2人の子どもを育てながら、助産師資格を取るため専門学校で学んでいる黒田飛鳥さん
産科医の不足などに伴い、助産師が注目されている。医師と連携した「院内助産院」や、妊産婦の相談を受ける「助産師外来」を設ける医療機関が全国的に増えている。国は助産師養成に力を入れており、県内ではことし、新たに養成校が一つ増え、二校になった。
県内の分娩(ぶんべん)可能な医療機関は年々減少し、二〇〇六年の三十八施設から、〇八年十月には三十四施設に。限られた医療機関に妊産婦が集中するため、検診の待ち時間が長くなったり、自宅から遠い病院に通わなくてはならないケースも出てきた。そこで役割を増しているのが、相談相手となり、妊娠、出産、子育てまで総合的に支援できる助産師だ。
県内で働く助産師は二百五十二人(〇八年十二月末現在)。これまで養成校は大分市の県立看護科学大学(定員十人)だけだったが、本年度から豊後大野市の藤華医療技術専門学校が助産学科(定員二十人)を新設した。県は「養成校が増え、県内への定着が期待される」と話している。
出産をきっかけに、助産師を目指している女性がいる。大分市の黒田飛鳥さん(35)は主婦から看護師に転身。四月からは助産師資格を取るため専門学校で学んでいる。二人の子どもを育てながらの挑戦だ。
十一年前、長男を出産した。約十カ月間、おなかの中にいたわが子に会えた瞬間の喜びは今も忘れることができない。陣痛が始まってから生まれる瞬間まで寄り添い、耐え難いお産の痛みを一緒に乗り越えてくれた助産師に感謝。「お産って素晴らしいと心の底から思えた」と振り返る。
出産から五日間の入院中に「助産師になろう」と決意。子どもが三歳になった二十七歳の時、看護師見習いとして産婦人科医院の門をたたいた。両親の援助で、昼間は専門学校に通い、夜は医院で働いた。
二年で准看護師、さらに三年かけて看護師の資格を取った。妊産婦を支援する「円ブリオ基金センター」(東京都)が設けた助産師養成の奨学生第一号に選ばれ、本年度、助産学科が新設された藤華医療技術専門学校(豊後大野市)に入学した。一年間、休職して学び、助産師国家試験の受験資格を得る。
黒田さんは「また子どもを産みたいって、お母さんたちが思ってくれるような助産師になりたい」と目を輝かせている。
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