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【農は国の本なり】第3部・バラマキの果て〔2〕 ムダ批判も省益優先2009年3月22日
金沢市の石川県庁地下2階にある倉庫。「広域整備計画書(鹿北広域営農団地整備計画)」のタイトルが付いた1冊の資料が眠っていた。30年ほど前の1977(昭和52)年、石川県がまだ離島だったころの能登島と対岸の2町の振興策として打ち出した大規模な営農構想だ。 計画書の中で示された能登島の10年後の農業は、耕作面積がほぼ倍に拡大する野心的な内容。 当時を知る旧能登島町の職員(70)は「この計画こそ国の農業予算を呼び込む誘い水になった」と証言する。 計画策定後、島内を東西に走る全長20キロの大規模農道の建設をはじめ、180ヘクタールの農地造成や対岸の2町を含めた田畑1260ヘクタールの土地改良など億単位の大型公共事業が目立って増え始めた。 しかし、実際には計画から10年近くたった85年の耕作面積は目標の6割程度の700ヘクタール。コメ、野菜、葉タバコなど品目別に設けられた数値目標もその後、全く検証されていない。 「みなさんがしっかりしないとだめでしょう」。2本目の「中能登農道橋」(620メートル)の建設のため、当時、農林水産省に陳情した元県議の長(ちょう)憲二(69)は、同省幹部から逆にハッパをかけられたことを思い出す。 島と本土を初めて結ぶ県営「能登島大橋」(1050メートル)が82年完成。工費55億円の半分を旧建設省(現国土交通省)の無利子融資を充てたため、2本目の農道橋は「税金のむだ遣い」と批判が出た。 地元の誘致運動が逆風を浴びる中、積極的に推進したのは公益事業の実績作りと省益のための予算確保にまい進する農水省。当初の予定が3年も早まった開通までのトントン拍子に「大事業というより家の前にどぶ板を造るような軽い感覚で進めているように思えた」と地元関係者は振り返る。 農道を造る前提に「通行する半数以上が農業関連の車両」という条件がある。通行量の調査について、石川県農林水産部の担当者は「少なくともここ数年はやっていない」という。 =文中敬称略
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