省エネについても結論を下そう。「省エネは地球温暖化の阻止のために必要だ」という意見が多い。しかし、省エネと地球温暖化は、別々の問題だ。この二つを絡めるべきではない。
省エネは必要だが、その目的は、地球温暖化の阻止ではなく、石油価格の低下である。
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地球温暖化と省エネ。この二つのことを絡める意見が多い。次のように。
「炭酸ガス増加のせいで、地球温暖化が起こる。
→ ゆえに、地球温暖化の阻止のために、省エネをしよう。」
しかながら、地球温暖化と省エネとは別の問題だ。……すでに述べたことだが、あらためて結論として示しておく。
(1) 省エネ
省エネは必要だ。しかし、その理由は、「炭地球温暖化の阻止」のためではなく、「限られた化石燃料を節約する」という「省資源」のためである。
そもそも、「炭酸ガスのせいで地球温暖化が起こる」ということは、ありえそうにない。( → 前項 ) とすれば、炭酸ガスの削減のために、省エネをしても、何の意味もないことになる。
ただし、省エネがまったく無意味かと言えば、そんなことはない。意味はある。その意味は、「化石燃料の価格高騰を止める」ということである。……そして、これは、環境的な問題ではなく、経済的な問題である。
以上のことは、論理的に明らかだ。
仮に、省エネの目的が「炭酸ガスの削減」であったとしよう。それならば、「需要の削減」ではなく、「供給の削減」をするべきだ。前者は無効だが、後者は有効だからだ。(炭酸ガスの削減のためには。)
( 詳しくは → 環境保護と市場原理 ,原油高騰と食糧高騰の解決策 )
( 派生的な問題は → 次項 )
(2) 緑化
緑化は必要だ。しかし、その理由は、「炭酸ガス削減」のためではなく、「環境保護」のためである。……これは、気象の問題ではなく、環境一般の問題だ。
緑化というと、屋上緑化や、砂漠緑化や、アマゾン原生林の保護などが思い浮かぶ。これらは、環境保護の一種だろう。しかし、環境保護というものは、緑化に限らず、もっと広い範囲のものとなる。
ちなみに、「緑化」だけを言うなら、次のようなことはプラスとなる。
・ 白山のブナ林を伐採して、若い人工林に置き換える。
・ アマゾンの原生林を伐採して、サトウキビなどを植える。
いずれの場合も、炭酸ガスの吸収量は、以前よりも増えるだろう。その意味では、「これらは地球緑化に有効だ」という判定が出そうだ。
しかし、そのようなことは、「環境保護」に反している。なぜなら、たとえ炭酸ガスの吸収量は増えても、「生態系の破壊」があるからだ。
そして、大切なのは、炭酸ガスの吸収量を増やすことではなく、生態系を維持することなのだ。( → 生態系の維持 )
環境保護の意味を間違えてはならない。それは、単に炭酸ガスの吸収量を増やすことではない。地球に昔から維持されてきた貴重な生態系を維持することだ。
※ 以下は補足的な話題。
[ 付記1 ]
「炭酸ガスの吸収量を増やすことが何より大事だ」と考えたあげく、「環境破壊をもたらす」という結果を招くことがある。(上記)
これは本末転倒だ。こういう本末転倒と似た例として、次の例がある。
・ 「漁業資源の量を増やすことが大事だ」という考える
→ 肉食魚を外部から放流して、もともとの生態系を破壊する
・ 「クリーンな電力を増やすことが大事だ」と考える
→ ダムで水力発電をして、川や海岸線を破壊する
いずれも、当初の狙いと逆の結果を招いてしまっている。浅薄な善意ばかりがあって、科学的な綿密な発想がないと、善をなそうとして、かえって悪をなしてしまうのだ。予想外の形で。
こういう愚かさを理解することが必要だ。(もちろん、地球温暖化でもそうだ。あとになって、「そんなつもりじゃなかった」と言っても、後の祭り。)
[ 付記2 ]
上では、ダムの問題(水力発電にともなう弊害の問題)を示した。このことは、近年ではしばしば指摘されている。
水力発電のダムで、水を溜め込むあまり、土砂の流出がなくなってしまう。その結果、下流における河川に石が届かなくなったり、湾口から先で砂が届かなくなったりする。あげく、従来の自然環境が破壊される。次のように。
・ 各地で砂州や砂浜が消滅する。( → 天橋立の消滅 )
・ 四万十川が石不足ゆえに濁っていく。( 朝日・夕刊 2008-07-15 )
水力発電は、炭酸ガスだけを見ると「クリーンな電力だ」と思われるので、歓迎されがちだ。しかし、現実には、その電力を得るには「環境を破壊する」という代償を払う。だから水力発電は、環境に良いというより、環境に悪いと言える。そういう認識が必要だ。
特に問題なのは、ダムにおいて「土砂の放出」という方針が否定されてしまっていることだ。「土砂の放出」が可能だとしても、「そんなことをすると電力が無駄になってもったいない。金がかかる」という理由で、電力会社が拒否する。つまり、電力会社は、河川や湾口で莫大な損失をもたらしても、自分の電力代の儲けの方が大事だ、というわけだ。……そういうエゴイスティックな発想を取る。
そして、「炭酸ガス削減」にとらわれた人々は、そういうエゴイスティックな環境破壊活動を称賛する。「河川や湾口の環境破壊なんか、どうってことないさ。いくら魚や貝類が死んだって、構うものか。大切なのは、炭酸ガスの増加を阻止することだけだ」と。
繰り返す。緑化の目的は、環境保護そのものであって、炭酸ガス削減ではない。緑化などの環境保護は、環境保護それ自体のためになすのであって、炭酸ガス削減のためになすのではない。……ここのところを勘違いして、本末転倒にならないようにしよう。
[ 付記3 ]
省エネは、炭酸ガスの増加とは関係なく、省源のために必要である。この観点から言うと、「プラスチックの利用も減らすべきだ」と言える。
プラスチックは、燃やさない限りは、炭酸ガスの増加をもたらさない。だとしても、石油資源を使用するという意味で、好ましくないことだ。(炭酸ガスを増やさないから問題ない、という見解は成立しない。)
なお、次の反論もありそうだ。
「プラスチックだって、ゴミ工場で燃やせば炭酸ガスを排出する。だからやっぱり、プラスチックは炭酸ガスを排出するので、悪だ」
と。しかし、これは額面どおりには成立しない。なぜなら、「プラスチックを燃やすこと」は、炭酸ガスの増加という意味では悪いことだが、エネルギーの節約という意味では(やり方によっては)良いことにもなるからだ。
それは「ゴミ発電」だ。たとえば、次のどちらがいいか?
・ プラスチックをそのまま地中に埋める
・ プラスチックをゴミ発電に利用する(電力を得る)
前者は、炭酸ガスを増加させないが、後者は炭酸ガスを増加させる。
一方、前者は石油資源の節約にならないが、後者は(温水や電力を発生するので)石油資源を節約する。
このように、「炭酸ガスの削減」と「資源の節約」とは、食い違うこともある。そして、こういう違いについて正しく判断することが必要なのだ。「炭酸ガスの削減と、資源の節約は、別のことだ」と。そして、「炭酸ガスの削減は、(たぶん)どうでもいいことだが、資源の節約は、とても大切なことだ」と。
( ※ なお、プラスチックの代表としてレジ袋を取り上げるなら、「レジ袋をやめて炭酸ガスを減らそう」というのは、理屈になっていない。それだったら、「レジ袋を溜めて、地中に埋め込もう」というのでもいいからだ。「地球温暖化阻止のためにレジ袋を減らしましょう」と述べるのは、ほとんど論理的なペテンである。「省資源のため」ならば、筋は通るが。……どうも、ここのところがゴッチャになっている人が、多すぎる。)
2008年07月16日
◆ 省エネの結論
posted by 管理人 at 19:29
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| エネルギー・環境1
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