岩見隆夫のコラム

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サンデー時評:再びぶざまな姿見せるな、小沢さん

 目からウロコ、に近い。

〈民は由らしむべし知らしむべからず〉

 という言葉、『広辞苑』に、

〈人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない〉

 とあるように、一般には、専制的な独裁政治の手法と理解されている。ところが、作家の童門冬二さんは最近の著作『戦国武将 引き際の継承力』(河出書房新社)の書き出しで、

〈わたしは異論を持っている〉

 と新説を唱えた。童門さんによると、

〈江戸時代の武士においては、護民官責務のあらわれであって、みずからを戒める言葉ではなかったのか、と考えるからだ。現在でも同じだが、市民生活が安定しているように政治が行き届いていれば、民は別に情報など欲しがらない。

 そんな暇に自分の生活を豊かにするほうに時間を使うだろう。ところが、実際には政治は行き届かず、また情報もウソのものや、故意に隠したりするから、情報公開や政治への参加が叫ばれるのだ。歴史上の武士たちは、この護民官責務が強く、「愛民」の姿勢で政治行政を行った〉

 というのだ。この言葉は『論語』のなかに出てくるが、もともとは、

〈人民を為政者の方策に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい〉

 という意味だったと『広辞苑』にもある。従って、いちいち理解させるまでもなく善政を施せばいいのだ、と解釈を発展させれば童門説に近づく。

 冒頭の『広辞苑』の解釈はもとの意味から転じた俗説だという。私には俗説より童門説のほうがぴったりくる。『論語』は政治のあるべき姿を説いたのだろう。

 ひるがえって、日本の政治の現状を眺めると、政治家に護民官責務は甚だしく乏しい。護民官というのは、古代ローマで、貴族と平民が対立した時、平民保護のため作られた官職である。平民(人民、庶民)のための政治がローマでは行われていた。

 しかし、いまは、口では国民のための政治を唱え、民主党のメーン・スローガンは〈国民生活第一〉だが、残念なことに、国民の側に実感がない。小沢一郎代表をめぐる巨額の企業献金疑惑がそれを象徴しており、小沢さんの対応は〈護民〉どころか〈護私〉に終始していると映っているのだ。

 童門さんはさらに続けている。

〈武士たちの心構えは、古代中国の思想家が唱えた、「平天下・治国・斉家・修身」のプロセスである。つまり、天下が平和に維持されるためには、国が安定して治められなければならず、そのために家庭がしっかりと整えられ、そして家族の一人一人が身を正しく修めることが前提だという考えだ。

 すべて修身すなわち個人から発する。武士道はこの意識によって成立した。言葉を変えれば、

「護民官の責務を果たすために、自分の身をしっかりと修める」

 という考え方である。身を修めるのは単に正しく生きるというだけではない。

「一人一人の民の模範になる」

 という意味も持っていた。特にその進退については、潔いことが求められた。いつまでもポストにしがみついて、みっともない真似をするのは武士の恥だと言われた〉

 ◇〈民の模範になる〉という意識がかき消えた政治家

 いまの政治家はことのほか〈修身〉が深刻に問われている。民主党は党首が矢面に立ったから風当たりが強いのは当然だが、自民党などほかの党の政治家も問われているのは同じだ。

 小沢さんは、

「やましいことは一切ない」

 と言い切っているのだから、自らの修身は万全と言いたいのだろう。しかし、国民の目にはそう映っていないから、六割以上の世論が小沢さんの辞任を求めている。ところが、進退について、小沢さんは、

「衆院選がいつだか分からないうちに、(進退を)どうこう言われても返答のしようがないが、国民の理解を得て政権交代を実現していく思いは変わらない。衆院選で勝利できるかどうかを最終的な判断基準にしたい」(三月三十一日の記者会見)

 と述べた。この感覚にはほとほとあきれる。衆院選で勝てそうなら代表を続投するが、負けそうなら辞めるという趣旨だ。勝敗と進退はまったく別次元の話だが、強引に直結させている。それだけでなく、自らの修身、つまり献金・蓄財疑惑について説明するという当然の義務を完全に素通りしている。疑惑を晴らすだけでなく、童門さんが言うように指導者は、

〈民の模範になる〉

 ことを求められているのだが、この国ではそんな意識はかき消えてしまった。不用意な発言の連発など麻生太郎首相の修身問題もしばしば話題になったが、小沢さんの金銭スキャンダルははるかに根が深く、リーダーの資格を疑わせるものだ。

 だから、小沢続投を支持している鳩山由紀夫幹事長でさえ、

「なぜあんなに大きな額のカネが必要か、説明がいる」

 と言わざるをえなかった。だが、小沢さんは語らない。語ろうにも語れない何かがあるとみるほかなく、小沢さんへの不信は募るばかりだ。

 辞任カードなどという不愉快な言葉も使われだした。選挙を民主党有利に導くために、辞任のタイミングを慎重に計っているという意味だ。もしそういう魂胆なら、有権者がどう反応するか、民主党は大きく目を開けて見極めたほうがいい。

 そこには反省も潔さもみられない。童門さんが強調する〈修身〉の心構えとも無縁だ。『小沢民主党は信用できるか』(高市早苗編著・PHP研究所)という本のなかで、平沼赳夫衆院議員は、一昨年、自民・民主両党の大連立騒動が失敗に終わったのを引き合いに、

「小沢代表の辞任表明と撤回を見ていて、『男らしくないな』と思っていました。あのような無様な形は、まったく潔くない」

 と語っている。小沢さんには、あすの政治のためにも、再びぶざまな姿をさらさないようにお願いしたい。

<今週のひと言>

 野球は元気をくれる。WBCについでセンバツ。

(サンデー毎日 2009年4月19日増大号)

2009年4月8日

岩見 隆夫(いわみ・たかお)
 毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
 
 

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