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長谷部靖男教授の憲法学への疑問(2):おかしな文献参照

 長谷部恭男・東京大学教授の理論については、拙著『「表現の自由」の社会学』(2006年、八千代出版)でも若干とり上げて言及した。しかし、長谷部教授の主張を十分に批判的に検討できていなかったと思う。

 昨日の記事でとりあげたとおり、長谷部教授は『憲法(第2版)』で、人権の制約原理として憲法13条の「公共の福祉」について論じている。そこでは、人権は他人の人権との関係においてのみ制約され得るという「一元的内在制約説」は、「人殺しをする自由、強盗をする自由、他人を監禁・暴行する自由」などを天賦人権人として人が有している、ということを前提としている、と述べている。このような理解の妥当性をまず、問題にしたい。

 昨日の記事の引用箇所にあるように、このような主張をするにあたり、長谷部教授は参照文献として(樋口・憲法192-195頁)と書いてあるのも、昨日の引用個所にある通りだ。樋口とは、憲法学で高名な樋口陽一教授だろう。樋口教授は本当にこのような愚かな主張をしているのだろうか?そう思って、もとの参照文献を探そうと思って、『憲法(第2版)』の「参考文献リスト」を見てみたところ、この樋口陽一教授の『憲法』という本がリストアップされていない。

 この本では、参考文献は各章ごとにまとめられており、さらに章の中にある節ごとにまとめられているため、樋口陽一教授の『憲法』という本は「2.公共の福祉と人権」(149㌻)のところに入ってなくてはならないが、入っていない。「3.憲法の権利の享有主体」(150㌻)のところには樋口教授の本が2冊あるが、書名は『近代憲法学にとっての論理と価値』と『転換期の憲法?』となっており、違う。これが初版の本なら単なるミスで済むのかもしれないが、第2版で、私の手元にあるのは第2刷である。

 長谷部教授の主張は、文献の参照の仕方という点でも疑わしいと思わせる。そして、そう思って、おそらく長谷部教授が参照したであろう樋口教授の『憲法』(創文社)を参照すると、さらに驚くべきことになる。長谷部教授は、樋口教授の主張を全く正反対にとらえていたのである。これについてはまた明日以降に述べたい。

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「長谷部憲法」カテゴリの記事

Comments

 伊藤さん、こんにちは。

 私は憲法については素人ですが、伊藤さんの明らかな間違いを指摘させていただきます。
 樋口教授の『憲法』に対する長谷部教授の参照は、「凡例」というかたちでⅹⅱ頁に載っています。
 ご存知かもしれませんが、ほとんどの法律の体系書は、参考文献を頻繁に明示する関係上、参考文献とその略称を最初に掲載します。そのうえで〔団藤・99頁〕とか、〔我妻一五三頁〕のように表記します。
 伊藤さんのお持ちの長谷部教授の、『憲法(第2版)』のⅹⅱ頁に
「樋口・憲法・・・・樋口陽一『憲法』〔改訂版〕」
と書かれていたら、伊藤さんの書かれた「昨日の記事の引用箇所にあるように」以下を訂正線を引いた上で、間違いだったということをコメント欄で明言するのが正しいと思います。

Posted by: ヘーゲル主義者 | April 19, 2009 at 03:17 PM

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