会党という2大政党政治が展開されていった。

 戦後復興期および欧米追随型の経済発展期においては政治的安定が至上命題であり、基本的に保守安定志向の国民にとっては、自民党安定政権の持続はそれなりに意義の大きなものであった。実際には社会党の存在で軍事力の増大には大きな歯止めがかかり、また社会福祉政策も積極的に取り入れたため、自民党は他の先進諸国の保守政権より社会民主主義的であったことは間違いない。

 しかしシステムの固定化は、必ず停滞から癒着を生む。自民党は長期政権の権力集中を利用して、行政と財界とに太いパイプを築き上げ、政財官が相互依存する甘えの構造を定着させた。エネルギーは党外よりもむしろ、党内の派閥抗争に費やされた。社会党は与党になることを放棄し、安んじて野党にとどまった。国民の一部である労働組合にのみ支持されていれぱよいという安直さは、中選挙区制度が許容した。

 江崎玲於奈博士がある講演のなかで、「アメリカ人はとにかく機構を変えることが好きだ。それは機構を変えること自体に人心を一新するという意味があるからだ」と述べておられた。興味深い示唆である。日本は一度機構ができると、それを改廃することがきわめて難しい社会である。
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