友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論
沖縄から日本を観る
沖縄から沖縄を観る
2002年6月9日(日)より
あまけしておでめとうございます!
関係者の皆様、本年もよろしくお願い致します。
無関係者の皆様も適当にヨロシクお願いします。
さっそく後記:新年早々のぼやき
さあ、いよいよ新年だ!
そう言えば、去年の年末、飲み屋で偶然、ジャズ関係の者に会って飲んだ。その時、地元ジャズ関係者の間では、私は、「自分に甘く他人に厳しい!」と言うレッテルが貼られている、と言うので、笑った。先輩後輩連合が都合の良いように言いふらして定着したのだろう。ホームページの評判もあいかわらず悪かった。
ここは、探偵、フリップ.マーローの言葉で返しておこう。
”オレが、もし厳しく(hard)なかったら生きてこれなかっただろうし、また、やさしく(gentle)なければ生きるに値しなかっただろう”
う〜む、かっこええ〜。
二十歳の頃からハードボイルドだど〜!
まあ、もし、みんなが言うように、自分自身は、何の努力もせず、他人にだけ厳しくして、今まで生きて来たとしたら、よほどの天才だと思われているわけだから、それはそれで、このレッテルも気に入らないわけじゃない。
たぶん、昔、ここ地元には、逆になんの努力もしないのに偉そうにふるまう者ばかりが、まわりに溢れていたから、いちいち態度で示したのだろう。1対50なんてざらの対決である。自分を嫌っている50人の中に入って仕事をするわけである。
神経症で癇癪持ちの多い日本ジャズ界でもいちいち先輩を崇めていたら、こっちまで無口でつまらないキャラの神経症人間になって、終いには、不幸な人生になってしまうからよほどの先輩でない限り崇める必要はない。
売れっ子の若手芸人が、売れない先輩芸人の説教ばかりを聞いていたら、同様に売れない芸人になってしまうわけだ。また、売れない芸人に限って、説教好きになるわけだ。
売れっ子若手芸人は、同じように売れっ子の先輩芸人の説教を聞けばいい。長く売れるには、人を蹴落としてばかりの人間では不可能だから、説教も聞くに値いするだろう。
しかし、集団には合わない優秀な者に対して、あれこれの悪口レッテルを貼って、報われないお互いの身を保護しあうのが、人間社会の常である。いちいち訂正してたら身がもたない。
現代は、親ですら我が子に間違ったレッテルを貼り続けているくらいである。人間観察力なんかあるわけがない。ましてや、あかの他人など、何を決めつけて来るかわからない。
今年もまた、そうした人間社会の荒行の中、様々な良い事が、秘かに、私にだけ訪れる事だろう!(なんやかや言うて、神様は、常に私の味方である。)
縁がある人にだけ、お裾分けして上げよう!
あっ、そうだ!私は、今年の干支の牛が、大好きである。
最近は、飲む時は、つまみに牛刺しが多い。
何かの勝負どころでは、事前に必ずステーキを食べる!
嫌な事があれば、すぐにステーキを食べる。
牛には、そうした力があるのだろうか。
焼き方は、MEDIUM WELLがいい。
あまり血が滴るものは、好みではない。
獅子座だからライオンキングと遠い親戚の血が流れているのかもしれないなあ。
今年もステーキが食べたい、ガオ〜!
以上、年頭に思う事である。
PS:
あっ!そうだ!
1月6日には、闇の組織からさっそく新年会の誘いが入っている。
自分に甘いから、行くしかあるまい!
1月6日(火):初メールと巡礼の旅 後記:巡礼の旅と新年の決意
初メール:件名:HPについて
”結果を出してない人が何を言っても負け犬の遠吠え”
(名無し)
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※本メールはWebフォーム上から送信されてます
詳細については以下のURLをご参照ください
http://adgjm.net/about_mail.htm
Message-Id: <200901012218.n01MIR6w002895@www.adgjm.net>
(2009年1月2日、午前7時18分頃)
いやあ、元旦からの巡礼の旅から帰って来たらいきなり、事務局、芸能統括デスク(2時チャオ!)から、こんな初メールが来ましたが、新年にふさわしいでしょうか、探れば、犯人がわかるようですが、と言って来た。
いや待て、これは、たぶん、小学生か中学生あたりだろう、高校生は、受験で忙しいかもしれないし、まさか大学生って事もないだろう、と前途ある若者の調査を中止させた。今時、名前も名乗らず、物事を一言で極めようなんて、小学生くらいだろう、と思うからである。世の中は、そんなに単純ではない。
どうも地元でも真面目に働いているように見えないせいか、いつ見てもプラプラしている、、、と言われた事がある。
そんな事はない。みんながわかりやすい所で働いているからこちらが、暇そう見えるだけである。私の仕事は、毎日テレビを見たり、こうやって日記をたまに更新したりメールを打ったりする事だ。実際、そうやって暮しているわけだ。真似したいと思ったら真似してみればいい。
私が、成功しているか、成功していないかも関係ない。ただ全国のあちこちにも生徒がいたりして、それを指導して生活しているわけだ。たまに飛び込みの演奏の仕事が入って来たりして、それが、一人の生徒の2ヶ月くらい指導する分くらいのお金だ。
だから、本当は、指導なんかより演奏を中心にしたいが、そうかと言って飛び込みの仕事がそう何本もあるわけではない。有名ミュージシャンをゲストにライブやコンサートをやっても、もっとギターの方を聴きたかった、と何も知らない客がゲストに向って言った事があり、ゲストプレーヤーに対しては、ますます、肩身が狭いからそういう仕事もパスするようにしないといけない。(主役を食う脇役の北島マヤはいらない、、の教訓だ。「ガラスの仮面」参照)
という事で、世の中には、結果は、出していなくても私のような者は、けっこういるはずだ。山奥に潜んでいる者もいるわけで、とにかく何をしているかよくわからないが、ちゃんと暮しているわけである。(”さおだけ屋は、なぜ儲かるか”、、とはちょっと違うが。)
あまり結果、結果にこだわっていると、では一体、出川哲朗は、結果を出しているのかいないのか、という問題にまで発展してしまう。
しかし、ここで、わざわざ取り上げたのは、そんな小さな事ではない。
新年早々、無記名で、そんな一言をこのホームページ宛に送って来た小学生か中学生の前途である。
再三言っているが、世の偉人で、若い頃にそんな事をしでかした過去を持つ者はいない。だから、この先、この者が出世して成功する事はない。確実に運気を落としてしまった行為であるからだ。残念である。この一瞬の行為で将来の運気をすべて捨ててしまったのである。
このスピリチュアルな世の中で、誰にも知られないからと新年早々、そう言うメールを送りつけ憂さを晴らしているという行為そのもので、まず、ちゃんとした守護霊が憑いていないな、とわかる。
おそらく憑いているのは悪霊だろうから、この先、どんな事に巻き込まれるかもわからない。何年か後、何か不幸があったら私の指摘を思い出すと良い。(救いの道もないではない。今月中に寒中水泳の業を30分くらいするといい。罪が10分の1は、軽減されるはずだ。)
仮に、何か、音楽なりの芸事をやっていたとしても、良い指導霊も当然、憑かない。「めんどくせぇ〜」と、うんこ座りしながら、あれこれ指事を出す低級な指導霊だろうと思う。だから進化はない。
もう、出世、成功は、ありえない事だらけの守護霊、指導霊で、おまけにその「主人」ともなるべき本人が、正月早々、冒頭の無記名メールを送りつけているわけであるから、誰が見ても不幸な人生しか待っていない事がわかる。
新年早々、悪霊の守護霊にそそのかされてしでかしたこの行為の禊を十分にしなければ、この罪は、必ず、何かの禍いをもたらしてしまうのが世の常である。
後記:巡礼の旅と新年の決意
短くて3年、長くても10年もすれば、大概の結果が出るものである。このサイトもやがて10年近くになって行くが、批判した側と批判された側の人生の末路の違いは歴然である。私は、ますますプラプラと生きる事になるだろう。まあ、みんなが思っているほど読者がいないわけじゃないから心配はいらない。
大した事がないと思っているのは、大した事がない人たちだけで意外にこのサイトは、大した事にはないっている。知らないのは、やっぱり本人が大した事がないからだろう。
というわけで、新年早々、一方で、悪霊に取り憑かれた行動を取る者もいる中、新年巡礼の旅に出た。
今年は、奈良県と三重県は、伊勢神宮へ参拝して来た。伊勢と言えば、天照大神である(内宮)。今回は、内宮だけ。かなりの人で歩くのも大変であった。
毎年、パワーを得ないと悪霊に取り憑かれた者もやって来るから、こちらまで被害が及ばないようにしないと大変である。
自分のダメ人生は、自分だけでしょい込んで人生を終えてもらいたい。私は、今年もパワーある修行人だけを相手にして暮して行きたい。
おっと!こんな事をしている場合ではない。新年の飲み会に遅れる!
良い結果を出して来よっと!
1月16日(金):テレビ観戦:森進一、吉本隆明、長渕剛、後記:ウエス.モンゴメリーの秘密
稽古始めと言う事もあり、あれこれと忙しい。
そんな中、ここ沖縄も急激に寒くなったので、今週から風邪らしきものを引いてしまった。普段から「風邪は、引かない!」と豪語していたのだが、寝ていると咳が出るのだ。用心を取って病院なんかにも行ったのだが、待ち時間で3時間も掛ってしまった。
何が忙しいって、もう何から話していいかわからないくらい、正月から録画したテレビ番組のチェックで大変だ。
*まず、金スマSPの「森進一特集」では、これまで何か、2回の離婚や「おふくろさん」事件で、人間としての印象が悪かった森進一の見方が変った。元々、五木ひろしと森進一の歌は、上手いなあ、と思っていて、昔から紅白で見るたび、いやあ、やっぱり違うなあ、と感心して来たわけであるが、この番組を見てよかった。
あるまったく会った事もない女性ストーカーによる婚約妄想、妊娠中絶妄想、とこれをマスコミが煽り、裁判にまで発展した事から、このストーカーに面識があり、自分が入院していた際の病院へのお見舞い品に対して礼状まで出した事に責任を感じた森の母親の突然の死。
当時、何かあやしげに森の母親の事件が報道されていたので、ようやく真相がわかった。番組では、A子としていたからまだ生きているのだろう。
私にももう10年くらいなる専属のストーカーがいるので、他人事ではないが、相手は、妄想の中でしか生きられないのだからしかたない。毎回、ライブをやっても奥の席で、エコエコアザラク、、と異様なオーラを作り出していたりする。一時期は、私に犯された!とまで回りに言いふらしていた、というから凄い。
まあ、これをまともに受ける回りごと、相手にしなければよいわけだ(これを信じる事自体、私は、女性なら誰でも良いと言う人種だと思っている、という事であるから、そんな友人知人は、いらないのではないか。)
人生でこうした噂が立った時に何の味方にもならない者たちなど何百人知り合っても何の役にも立たない。(屁のつっぱりにもならんですよぉ〜。)まとめて、ゴミ箱にポイでいいだろう。(碌な音も出さない者は、碌な事も言わないの法則。)
しかし、森進一の場合は、いきなり刑事事件として訴えられるわけであるから、無視するわけにも行かない。森のマネージャーに至っては、彼女が産んだ子供を殺して死体を遺棄した、とまで言われたというから凄い。
番組視聴後、恵まれない者たちへの社会貢献を26年やり続け、立派に生きて来た森進一氏に、なぜにこうも不幸が起こるのか、と思ったりしのだが、やはり誰かが言っていたように、大きな事をする人にだけ起こる神が与えた試練なのだろうか。
当時、母を亡くし、何のために生きるのかという希望を無くした森を救ったのが、吉田拓郎作曲、岡本おさみ作詞の”襟裳岬”との出会いだった言う話しがよかった。森は、この曲を唄いながら、”日々のくらしは、嫌でもやって来るけど、静かに笑ってしまおう、、”という歌詞のフレーズに救われたらしい。
吉田拓郎と岡本おさみは、黄金のコンビで、吉田拓郎の曲の作曲は、吉田拓郎、本人だが、作詞の方は、実際、どっちが作詞したのかわからないほどだから、デューク.エリントンとビリー.ストレイホーンとの関係にも似ているか。
詩人岡本おさみの方の作詞は「祭りのあと」「おきざりにした悲しみは」などで、ビッグ.ヒットした所では、「旅の宿」などがある。吉田拓郎の作詞か、岡本おさみの作詞かがわかれば、相当な通である。
全国を旅して詩を書いているのが岡本おさみであるから、氏には、旅、人生、哀愁、と言ったテーマが多い。
*その次は、ETV「吉本隆明講演」だ。糸井重里氏が、リードして、吉本隆明の3時間にわたる最後の講演がなされた。なにか、あの宇宙学者のホーキングのような感じで、車椅子の上で、天を仰ぎながら3時間、延々と「思想」を語る姿には、雨乞いのようで、凄みがあった。直接に神の言葉を受け取ろうとしている感じだ。
途中、何度か、ウトウトしながら、なんとか、リピートを繰り返し吉本隆明の言う「芸術論」が、理解できた。なるほど、芸術とは、そうだったのか!、とわかってよかった。今後の指針となった。
*ああ、あれも見た。飲み屋のおばさんが感動した、と言うので、あれこれより優先して見た長渕剛のNHKでの「課外授業」だ。自分の母校の小学校や中学校、高校に有名人が授業に行く番組だ。今回は、母校の卒業間近の高校3年生の教室に行く。この番組もけっこう何年も見ている。
(即興舞踏家、田中泯の授業が一番、印象に残る!母校の小学校の小学生相手に、本物の即興舞踊を河原で、水に浸かりながら、狂人のように踊って見せるのである。これに小学生たちが感動し、一気に打ち解けて行く。最後は、2人一組で、目隠しをした友達を導きながら、山を散策するのだ。神経は、全開になる。)
長渕がこれから高校を卒業して行く若者に求めるキーワードは、「感じる事」と「叫び」である。
私は、長渕世代ではなく吉田拓郎世代なので、熱狂的ファンではないが、なぜか関心事やキーワードが自分と同じだったので、う〜むと思ってしまったが、彼も詩人の一人ではある。長渕が言う「感じる事」と言うのは、イマジネーションの事である。他人の痛み、つらさを感じ取る心を磨け、と言う事である。
なかなか現代の歌手に詩人と認める人は、少ないが、長渕は、吉田拓郎、岡本おさみ氏同様、現代詩人の一人であるだろう。
最後は、「感動」の合唱で終った。意外に、長渕節が合唱できる事を知った。
*NHKでの「新春まるごと立川談志」の5時間番組は、さすがに、まだチェック中だ。あらゆる芸の真髄、思索、創造がここにある。
今年は、年頭から色んなお告げや示唆があり、さっそく取りかかっている段階である。
もう既に、2ヶ月ばかり過ぎた気分ではある。
後記:
生徒からジャズ.ギター.レジェンドと言うDVDを貰い、ウエス.モンゴメリーやバーニー.ケッセル、ハーブ.エリス、ジョー.パスなどを見た。動くバーニー.ケッセルやハーブ.エリスに至っては、まったく初めてじゃないか、とも思う。
まずは、ウエスにまつわる長年の疑問も大体、解明した。親指のダウンストロークだけで本当にあれだけ弾いたのか、その際、アップは、なかったのか、あったとしたら「爪」の音もあるはずだ、と言う疑問であるが、結論から言えば、98パーセントが、ダウン.ストローク。もの凄い勢いなのだ。ああ、これは、チョッパー.ベースの原型だな、と思ったのだが、これは、普通の人間では真似できないな、とわかる。
ウエスの親指は、異常に長くしなやかに曲がるのだ。これは、ベースのジャコ.パストリアスも同じで、ジャコの場合は、何と親指を反らしたまま反対側の手の甲に90度に曲がり付いてしまうくらい軟体化していたわけだ。びっくり人間ショーである。
まあ、世の中の伝承芸と言うものは、大体において、こうした身体の特徴を持つびっくり人間たちによって始まっていたりする。
この事実を知らないで、真似して見てもまったく同じようには真似できないわけである。
アフレコ(アフター.レコーディング)世界は、まず顔の骨格を見たりして、吹き替えの俳優の役を決めると言っていた。
これと同じで、太った人が、痩せた人の真似はできないし、その逆もできない。
だから、基本的には、アフレコの世界と同様、この人は、自分に顔や体型が似ているなあ、と思う人を真似してみてはどうか、と思う。そうすれば、さほど苦労なく真似する事ができるだろう。
*朝青龍を殺すと書き込みしていたという者は、28歳の無職の青年と新聞にあった。こういう事をするのは、大体、そんな年代で、そんな境遇だ。インターネットを通じてようやく人らしき者たちと語っているのだろう。
そういう人種が集まる地場を持ったインタネートの場所もあるのだろう。しかし、何の縁も所縁もない人間たちが、お互いの周波数に従って波長を合わせて集まってあれこれ言い合いするわけだから、確実にお互いの霊格は低くなるはずだ。霊には、遠距離も関係ない。あっと言う間に交信している集団の真後ろに立って、次は、これを書け、次は、、と指事を出しているわけだ。あ〜怖!
やる事がないと何かと世間や社会に対しての不満を語る事が多くなるものだ。政治ネタも多くなる。もう自分の事は、どうする事もできないから、社会へ向けての「正義」ネタが多くなる。けしからん!と言うわけだ。仕事がなければないほど、社会への不満が増して行くのは、当然ではあるだろうけど、とりあえずまあ、何かしらのバロメーターにはなるだろうとは思う。
(最近、政治不満ばかり言っているから、仕事が順調じゃないな!、、とか。。)
今や政治の話しばかりする者は、政治家か、失業者か、と言う事になるだろう。その点から見れば、政治に無関心な若者は、みんな自分の事で手一杯の人生を歩んでいる最中だ、と言えるだろうか。あるいは、単に阿呆で、世の中の事は、さっぱりであると言う場合も当然あるかもしれない。この辺りも微妙なバランスではある。
この理論からするとニートは、意外に、政治や世の中の事ばかりに関心を持っている連中かもしれない。自分の仕事の事は、考えないで、仕事中の朝青龍に不満なわけだ。
、、という事で、明日は、新年会第二弾だ!。
音楽関係者と飲む事は、4年に1度くらいで、ほとんどないと言うのに他の業種の人間たちだと、飲み会も多くなるから不思議だ。年末年始の挨拶もしっかりしているし、やはり、栄える業種の人たちは、違うなあ、と改めて痛感する事ばかりである。
(まあ、まず、音楽関係者から誘われる事がないではある!この土地で、ミュージシャンであり続けるのは、孤高でなくては無理である。まさに吉田拓郎の「イメージの唄」の歌詞である。”長い長い坂を登って後ろを見てごらん、誰もいないだろう。長い長い坂を降りて後ろを見てごらん、みんなが上で手を振るよ”、、である。)
そんなわけで、人生は、がんばらない人の方が、仲間もたくさんいて、楽しいわけである。
それは、それで、それなりの人生ではあるが、もう一度、子供に返って人生をやり直したとしても、やっぱり同じような道を歩もうとしただろうなあ、とは思う。
戦後の沖縄ジャズ界を牽引して来た、友寄隆生(りゅうせい)氏、テナー.サックスが、昨日、1月23日に8年にわたる入院生活の末、亡くなったと昨夜、零時過ぎにピアニスト&アレンジャーの仲本政國氏の方から知らせを受けた。
テイチク.レコードから1978年頃だったか、「DAH -NAH(ダ〜ナ〜:意訳:やれやれ、、あららら大変、)」というレコードが出た当時、私は、ジャズ.ライブ.ハウス「カムズ.ハウス」にて、バーテンダー兼、ウエイター兼、コック兼をしていたので発売当時の事を覚えている。
そこに隆生氏も来たりしていて1,2度か話している。明日の大典寺の件は、現在も何度かの移転を重ね、国際通りにあるジャズ.ライブ.ハウス、カムズ.ハウス(沖縄県 那覇市牧志2丁目 7−22−2FA、TEL098-863-3651)にて活躍している、オーナー&ピアニスト、香村氏からついさっき携帯電話に連絡が入り知らされた。
友寄隆生氏は、数えると10回程度しか会っていないが(ライブ演奏しているのは、10代からしばしば目撃して来ている。)、人生の節目、節目で会ったような感じである。世代も違うし、お互いの活動期がなかなか一致していない事もある。また、直接に演奏を共にした経験もわずかでしかない事もある。最後に会ったのは、1993年頃ではないかと思う。
その日のホテルでの仕事で隆生氏は、ビブラフォーンを叩いたり、サックスを吹いたりしていて、私は、エレキベースの仕事として入った。本当は、前日も私が入るはずだったのだが、私の記憶違いですっぽかしてしまった。業界用語で言う、「(仕事に)穴を空けてしまった」ので、本来、業界からは、永久追放である。
(何度かある。今も追放中のようなもんだ。まあ、2ヶ月も前に人づてに頼まれた仕事で、すっかり忘れていた。何気なく手帳を開いたら二日連続の仕事マークがあった。見つけた日が、その最初の日で、すでに開演時間後だった。遠方のホテルなので間に合わないと知り、謝りの電話をホテルを通じて入れた。隆生氏は、「しょうがないなあ」とあきれていた。)
翌日、サンダル履きとアロハ.シャツで(真夏だった!)会場となるホテルのレストランに行ったら、そのラフな服そうぶりを叱られた。(ステージでは、営業用のスーツとネクタイに着替えた。)バンドは、観光客ではない!ホテルでそんな風な恰好でうろうろしてはいけない!と注意された。
注意されたので、おとなしくしていたら、いきなりバンド用の休憩のためのレストランの片隅のテーブル席にて、もの凄い勢いで隆生氏が、テナーサックスの練習を始めた。これには度胆を抜かれた。
他のテーブルには、一般の宿泊中のレストラン客が静かに食事をしているわけであるが、そんな事おかまいなしに、レストランでのステージのためのウォームアップ練習をもの凄い音でしているので、ぶったまげた。これは、前人未到、他の追従を許さない行為ではないかと思う。
内心、アロハとサンダルで出勤して来る私の行為よりもはるか上の次元で、ハタ迷惑ではないのか、、と思ったが、私の上を行く無頓着ぶりに、大物は違うなあ、と感心した。とても真似できない事を知る。
また、ステージでは、叩き出したビブラフォーンの線か何かが、切れて、鍵盤が飛び出して落ちたりしていた。一瞬、今自分たちがやっているこれはドリフターズのコントかなあ、と思ったりしたが、これもアロハとサンダルの比じゃないほどのパフォーマンスである。サックスよりも事前にチェックできなかったのか、と思ったが、やはり大物は違う、とても真似できない、と最後は、ヘラヘラと腰を屈め挨拶し、逃げ去るように、サンダルとアロハに着替え退散した事を覚えている。
その1日だけ隆生氏と初めて演奏したが、営業用の音楽で、私も営業用ベース演奏という事もあり、何という事もない映画音楽などの演奏で普通に仕事を終えた。それ以降、一緒に演奏した事はない。
2000年頃なのか、隆生氏が、喉の病気のため声が出ないと言う事で、以来、楽器を吹く事はなかった。
しかし、1970年代〜80年代か、地元ラジオ局(RBC?)にて、「ライブ イン、サントリー」と言う1時間か?の番組を深夜零時から毎週土曜日か、やっていたと思う。よく車の中で聴いたりしていた。その頃の演奏が記録されていれば、膨大な量にはなると思う。
1983年頃隆生氏のレコードから名前を取って始めた、と言う「ダーナー」と言う地元のカフェ.バーがオープン。1997年頃、そのカフェバーのバーテンダーと偶然、飲み屋で知り合いになり、そのレコードは、店にはあるが、CDしか掛けられないので、10年以上もそのレコードが店で掛った事はない、と言う話しになり、録音スタジオ経営の友人に頼んで、当時、いちはやくレコードジャケットもコピーし、CDR化し、何枚かコピーして渡した。
当時、最初のCDRを制作するのに1万円くらい掛った。2枚目からでも3,4千円はした。当時は、それくらい掛ったわけだ。よく「高いなあ」と、何の事情も知らないカフェバーの常連たちによく言われた。しかし、関係者はレコードをCD化する事もできないのか、と情けなく思った記憶がある。そのために何十年もレコードが掛けられないわけである。
(「ダーナー」というカフェ.バー店は、2,3年ほど前に閉店となった。)
その他には、85年頃に出たコンサートでの氏のオリジナルのオーケストラ曲を録音したカセット.テープが探せばあると思う。この時の演奏は、地元NHKラジオ放送でも流れたはずだ。(確か、「霧雨」と言うオーケストラアレンジのオリジナル曲だ。氏のテナーサックスと向井滋春氏のトロンボーンのアドリブがフューチャーされているはずだ。)
ジャズをやり始めの頃は、よく聞かれたが、私自身とは、母方の遠い親戚、一門にあたる。
渡辺貞夫氏が、バークリー大学からジャズを学んで帰国し、自宅にてジャズ理論教室を行った際、すでに地元の音楽界で成功していた37才の隆生氏は、母子家庭である事で後ろ髪も引かれたようだが、何もかも止めて上京し、ジャズの再勉強のために、その教室に参加している。(山下洋輔氏も渡辺氏の自宅教室に参加している。)、それから渡辺貞夫氏のリハーサル.オーケストラにも在籍して学んでいる。(渡辺貞夫氏が昭和8年生で、隆生氏は、昭和10年生になる。)
沖縄へ帰郷してからは、渡辺氏と同様に自宅にてジャズ理論教室を地元のジャズメン相手に行っている。隆生氏が率いた友寄隆生ジャズオーケストラが、地元の新聞社、沖縄タイムス社より賞を貰った際、その受賞コンサートを私は、目撃している。1977,8年頃か。
20代の頃もすれ違っている。私が、ある映画を見て映画館を出る際に、隆生氏が、その映画館に入って来た事もある。当時、氏は、まだ独身だった。氏が、47,8才頃でなかったか。
私の10代の頃より地元ジャズ界でオーケストラとコンボの両面で活躍した人である。作曲能力も高く、オリジナル作品もオーケストラ作品、コンボ作品と多数。
明日の朝刊(沖縄タイムス?)にその功績を讃えた記事が載るではないか、と言う話しではある。沖縄ジャズ界、唯一の巨人である。
(註:1月24日、沖縄タイムス、土曜日付の朝刊に死亡記事として小さく既に掲載済み)
個人的には、ラジオ放送での膨大なセッション音源をどうにかしてもらいたいとは思う。アイディアだけは、提示しておく。
合掌
明日、1月25日、日曜日、午前11時より関係者による告別式が行われるとの事。
後記:
私のような職種の人間は、会社員でもないから出勤するべき会社もない。同僚がいるようでも会う機会もない。運が良ければ、年に何度か、仕事上で会うだけである。普段から飲み屋が同じって事にでもならないと会う事もない職業である。その点から言えば、飲み屋が一般の会社にあたる。しかし、病気なんかして飲まなくなったりすれば、さらに出会うチャンスはなくなる。
その中でも私の場合は、超、個人営業なので、ほとんど関係者の誰とも会う事もない。事務所があるわけでもない。おまけに沖縄ジャズ界には、な〜んの貢献もしていない。(しなくてもいい、とされてもいるだろう。)
私がやって来た事は、これまた超、個人的な闘いである。私自身の地位を上げる事が、沖縄全体の地位を上げる事になるのだと思ってやって来たつもりである。
たとえ、沖縄の人は、こうだから悪い、と言われても私自身が、そうでなければいいわけだ。こうした個的な自負心が、愛国心にもつながって行く本当の愛郷心ではないか、と思う。他の人は、どうであれ、私は、私自身のやり方で証明して行けばいいわけである。
隆生氏は、本土で見て学んで来た事を地元で再現し伝えようとして来たわけである。私は、そうした沖縄で考えた事を本土に伝えようとしているわけであるからベクトルの方向は真逆ではある。しかし、その突き進むエネルギーは同じように思う。
よく、名前は最後の一字だけが違うだけなのになあ〜、と言われたりしたが、たったの一字でこうも人生が変るわけである。
たぶん、私が生きている限りは、両者は、常に「沖縄ジャズ界の友寄」表バージョンと裏バージョン、、と言う事で、1本の線上にあるとは思う。
私にしてみたらこれまで、恩恵を受けていると言う事になるので、非常にツイている話しではある。
これが、友寄隆生(りゅうせい)氏についての最後の話しとなるだろう。
以前、(2006年11月)になるか、氏の関係者から入院中の友寄隆生氏に関しては、ホームページ上で触れないでくれ、と言うメールが来た事があり、その時、「削除しても良いが、私が語らなかったらもう誰も隆生氏の事を語る者はいないと思うけどそれでもいいなら削除しよう。」、と言って返した事がある。「それならお願いします。」との返事をもらったが、その時、半分ほどサイトの序章から削除し、以来、そのままである。
世の中に向けて、数々の作品や演奏を発した人間は、もはや関係者であろうが、その動きを止める権利はないと思う。証拠となるべき活動した記録が、どこにもなかったから当時、簡単に触れ掲載し提示したまでである。以来、何の情報もなく、突然、昨夜、8年の入院生活を終え亡くなった、という知らせを聞いたわけである。
いずれ、”これが本当の正しい沖縄戦後ジャズ史”という本でも誰かが出すであろう(誰が買うのだろう。。。)、その間、”間違いだらけの沖縄ジャズ史”が、出回らないように、そのつなぎとして簡単に触れているつもりである。
たぶん、”待ってました、これが正しい沖縄ジャズ史”では、その半分のページは、隆生氏が占めるだろうと思う。残りのページを100人ばかりで分け合うわけだ。それくらいの功績がある人物ではあると思う。
2009年1月23日、金曜日、沖縄のジャズ界の巨星墜(お)つ。
御冥福をお祈り致します。
1月25日(日):メール紹介、CD感想など、後記:葬儀を終えて
たまには、メールを紹介しておこう。そうしないと、突然、上から目線で見下した批評をして来る、ただの町人の通行人もいたりするからだ。そろそろ寒中水泳による禊もタイム.リミットとなるが、大丈夫だろうか。
インターネットの世界は、「送信」をクリックするだけで、人生のすべてを台無しにしてしまうほどの悪魔の囁きがある。送信する前に、まず、後ろを振り向いて、悪霊がいないかチェックする事が肝心だ。
(突然、振り向けば、悪霊も油断して目が合ったりするかもしれない。少し後ろの天井の方を見る事だ!「早く送信しろ〜」「早く送信しろ〜」と耳もとで囁いているわけだ。それを自分の声だと思っているそうだから、怖〜い話しである。)
特に、波長が低い低級霊が好むサイトで、送信のやりとりをする時などは、注意しないといけない。悪霊同士が、みんなつながってしまうからだ。最近の悪霊は、インターネットで世界中、移動できるようだ!
(手拍子を打つのも悪霊退治には良いらしい。タモリ氏は、ホテルの部屋に着くとまず、あちこち柏手を打ってチェックするそうだ!霊がいると響かないそうだ。)
私のこの話しは、今や、幼児の段階から取り入れないといけない。この事に気づいている人間は、少ないからだ。
あっと無駄口が多すぎた。
以下は、いかにも将来は、明るいだろうなあ、と思われる良い守護霊が付いている者たちからのメールである。読者もすぐにその事に気づくだろう。この違いを知らないと未来には、不幸しか待っていない。悪霊は、私のサイトをちゃんと読めないようになっている。なぜなら、取り憑いている者が、修行でもして霊格を高めてしまったらまずいからだ。パワーある善霊がやって来て退治されてしまうわけだ。
なるほどなあ。
あっとまたまた無駄口が多すぎた。(このサイト全体が、無駄口だらけだけど。。)
メール1:友寄さんの日記もとても面白いので更新が楽しみです。僕のお父さんにも友寄さんのホームページを薦め、試聴音源なども聞かせたところ
「めちゃくちゃうまいなあ!」と、直球な返答が返ってきました。
では、CD届くのを楽しみにしています。よろしくおねがいします。(1月17日、横浜、男性)
メール2:友寄様
初めまして。
鳥取県在住の**と申します。
以前からホームページを拝見させて頂き、毎回更新を心待ちにしています。 この度は友寄様のCDを購入させて頂きたくメールしました。よろしくお願いします。(1月22日、鳥取県、男性)
メール3:拝啓友寄様
関東では寒さの厳しい日が続きますが、如何お過ごしでしょうか?
CDの方、無事に到着しました。
******(中略)*****
まだ、CD5枚全体をそれぞれ深く聴き込むには至ってない状態ですが、自分なりの感想を送ります。これもきっと、数か月、数年と聴くうちにまた感想も変わると思います。
まず第一集の冒頭、Blue in Greenにやられました。
これはすごい大熱演ですね。日本人のJAZZのCDでここまでの熱演は聞いたことがないです。
それぞれ10分を超える演奏ですが、聴いていて集中力が途切れる感じはしませんでした。全部が聴きどころ…という感じでしょうか?
一集では最後のWhen you wish upon a starが一番好きかも知れません。95年のライブとのことですが、今、このギタートリオの編成で演奏したらまたこのライブと違った演奏をするのかと考えると、この録音から14年経った友寄さんのギタートリオ演奏を聴いてみたくなりました。
二集は友寄さんの繊細な部分がすごく伝わってきました。(友寄さんはそんなこと考えないでガツンと演奏してるかもしれませんが)
この二集が一番芸の細かさと言いますか、職人的な上手さが伝わってくる気がします。
3曲目のgood old daysは聴いてて何とも形容し難い感覚と中毒性がありますね。電車の中でこれを聴きながら外の景色を眺めるとなんか変な気分になります。
この曲はなぜかこの二集で一番気になってしまう曲です。時間も4分弱と割と短めの演奏なんで、この音楽の全てを把握しないうちに終わってしまうため「うーん、もう一回」と、再生ボタンを押してしまいます。
これは人間の飢えの心を刺激してるのでしょうか?
三集はそれぞれ友寄さんの音楽のユーモアが伝わってきました。
僕の父も音楽が大好きで、ブルースもクラシックもかなり詳しいのですが、(ちなみにジャズはそこまで好きじゃないそうです。理由は歳をとってジャズ聴くと疲れるからだそうです笑)
そんな父が「いい音楽はどこかにユーモアが必ずあるもんだ」なんて名言風な事を言ってたのを思い出しました。
それにしてもキャバレーはいい曲ですね。old songsにも入ってましたが、どこかのスタンダードブックにも載せられそうな感じですね。これは友寄さんのなかでも特別な曲なんでしょうね。このギターソロはフルアコなんでしょうか?たしかに熱意の伝わるギターソロでした。僕はこの感じもすごく好きです。
(友寄:「普通の6万円くらいのガット.ギターだ。正確には、”ナイロン&巻弦ギター”。どこにでもあるもの。当時の生徒から借りた。良い生ギターを持っていなかったからなあ。」)
四集はかなり気合を入れて聞き込むつもりで、グッと身構えて聴きました。この四集が自分の「餌付け」の一つになればいいなと思ってましたが、これが意外と案外すんなり入っていけました。
この感覚が自分でも驚きでした。正直、ノイズ音楽は普段そこまで聞くことはなく、高柳昌行さんのCDを数枚、阿部薫さん、ジョンゾーン、をそれぞれ聴いたことがあるぐらいでした。
友寄さんの音楽には良い意味でポップな部分があると僕は勝手に思ったのですが、それがノイズでも伝わった…ということでしょうか?「1203am」が最後の曲というのもいいですね。最後にちょっとリラックスできる感じで曲順も気が利いてますね。
サイトの中で飯島晃さんのことがすこし書かれていましたが、飯島晃さんの娘さんとは僕は大学の同級生で、僕が飯島晃さんが参加してる高柳昌行さんのCDを持っていることを教えたら、飯島晃さんのCD「コンボ・ラキアスの音楽帖」をタダで貰ったことがあります。ちなみに娘さんもバイオリンをやってて音楽やってますよ。
(友寄:娘さんがいたんだね!びっくり。思わぬ所からの貴重な情報ありがとう。DNAは、継続されているわけだ。幸せな気分になったな。みんなそう思っているはず。)
the old songsはまずはジャケットがいいですね。これ、レコードだったら飾ってもオシャレだと思います。
ギター一本の独奏のCDは普通、聴くのにかなり集中力がいるというか、根気のいるものですが、これは本当にすんなり最後まで聴けますね!くり返して聴いてしまうのはMemoriesです。このCDではMemoriesが白眉の演奏だと思います。
(友寄:ありがとう。追悼の曲だ。)
友寄さんはすごい個性的な演奏をするミュージシャンですが、もし、あえて一番近い存在をあげるとすると、ぼくはジョンマクラフリンなんじゃないかと思います。ぼくはかなりマクラフリンが大好きで、CDもボックスセット合わせて30枚ぐらい聴きましたが、フレーズや曲がどうこうではなく、目指すものというか、伝わって
くるものがなんとなく近い気がします。
ちなみに2月はジョンマクラフリンのコンサートと、エリッククラプトンを見に行くので今から楽しみだったりします。
(友寄:ありがとう。前世で、二人とも遠い親戚にあたるんじゃないかなあ。)
友寄さんは新作の予定はないそうですが、やはりファンとしては新作を期待してしまいます。もし新作が出ましたらすぐにでも購入しようと考えています。
(友寄:う〜む、新作か、、。杉作では、いかんし。神の声を聞くまで待ってみよう。何をやるかは、まずライブをやりながら探るんだよなあ。そのライブがないからやる気が出ないかもしれないなあ。まあ、前向きに検討しよう。曲も7年ばかり書いてないし。。)
良い音楽をありがとうございました。
敬具
(1月25日、横浜、男性)
後記:葬儀を終えて
昨夜は、午前5時頃まで飲んでしまう。酔っぱらったまま、風邪用のマスクをして告別式に行く。午前11時半に到着したら、すでに部屋の外の駐車スペースでエレピとベース、ドラム、サックスでの静かな演奏が行われていた。
何年かぶりで顔を見るバンド関係の者と親族を含め、大体50人くらいいたか。1月24日付、土曜日の沖縄タイムスの朝刊で小さく死亡記事が載ったようであるが、小規模に葬儀は行われた。当初は、親族だけで終える予定だったそうだ。
自分の年齢より下の者は、ドラマーの玉城典幸とトロンボーンの英樹の二人くらいだ。後は、みんな大体、10歳以上、上の先輩ばかりである。一番若い30代の英樹にしてみたら、実際、隆生さんに会ったのは1度くらいだ、と言う。典幸の方は、隆生バンドにいたくらいだからより親密だ。彼でも40歳くらいだろう。みんな葬儀では何かの係りを受け持ち歩き回っていた。
その中で、香典返しを担当していたのが、ベースの西川勲氏で、2年ぶりではないか。サックスのアランさんと共にいたのが、ドラマーのラスティンさんで、ラスティンの方は、隆生氏よりも二歳ばかり上ではないかと思う。アランさんは、3つばかり上ではないかと思う。フィリピンの人に昭和何年生か?と聞くのもどうか、と思うのでくわしくは知らない。
長い闘病生活のためか、バンド関係者もそれほど暗い感じはなく、久しぶりに会う感じでみんな互いに談笑したりしていた。
私は、マスクをしているという事もあり、変装した気分でいたが、みんな何の疑いもなく話しかけて来た。
ジャズ.ボーカルの与世山澄子さんが、「友寄君じゃないの、たまにはギターを弾きに来てよ」と声を掛けて来たのには、驚いた。名前を呼ばれたのは初めてではないか。私は、いやいや、、と頭を下げながら、マスクの下から「もうギターを辞めましたから、、」とわけのわからない返答をしていた。
隆生氏の一人娘が涙声でみんなに挨拶をした。
出棺の際、与世山さんが、突然、アメイジング.グレイスを唄い出し、終るとみんなで隆生氏を見送った。
98,9歳だったか、隆生氏の母親は、まだ健在だった。これで子供たちを、すべて先に亡くしたらしい。一休禅僧が説いた、「親死に、子死に、孫が死に」と言う言葉を思い出した。
祝いの席で一休さんが書いたと言う言葉だ。最初、みんなが縁起が悪いと驚いたそうだが、一休さんは、「この順番が、逆だと世の中で一番不幸である」と説いたと言う話しだ。(私は、子供の頃からこういう話しばかりよく知っている。)
私の葬儀では、この中からは、3人くらいしか来ないだろうなあ、と西川氏に言ったらオレも入っているのか、と言われた。
そういえば、アケタズ.ディスクでCDを去年出したんじゃないか、と西川氏にその詳細を聞いたりした。私は、ペリー提督が、日本を訪問した感じじゃなかったか、と言った。
調べて見ると以下のCDだった。
アケタズ.ディスク:
『さよなら室蘭長瀬氏〜そしてエミ』AKETA〜西川沖縄ユニット(MHACD-2623)2008年6月22日発売、¥2,800
明田川氏だから、日本調のフリー.ジャズっぽいかもしれないが、聴いてないので何とも言えない。わざわざ西川氏のために荻窪にホテルまで用意して二日間、西荻窪のアケタの店で録音したようだ。
帰宅してからまた寝ると、二日酔いのせいか、自分がアケタの店にいる夢を見た。西荻に住んでいた頃を少し思い出した。
西川氏には、午前1時から飲みに行けない土地は、オレには合わないなあ、と言ったが、同感のようだった。東京でもその時間は、電車も終り、街全体が眠りにつく。これが、なんとも耐えられない。通常、この時間から飲みに行くからだ。
そんなこんなで、葬儀は、無事終了した。久々に演奏したいなあ、と思った。自分から言い出すとお客さんの入りの心配までしないといけないのと、メンバーの都合で日曜日にしかどうせやれないわけだから、つまらないからいいか、と毎度の結論に至る。
日曜日は、飲み屋もほとんど開いてないのでライブをやっても楽しくないからである。ライブ後は、高まったスピリッツをお酒でお浄めして静めないといけないからである。お仕事ライブなら別だけど。
まだ1月だと言うのに色んな事が起こるなあ、と思った。これで、沖縄でジャズをやる「友寄」は、私一人になってしまった。いつも隆生氏に間違われていた事をなつかしく思う。
10代の頃から、隆生氏や、香村氏、その他の色んな沖縄のジャズ.ミュージシャンたちの演奏を聴いて、自分もプロのジャズ.ミュージシャンになる事が夢だ、と願っていた事を何十年かぶりで思い出した。
自分も確かに、業界人で、この道で生きて来たんだなあ、これからもこの道で生きて行くしかない人間なんだなあと知らされた。
メッセージはちゃんと受けた。
合掌。
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普段からテレビ好きだと言うのに、最近、ようやくケーブルテレビを入れたのでさらに大忙しである。(こういうのを何と言うのか、、猫にかつお節か。)昔のテレビとかの再放送なんかもやっていたりして起きてからの録画チャンネル選択が、これまた一仕事だ。
以前は、わりあい山の上の方のマンションで、ケーブルテレビが入れられない、という事もあり断念していた。たまには、音楽系の番組をあれこれ見たい、と言う事もあって入れたかったわけだ。
そんなこんなで、昔の番組なんかを見ていたりすると、昔の俳優の”大人”な事にびっくりする。松田優作なんかにしても「へぇ〜、これで20代前半だったのか、、」と思うし、黒澤明監督なんかのオーディションでは、男は、真剣を腰に差して歩かせば、その俳優が、どれくらいの風格があるかがわかる、と言って歩かせたりしたそうだ。
「奥様は魔女」なんて往年の外国のドラマなんかを久しぶりに見ても、子供の頃、見ていたサマンサは、「きれいなお姉さん」という印象だった。それが、今見ると、どう見ても夫のダーリンを含め、新婚の20代の夫婦に見えず、ひょっとしたら30代か、もしかしたら40代かなあ、と思うくらいの落ち着いた風格と貫禄である。
その証拠にサマンサの母親のエンドラなんか、あの新婚夫婦が20代なら大体、50、60代くらいなはずだ。それがどう見ても70代くらいだと思う。これほど昔と今では、人間の”成熟度”が違っている事がわかる。
そんな事から以前から何となく気づいてはいたが、成人式を迎え、成人になったと騒いでいても、現代の若者は、二十歳くらいでは、大体、中学生くらいの精神構造ではないか、と思う。顔も幼い。
特に男性なんかは、三十歳くらいで、ようやく二十歳の成人と言った感じがある。とても松田優作や山崎努なんかの20代とは比較にならない。山崎努にいたっては、三十歳くらいでは、もう圧倒的な風格を備えていて、これが黒澤の目に止まったわけだ。三船敏郎なんてのは、その頂点に君臨する顔である。
一方、最近のアイドル俳優なんかを見ていると、なんだかもう30代も半ばなのに「赤ちゃん」かな、と思うほどの幼い顔をしている者もいたりして、時代劇なんかでは、まだ十代くらいの少年が勤まるだろうなあ、と思う者も多い。
じゃあ、そのまま昔の人は、さらに老けて行くか、となるが、それがそうでもない。ちゃんと、その年齢にふさわしい顔に落ち着く。大差があるのは、若い頃だけである。どちらかと言うと年齢が行くと逆に若くなる。
この違いは、なぜなのかなあ、と考えて見るが、まさか食べ物の違いって事でもないだろうとは思う。やっぱり、戦争体験なんかも影響するとしたら、人間としての自立心の違いかなあ、と思う。
職業に対する自我の確立もあるだろう。昔は、早い段階で、職業に対する帰属意識も強い。「自分は、これと共に死のう」と言う覚悟を決めやすい雰囲気が社会全体に漂っていたのだろう。
それが今の時代だと、職業を通じて自我を確立するどころか、その職業自体が不況、不況とマスコミが煽る事もあって、帰属意識なんか到底持てない。そんな、あやふやな社会情勢なわけだから、大人になっても碌なもんじゃないな、と子供の頃から思うのか、どんどん幼児化して行く傾向にある気がする。
ちょっと前の”パラサイト族”(二十歳過ぎても親と同居し面倒を見てもらう族)とか、なかなか就職しない”フリーター”と来て、それから”ニート”と言った感じだ。
そうなると顔付きは、ますます幼稚になって来る。死を決意して戦地へ向った時代の若者と比較したら、もう親子ほどの違いがあるのは当然だろうと思う。
これは、単純に童顔である、と言った見かけ上の事ではなく、要するに精神年齢が幼いわけだ。精神年齢が幼いと言う事は、行動も幼児と似かよっているって事だ。
当然、挨拶なんかは、まともにできなくて、姿勢もあやふやで、これでは、大体、小学生、中学生あたりの立ち振るまいじゃないかな、と思う。
大学の先生によると、大学の授業でも男子生徒の多くは、椅子に、ふんぞりかえったようにもたれかかり、前方に足を投げ出して授業を受けているそうだ。これは電車でもよく見かける若者の腰掛けスタイルだ。
姿勢が悪いのは、基本的に背骨が曲がっているのだろうと思う。つまり”バック.ボーン”が歪んでいるわけだ。これは、ピアノやギターなど、もちろん管楽器なんかも同様だとは思うが、楽器を弾く姿勢と対極にある。楽器は、姿勢を正さないと弾けない。
ふんぞりかえれば、やがて腰が悪くなるし、猫背になれば、内蔵が圧迫されて悪くなる。きっちりと背骨をまっすぐに立てていないといけないわけだが、現代の若者は、これが苦手でできない。大概の若者が、電車での腰掛けスタイルと同じく、足を組んでふんぞりかえる姿勢で腰掛けている。見た感じ、先生よりも偉そうである。
だからと言って「姿勢を正しなさい!」と昔のように言っても、あまりの長い時間、そうやって腰掛け、学校での授業を受けて来たわけだから、簡単に直るものでもない。元々、「先生」が、偉いとも思っていない環境から教育を受けて来ているから、物事を学ぶ姿勢ができていないわけだ。一体、誰が現れたらその姿勢を正すのだろうか。
やっぱりあこがれているスターやアイドルなんか現れたら、そのままふんぞり返っていないはずだから、単に身体が楽だから、という表の理由よりも、気持ちとして、実際、回りを見下している事に間違いはないだろう。でなければ、そうそう偉そうな態度なままで、ふんぞり返れないものである。電車の車内中の客全体を見下しているからこそ、ああやって”ふんぞり返り腰掛け”ができるはずだ。子供は、自分が一番偉いと思っているものだ。
私なんかは、厳しそうに見えるが、こうした若者に対して放任主義だ。あまりとやかく注意すると自分の脳が硬化するからほっておいている。どっちみち1流にはなれない態度であるから、これは、その人の持って生まれた指導霊が低俗な証拠だ。その人自身が、気づかない限り、霊格の高い指導霊もやって来ない。
そうした姿勢に加え、たまに、頭にタオルを巻いたままレッスンを受けたりする若者もいたり、もう、サイバー.パンク小説にでも出て来るような魑魅魍魎にレッスンをしている感じである。挨拶なんかまともにできる若者は、ほとんどいない。ようやく挨拶したとしても、目上目下関係なく、みんな「ウスッ」と言った会釈程度である。幼児は、恥ずかしがり屋で、挨拶は、一人ではできないはずだから、ここでも若者と幼児が一致している。
しかし、それでもあまり注意しない。いちいち気にしていたら、この世の中、生きていけないだろう、と思うからである。若者など相手できない爺さんになってしまうからだ。特にものを創造する創造脳にも悪いから、ほっぽっている。
いずれ、本人が、荒波に揉まれ気づくだろう、と思う。テレビでもそんな若者の次から次へのトンデモ行動が特集されていたりするから、注意なんかしても、なおさら切りがない。
大分、昔、ライブの手伝いを生徒にさせたりしていたら、おまえの生徒が臭い!どうにかしてくれ!とメンバーから苦情が来たりした。何日も風呂に入らず、腋臭体質でもあったりしたわけだ。
そういう時は、さすがに「おまえ風呂に入ったのか!」と言ったりするが、これがまた、風呂に入らないで、外出し人に会う若者もざらだ。あまりに臭いと「レッスンを受ける時は、ちゃんと風呂に入って来いよ!」と注意したりする。
こんな状態で、ぼくは、女性からちっとももてないんですけど、と言われても、まず根本的に社会に生きる”人”として成立していない。何か、人間に成り立ての動物を相手しているようなものだ。
ボロボロに破けたジーンズなんかを着てやって来る、ミュージシャンっぽい風貌の若者なんかもザラだし、これなんかは、私が高柳教室に行った際、初日で、全員注意された。「服装は、こざっぱりしたものを着て来い、きたいない恰好は、して来るなよ!」と言われた。
ミュージシャンを気取るとすぐにきたない恰好をする若者が多いので、事前に釘を刺したのだろう。
しかし、私は、これさえもそうした若者の生徒に言わない。そんな人間では、どうせ1流の人間には成れないだろし、第一、女性に嫌がられるだろうし、とことんまで行かないと、不潔症は、直さないだろう、と思う。そんな者にもし、彼女でもできたら、なおさら、私の注意なんか聞かなくなるだろうとも思うし。
しかし、それでも、以前、あまりにもボロボロのジーンズで来た若者系の生徒に一度だけ注意した事がある。わりあい上手くなって上級になって来たからである。そこまでのレベルに達しない若者は、何時辞めるかもわからないので、注意したら恨まれるだけである。幼児を叱ったら拗ねて、ひねくれてしまうのがおちである。実際、目の前で何度も切れかかりそうにふてくされた若者を見て来ている。もう音楽修行以前の人間修行から出直して来ないとどうしょうもない。
どんな注意か、と言ったら、「そんなボロボロなジーンズをファッションで着るのもいいけど、これって、本当にただ汚いだけのジーンズじゃないか。汚くて匂うってのは、ファッションでもないんじゃないか、あんまりそうした服装ばっかりしていると金運が無くなるって言う話しだぞ〜」とだけ言った事がある。(金運と聞いて、すぐにその若者は、そのジーンズをレッスンの際に着て来るのは辞めた。たまたま、その時は、お金が欲しかったのだろう。)
ボロ.ファッションとただ汚いだけのものとは、違うのではないか、と思う。中学生の頃、買ったばかりのジーンズを泥水に漬けたり、何度も漂白剤を入れて洗った記憶がある。これは、わざと古着の感じを出すためで、泥水に漬けたからってそのまま着るわけではない。ところが、本当に泥水に漬けたままで着ているだろう、と思う若者もいたりする。それは、単純に不潔なだけだ。
若者のファッションに関して、これは、ファッションだ、いやそうじゃない、と議論する前に、まず、匂うか匂わないかを問題にした方がいいからその区別は、わかりやすいのではないか。(しかし、「匂う」からファッションだ!」と言われたらお手上げではある。)
若者は、常識がない、とは、昔から良く言われる事ではある。しかし、一体、いつ頃から常識を身に付け始めるのか、という事も謎ではある。当然、若者が若者と群れている内は、そんな常識感は、育まれないだろう。動物と一緒で、様々な世代の群れの中に入って初めて発達するものではないか、と思う。
パンダも一匹だけでは、常識も必要がない。オス.メスと揃って初めて、常識が生まれるわけだ。つまり、常識は、2匹、、または二人以上が、共存するための「暗黙のルール」ではないのか。それが、どんどん多数になり、社会全体で、最大公約数としての「常識」が、生まれているのではないか。だったら、色んな人と交流していないと常識感覚は発達しない。
そう考えると、様々な世代や階層と交流していない若者には、まず常識は存在しないだろうと予測できる。
という事は、若者の幼児化は、こうした交流がないまま育ってしまった若者に起こるのだろうとも思う。(幼児が、常に保育園の中で「お友達」と遊んだりしているのに同じである。似たような動物同士が、檻の中で、交流しているわけである。)
だから何をしでかすかわからない、まさに動物並、と言う若者が、どんどん溢れ出て来る。
しかし、若者が幼児化している、と言われている一方で、暴走族上がりと言うか、彼等は、族を引退すると意外に早く結婚したがり家庭を持つのも早い。
自分を作った親兄弟の家には帰りたくない、という事もあるのか、そうした孤独感から自分の居場所を求めるのだろう。
彼等を見ると、一概に若者が「幼児化」しているとは言い難い。どちらかと言うと彼等は、昔の人間のように自立心が強い。二十歳くらいで家庭を持ち、自分の家族のために生きるわけであるから、今の若者の傾向とは、かなり違う。
幼児化し、大人になりたくない、と思う若者とは、逆に、彼等は、早く大人になりたいわけである。この願望の違いは、大きい。早く大人になって一家の大黒柱と成りたい、と願う者と、大人になんかなりたくない、いつまでもやさしい親の保護の下に暮していたい、、では、その常識感も大違いだろうと思う。
「けじめを付ける」と言う、彼等が頻繁に使う言葉にも表れるように、善悪の区別に敏感になっている。(実際に付いているかどうかは、別にして。)
以前、テレビに夜回り先生が出ているのを見たが、今は、昔のような暴走族系の若者は、稀だと言う。むしろ彼等の方が話しやすいと言う。じゃあ、今は、どうなっているんだ、と言うと、何を考えているのかもわからない感じのタイプが主流だと言う。素行も大して目立って悪いと言うわけでもない。だから、そんなのが一番、やりづらいと言う話しである。何を訴えても響く事がない。無感動、無表情である。あるいは、その程度の表現力しか育んで来なかったのだろう。いかにも大量生産教育を受けた感じである。無個性キャラ一丁上がりだ。
幼児化しているせいか、いくつになっても自分の力を知らずに色んなものにやたらと憧れる。さすがに仮面ライダーになりたい、と言うまで幼くはないが、似たような無謀さもある。
何とか簡単に横文字系のかっこいい職業になれないか、と言う感じである。2,3年取り組めば、何にでも成れるだろう、と言う安易な未来像である。
以前、ビートたけし氏(註:私の世代は、北野たけし、、とならない。)が、「若者に向って、夢を持て、夢は、いつか実現する!と言う成功者が多いが、そんなのを信じない事だ。そんなに甘いもんじゃない。その人だから成功したんで、誰でも成功するもんじゃない!」と言っていた。
本当に、成功したアイドル歌手なんかもそうだ。夢を捨てるな、夢は必ず叶う、だとか、簡単に若者に向ってアジり、点数を稼ぐ傾向にあるが、その人が、人の何倍も努力したから成功したか、元々、才能に溢れていたから成功したわけで、それをそう簡単に真似る事はできないだろう。そうした成功者とは知性も能力も技術も違うからだ。
単純に技術、知識伝承職ならわからないでもないが、そこに感性や感覚、創造性が、要求される分野は、簡単には、真似できない。もしも、それが簡単なら、誰もが成功しているはずだ。誰もが成功していたら、その職業は、今度は、不況になる。マンガ喫茶の乱立と同じだ。需要供給のバランスが崩れるわけだ。
私のような音楽のレッスン.プロだって、最初からレッスン.プロを目指していたわけではない。最初は、ちゃんと演奏家、ミュージシャンを目指し、気がついたらレッスン.プロの仕事をしているわけだ。しかし、その「なごり」で、今でも演奏して下さい、と言えば、どこであろうと演奏できる事にはなっているだけである。
(何時でもその時代の魔法のおかげで「スター」となった者たちと闘う気は、十分にある。単に、”都会”とは、”遠隔地”で損をしているだけだと思っている。何しろ、同じ「日本」だと言うのに唯一海を渡らないといけない県でもある。まさにガラパゴス諸島の生物の法則と同じである。お金がないと海は渡れないし、、、。)
それなのに、最初から「楽器を教えたいのです」と言うのも安易ではないか、と思う。以前、「私も先生のようなギター教師になりたいのです。そのためにヤマハのギター講師の試験に合格できるようにして下さい!」という若者がいて、なんだ、このイージーさは、と思ったものだ。まずは、人前で演奏できるレベルを目指すのが普通ではないか、と思ったものだ。
録音ミキサーになりたいのです!というのも同様でアメ〜リカでは、ミュージシャンより楽器も上手く、耳が鋭い者が一流のミキサーになっているというのに、楽器すら弾けない者が、最初からミキサーを目指すわけだ。音楽家の耳に勝てるわけがないというのに、こんなのが、うじゃうじゃとスタジオを作ったものだから、録音水準は、世界どころか、全国基準にも満たない。
(まあ、歌さえ聞ければ、一発当てる事ができるから持っているようなものである。一発が、億単位である!。くだらない技量などいらないのは当然である。今や一獲千金の職である。ゴールド.ラッシュ!)
昔なら、絵描きを目指していたり、漫画家を目指していた者が、なかなかその道では成功せず、イラストレーターの仕事を細々とやっていたりしたわけだ。(註:本人の中では、「細々」だが、世間的には、「大成功」である。)
エッセイストも同様で、最初からエッセイストなんか目指している者などいなくて、元々、他の分野なり他の専門なり、作家なりの余技として随筆を書いたりしていたはずだ。
それが、いきなり「エッセイストを目指してま〜す!」では、到底無理ではないか。これも幼児の願望だからしょうがない。苦労せずして何か簡単に成れそうなカッコいい職業に敏感なわけである。
物事を目指すには、まず、いかにも修行が大変そうな事にチャレンジするのが、本物ではないかと思う。人生なんて100を望んでもその半分の50しか手に入らない。当然、最初から50でいい、と言う者は、その半分の25も得ないかもしれない。だから本当に100を望む者は、実際は、200くらい望む気持ちのパワーとエネルギーを発して行かないと何をさせても成功しないだろうとは思う。
1番を目指して初めて、2番であったり、ビリになったりするわけだ。最初から「2番でいい」「3番でいい」なんてのは、よほどの実力を備えていない限り、叶うものではない。みんな1番を目指して来て、その結果、2番、3番になった者たちで順位は決って来るからだ。(最初からビリを目指すなら別だろうけど、、。)
「歳を取って定年になったら退職金で喫茶店”でも”やるかあ〜」なんて、簡単に考えている者の店が成功するわけがない。喫茶店なんて、今やほとんど潰れているわけだし(みんなが、同様にイージーに真似したからだ。マンガ喫茶の法則だ。)
最初から、最高で、1番の喫茶店を目指して初めて、ようやく生き残れるようなものである。
こうした安易な夢、願望も幼児的ではないか。最初から楽そうで、その結果もかっこ良すぎる。
ゴルフの世界でも最初は、トーナメント.プロを目指していたが、レッスンプロになってしまった、というわけだから、レッスン.プロでさえも甘い世界ではない。そんなパワーでは、レッスンプロにさえなれないはずだ。会社員にでもなるか、も似たようなもんだろう。(「社長になろう!」と思って初めて、そこそこだろう。)
以前も徹子の部屋で、落語家の笑福亭二鶴師匠が、最近の若者の弟子志願の話しを披露していた。「弟子になりたいけど給料はいくら?」とか聞いて来るとか、まさにモンスター.ペアレント並の傍若無人ぶりで、これも幼児化現象なんだろうと思う。もはや親の教育がどうのこうの、と言う次元ではないようである。
やはりここは、根本的に、早く大人になりたいか、なりたくないか、の意志の問題ではないかと思う。
それだけ、今の時代は、あんなつらい思いをしている大人になる事に魅力を感じないって事になるのだろう。大人にならなくてもタバコは吸えるし、お酒も飲めるって事だろうか。(今の高校生は、下校からしてくわえタバコで帰って行くから凄いではある。表面だけ大人の真似ごっこであるが、、。)
そう考えれば、確かに、挨拶はできない、はきはきものも言えない上に、大学なんかでの授業を聞く態度も大物風であると言うし、具体的に言えば、高校卒業の18才くらいは、昔の中学1年生になったばかりの13才くらいかなあ。
二十歳くらいで、15才くらいだろう。それから2年毎に1歳増えて、なんやかんやあって30才でようやく成人式だな。それくらいだと昔の人と同じように政治にもある程度の知識があるだろう。
大体、40歳くらいになったら、ちょうど昔の30歳くらいの精神構造だろうなあ。そろそろ結婚適齢期かな、と言った具合だ。
だからって、けっして気が若いわけじゃない。本当に若ければ、色んな事にチャレンジするはずだ。年齢と共にますます臆病になっているから新しい事にチャレンジしても全うできず、適齢期だと言っても女性にも声なんか掛けられない。
果たして、この幼児化現象は、このままで良いのだろうか。
本人が悪いのか、親が悪いのか、社会が悪いのか、、、。
とりあえずまあ、ちゃんと一人でも生きて行く事が、まず先決だろうなあ。
おすすめは、子供は、みんな吉本興業に預けて、まず、挨拶や”ベシャリ”(註:おしゃべり)を身に付けさせてはどうかなあ、と思ったりはする。幼児化した者では、芸人は、やれないからだ。学校に行っても、いくら読書しても何の役にも立てないなら、まず、そうした事からできた方がいいんじゃないか。潰しは、利くと思う。世の中は、何をするにも挨拶だらけだから。
後記:
30歳で成人なら高校生は、どれくらいか、と言う事になるが、もう、高校生は、当然、お手上げだから入会は受け付けない。これまで何人かを受け付けたが、年々、幼児化しているので、対処できない。これでは、幼児教育の分野になってしまうからだ。
かと言って、私が、10代、20代の若者に対して厳しいか、と言えば、それほどでもない。
実際、ボクシングの亀田兄弟にしても容認していたし、朝青龍に対しても何もない。
もし、厳しいとしたら、「そんな態度で人生を送るならば、とんでもない天才でないといけないよ!」と言う危惧である。
生半可な技量では、そうした態度では生きてはいけない。世の中は、本物の技量があって初めてファンも生まれる。ただの真面目さからの一般人の修得可能な技量では、ファンも見抜いてしまう。ああ、それくらいなら、自分が、一日30分ばかり練習すれば、可能だな、といった感じだ。
要するにあまり若者に対して、あれこれ言えない立ち場にある。自分の20代も、社会的には、酷かったような気もするからだ。
しかし、自分なりにその後の責任は負ったつもりではある。この年功序列のバンドマンの世界では、影響して来るわけだが、それはそれでしかたない。彼等には、自分の地位を守るべき秩序が必要であり、それを死守する事が大事なわけだ。
バンド界自体も、バブルだ、不況だ、と社会に影響され振り回された。ギターなんて、真っ先に仕事が無くなったわけだ。おかげで、誰よりも早く、自分独自の道を考え、歩む事ができた。だから、常に、「ああ、こうやっては暮して行けないな、、、。」と言う意識が、頭にある。
これが、自由に生きるためのリスクでもあるし、したたかさでもある。幼児化なんかしている場合ではない。だから大体のチャレンジ事は、20代、30代前半で終えている。それ以降は、そうした人生への「けじめ」を付けているにすぎない。
進化論と同じく、大人になる、ならないは、本人の意志の問題だと思う。大人になりたい、と思ったから大人になっているわけである。(大人とは、何か、と言うのは、また別の話しではある。)
とりあえず、大人とは何かを考え、常にそれらしい行動を取った者が、大人である、としておこうか。
まずは、姿勢を正して、挨拶くらいは、できたらどうかなあ。腰掛けて楽器を弾く際は、虚無僧のように座禅でも組んだらどうだろう。
子供には、そういうかっこ良さが、わからないんだよなあ。
大人になる自信がないのなら、まずは、そうした見た目だけちゃんとしてれば、中味はなんでもいいんじゃないか。
人は、見かけじゃない。外見が大事だからだ。
2月6日(金):続、若者と常識、不況な仕事、繁盛する仕事。後記:成功の秘訣
というわけで、前回、現代の若者は、無限の非常識を秘めている”動物”としたが(当然、例外も存在するが、そういう若者は、昔の若者の生活に近いだろう。)そんな事を考えると学校と言うのは、何だろうと思ってしまう。小中高と少なくとも12年間も学んで来て、それでも足りず、大学まで行っても、まだ非常識でダメだと言う。
(現代では、大学へ行っているって事で、すでに無頼派ではないんだから、ちゃんと姿勢を正して勉学に勤しむべきだろうと思うが、、。ここでもまだまだ教育は足りない。)
じゃあ、どこで若者は、「調教」されるか、となれば、やはりバイト先の職場なり就職先の会社だろう。
幼い頃からお金さえあれば、どこでも大人が、お客様扱いし、敬語を使って接して来たわけだから、何者でもなくても偉くならないわけがない。
それが、いざ、就職となると生まれた時から維持して来た長年の立ち場が逆転するわけである。
バイト先くらいでは、一時的なものだから人格にまで及ばないが、就職となると別である。私生活にまで影響を及ぼして来るわけだ。その仕事が経済活動を支えている事になるから、そう簡単に辞めるわけには行かない。
ああ、そうか、昨今は、個人が、「辞めるわけには行かない」なんて、偉そうな立ち場でものが言えるほどの自由意志による選択可能な時代でもない。”派遣社員”の時代か。
この「派遣」という言葉は、ドラマも見ていなかったからよくわからなかったのだが、この間のニュース解説で、正社員だとすぐにクビを切れないので、ワンクッション置いた雇用システムを導入したとか言っていた。
派遣社員は、期限付き雇用制度の中にいる。3年ほど経ったら終りだ、、とかである。大分前からドラマでも「派遣社員」みたいなのがあったのに、ここに来て急に制度が厳しくなったのか騒がれ出している問題だ。
現代は、何をやるにも未来が安定していないようだ。バンドマンという職業もバブルと共に弾けて、今やわずかに生き残っている者たちで仕事の奪い合いである。
私なんかが、再びギターで仕事をしようとしたら、すでに甘い蜜の味を知った若手”バンドマン.ギタリスト組合”があちこちにスパイを送り、「あの人は、ダメだよ〜、仕事にもサンダルで来るらしいよ〜」というデマを流して阻止するのが現状だ。だからそう簡単に私なんかも復帰できないしくみになっている。
バンドマンは、ミュージシャンではないからしかたない。タクシー運転手、八百屋、酒屋、本屋、マンガ喫茶と同じ、普通の職業だ。だから、近所にライバル店が来るとあれこれの噂を流したり、中傷したりと必死になり、既得権を守るしかないわけである。
(註:他の職種の場合は、実際は、同業種が集まった区域の方が、人は集まるの法則がある。山の上の一件だけのレストランより、10件くらいあった方が人は集まる。東京神保町の古本屋街も同じである。)
そんなわけで、”形あるものいつか滅びる、、”の法則で、今や、永久に滅びないものなんて考えられない。20年ほど前、地元では、マンガ喫茶ブームで、どこもかしこもマンガ喫茶が乱立していたが、今や、結局残ったのは、大きく根性を入れてやっている所だけである。ちょこまかと小さなマンガ喫茶を始じめた所は、みんな潰れている。経営に対する気持ちも小さかったのだろう。
ところが、「こんな大きな所、家賃どれくらいだ〜!」と思う所は、意外に、がんばって維持しているわけである。マンガ、雑誌、新聞も常にリニューアルしている。収入もあるが、その経費もけっこうなものだろうと思う。(こうなると経費ではなく「還元」と言っても良い。)
しょぼいマンガ喫茶は、しょぼい所にあってマンガもまったくリニューアルしない。そもそもが、店主からしてマンガ好きでもなんでもない。だから潰れて当然である。
地元で、マンガ喫茶で成功しているオーナーは、明らかに漫画家を目指していただろうと思われる人間だ。百科辞典並の大きさの古いマンガ本「マンガ道」(藤子不二雄)なんてのが、誰も届かない棚に保存されていたりする。(店主は、バレーボールの選手だったのかなと思わせるほどで、190センチ余りほどあるかなあ。)もう、何度かの移転でグレードアップして行き、最初のブームから生き残り、25年くらい続いている。
寿司が嫌いな寿司職人もいるそうで、さぞ苦労しているだろうと思う。それでは、オーナーになんかは到底なれないだろう。好きな事と言うのは、いくらやっても苦労にならない。楽しくてしょうがないから時間も忘れる。楽器修行も同じだ。夢中になって取り組むから時間も気にしない。どんなにむつかしくても「むつかしい=進化する=楽しい」と言う脳回路ができているから、いちいち、つらい、つらいと思いながら取り組んでいるわけではない。
えっ?自分も練習するのは、楽しいのにどうしてあまり進化しないのかって?
その答えも簡単だ。たぶん頭が悪いからだと思う。
頭が悪かったら、いくら好きで毎日弾いてもなかなか進化しない。それでも自分は、頭が悪いなあ、と自覚しているならいいが、最悪なのは、自分が頭がいいと思って誰の言う事も聞かないでまったく進化しない、という者だ。意外にこのパターンが主流だ。全体の80%くらいではないか。残り20%が、最初から自覚している者だ。伸びるのは、このタイプだ。
頭は、悪くても、自分の頭脳となるべき、ちゃんとしたコーチが付いて、素直にそのアドバイスを実践して、オリンピックでメダルを取る、というのがこの世界の常識である。選手の内は、とにかくコーチの言う事に従って身体を動かせばいい。その代り、コーチも相当に勉強して行かないと次から次へと心理的側面から選手自身に起こる身体の問題に対処できない。
そう言った意味では、会社経営にも経営コンサルタントと言う指導のプロが付いていたりする。そんなのいらない、自分の方が、頭がいいんだ、と言ってワンマンになってしまった社長の会社は、あぶない。あれこれの偽装事件もこうした所から発生している。「社長に言われてしかたなく、、、」である。
何かにつけ不況、不況と騒いだりしているが、派遣社員に期限があるなら、もう派遣初日から危機意識を持って次の対策を練る事が常識だろうと思う。まるでそれは「執行猶予期間」でもあるからだ。「派遣社員なんですよ、まだ後1年ありますが〜」なんてのんびり言ってもいられない。その執行猶予期間でなんとか次の対策をつけたいものである。
職を無くすとホームレス状態になり深夜のインターネット.カフェを渡り歩くと言うから、まずは、まあ、住まいだけは確保しておかないといけないなあ、などと物事への優先順位を付けなくてはいけないだろう。
しかし、そんな計画性のない人生が合っている性分だからそうしたものに惹かれたのだろうとも思う。
3日、3晩の肉体労働で徹夜して得たお金を、その日の飲み代でいっきょに使ってしまったと言う労働者を私自身も何人も見ている。計画性がない、と言う事は、それほど凄いわけである。どんなにつらい労働で得たお金よりもその日の欲望の方が優先されるわけだ。
だから私自身は、不況とは無縁の世界にいるようにしている。不況なのか不況じゃないのかも関係ない世界にいたい。たとえ、世の中の人が、「不況ですよね?」と指摘しても、私自身は、「これは、いつもの暮しですよ」と構えていたいわけである。だから不況、不況と叫ぶニュースは見ない。見ても解決策がないものは、不毛である。
たとえば、バンドマンをやって仕事がなくなれば、世の中の人は、バンドマンなんかやるからだ、と言うだろう。確かにそうだ。だから、それが嫌ならバンドマンを止めればいいだけの話しだ。それなのに辞めないままに死守しているから当然の結果となるわけだ。だからバンドマンをやって仕事がなくなった、と言う事は、避けられない人もいるわけだ。
アメ〜リカでは、学校の教師(高校など)ですらコンビニでバイトしないと生活が苦しいと言う話しだし、。医者だってあぶない。開業したって年中無休で、夜遅くまで働かないといけな場合もある。朝も早いので、家にも帰る時間がないから、そのまま病院に泊まり込みである。それでも収入は、大した事がない、とテレビのドキュメンタリーで、ある、都会の開業医の話しをやっていた。
政治家だって任期があるわけだ。任期が終れば、元の”無職”に返る政治家も多い。
何とも流動的な世の中になってしまったものだろう。固定的な硬い頭では、とても着いていけない時代が来たもんだ。
後記:成功の秘訣
私自身は、そんなわけで、不況とは関係ない世界にいるつもりだから、14,5年ほど前から福祉、介護関係の職業を目指す人を「立派で、偉い人たちだなあ〜」と感心していたのだが、近年、看護士の若者にあまりにも多く「偶然」に出会うので、よくよく聞いてみたら、これからの職業の一つとしてマスコミなどでかなり宣伝もされていた、と知って、なあんだ、そうだったのかと氷解した。学校関係なんかでも進路先の一つとして進められるのだろう。
とりあえず、あまり不況、不況と言うべきじゃないなあ、とは思う。
不幸な人は、必ず、幸せな話しに嫉妬するもんだから、不幸な人の前で幸せな話しはできない。本来、幸せな話しは、「あやかる」と言う気持ちがないといけない。その証拠に幸せな人は、他人の幸せな話しを聞くのも好きである。だからますます「あやかる」わけである。
ところが不幸な人は、他人の幸せ話しは、受け付けないわ、口を開けば、不況、不況、ダメだ、ダメだ、、で、これでは、ますます不幸になって当然ではないか、と思う。自分から進んで不幸を呼び込んでいるわけだ。
そんなわけで、この時代、とりあえずは、見猿、言わ猿、聞か猿、、の精神で行かなくていけない。
悪いものは見ない、言わない、聞かない、の意味だからである。
これだけは、お金も掛らないから誰でもできるだろう。
本当に不況な人は、その頭では何を考えても無駄だから、自分は、バカだと自覚して、素直に成功している人の真似をしてみてはどうか、と思う。頭が良いと思って生きたからそうなってしまったわけだから、今度は、その逆の人生を送るしかないのではないか。
2月15日(日):前座のアドリブ、真打ちのアドリブ、後記:NO!の教育、常識と非常識の分かれ目
これは、むつかしい問題で、私の所でも「お金が取れるアドリブができるようになるのは、プロレベルとなる5級くらいから、、」としている。6級までは、アマチャー最高ランクとなるが、このレベルは、ジャム.セッションに出て活躍はできるが、お金が取れるアドリブという点では、まだまだ、としている。
6級から5級になるには、普通に趣味として楽器をたしなむ程度のアマチャー生活では、10年掛るだろう、としている。
何しろプロとなると読譜能力に加えて、毎晩演奏しているわけであるから、演奏する曲も毎日膨大である。一般の人の趣味程度の暮しとは、日々、増々差が開いて行く一方でもある。到底、太刀打ちできない。
プロとアマの違いは、何か、となると、アマは、下手な演奏をしても「ああ、まだ下手だなあ」となるが、プロは、「クビ!」である。仕事を無くす。
しかし、プロだ、プロだ、と言ってもこれもまたピンからキリまである。問題は、アドリブである。
アドリブ演奏をしてプロとして成立する、というのは、かなりのレベルで、通常は、譜面だけを読んで、それらしくジャズ演奏に見せているピアニストなんかが主流で、どちらかと言うとクラシック系になるのか。
その中でもクラシックは、苦手と言う事になると、「ポピュラー系だな。」と言う言い方をする。どちらもアドリブは、できないタイプのプロである。
しかし、また、アドリブはできるよ、と言うジャズ系のプロと言っても実際には、あまり長くアドリブされると、もたないなあ、、と言うタイプもいる。
(伴奏主体のベ−シストなど、、。あんまり毎回、アドリブを取られると演奏が盛り下がる。1コーラス聴くのがリスナーとしても限界であろう。)
アマに取って、アドリブは、「できる、できない」の基準であるが、プロに取っては「お金が取れる、取れない」が価値基準である。
プロが、お金を払って見に来た客に下手なアドリブを延々と聴かせては、客もたまらないだろう。初めて聴いたジャズがそうしたアマチャーが、延々とアドリブする演奏だった、と言ってジャズが嫌いになった一般人も多い。(初めて食べたゴーヤーチャンプルーが、苦くて、、、、)
そうした事にならないように往年のロック系アマチャーでは、最初からアドリブなんてものは、存在せず、ひたすらレコードをコピーして、アドリブまでも忠実に再現する手段を取る。だからわりあい質は高いアドリブ演奏と言う事になる。
アマチャーのロック系は、自分のアドリブは、なくて良いという立ち場でもある。名演を忠実に再現する事にロマンを見い出しているわけである。
その感覚で、ジャズ演奏する際もレコードのアドリブを「完コピ」でライブをするのが、大体、40代以上のアマチャー.ジャズ系のライブの方式であった。それはそれで、「退屈」ではない「アドリブ」システムを利用している事になる。
ともに、自分の思うままに1曲の中で、延々とアドリブ演奏をしようものなら、これまた「金返せ!」となる。
アドリブ音楽というのは、それほどむつかしい。漫才は上手いが、フリートークはダメ、と言う事にも通じる。
この修行のむつかしさを”見習い美容師”に例えて話したりする。
聞いた話しで、ある常連の若い女性が、何年も通い続けている美容院で、たまたま、店主(先生)の指事で、見習いの美容師がカットした所、その出来上がりが気に入らないと言って、料金を投げ付けて帰って行った、と言う話しだ。(あ〜怖!)以来、二度とその店には、現れない客となった。
しかし、この見習いだって何年も見習いとして学んでいるわけである。だから、いつかは、お客さんのヘア−のカットもしなくてはいけないわけであるが、その店の常連は、そこの美容師先生(店主)を気にって通っているわけである。
先生にしてみたら、見習い助手もいつかは、お客さんの髪をカットするという経験をさせたいわけである。むつかしい所である。
自分のライブで、生徒の下手くそなアドリブを長々とお金を取って聴かせてよいか、と言う事に同じである。
美容師の場合は、見習いが、たとえ失敗しても良い、文句を言わない客を見つけ出し、「無料」でカットして上げる、、という経験を積めばいいわけである。(しかし、相手は、女性客だ。失敗しても怒らない保証はない。見つかるかどうか、、、。)
音楽の場合は、どちらかと言うと、アドリブ演奏を聞かせる側が、お客さんに報酬を払うべきかもしれない。無料で、しかもドリンク付きにするから2ステージばかり聴いてくれないか、、である。(そうしたとしても、大した自腹でもない。1万円もあれば、5人くらいに「驕れる」だろう。その代り、ちゃんと演奏を聴いてくれる、という条件付きだ!)
まあ、本来、そうした事を気にしないで、人前で、延々とアドリブの稽古ができるのが、ジャム.セッションである。ジャムセッションなら「ああ、下手だな」となれば、1曲くらいで終りだろう。(常連を優先する場合もあるが、、。)元々、観客は、似たような参加者でもあるから上手い下手に文句が出る事もない。みんな自分の演奏の事で手一杯だろう。
こうしたアマチャーや見習いだからって、やはりたまには、実際のお客さんを相手をする体験をして、自己を客観視ができるようになり、また技術も磨かれるわけである。
これが、漫才や落語となるとちゃんと「前座」の舞台と言うものが、用意されるが、それだって、その地位を得るまで、様々な篩いに掛けられて出て来ている、選ばれた人間たちである。
そうした前座修行で揉まれるわけであるが、ふと、これが、外科医だったら、見習い(インターン?:1946年導入、68年廃止)は、どうなるだろう、と思ったりする。「この盲腸の手術は、見習いがやりますから、、」と言う事になる。
芸人の場合は、まったく受けなかった、と言う事になるが、医者の場合は、ちょっと別である。
しかし、受けなかった、と言う事で、リピーターが全くない、と言うシステムでは、芸は育たない。だから「これは前座です、見るのも安いです、これからの芸人たちです、、」という主旨でアピールしないといけない。お客さんは、それを承知で、前座を厳しく育てるわけである。(まったく才能のない前座がいるわけではない。ちゃんと選ばれた前座たちである)
こうした前座を一人前の「トリ」扱いして、それなりのお金をお客さんから取ってしまったら、その見習い芸人の芸人人生は終りである。「なんだ、面白くない!もう、絶対、あいつの芸なんか見るもんか!」となる。
これに匹敵するのが、レストランだ。飲食系は、まさにこれだ。レストランは、一度、お客さんにまずい料理を出すと、お客さんは、もう二度とそこへ行こうとは思わない。もちろん、それなりの料金を取っているレストランの事だ。(60円のハンバーガーくらいなら、本来、何が入っていても文句は言えないだろう。)
不味いのに、長年コック(シェフ)としてやって来ている、というコックのプライドのせいか、高値を付けて、失敗しているレストランのパターンである。気が付くとやっぱり閉店している。
アルコール系の飲み屋は、多少、不味くてもお酒さえちゃんとしていればいいかな、と言う事もあるが、料理一本で勝負しようとしているレストラン系は、大変である。1回、失敗すれば、お客さんは、不味い店にはもう二度と行かない。
そんな風な事を考えていたら、BSで、あの伝説の「クリーム」のベースのジャック.ブルースの東京ブルーノートでのライブを前半、後半と2夜続きで見た。
エリック.クラプトンとの「クリーム」以降、トニー.ウィリアムスのライフ.タイムのメンバーに抜擢されて活動していたので、これは、トニーへの追悼のライブだとしていた。
メンバーは、ベースと呪文調ボーカル担当のリーダーのジャック.ブルースに加え、めちゃくちゃ速弾きのヴァーノン.リード(g:1965年、ロンドン生、)、ジョン.メデスキ(key:1965年、ケンタッキー生)、シンディ.ブラックマン(ds:1959年、オハイオ生の女性)。
ラフなアレンジとフリースタイルを織りまぜたスタイルで、1曲のインプロビゼイションも長い。それにしてもかなりのエネルギーを要するバンドで、今の時代、こんなスタイルでやるバンドが、まだあるのか!と言うくらい前衛風でもある。
収穫は、ヴァーノン.リードと言う黒人ギタリストを知らなかったので、今回、聴けて嬉しい。プロフィールでは、”黒いレッド.ツエッペリン”と言われたほどのバンド、”リヴィング.カラー”のギタリストだったと言う。(そんなバンドがあったと言う話しさえ知らなかった!長い間、ロックに疎かったからかもしれないなあ。)
それと、女性であれだけのパワフルなドラムを叩くのを見たのは初めてだ。トニー.ウィリアムスの代り、、と言う事になるから凄いプレッシャーだろう。
(黒人女性ドラマーかな。。あの年齢は、私と同じ年齢でもある。何と言うパワーとテクニックとスタミナか!世界は、広い!)
ジャック.ブルース(1943年、スコットランド生)が昔、チェロで、奨学金を貰って進学していた、と言う話しも初めて聞いた話しではある。外見は、ずいぶんとお爺さんになった感じはある。エクソシストやオーメンのようなオカルト映画の牧師が似合う感じだ。
後記:NO!の教育、常識と非常識の分かれ目
若者は、なんでもいいから、加藤諦三の本を常に、定期的に読むといいと言い続けている。(私一人の手には負えない)
100册くらいあるから、そのつど、自分に興味があるテーマを選び、それを忘れた頃に、それぞれ100回ほど読んで、人生を終えればいい。
その途中で、自立し、立派な「大人」となって行くだろうし、気が付いたら、なんとか「幸せ」な人生を送っている事だろうと思う。
現代の教育で育った者は、NO ! と言う教育ができないらしい。
ダメだ、ダメだ、という、いわゆるダメ!だけでは、成長しないと言う。
(註;「ダメ出し」、とも違う。あれは、具体的な指事がある。)
なぜダメか、を考える力がないからだそうだ。ところが、外国のプロフェッショナルは、「ダメだなあ」と言われると、なぜダメなのかを徹底的に考え、また新たなものを提示して来るそうだ。
今の日本人は、手取り、足取り、いちいち、なぜダメなのか、を説明しないと「工夫する」と言う事ができないという。一体全体、今の自分に何が足りないのだろう、と思考する力がないわけである。
ところが、スポ根(註:スポーツ根性)マンガの中での主人公たちは、とにかくこのダメ!に対して、よく考え抜く。その試練をしっかり受け、もがき苦しむ。しかし、そのたびに成長し、より大きなものを手に入れて行く、という設定だ。これが、昔の教育パターンである。「巨人の星」もそうだ。「なぜ!オレの玉が通用しないんだ!」である。
こうした若者たちに対して、「あ〜、このアドリブは、ダメだ、つまらん!」とでも言ったら、ふてくされて、拗ねるのがオチで、とてもこの「ダメだ!教育」は、できない。どこがダメなのか、、を考える力が備わっていないからだ。
以前、話しが面白くない奴は、アドリブも面白くない!と言ったら、やっぱり「ええ、どうせ、ぼくは、話しは、つまらないですよ!」と言う反応しかない者も多く、ふてくされる者多数であった。
しかし、これが、昔なら、「なるほど、話しがつまらない者は、アドリブもつまらないのか、じゃあ、どうやって話しを面白くするかなあ〜」と考えるのが、通常の反応だった。(立派な人になるために、トイレ掃除を毎朝続ける、、という話しに似ていないか!)
今や、こんな言い方をしたら教師失格と言われるが、今だに1流の世界は、この「ダメだ!」の一言と格闘しているはずだ。
以前、ドキュメンタリーで見た、宮崎駿監督とスタジオ.ジブリのスタッフの関係がまさにそれだった。スタッフが描くイラスト原画に対して、宮崎監督は、「こんなんじゃダメだ!」の一言しかない。これが、スタッフとの間で何度も何度も繰り返されるわけだ。なるほど、スタッフは、1流になるわけだ。
スタッフの多くは、マンガ家志望やイラストレーター、美大生の中から厳選されて雇われている1流である。だからこそ、この「ダメだ!」に立ち向かえるわけである。1流でないと、それこそ、叱られると反抗的になったり、ふてくされたり、拗ねたりする、”甘え族”なわけである。
ここでもこうして1流と3流の差は、ますます、付いていくわけだ。
彼等は、すでに1流な上に、さらに厳しい環境の中での1流の修行である。ところが一方は、3流なのに、さらに甘えた環境の中でのなれあい3流修行。
ここにも「格差」が、できる。
昔の人は、厳しい修行を行える者を羨ましく思い、その地位に憧れたものである。
(「天よ、われに七難八苦を与えたまえ〜!」と自ら、試練を望んだわけである。)
もちろん、商売上、厳しい修行は、できない。今の一般の若者では、こうした厳しさには、耐えられない。これだけ甘くしても挫折するわけであるから、到底、無理である。叱ると、すぐに拗ねたり、ふてくされたりするわけだから、やっぱり、今の三十歳くらいで、昔の二十歳くらいだろうと思う。
しかたないから、自分自身に対しては、常にダメだ!を繰り返しているわけである。
だから、当然、一番、進化するのは、先生自身と言う事にはなる。
来たれ!1流の修行人たちよ!
未来は、常にあなたたちを待っている!
、、とその前に、
何冊か、加藤諦三の本くらいは、読んでから来いよぉ〜。
そこにいるのは、他人ではない。どう考えても、あなたそのものだ!他人事のふりして読んでは、何も学ばないぞ!。
自分だけが得する事ばかり考えていると「無限の非常識人」になり、相手や回りが得する事を考えれば、非常識は、減って行くはずだ。
だから非常識だと言われたら、自分が得する事ばかりをしている、と指摘されたと思えば、わかりやすいだろうか。
その意味では、昨今のリストラは、会社側の”非常識”なわけである。
2月27日(金):小さんと弟子、ジェフ.ベックと松田優作と往年のフュージョン.ギタリスト:後記:サンボーン、PS:サイト事情
前回、今の人は、NO!の教育をしたら何もできない、と言ったら、そう言えば、昔、テレビで見た落語家の柳家小さんの指導法もそういう感じだったらしいですよ、と教えてくれた者がいた。
これは弟子の柳家小三治の話しで、師匠の小さんは、ただ一言「おまえの話しは面白くないねぇ」とだけしか言わなかったという。それで小三治は、相当に悩み、話しを色々工夫してみた、と言う。それが修行だったらしい。(立川談志師匠も小さんの弟子だったが。)
今、もしも「おまえのアドリブは、面白くねぇ〜なあ〜」とか、「おまえの文章は面白くないねぇ〜」なんて言ってしまったら、若者は、ひねくれてしまうか、「へぇ〜、そうですか、それは誰のせいですかねぇ〜、」なんて逆ギレされてしまうのがオチである。だからとてもそんな「指導」はできない。
今は、どこでも懇切丁寧な指導法の時代だ。厳しくしたのでは、若者は、誰もついて来ない。書道の段位だって7段、8段は、当たり前だ。(書道ではないが、ある分野では、弟子が、20段ってのもある!)
じゃあ、面白くない内は、どうすればいいんだ!となるが、私なんかが、プロのバンドで演奏を始めた最初の頃は、1コーラスしかアドリブを取らしてもらえなかった。一度、2コーラス取った事があったが、その時は、相当に怒られた。「下手なアドリブを延々と弾くんじゃない!」と怒鳴られてしまったわけだ。そんなわけで、何ヶ月かは、1コーラス.プレーヤーとして生きたはずだ。それから、ようやく2コーラス取っても怒られなくなった。
しばらくして、別の場所に移動し、1曲10分くらいのアドリブ修行にチャレンジするようになった。チャージなんかも¥300でしかないから、目の前にいる客もマンガ本なんかを読んでいたりした。誰もまともに聴いていなかった。
お客さんは、コーヒーでも飲むついでに居座っていたのだろうと思う。まあ、当時は、300円くらいの演奏価値しかなかったのかもしれない。私の演奏がではない。他のミュージシャンも別の曜日には同じチャージ料金で演奏しているわけだから、これは、地元のジャズ全体に対する価値だったのだろう。
そんなテーマでこの所、話していたら、BSでいくつかのライブを見た。
まず、何と言っても”ジェフ.ベック.ライブ”である。もう、何と言って良いのか、化け物である。完全にノックアウトされてしまった。サポートとするメンバーのエレキベースには、まだ、二十歳くらいだと言うのに、このバンドに参加する前は、チック.コリアのツアーに参加して来た、という”女の子?”もいて、かなり上手かったが、ジェフこそ、まさにギター界の怪物、創造の権化、天才、神の領域である。スタイルと言う事で言えば、まさに”天上天下唯我独尊”として生まれた感じだ。このギタリストの真似は、不可能である。
ラストには、観客で来ていたエリック.クラプトンの飛び入りもあった。
(ジェフの魔法使いのようなギターを聴いた後では、地球人は、誰も演奏できないではある。。その他、観客には、ポールマッカートニーなどもいたらしい。だからなのか、ビートルズ曲、「A DAY IN THE LIFE」も絶品の演奏で披露した!ジェフが弾いたスタンダード曲は、もう誰も後からは、弾けない。あれ以上は、地球人には無理である。)
そこで、思い出すのが、俳優、故、松田優作(1949年9月21日〜1989年11月6日)にそっくりな演技をする俳優の又野誠治だ。(又野誠治「1960年11月25日〜2004年3月23日」:「太陽にほえろ」のブルース刑事、2004年、43才、故人。最近、ケーブル.テレビ放映されている主演作品Vシネマの「デカ玉金助三郎」シリーズを見て喜んでいたが。。1960年11月25日生という事で、自分より年下だったか。。。がっくし。)
彼は、同郷(山口県)で尊敬していると言う松田優作のコピーから抜け切れない印象だった。
一方の松田優作自身の演技は、兄貴と慕った先輩俳優の原田芳雄(1940年2月29日〜)の演技のコピーだと言うのに松田優作の方は、どういうわけか世間に認知された。
(この疑問は、いずれ松田優作研究家にでも聞いてみないとわからない。松田派は、その他に故、古尾谷雅人「1957年5月14日〜2003年3月25日」がいる。古尾谷も又野も同じ人生の結末となった。3月23日と3月25日では、あまり日も変らない。又野の死は、古尾谷の1年後の命日直前でもある。)
原田芳雄〜松田優作〜叉野誠治、、と言った3代の流れは、何か、一つの演技が増幅して行くような感じなのだろうか。デフォルメがさらにデフォルメされて強調されて行くわけである。(そうなると最後は、お笑いにしか行きつかない)
初代の原田氏は、迷いや葛藤から一つの演技スタイルを模索しているわけであるが、その演技に圧倒された松田が、それを真似るわけであるから、そこには、最初に「これだ!」と思った模倣者としての眼力と観察力があるわけである。その模倣によってスターとなった松田の演技を、今度は、さらに、そうした演技には悩まない又野が当然のように真似するわけである。
ジェフ.ベックを真似る者は、たぶん、こうした又野のような結果になって行くのではないか、と思う。当初、得体の知れない物が、篩いに掛けられて行く中で、段々に整理整頓されて、よりわかりやすい、シンプルな物になって行くように、わかりやすいシンプルな要素しか残って行かないからそこに”深み”が生まれないわけである。
つまり、物真似の物真似の物真似である。物真似タレントのコロッケが真似た北島三郎を、さらに誰かが真似る、、と言った感じだろう。そして、さらにそれを真似た者の真似をした北島三郎、、という事になる。デフォルメのデフォルメ、、となって行くわけだから、ますます、微妙な特徴は排除されて行く事になる。(鼻の穴も、より巨大化して行くわけだから、やはり、最後は、お笑いにしかならない。)
つまりは、ブッダは、仏教徒でなく、キリストは、キリスト教ではない、という話しにもつながって行くように、枝葉の宗派は、ある一つの要素を単純化してできてしまうわけである。原田氏は、自由で、それを真似る松田は、その中から光る演技を真似て、それを、松田の演技なら、もうなんでも真似てみたいという叉野が、真似るわけである。
ジェフ.ベックは、自由に生きているわけなのに、これを真似て行く内に、何の自由もない”ジェフベック商品”が生まれるわけである。そこに面白みがあるわけがない。本物は、得体の知れない要素が、混じり合って、一つの要素を作り上げているわけだ。黒色を強調するためには、白色も必要である。
ジェフ.ベック.ライブに衝撃を受け、そんな事を考えていると、今度は、日本の往年のフュージョン.トップ.ギタリストたちをそれぞれ別々に3人ばかり見た。
やはり、どれも”日本のラリー.カールトン、リーリトナー”という感じで、当時の日本のギタリストたちの「お手本」がわかる演奏である。誰が一番、あの雰囲気を真似るのが上手いか、、を競争している感じである。それが、あれから何十年経ってもまだ続いているんだなあ、と言う印象だ。十代の頃と違い、技術的なスピードには、圧倒されなくなっているので、冷静に見る事ができた。
長渕剛式の”魂からの叫び”はない。しかし、また、それが目的でもないだろうから、それはそれで、それなりの目的達成の音楽ではあるだろうとは思う。
当然、模倣の模倣の模倣だから、これも深みは、ない。
熱狂する客を見て、中国のディズニーランドもこんな賑わいだったろうか、と思ったりした。
後記:
さらに続けて、モントリージャズ.フェスティバルでのデビッド.サンボーンを見た!バックには、”タワーオブパワー”のホーンセクション陣だ。
共演している、けっこうおじさんなギタリストの上手さと説得力に興奮!
いっやあ〜、またまた世界は広いなあ〜。
あんなのが、無名でいるんだから。
日本に来たらNO.1、断トツのトップギタリストだろう。あれぞ、曲芸的演奏を好む日本人にない「魂」のある演奏だ!
(サンボーンとやっているくらいだから、まったくの無名ってわけじゃないだろうけど。。番組では、名前がクレジットされなかった!)
PS:サイト事情
このサイトは、一応、ジャズ系サイトなのだが、誰にでもわかりやすい文章中心でやって来たせいか、10代でも読めるようになっている。だから、全く、ジャズとは無縁の者も読者でいたりする。全体の何割くらいだろう。まったくわからない。
(公務員系、NHK職員系は、自由業の生存競争の厳しさがわからないので、このサイトは、くだらない、しつこい!としか言わない者が多いのも特徴だ。必死に生きなくても天からお金が降って来るからだろう。)
そういう読者だと、私の音楽には一切、関心がなく、正直、私の音楽の意味は、わからないという。
(実際は、ジャズ自体があまり興味が持てていないはずであるから私ばかりのせいでもない。彼等は、私が、音楽だけをやっていれば、生涯、全く無縁であったはずの人種ではあるだろう。唯一、文字だけが頼りで接近できるわけである。)
大体、毎日、メールは、100件くらい来て、その中からかきわけてプライベートなメールを見つけるわけである。他の何件かは、自他の区別がつかない妄想系のメールであったりする。昔で言えば、テレビに出ている人は、もう自分と親友か恋人だ、と言う人たちだ。
どんな商売をしても、何割かは、妙な客が訪れるわけであるから、これは、商売上仕方のない事ではあるなあ、と思うようにしている。
(安い飲み屋なら、質の悪い酔っぱらい客が、毎晩のように現れるかもしれないし。このサイトも安い飲み屋と同じく、無料のサイトでもある。だから客質は、ピンからキリまである。年齢層も幅広い。10代から60代までだろう。)
これが、芸能人となると、もっと大変なんだなあ、と、森進一氏の件を思い出したりする。
2月は、目一杯生きただろうか。
3月6日(金):チック.コリアと暗譜 後記:現代教育孝、エリートコースの末路
ようやく時間が作れたので、3月の更新だ!
今月の担当は、***君だな。
じゃあ、よろしく!
、、、という事で、またまたモントリー.ジャズ.フェスティバルで、チック.コリア、RETURN
TO FOREVERを見た!(ダダダン、ダ〜ン「ダウン.タウンDX風効果音でお願いします。)
昔は、「チック.コリア」という名前が冠に付いていたが、普通に「RETURN TO FOREVER」となっていた。
メンバーが、超豪華メンバーで、アル.ディ.メオラ(g)、レニー.ホワイト(ds)、スタンリー.クラーク(el-b & wood bass)。
25年ぶりくらいで映像を見たスタンリーは、ひと頃のような、ブルース.リーの「死亡遊戯」に出て来る2mの悪者黒人空手家風な雰囲気はなくなっていた。
(ちょっと体重増しで、最初、誰かわからなかった。どちらかと言うとレッツ.ゴー三匹の背の高い方風である。長作、、だったかなあ。。)
相変わらずの超絶技巧で健在だった。25年前見た映像では、チック.コリアとのジャズセッションでウッド.ベースを弾いていたのだが、あんなに簡単に超絶技巧でウッド.ベースを弾くベ−シストを見たのは初めてだった。
当時は、スタンリーと言えば、てっきりフュージョン系のチョッパー系のエレキベーシストだと思っていたので、ウッドベースを持っているのを見て意外だった。ちゃんと弾けるのかなあ、などと思ったほどだ。しかし、すぐさま、「なんじゃあ〜、こりゃあ〜!」と松田優作風なリアクションを取ってしまったくらいびっくり超絶技巧だった。
あまりにも簡単に速弾きするので、あれは普通のウッド.ベースの弦だろうか、と思ったほどだ。「死亡遊戯」恐るべし、、、と記憶に残った。(その後、ナンシーウィルソンが出て来て、チックコリアのトリオで歌っていたレーザーディスクだ。25年前に見た人もいるだろう。)
アル.ディ.メオラは、速弾きをちょっと抑え、アンサンブル上の極めのフレーズなどをチック.とピタッと合わせたりして渋く極めていた。元々、19才の頃か、このバンドのオーディションに通り、2週間くらいでRETURN TO FOREVERの曲を覚えてツアーに出た、という天才ぶりを発揮していた。(2週間でチックの曲をすべて覚えるわけである。通常は、1ケ月くらい掛けて4曲くらいじゃないかなあ〜。)
やはり、今回、一番びっくりする事は、全員の前にまったくの譜面がない事だ。チックのキーボード上にもない。全員が、あの複雑なアレンジ曲を何曲もすべて暗譜しているわけである!
これは、考えられない。いかにこのバンドに掛けているか、いかにこのバンドでの報酬が高いか、という事の現れである。
通常、ロック系のバンドは、譜面に弱い事もあって、全員が曲を暗記して演奏を行っている。ロック系に取っては、それが普通だ。
しかし、これは、読譜にテキト〜に強いジャズ系では、ありえない事だ。一言で言えば、そんなにがんばってやる必要もないから曲のアレンジはなかなか覚えないわけである。
たぶんギャラも大した事がないからと言う事もあるだろし、そんなに時間を掛けてやるほどでもない、と思っている事もあるだろうし、単に職務怠慢なだけ、という事もある。(まあ、こっちの方が主流だろう。クラシック系もソリストだけは暗譜する習慣はある。)
ジャズ系なのに全員が、すべてのアレンジを暗譜してステージに挑んでいるって事は、それだけ、このバンドが、ロックバンドにも対抗するほどの「バンド指向」である事を強調しているって事だ。けっしてその場で実験するセッション.バンドではない、と言うアピールがある。
簡単に言えば、だからこそ、彼等は、高額なギャラを取るにふさわしいプロフェッショナルと言える。(この点で、高額な収益を上げるロック.バンドも当然、全員、暗記しての演奏であるから、それにふさわしい音楽姿勢でもある。)
まあ、それを可能にできるのも、そのバンドに参加する事が、かなりの高額なギャラが保証されている、という事も言える。リハーサルも入念にやり、たぶん暗記する事が、契約上の取り決めとしてあるのだろうと思う。
そんな超一流のプロ.フェッショナルなミュージシャンたちを見た後で、毎回、同じ曲しか演奏しないと言うのに全く暗譜すらしていないアマチャー系のビッグ.バンドやバンドとの「格差」は、考えられないものがある。
昔、テレビで見た、NHKの全国アマチャー.ジャズ.ビッグバンド大会で、長い間、審査員を勤めていたドラマーのジミー竹内氏なんかが、あるビッグバンドのドラマーに「こうしてコンテストに出て来てやる曲くらい譜面を見ないで、覚えて叩きなさい!」と叱っていたのを思い出した。
考えて見れば、当然である。コンテストに出る曲なんか1,2曲だ。それくらい暗譜して出るくらいの練習量と気合がないといけない。当日もまだ譜面を見ながら演奏しているって事は、練習量も気持ちも足りないって事の現れでもある。
(実際は、まさかの時のための「保険」として譜面を置いている場合もあるだろう。クラシック.ピアニストもそうする場合もある。しかし、大抵は、すべて暗譜してオーケストラと共演している。それが常識だからだ。特にクラシックは、暗譜してからが、本格的な練習のスタートでもある。「暗譜するくらいの練習」が目的ではない。暗譜は、始りにすぎない。)
そうやって1流プロとアマ比較して見ると、アマチャーに足りないのは、何も技量だけじゃない。そもそもの音楽に対する姿勢が、甘いんだなあ、という事がわかる。その結果として、その甘えと同等の技量で停滞しているのだろう、とも言える。コンテストに出ると言うのに、譜面を拡げているってのは、ジミー氏から見るとその時点で、アウトなわけである。
私の場合は、目の前に譜面がまったくない状態で曲がスタートする場合が多かったから、この手の話しとは、あまり関係ないが、一般に譜面が少しでも読めると譜面に頼りがちで、譜面が苦手な者は、暗譜に頼る傾向にはある。どちらが良いか、と言う事は言えないが、どちらも悪い、という事だけは言える。
後記:現代教育孝、エリートコースの末路
という事で、譜面を読む事を「本」「読書」と比較すると、ともに左脳系の情報で、左脳系の情報をいくら重ねてもなかなかその人は、成長しないなあ、と最近、つくづく思う。
昔だったら読書する事は、良い事で、色んな事がわかり成長の助けになったものだが、今は、全くその逆ではないか、と思えるくらい何の役にも立っていない者も多い。
あれだけ読んでこの程度の事しか言えないのか、とびっくりしたりするケースも多々ある。若者にいくら加藤諦三の本を読みなさいと言っても「読んだけど大した事がない」という者も多く、お手上げ状態である。一向に甘えは、消えないし、自他の区別も付かない妄想系メールも多い。たぶんこのまま、あっと言う間に10年経つだろうと思われる者ばかりである。一言で言えば、「幼稚」としか言えない。本当に自分が望めば、仮面ライダーにもなれると信じている者もいたりする。
特に、今の時代、大学、大学院と言った学士コースを歩む者も多くいるそうなのだが、実際に就職先がない、と言う。
これは、だいぶ前に新聞の書評で見た本で、少子化のせいか大学経営もあぶなく、そのためにやたら学士コースを進めて大学在学期間を伸ばして学校側が稼いでいると言うシステムだ。通常、このコースだと「教授」になるコースらしいのだが、そうした「学士様」をどんどん大学側は排出する割には、「教授助手」の就職先もない、と言うのだ。
う〜む、、。これは、音大、音楽専門学校のケースにも当てはまる問題だ。あなたも明日のスタジオ.ミュージシャン!と謳うわりには、そんな仕事などない。ああした世界は、もうすでに定員が決っているわけだ。各アレンジャーの**組、**組に所属しているわけだから、そのアレンジャーが起用するメンバーなんてのは、ほとんど決っている。歳を取ったから引退という職業でもない。(下手したら80才までやれるかもしれない!しかし、まだ、そんな年齢まで行かない。せいぜい60代くらいだ。)いちいち、新旧交代なんてする必要もない。
起用されるとしたら新たな若いアレンジャーの**組に入るしかないわけである。(映画監督の黒澤組に簡単に入れないように、スタッフも監督と共に歳を取って行くだけだ。)
海外のアレンジャーと言えば、デイブ.グルーシンとかだが、デイブが使うメンバーもすでに大体、昔から同じで、生涯の仕事をこのメンバーと終えるつもりだろう。(ギター、リーリトナーなど)
こうした時代に、何をどうしたら良いのだろうか。いくら読書しても変らないわけだし、どんな学校行ってもダメ、就職先もないし、また就職する気もない(いずれスターになるからである)。
インターネット上の若者系のブログは、中途半端に自己顕示欲を満たしてしまうものだから、昔のようなハングリー精神から来るパワーが生まれない。その証拠に超1流ほど、逆に「ブログ」などに参加していなかったりする。(彼等は、現実の仕事できっちりとその成果を発揮しているから必要ないのである。)
そんな事を考えていると、久々に戸塚ヨット.スクールが、テレビに出ていた。
あれは、家族が結局、そこへ子供を入れるから無くならないのだそうだ。昔なら、図体のでかい手の付けられない悪い子供は、相撲部屋だ。
ともに極端な例だとしても、いくら本を読んでも学校へ行ってもダメだとしたら、何か、その中間的な機関がないとどうしょうもないのではないか、と思ったりする。(ある時代は、それが会社の役割だったかもしれない。新人教育である。)
現代の若者に読書をすすめる事は、辞めた方が良いのかもしれない。この情報過多の時代に、素晴らしい本との出会いに依ってその生き方、人生までも変った、という事は、ありえないようだ。昔の人は、情報を渇望する体質がまだあったが、現代の若者は、飽和状態に達しているのではないか、と思う。自他の区別どころか善悪の区別も付かないし、何を注意してもすぐに忘れてしまい元の木阿弥状態でもある。
何か、内蔵されていた自己改革、制御装置が、いつのまにか壊れてしまったんじゃないか、と思っている。孤独な若者が、夜な夜な、一人で対峙するインターネットの世界と何か関係があるかもしれない。読書の世界とはまた次元の違う、閉鎖的な観念だけで作り出しているリアルな世界がそこにある。そうした世界は、精神が病むようにできているのではないか、と思ったりする。
いやあ、忙しい。今、日本で23番目に忙しいんじゃないか。この季節は、確定申告でもある。あちこち移動しているので、なおさらだ。そろそろ日記を、、と言われ、しょうがなく、出先から書いていたりするわけだ。
確定申告と言えば、今年から国民健康保険者証が、名刺サイズに変ってしまった。しかも、これがペラペラの紙でできている。ちょっとした事で、間違って破いてしまうだろう、と言う話しになり、飲み屋のおばさんは、自分でラミネートさせたという。これに習ってこちらも文房具屋で、ラミネートさせた。これが100円だ。
これで破れる心配はないのだが、毎年、毎年、実費でラミネートしなきゃいけないのだろうか、と何か国や市に騙されているような感じだ。
当然、ラミネートをするなんて考えは、年寄りにはないから、何かにつけ破きたい放題だろう。そもそもこの貧相な名刺サイズになった保険者証の市の言い分は、”財成難”である。ホントかなあ?以前、テレビでやっていたじゃないか。
市役所にある、あのおびただしい数の誰も読まないパンフレットの数々。あれは、高い値段で印刷業者に作らせているらしいから無駄な経費の一つだろう。一番、安い所を探して発注しているわけでもない。
ホームページ一つ作るのにも国家レベルでは、何億円もの経費を掛けて、業者に作らせていると言う話しだ(無料で作ってくれる個人もいるはずだけど、、。まあ、通常の何億倍ものお金が動いているはずだ。)
それなのに国民健康保険者証は、財成難の影響を受けて、ペラペラな紙になってしまった。この紙は、子供が銀行ごっこで使う「お金用」の紙のようなもんじゃないか。これから一生、毎年、送られて来るたびにラミネートさせに行くのかなあ、と思うとなんだか腹立だしいではある。
節約を謳う者ほど、裏で浪費しているってパターンが多い。自分の「悪」を、他人になすりつけて、自分側を「善」として大義名分を立てているわけだ。
まあ、これも泣き寝入りのケースだろう。突然、色んな事が国や市町村によって決定される。(突如、巨大ビル建設が始ったり、道路工事したり、、。)
名刺大の大きさになった国民健康保険者証の問題点は、これだけではない。子供用でも「扶養」の文字が小さくなり、家族がみんなそれぞれの名刺大の大きさの保険者証を持つ事ができるわけだ。5人家族なら5人分の名刺大の保険者証がある。便利になったような感じではあるが、これまでは、一枚で活用した来た。
昔の保険者証(健康保険証)は、手帳くらいの大きさで、家族全員が一つの保険証を共有していたりした。離れて暮す学生の頃だと特別にもう一部発行されたが、そこには、「遠隔地」「扶養」の文字が大きくあり、二十歳を越してこれを病院に提出したりすると、何だか、まだまだ一人前でない感じで恥ずかしいという思いがあった。早く「世帯主」としての独自の保険証を持ちたい、という気持ちが、以前の保険証にはあった。
ところが今年からは、こうした大きな保険証から、みんな個人個人の保険証となり一見一人前扱いである。これでは、まだまだ子供で恥ずかしい、と言う気持ちが一切湧かないではないか、と思ったりする。
子供がいっちょ前に名刺を出す感じで自分用の健康保険証を出すわけであるから何か妙だ。そんな事を考えると、あれこれと「子供優遇」「子供中心」なシステムが多いなあ、と思ったりする。
なるほど、そんな世界で暮す子供は、当然、このまま子供のままでいたい、大人にはなりたくない、と言う気持ちも湧いて来るだろう。だから今の二十歳は、昔の10歳の小学生くらいで、現在の25才くらいは、昔の15才と全く変らないと言う印象を与える事も多い。
(こちらへの100件余りのメールの2割くらいは、そうした二十歳過ぎたお子様たちからのクレームでもあったりする。お子様相手なので、現在は、直接に関与していない。)
昔と今では、おおよそ10歳くらいの差がある。15歳くらいじゃあ(現在の25歳)、怖い者知らずにもなる。親の保護の下に好き勝手な事を言っているわけだから、怖い者なんかなくなるだろう。
なるほど、そうなると当然、ファーストフード店で接客態度が悪いと言って、大人に「常識」を振りかざしクレームをつける中学生も出て来る。「お客を何だと思っているのか!」と言った態度だ。お金を払う側が一番偉いと思っているわけだ。大人と言うのは、お金が欲しいだけの「奴隷」「下僕」と言う認識だから「正論」としてクレームも付けられるわけだ。
今や、ファーストフード店なんか行くと、高校生あたりから、足をテーブルに投げ出して携帯電話片手にあれこれ叫びまくっているわけだから、子供天国の国と言える。そんな国にあっては、確かに大人になる方が損である。
昔は、子供は夜更かししてはいけない、夜は、子供はテレビを見たらダメだ、長電話してはいけない、、などなど、あれこれの規則があったからこそ、「ああ、早く大人になって、夜更かしして、好きなテレビ番組を見て過ごしたい!」と子供は、思ったわけである。
だから昔の子供は、大人のふりをしようと懸命だった。子供と思われたくなかった。大人になる事にあこがれたわけである。それが、ああした健康保険者証への思いにも現れていたわけだ。
今年からそれもなくなり、人間はみな平等と言う事で、誰が大人で誰が子供かもわからなくなった。とりあえず、お金があるのが子供で、お金がないのが、大人だろう、、という区別法は、的を射ていないか。
高校生ともなるとくわえタバコで、女子生徒と抱きあいながら下校するのも「普通」の光景である。明日戦地へ赴く戦前の兵士たちの最後の休日でもああはならない。
何という楽しそうな日々だろう。こうやって考えるといかに大人になる事が馬鹿らしいか、というシステムの上で国家が成り立っている気がするわけである。
ファーストフード店だって昔は、大人の都合と気まぐれで訪れたもので、子供の意志で向ったわけではなかった。だからこそ、早く大人になり勝手にファースト店に行ける事にあこがれたわけである。早く車の免許を取り、ファーストフード店までドライブして、デートするわけである。
(車用のファーストフード専門店「A&W」が、沖縄では、1963年からあった。日本マクドナルドの日本第1号店が、1971年銀座三越店内の銀座店であるらしい。フランチャイズ化が、1976年頃と言うから沖縄上陸は、1977年くらいではなかったか。最低でも14年くらいの差があるわけだ。)
それに加えて、何かと一人暮しが大人の世界を享受するためには良いなあ、ということで、とにかく一人暮しを切望したわけである。その実現に向けて、またまた大人計画が実施されるわけだ。
そんなわけで、それから「大人」とし暮しているわけである。
よかった、よかった。
後記:大人申告
そんなわけで、大人として確定申告したり、あれこれ大変でもあるが、自由になるための義務である。子供でいるよりは、楽しいだろう。
これからは、ハンバーグやオムライス、カレーライスも大人が食べるものとしたら、どうだろう。もっともっと早く大人になる子も増えて来るに違いない。
沖縄でのゴーヤー.チャンプルーなんてのもあれは本来、子供が食べない。あれは大人が食べるものであった。子供にはゴーヤーが苦かった。今のゴーヤーは、苦くないから、これもまた子供用のゴーヤーである。
こんな世界で育った子供は、もう、大人になって誇るものが、なくなってしまう。
初めて自分用の「世帯主」の健康保険者証を手にした時、とても嬉しかった。ようやく大人になったなあ、と思ったもんだ。
それだけ国民健康保険者証には、思いがあった。
だから現在もラミネートまでして大切に保管しようとする大人たちがいるわけである。
特に、自由業者は、厚生年金と言った社会保険には、入れないから国保は、命である。
今日の話し、子供には、さっぱりわからんだろうなあ。
あちこちで接客の態度がなっていないとクレームを付ける大人のふりをした二十歳過ぎの子供たちには、まず健康保険者証の提示を義務づけたらいい。
3月27日(金):祝サムライジャパンと40年前のサムライ、後記:野球村の村長たちと現代のサムライ
忙しい3月と言えどもあと1本、更新してくれ、と言う事で、すべり込みセーフ。
すべり込みセーフと言えば、何と言っても野球のイチローだ!まったく野球に関心のなかった私でも、韓国には、なかなか勝てないと言う話しを聞き、ちょっとだけ見てみようと言う事になり、対韓国戦だけを見たわけだが、タイミングが良く、あの決勝戦は、実況中継で見た。
これだけ野球でドキドキしたのは、本土復帰前の1968年8月9日に沖縄興南高校が、甲子園に出場しベスト4に進出した時以来だ!(古〜!)
*第50回(皇太子御夫妻招待、記念大会)甲子園、
第2試合、VS岐阜南:8-5、
第3試合、VS海星(長崎):4-0、
第4試合(準々決勝)VS森岡:10-4、
と快進撃を繰り返し、興南が勝ち進む。しかし、、
第5試合準決勝、VS興国(大阪)
無念の14-0と惨敗。
今でもテレビ中継が聴こえて来るようだ。
最後の準決勝は、真っ黒になったユニフォームを着ての進出だ。ここまで来るとは思わなかったのか、験を担いだのかは、覚えていない。連日のピッチングで体力の限界を迎えたエース安次嶺(あしみね)に代って、次は、キャプテンの我喜屋(がきや)が投げるわけだが、興国の前に興南は、力尽きる。
記憶では、最後に再び安次嶺が出て、終ったような気がするが定かではない。何と言っても当時は、9才だから小学校3年くらいかなあ。。
(しかし、興国は、決勝で静岡商に0-1で破れる。静岡商の当時のピッチャーが、後に巨人で活躍する新浦投手)
この興南旋風は、本土復帰(1972年5月15日)以前の出来事だ。
(1963年第45回大会で首里(しゅり)高校が、初めて甲子園で1勝する。2回戦:VS日大山形4-3)、
後に戦後の沖縄ベスト10のニュースにも上げられる、具志堅用高氏が、世界チャンピオンになるニュースの4年も前でもあるから県民にとっては相当にインパクトがあった出来事である。当時9才の私が、今だに覚えているわけである。
(1976年10月10日、具志堅用高、 デビューわずか9戦目での世界初挑戦、WBA世界ジュニアフライ級王者、ファン.グスマン(ドミニコ共和国)を7回KO勝ち!)
、、というわけで、今回のサムライ.ジャパンの決勝戦は、私に取っては、実に40年ぶりくらいの野球での感動!となるわけだ。
(野球少年だった私が、なぜ野球に関心を抱かなくなったかは、催眠療法でも受けてみないとわからないが、、。たぶん、小学4年の時に野球のしすぎで肘の軟骨の炎症が起こり、両親から止められ、そのために少年野球チームを辞めてから、野球を封印したのだろう!しかし、その後、すぐに水泳に夢中になるのだが、、。)
あの時のイチローの凄さは、もうみんなが語っているので、改めて触れる必要もないではあるが、オーラの泉の江原啓之氏に実際にあの時のイチローに何が憑いていたのかを聞いてみたいものではある!
(逮捕直前に番組に出ていた小室哲哉のケースもあるので、やめとこうか、、。)
とりあえず、あの時間、実況中継で、あの場面を固唾を呑んで見る事ができた事を神様に感謝しよう。イチローも言うように、神様の一人は、イチロー担当であったはずだ。(サムライ.ジャパンなので、当然、八百万の神々の一人だろう。)
サムライは、「さぶらう」という自動詞から来ているらしい。じっとそばで待機して見守り続ける者の意味だから、日本のチームに取ってイチローは、確かにサムライだったなあ、という印象が残る。
後記:野球村の村長たちと現代のサムライたち
野球に関心のない私の耳にも、以前から各球団のベスト選手を集めるのは大変だ、とか、シーズン中なので、1チーム2人までしか出さない、とか言う監督の抵抗があったりだとか、それを長島元監督が、これからの野球界は、こうした事に野球界全体で力を入れないと青少年が続かない、と説き続けたという話しなんかは、入って来た。星野元監督も同意見だった。
元々、野球ファンでもないからどうでも良いが、選手を出さないと言って非協力的だった現役監督たちの名前も聞いてはいる。
まあ、監督は、企業から雇われていてチームが勝利しないとリストラされる弱者の立ち場だろうけど、今回のワールドな試合を見た後では、どうもそうした国内のいざこざは、村の村長同士の小さなこぜり合いにしか思えず、あまりのスケールの小さな話しに、またまた、国内でのプロ野球を見る気がしないではある。
そう考えると、企業同士の利害関係で競っているものよりも、純粋に損得抜きで、何もかも投げ出して、名誉のために闘っている姿こそが、本当の感動を呼ぶのではないか、と思ったりする。
プロ野球選手は、みんな大体は、甲子園経験者でもあるから、プロになって久々にあれだけ燃えたんじゃないだろうか。
私自身は、40年前の興南高校の試合と今回のサムライ.ジャパンの試合は、何か、同じ感動を覚える。
ともに、海を渡って、自分たちの現状の強さを証明して見せた名誉の闘いである。(黒人が白人にジャズ.スピリッツを見せて来た事にも通じるものがある。)
選手と同じ20代、30代で、あんな闘いを見て、それに引き換え、一体、自分は、何をしてんだろう、と思う者がもっと出て来ると世の中も明るいのだが、昨今の若者は、虚構のインターネット上でしか虚勢を張れず、あとは、いやがらせメールの応酬で、貴重な青春の日々の大半を過ごしているという者も多いそうで、そうなるとインターネットの側で待機する「サムライ」と言う事になるか。
となると、彼等に取っての主君は、パソコンや携帯電話と言う事になる。なるほど、そうしたものに”さぶらって”いる”サムライ”というわけか。
サムライは、さぶらうべき主君を見誤ると終りである。
4月4日(土):狂い咲き、春爛漫、春先に出るもの。後記:親死に子死に孫が死に。。
3月、4月にもなるとやっぱりなあ、と思う事も多い。
春先には、頭のおかしい人間がポツポツと芽を出し始めると言うが、こうしたサイトへのメールの1、2割は、そうした季節がらを現す連中からだと言う。
毎日、2,3人ばかりは、私の事を「師匠」だの「友達」だの「仲間」だのと言って来るわけだ。大半が20代である。自分の事をわかってくれ、と長いメールを送りつけて来る者もめずらしくない。メール文を見れば、その人の大体の事がわかるから、すべて「わかりました。卒業です!」として即座に終らせている。
その中から最もおかしい者が、ストーカーになって行くわけだ。彼等は、自分という人間を自分で見るという客観性にいちじるしく欠けているから自分の行動を反省する事がない。あれこれ、プレゼントと称して送られて来たりする事もある。思想書なんかある。(すぐに古本屋へ売りに行く!)
(こちらも忙しく、いちいち目を通していられないので、気違いメールは、自動でゴミ箱へポイのシステムを取っている。あまりしつこいのは、両親を呼び出して話すしかない。何しろ二十歳越しても”成人”ではない。やっている事は、小学生と同様な行動でしかない。)
どうやら彼等から見ると私も自分たちと同じ「感性」の仲間だと思っているらしい、、との事だ。自分は、相当に私と縁が深い人間だ、というアピールが絶えないという。たぶん親子差ほどもある私の年齢もピンと来ないのだろう。
この世代は、インターネット社会から思春期が始ったために自他の区別がつかない妄想系も多いという。
インターネットを通じて気に入ったすべての人間と自分が一体化しているつもりでいるらしいのだ。これは、自立しきれない彼等にありがちな、幼児が、母親と一体化しているような感覚だろう。ストーカーもこの類だろう。(ウンチをしても母親が尻拭いするわけである)
関心を寄せる相手と「他人」とは思えないわけである。自分が思った事は、相手も同じように思っている、という錯覚だ。
まあ、自分がイモを食べたら、当然、相手がオナラをするだろう、と思っている感覚とも言える。
地獄界にいる人間が、自分が地獄界にいると思ってもいないように、彼等も自分の精神がおかしい、とも思っていない。思っているのは、彼等に接する回りくらいだろうけど、たぶん、彼等は、隠れ異常者、変質者とも言えるだろう。
彼等は、当然、自立は不可能だから親の保護の下に同居して暮しているのだが、彼等が、狂い出すのは、こうした裏のインターネットの社会だけである。
彼等に取っての「オモテ」の世界は、親兄弟、友人に対しての顔であるが、「ウラ」の顔は、インターネットの世界を支配する全智全能の神の気分だという。彼等の親兄弟、友人は、そうした彼等の裏世界での異常行動を全く知らないわけである。
夜な夜な、核爆弾ミサイルか、はたまた北朝鮮のテポドンか、、といったようなメールの「送信」ボタンを押したと同時に彼等の前途ある未来は、少しづつ削られて行くわけである。その瞬間にもう未来はない。現在も自分は、異常であるという事をアピールし続けているだけである。
こうした私的に運営している地方の音楽教室のサイトでさえ、そういう妄想系が「師匠」だとか「友達」だとか「仲間」だとか言ってあれこれ接近してくるわけだから、有名芸能人、ネット.アイドルとなると大変だろうと思う。
彼等にとっては、ネット.アイドルも芸能人も街のおじさんもお姉さんも変りない。すべてが「自己」の延長である。要するに全能ならぬ電脳の「神」になってしまったわけだ。自分が気に入った者は、すべて自分自身と同じ感性、感覚のものと思い込むわけである。(小学生並の精神年齢だからしかたない。親が叱るまで直らない。)
自分が思っている事は、相手も同様に思っている、と信じて疑わないわけだ。自分と同じ事を思っているハズだから相手も自分も同じである、という脳回路である。
しかし、人間は、まず、現実の世界の行動、実績を記録したプロフィールで判断するのが普通だろう。
ああ、この人は、大学へ行っているから自分とは違うな、とか、この人は、この歳では、もう独立して会社をやってるんだな、とか、職業はなんだ、とか、、そういったものが、「共通」しているから、ある程度の共通性も見つける事ができるのが、”正常”な人間の判断力ではないか。
そういった肩書きをすべて取り除いて、この人とは、考えも感性も同じだろう、だから同種の人間だな、と判断する所が、異常者の特徴だ。
そんなに同じなら、現実の世界でも同じ事をして来ているだろう。
(私だって、ジェフベックのような感性と感覚と知性がないからジェフベックのような人生が歩めないわけだ。)
これでは、彼氏も彼女も永久にできないだろう、と思う者ばかりだ。相手の文化を尊重できないからである。デートする相手でもいれば、夜な夜な、一人で、バーチャルな世界の住人にもならないだろう。
しかし、私の年齢で思う、一番の問題は、知らない間に、こうした青少年の親になってしまっていたら、、という事だ。現代のインターネット社会の恐怖である。こうした自分の息子、娘の実体を知り自殺する親もこれからは出て来るかもしれない。
夜な夜な外出する内は、まだ健全だったんじゃないか、となる。現実の世界にはちゃんとバーチャルでない話し相手も存在するだろうからである。
まさか自分の子供が、バーチャルな世界で、これほどまでに気違いじみた言動ばかりしていたのか、と言う事になる。まるでキャバクラにはまった中年おやじのように、ネット.アイドルにはまり、お目当ての彼女へ貢ぎ物を送り続けるわけだ。
なるほど、そうした世界でも自分の肩書きはいくらでも作れる所が共通しているかもしれない。中年になってやる事を青少年の内からはまってしまっているわけだから、さほど特殊な人間たちでもない。現代では、当たり前に存在する人種の一種かもしれない。
最近のニュースでも高校生が、自分のブログで、対戦相手の他校のチームを中傷して全国ニュースで紹介までされたケースがあった。
(今やこうしたネット社会でも名前を追跡調査できるから匿名は錯覚だ。)
商売人や芸能人なら自分が公の者であるという自覚があるから良いが、一般の10代、20代が、ブログを公表する怖さがここにある。
(相当に人生経験を積んだ40代あたりから始めるのが無難ではないか、と思う。芸能人でさえも20代の内は、問題発言で失脚するケースもあるからだ。)
いずれ保護者となる両親も含めて、こうした子供たちのバーチャル世界での異常行動を話し合わないとその暴走は止まらないだろう。
(現代は、20代の「子供たち」も多く存在するから30才で一応、全員成人としておこう。20代で会社を興す者もいるというのに、、何という格差か。。。)
こうしたインターネット社会が生んだ、全智全能な青少年を止める事ができないなら、やはりこれも小学生あたりからインターネット社会のルールと怖さを先生、生徒間だけでの擬似インターネット世界でのシュミレーションを通じての”教育的指導”が必要になるだろう。自動車学校のようなものだ。
あんなメールを送ってはいけない、こうしてはいけない、といった交通規則を守るようなものだ。
昔は、世間に顔向けできない、と言う言葉もあったが、今は、インターネットの普及で、その世間が広がってしまったわけだ。近所の気違いが、世界の気違いにもなるわけだ。だからこそ、なおさら厳しく小学生の内からルールを厳しく教えておかないといけない。
現在、20代あたりの青少年の親ってのは、インターネットの事をあまり知らない者も多くいるだろう。
そうした中で、自分の子供が、バーチャルな世界で、全脳感を持ち、気違いじみた行動に出ている事を知った時のショックは大きいだろう。まともな親なら自殺してしまうかもしれない。
しかし、親自身も気が狂って初めて、その子供たちは、我に返り、正常に戻るのかもしれない。
親の心、子知らず、、と昔から言ってはいるが、やっぱり親は、死んで見せなきゃわからないのかもしれない。
もしも、親が死んでもわからない、、としたら、どうせその一族は、その子のために滅びるであろうから、それはそれで、しかたのない事でもある。
そうなると、こうしたインターネット社会で暴走する”子供(青少年)”たちを生んだという事は、たぶん、その一族への祟り!なのかもしれないなあ。そうだとしたら、やがて自爆するしか道はない。
後記:親死に子死に孫が死に。。
そんな事に毎日、多くの時間を費やしても青年期は、救われない。私も、プライベートなメール以外は、一切読まないでもある。(当然、名前は、CD購入者でも覚えていない。そんなに記憶力があるわけではない。)
誰にでも「師」は、いるが、実際に物事の指導を受けている「師匠」もいれば、実際には会った事もないが、その著作などで「師」と崇めている者もいる。これを英語では、MENTOR(心の師)と呼ぶようだ。
私にも何人かのそうしたメンターがいるが、実際に会った事もないし、メールを送った事もないし、ましてや贈り物を送り付けた事もない。会っても「あなたは、私の師です!」などと言う事もない。気味悪いと思われるだけだ。(自己客観視能力が高い証拠だ。)
大事な事は、その人の助言で、人生を立派に生きた、と言う事実だ。それが、大事だ。そういう人生を歩めるようにする事が、本当の感謝の気持ちだろう。何のオチも残していない青少年が、感謝の気持ちだからとアクセスして来ても、問題は、何の解決にもなっていないはずだ。人生は、これからだ。
彼等は、何の結果も残していない自分自身と対峙したくないために、自己顕示欲の固まりとなって、そうしたメンターたちへ接近し、あなたは、師匠です、友達です、仲間です、と言う言葉を並べ立て認知してもらおうと躍起になっているわけだ。これほどイージーな行動はない。
こうした者は、修行事は、一切無理だ。あらゆるプロセスを省いて、すぐにその「地位」だけを手に入れようとしているわけだ。
本当の修行者は、じっと望まない現状に耐えつつも、メンターたちからの助言に従い、自分が希望する人生を歩めるように毎日、努力して行く者だろう。
そうした一切合切を全部すっとばかして、すでに理想の「地位」にいるわけである。これもまた実体のないバーチャルな「地位」である。
一日も早く、地獄界にいる自分自身に気づき、自立し、結婚して、子供を作り、その子供が、インターネットの世界で異常者とならないようにしっかりと教育して、その子もやがて成人し、子供を生んだ時に初めて、感謝したらいい。(その際もメールはいらない。贈り物もいらない。まったくの赤の他人でしかないからである。)
それだけの事をやってのけた人間だけが、成功者であるから、その時は、天に向って感謝したらいい(この世にはいないだろう!)。
しかし、その孫が、今度は、どうなるか、、は、私とは一切、無関係としておこう。
1日も早く、こうしたバーチャルな世界から「解脱」して、現実の世界でがんばる事である。
現実の世界では、誰にでも春は、来る。
4月16日(木):アーティスト病の若者たち、後記:上杉謙信と門下生と孫弟子と動物霊と新興流派
CDを購入したファンだと言う事で、事務局のスタッフも我慢の応対を重ねていたが、ある青年のあまりの大量キチガイ.メール、匿名の異常プレゼントについに全員、頭に来て、警察に届け出た。(食パンにはさんだCDや、死刑執行を意味するような黒く塗りつぶした人間のらくがき絵図などの贈り物)
相手が、受け取り拒否ができないように送り主も送られる側の欄にも送られる側だけの住所氏名が書かれている点が、常習者の手口である。
おそらく、前回の日記内容にファンという立ち場から、私が、最も憎い対象に変ったのだろう。こうした逆ギレが、異常者の世界であるから、彼等からの愛情を素直に受け止め、いちいち応対するのも賢明ではない。
相手は、ジャズミュージシャン(ジャズ.ピアニスト)の卵を名乗っているという25才の若者らしく、私とはこれから同業者同士でもあり、仲間、友達、師匠と言う関係でいこう、と言う。ブログもやっているらしく、そこでは、自分は、私の弟子だから、高柳氏の孫弟子にあたる、とまで記載されているそうだ。CD購入の際のあちらの実家の住所氏名、全メールも警察に届け済みである。
今後、またこちらへアクセスがあれば、彼の住む埼玉の警察とこちらから届け出た那覇県警が連絡を取り、両親まで呼び出しての対処と言う事になる。このまま何もなければ、届け出た日、警察から相手の携帯電話へ厳重注意をした、という事で、それだけで終る事になる。
私自身もこのまま事務所に様々な異常贈り物が送り付けられたりすると次の行動に出るしかない。
こうした事は、以前にもあったが、ストーカー(女性)などから突然、お金が口座に振込まれるので、拒否のしようがない。
彼等は、自分の住所氏名を明らかにしている事を何とも思っていない。これは、幼児と全く同じ行動だからしかたない。本人に問い詰めても幼児との会話だから何の効果もないだろう。自分がやっている事が異常であるという自覚がないからである。客観性ゼロの人種だから何にでもなれる。今後、何かあれば、警察を通じて両親に会うしかないだろう。
それで、今回の件から、CD振込み口座の告知を廃止し、CDへのサインも辞める事になった。異常者たちにとっては、サイン入りのCDを貰う事は、自分は、関係者の一人、身内の一人と言う意味になるらしい。芸能人でもサインをしない者がいるが、それは、こうしたストーカー事件に巻き込まれるのを嫌がっての事かもしれない。
一人の異常者のためにできたルールのために迷惑するのは、一般の善良な人たちである。
私に拒否された嫌がらせとして私のメール.アドレスを出会い系サイトに貼ったらしいと警察から報告を受けた。この件で営業妨害も視野に入れる事ができるらしい。(大量の広告勧誘電話などで被害届けが受理される。)これは、幼児系の若者の嫌がらせの常套手段でもあるそうだ。完全に悪霊に取り憑かれているなあ、という行動の連続である。
両親に忠告し、ブログを封鎖させ、こうしたインターネットの世界から遠ざける事が一番だが、取り憑かれたまま人生を終る事になるだろう。
自己顕示欲を満たすために、未熟な段階でブログを公開し、そこで意味不明な言動を繰り返し、夜な夜な見つけた、あちこちのお気に入りサイトに”送信ボタン”をクリックし意味不明なメールを送るたびに、すでに未来を自分の手で破壊しているわけである。身内なら、どんな事をしても辞めさせるべき事である。
しかし、今は、こうした若者も多い事だろう。”ジャズミュージシャンの卵”とは言うが、実際の実力は、初級の10級くらいの者も多い。そうしたレベルが、自分をこの世界でアピールしたらどうなるか。
地道に修行している修行中の若者たちは、実力が付くまで、みんな無言で何年も修行を続けているわけである。そうした日々は、また精神修養も兼ねているわけだ。それが修行と言うものだ。そうした生活に耐えられないと言う事自体、音楽修行に向いていない事を意味する。
ジャズの世界だから、こうした異常者が関わって来るのだろうか、と友人に言ったら、ロックの世界でもそうした者が、たまに現れるらしい。まったく楽器の技術はないのだが、すでにロックミュージシャンとして名乗っているわけだ。レッスンを受けてもまったく何もして来ないから退会命令を出したりするそうだが、ライブとなると現れて騒ぎまくるのだそうだ。
”ロックミュージシャン”と名刺にもそう書いてあったりするらしいのだが、何の実績もない。バンド活動の痕跡もない。私も一人、知っている。二十歳の頃からロックドラマーと言って暮しているが、バンド歴はない。あれから20年以上経った現在も同様であるらしい。仕事は、その日暮しであるそうだ。酒癖が悪く、20年掛けてほとんどの飲み屋は、出入り禁止となっている。
そう言えば、彼も私の事を20年くらい前に突然、親友と言って呼び捨てにし始めたが、3才後輩であるし、単なる顔見知り程度である。彼の中では、私が親友になっているのだろう。(最後に見たのは10年くらい前である。誰もが、彼の言動はおかしいと言う。)
以前にも触れた事がある話しではあるが、昔、地元のあちこちのライブハウスに現れていた”天才ギタリスト”の事を思い出した。今から20年以上も前だ。
彼は、ギターケースを持ってあちこちのジャズ系のライブハウスに顔を出すのだが、ケースを開けて見るとギターには、2本くらいの弦しか張っていない。この段階で、「ああ、これはおかしい!」とみんなにバレるわけだ。
ある時は、スケッチブックを持って現れ、「画家です」と言って来るわけだが、スケッチブックには、わけのわからない鉛筆書きの絵しかない。
彼は、そうやって10年くらいは、あちこちのライブハウスに現れていたはずだ。
今から考えると、こうした病は、「アーティスト病」と呼んでもいいんじゃないか、と思うほどである。日々の修行事は、無理だが、むつかしそうな話しを好むわけだ。その道の「権威」をすかさず見抜き、芸術論を語り始めるわけだが、すべて何かの受け売りである。
どうしても自分は、アーティストでないといけない、という妄想を抱いてしまうのだろう。
どうしても自分は、芸能界のアイドル.スターでないといけない、という妄想も同じだろう。
人によっては、自分は、医者だ、警察官だ、パイロットだ、自衛官だ、元傭兵部隊だった、となり、そのバリエーションも豊かである。
いずれにせよ、4月は、人事移動、留年、落第、退学、入学、就職、と人の変化も激しい。
熱心に指導していた、と思ったら、突然、心が折れ、脱落して行ったり、こうしたサイトを通じて何かを語れば、異常者たちが賛同し、仲間だ、友達だ、となったりする。
すべてが、教育の敗北だ。
私の指導も含めてだろう。
後記:上杉謙信と門下生と孫弟子と動物霊と新興流派
そんなわけで、4月は、怒っていると同時、やるせない気分である。しばらく、お酒でも呑みつつ、怒りや、やるせなさを静めて暮そう。異常者に好まれるサイトなんてのは、更新する気も失せてしまう。
嫌がらせ行動を取るたびに、確実に守護霊は、動物霊へと降格して行くわけだから、そんな者が、神社仏閣を訪れても何の御利益もない。境内を歩いている野良犬と変りないわけだ。
4月は、わが子の教育に失敗したと絶望する親も多い事だろう。とりあえず、どんな事からも学び、前進するしかないだろう。
テレビを見ていたら上杉謙信の49歳の時の句が紹介されていた。
”四十九年、一睡夢、一期栄花、一杯酒 ”、、である。
この49年は、一睡の夢のようであり、一時の栄花(えいが)もあり、一杯の酒のようでもあった、という意味らしい。
その年、謙信は、亡くなっている。
(そういえば、私もまだ49歳だった。。)
どんなに熱心に教育しても、逆切れして嫌がらせするような人間が読者にいるようでは、こうした更新も虚しい教育活動でしかない。
それと、私自身は、高柳門下ではない。高柳氏の門下を名乗る者は、みんな10年以上、高柳氏に師事しているはずである。私は、ほんの2年弱程度、教室を覗いたに過ぎないわけだから、私は、門下生とは言えない。
(現在も門下であるという事を経歴から外している有名ギタリストは多いが、、。私は、一時期、師事した事を事実として記載しているだけである。しかし、これは、氏の生前なら許されない事だったろう。)
そうした”本物”の門下生の弟子に習っている者でさえもまた10年以上、師事しているそうだから、そうした者こそが、高柳氏の”孫弟子”と呼ぶのにふさわしいだろう。
よって私に師事している者は、高柳氏の門下でもなく孫弟子でもない。私自身が、高柳氏から免許皆伝の允許も受けた事もないわけである。
しいて言うなら友寄流と言う、何の権威もない新興の流派の一つと言って良いだろう。
この友寄流には、入会時に即「卒業!」と入門を拒否した者もいるので、注意されたし。
本当に「卒業」と言う者がいたら「何級での卒業ですか?」と尋ねて貰いたい。
という次第で、更新の少ない、4月の事件の顛末を報告する。
低級な者に関わると創作意欲は失せる、という経験をした。
こうした若者たちは、私には、救えない。
これ以上、罪を重ねない事を祈るだけである。
尚、警察へ提出したすべての異常メールは、5年間、保管され以後の相手の動向を見るらしい。
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