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【農は国の本なり】

第3部・バラマキの果て〔1〕 営農指導なく衰退

2009年3月21日

かつて稲作をしていた農道沿いの「棚田」も荒れ果て、木や草が生い茂る=石川県七尾市能登島曲町で

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 63億円で建設したつり橋をはじめ、島内を縦横に走る約40キロの農道…。人口わずか3000人の過疎地にかくも多額の税金がばらまかれ、なぜ農業振興に結びつかなかったのか。「農は国の本なり」第3部では、石川県・能登島を舞台に、ビジョンなき土建農政の罪を考える。

 生い茂った雑草は背丈以上あった。用水を引くため地中に埋設したパイプラインは、ポンプがさびつき蛇口から水が流れない。30年前、総事業費16億円余の半分に国費を投じて造成した約63ヘクタールの農地の一画。半沢咲子(32)は、ここがかつて畑だったとは信じられなかった。

 福島県出身の半沢は、一昨年から農業参入した石川県七尾市の食品会社で働く。能登島の耕作放棄地を再利用し、野菜栽培を軌道に乗せるのが仕事だ。東北大農学部の大学院を卒業後、青年海外協力隊で中米コスタリカに飛び、農業高校で指導した。「これからは理論より行動」と飛び込んだ農業の現場は、想像を上回る荒廃ぶりだった。

 多額の税金を注いだこの農地で、県は葉タバコを奨励し、最盛期には約40軒の農家が栽培。しかし、時代の変化もあり、5年ほど前に葉タバコ農家は1軒もなくなった。

 残された耕作放棄地は、資材置き場やごみ捨て場に変わり果て、「掘っても掘っても木くずが出てきた」と半沢は振り返る。

 県営農地からほど近い100万石地区。豊作を願って名付けられたこの地でも、耕作地は5分の1程度。地区で4万羽以上飼っていた3軒の養鶏農家も4年前にすべて廃業した。父親の代から専業を続ける瀬成(せなり)龍史(52)は「このままでは島が荒れ山になっちまう」。住民らは、苦肉の策で耕作放棄地にスギやヒノキを植え、山林に戻した。

 島中央を南北に走る3キロ余りの農道。人けがなく、両脇から張り出した枯れ木が舗装道路の半分近くを覆う。山腹の棚田はうっそうとした草木が生い茂り、近所に住む男性によると「減反で、30年以上前から野ざらし状態」という。

 1960年代に1億円以上投じて海岸を埋めた約12ヘクタールの県営干拓地も「耕作は半分ほど」(県の担当者)。一部はキャンプ場に転用されていた。

 現地の農協職員によると、島内全域で専業農家は今や5、6人。小規模農家が大半の島で、栽培作物の開発などきめ細かな営農指導がなければ、衰退は必然の結果だった。

 「行政は開発するだけで、後はほったらかし」。県営農地の事業主体、能登島町土地改良区理事長の黒田拓量(72)は力なく言った。

 =文中敬称略

 (第3部取材班・秦融、寺本政司、福田真悟)

 

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