はじめに  松井やより
明石書店 ここまでひどい「つくる会」歴史・公民教科書 より

二一世紀を生きる子どもたちに、人権や平和を目ざすよりも、
戦争や差別を肯定するような教科書が手渡されようとしています。
歴史を歪曲し、女性を差別していると内外から批判されている
「新しい歴史教科書をつくる会」編集の中学歴史・公民教科書が
この四月文部科学省の検定を合格したからです。

「歴史を学ぶとは過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることでない」と、
植民地支配や侵略戦争を正当化し、天皇を賛美し、明治憲法と教育勅語を評価し、
神話と軍国美談を記述し、日本民族・文化の優秀性を宣伝する「つくる会」の歴史教科書。
そこには、二〇世紀最大規模の戦時性暴力といわれる
日本軍「慰安婦」制度についての言及も全くありません。

その理由を「慰安婦制度を書くのはトイレの構造の歴史を書くようなものだ」と執筆者は公言しています。
過去の戦争を反省しない歴史教科書とセットの公民教科書は
現在の日本を再び戦争のできる国家にしようとしています。
憲法改悪、自衛隊礼賛、海外派兵、集団自衛権、中国・北朝鮮の脅威、国旗国歌尊重、
国防の義務などを強調し、核武装さえ正当化しているのです。
それに、市民的権利や自由を公共の福祉の範囲内に制限し、
外国人などマイノリティヘの差別を軽視し、市民運動を敵視するなど、
人権より国権優先の国家中心主義思想が流れています。

そのうえ、歴史、公民両教科書とも、家制度を擁護し、良妻賢母の伝統的性別役割を強調し、
男性の家庭責任にはふれず、個人よりも家族の一体性が人事だと夫婦別姓に反対するなど、
女性蔑視思想に貫かれています。
そこには男女平等教育の視点や女性の人権への配慮はありません。

このような「つくる会」教科書を日本政府が認めたことに対して、
被害を受けたアジアの国々で、怒りの声が巻き起こっています。
韓国から元「慰安婦」が来日抗議し、
国会議員たちが「つくる会」教科書の採択差し止め訴訟を日本の裁判所に起しました。
韓国政府は「つくる会」教科書を中心に三五カ所の修正を日本政府に要求し、
中国政府も八ヵ所の修正要求を出しました。

しかし、日本政府は、近隣諸国条項も含めて検定基準に合っていると、修正に応じようとしません。
そして、自民党議員の半数以上が「つくる会」教科書を支持し、
「内政干渉を許すな」と声高に叫んでいるのです。

「つくる会」側は全国100以上の地方議会で「教科書採択正常化」請願を可決させ、
「つくる会」教科書採択をめざして全国的に運動しています。
それを後押しするように、教科書選択の権利を現場の教師から取りあげて、
教育委員会の権限を強化する動きが東京都を初め全国の都道府県に広がっています。
八月の採択決定時期に向けて、中央から地方まで、国家ぐるみで、
「つくる会」教科書を採択させようという力が強まっているのです。

それに対して、「つくる会」教科書を教室に持ち込ませないために、
私たちはまず、「つくる会」教科書の内容、問題点を広く知らせ、
全国各地域で教育委員会に採択しないよう働きかける必要があります。
国際行動としては、六月にアジア連帯会議を開いて内外の世論作りをめざしています。

ただ、再検定要求は、教科書検定制度そのものの強化につながりかねません。
今回の「つくる会」教科書合格でも明らかなように、検定制度は国家権力に都合のよいものです。
家永教科書裁判が求めたのも、
国家権力の教育への介入を拒否し、教育を私たち自身の手に取り戻すことでした。
その意味で、教科書は教師や市民や子供たちの白由選択にまかせるのが、
将来の方向ではないでしょうか。

今、非常に恐ろしいのは、
「つくる会」教科書を出現させる背景になっている危険なナショナリズムです。
日本の白由主義史観派などの国家主義は、
一九九〇年代以来の経済のグローバリゼーションヘの反動として
世界中に広がっているナショナリズムや原理主義、
それが引き起こす悲惨な民族・宗教紛争と共通点があるからです。

かって一つの多民族国家だった旧ユーゴスラビアは、
各民族の指導者が憎悪のナショナリズムを煽ったために内戦となり、
民族浄化の悲劇が起こりましたが、ある女性作家が「忘却と想起のテロル」、
つまり、白民族の栄光を想い起こし、過去の暗部を忘れ去るナショナリズムの暴力性を警告しています。
それは、「つくる会」の教科書の内容そのものです。
アジアでも、流血の宗教紛争が続いているインドでは、
政権をとったヒンズー原理主義勢力が歴史教科書を改ざんして、
イスラムなど他宗教の人々への暴力を強めることが憂慮されています。

ナショナリズムを注入するのに教育は最も有効な手段であることは、
戦争中の日本の軍国主義教育を見ても明らかです。
それゆえに、偏狭なナショナリズムを越える世界に開かれた歴史教育が求められます。

ドイツでは、ナチス犯罪を追及し続け、
かってバイツゼッカー大統領が「過去に目を閉ざすものは、現在に対しても盲目である」と、
ドイツ人が過去の戦争犯罪を戦後償う責任を議会で演説しました。

その立場から、教科書についても
被害国であるポーランドやイスラエルと歴史認識のギャップを埋めるために、
国際教科書研究所が二国間で共同教科書作りの努力を重ねてきました。

そのように加害責任に向き合うドイツの姿勢こそ
被害国との和解をもたらし、欧州連合結成も可能にしたのです。

日本と韓国でも九〇年代に、日韓歴史教科書共同研究が試みられました。
アジアの人々から信頼を得て、平和なアジアの未来を共に生きられるように、
自民族中心、国家中心、男性中心の「国のかたち」を教え込む教科書に
はっきりNO!といいましょう。

そして、子どもたちに届けたい歴史教科書を
アジアの人々と共に創りたいものです。

2001年5月