BusinessWeekで、「経済学は役に立たない」という特集をやっています。このごろ雑誌で経済学を取り上げると、必ずこういうテーマで、うんざりします。

ただ役に立たないことは事実で、経済学を自然科学と同じ意味での「科学」と呼ぶことはできません。自然科学で、たとえば明日の朝、太陽が東から昇るか西から昇るかで論争になることは考えられない。ところが経済学では、今のような危機で政府が何をすべきかといった基本的な問題についてさえ、右から左までいろんな意見があって、全体としては何も結論が出ません。
もちろん経済が非常に複雑性の高い現象だというのが根本的な原因ですが、経済学の方法論にも問題があります。科学としての体裁をとることに過剰なエネルギーをそそぎ、その本来の目的である経済政策を処方することが、学問的に余り評価されていない。特に最近のマクロ経済学では、厳密な定量的モデルをつくることが評価され、動学的均衡理論が「新しいコンセンサス」になっています。

しかしBusinessWeekの特集でSargentも認めているように、こうした理論は、すべての家計が永遠の未来までの経済状況を正確に予測して最適な消費・投資計画を立てるという非現実的な仮定にもとづいています。このような奇妙な前提が置かれているのは、計量モデルでシャープな予測を行なうためで、こうした「パズルの生産性」が高いため、動学的均衡理論は主流になりました。

ところがそういう一見すると厳密な予測が、今回の経済危機では完全にはずれました。特にリーマンブラザーズの破産以降の破局的な事態は、こうした均衡モデルからは出てこないものです。自然科学でも、非線形系についての予測は非常にむずかしく、気象予測は世界最大級のスーパーコンピュータを使っても1週間ぐらい先までしかできません。経済学の対象としている人間の行動は大気よりはるかに複雑性が高いので、もともと予測は不可能なのです。

といっても、これは経済学に意味がないということではありません。医学は非常に複雑な人体を対象にして、病気を直すという目的に特化しています。そのために必要なのは厳密な定量的予測ではなく、どういう条件でどういう症状が出てくるのかという臨床データの積み重ねです。ところが現在の経済学では、こういう経験的な実証研究は軽視され、均衡理論にもとづく計量モデルを検証する形式をとらないと業績にならない。

そういう方法論の欠陥が顕在化したのが、今回の危機です。世界的な規模で信用収縮が起きているにもかかわらず、金融システムをどう再建すべきかについて、経済学者は理論的に何もいえない。財政政策については「学派」ごとの意見のまとまりが見られますが、金融システムについての意見は個人レベルでバラバラです。それを分析する経済理論がないからです。動学的均衡理論では、現金制約は「摩擦」の一つでしかない。それは本質的に貨幣の存在しない理論なのです。

こうした批判は昔からありますが、今回の危機で露呈した経済学の混乱は深刻です。平時にいくら美しい計量モデルができても、危機で役に立たない理論には価値がない。それは元気なとき「なぜ元気か」を詳細に説明できるが、瀕死の病気になったとき「元気ではない」という診断しか出せない医学のようなものです。

ケインズがいったと伝えられるように、厳密に間違っているより大ざっぱに正しいほうがましです。安冨さんもいうように医学をモデルにして、「臨床の知」として経済理論を立て直さないと、本当に経済学は世の中から見放されるでしょう。