『パール博士「平和の宣言」』 ラダビノード・パール著

◇読者レビュー◇ ラダビドール・パール博士の日本滞在記

植田 久美子(2008-08-27 11:10)
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 靖国神社の遊就館傍にある「パール博士顕彰碑」。その顕彰碑には、パール博士の有名な言葉が刻まれている。

 「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面をはぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその天秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」

 第2次世界大戦終結後に行われた東京裁判において、11人の判事の中でただ1人、A級戦犯全員無罪の判決を下したインド代表判事、ラダビドール・パール博士。

 「パール博士「平和の宣言」』は、そのパール博士が、東京裁判の4年後に来日した際の滞在記、講演録である。

靖国神社の「パール博士顕彰碑」(撮影:植田久美子)
 1946年5月に東京裁判の判事として来日したパールは、着任早々連合国判事たちと意見が対立し、来日2カ月にしてほかの判事たちとの交際を絶ってしまう。東京裁判の欺瞞を見抜き真理の追求を決意したパールは、他の判検事が観光旅行や宴席にあるときも、1人、宿舎である帝国ホテルと市ヶ谷の法廷との往復のみに始終して膨大な資料を調査、読破していった。

 途中、インドに残してきた病身の妻の危篤を知らせる電報が届き、パールは一旦インドに帰国するが、パールの妻は、

 「あなたがわたくしを見舞うため、帰ってきてくださったことはうれしうございます。しかしあなたは日本国の運命を裁こうとされている大事なお体です……」

と、パールに日本へ戻るように励ました。日本に戻ったパールは、法の中にこそ正義があるという信念で、「日本無罪論」を書き上げる。
 
 それから4年。

 パール博士、日本側共々の希望であったパール博士の来日が実現した。

 1952年10月16日、久しぶりに日本の土を踏んだパール博士は、その27日間の滞日中精力的に各地を回り、講演をし、また戦犯とされた人々のの家族を慰めた。

 観光地と化した神社仏閣が、日本の青少年の心を導くことが無いと憂い、東京裁判が日本人の気概を失わせたことを嘆き、広島の原爆慰霊碑の「安らかに眠ってください、過ちは、繰り返しませぬから」という碑文に対して「この“過ちは、繰り返しませぬ”という過ちは誰の行為をさしているのか」と憤る。

 始終、正義の人であったパール博士は、また限りない愛情を日本に持っていたようで、講演では、日本とインドがともにアジアのリーダーであれと説いた。

 現代の我々がパール博士のの峻烈な平和への理想を見るとき、相も変わらぬ人類の堕落ぶりに赤面せざるを得ないが、パールが人類の遅々とした進化の指針とした“法に則った正義”を退化させてはならないと、パール判決から60年の今、改めて思う。


パール博士「平和の宣言」
ラダビノード・パール著
田中正明編著
小学館
本体価格1400円

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