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最初に結論を言っておくと、「地球寒冷化がいつか起こるだろう」となる。
こう聞くと、多くの人々はぶったまげるだろう。「おまえはトンデモだ」と非難する人も出てきそうだ。
しかし、である。私はバブル期にも同じことを予想した。「永遠の上昇などはありえない。これまでは上昇してきたが、いつか必ず上昇は破綻して、大幅に下落する(元の水準に戻る)だろう」と。……そのことを、土地にも株にも、予想した。
すると、人々は私の意見を嘲笑して、こう言った。
「そんなことはありえない。土地も株価も永遠に上昇する。これまでずっと上昇してきたのだから、これからもずっと上昇するに決まっている」
と。(土地神話・株価神話)
そのあと、現実には、どうなったか? それは、ご存じの通り。もちろん、バブルは破裂した。
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では、バブルの本質は、何か? 次のことだ。
「投機の相場というものは、波のように変動する。上がったり下がったりする。波と違うのは、一定の周期をもたない、ということだけだ。とにかく、上がったり下がったりする。ここで成立するのは、『上がれば上がる』ということではなく、『上がれば下がる』ということだ」
しかしながら、こういう見解を取る人は、ごく少ない。たいていのひとは、「上がれば上がる」と思うだけだ。(外挿法)
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さて。地球温暖化問題でも、人々は同じように考える。気温について、「これまで上がってきたから、これからも上がるだろう」と。
その根拠は、次のことだ。
「ここ数十年、炭酸ガスの濃度の増加にともなって、気温もまた上昇してきた」
しかしながら、この発想には、重大な難点がある。次の事実だ。
「人類のつくりだす炭酸ガスに関係なく、気温は大幅に変動してきた。つまり、波のように変動してきた」
具体的に言えば、1900年以前の地球の歴史だ。どの調査を見ても(ゴアの報告を見ても)、地球の気温は数十年ぐらいの幅で、上がったり下がったりしてきた。特に、上昇期だけを見れば、大幅な気温上昇があった。(現代の気温上昇に似ている。)
では、なぜ大幅な気温上昇があったか? 大昔の人類が炭酸ガスをたくさんつくりだしてきたからか? 石油も石炭も使わない人々が、莫大な炭酸ガスをつくりだしてきたからか? もちろん、否。気温というものは、人類の活動に関係なく、自然に変動するものなのである。
ところが、である。現在の環境保護論者の主張は、「今のままの状況が続けば」ということを仮定している。つまり、次の二点だ。
・ 人類はどんどん炭酸ガスを増やす。
・ それ以外の点では、気温変動はない。
このうち後者が問題だ。人間によらない部分の(自然変動での)、気温変動。これを、現在の環境保護論者は、「一定であって変動なし」と仮定している。(その上で、前者の方を取る。かくて京都議定書のような結論が出る。)
しかし、である。先に見たように、地球はもともと自然に気温変動をなしているのだ。とすれば、すぐ上の仮定は成立しないことになる。
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現在の環境保護論者は、「自然な気温変動はない」と仮定しているが、現実には、「自然な気温変動はある」となる。
そして、これまでの地球の歴史を見ればわかるように、「上昇期」の次には「下降期」が来る。これまで半世紀ぐらいは上昇していたとしたら、次の半世紀ぐらいは下降期になるかもしれない。(いつどのくらいで、とは予想がつかないが。)
つまり、今は「温暖化だ、温暖化だ」と騒いでいるが、過去の歴史を見ると、「温暖化の次には、寒冷化の時期が来る」となりそうだ。……そして、それは、「バブルの破裂」と同様に、不可避なのである。なぜなら、「永遠の上昇」などはありえないからだ。
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しかるに、ここで「永遠の上昇」を主張するのが、環境保護論者だ。しかし、彼らの主張の根拠は、はなはだ心許ない。そのことはすでに見てきたとおり。
実際、われわれの体験でも、今年の夏はとても涼しい。ここ数十年で最も涼しいとすら言える。ひるがえって、20〜30年ぐらい前には、ものすごい猛暑が続いていた。あのころの猛暑に比べれば、ここ数年の夏はあまりにも涼しすぎる。台風だって、昔に比べれば、ぐんと減っている。
どう考えても、「永遠の上昇」などはありえず、「上がったり下がったり」だろう。
というわけで、バブル期に「バブル破裂」を唱えて、大勢の反発を買ったように、私は今また改めて、「地球寒冷化」を唱えて、大勢の反発を買ってみたい。……どちらが正しいかは、歴史が教えてくれるだろう。バブルについては、数年後に「私が正しい」と判明した。地球温暖化については、数十年後に判明するだろう。
で、そのころになって、人々は大騒ぎしそうだ。
「地球寒冷化が起こった。だから炭酸ガスをたくさん増やそう。化石燃料をたくさん燃やそう!」
と。しかし、それもまた、間違いなのである。なぜなら、炭酸ガスは、地球温暖化をもたらさないからだ。そんなことをやっても、全然無意味なのだ。
人間が地球の気象に及ぼすことの影響は、あまり大きくない。「砂漠化」などの環境破壊ならばできるが、「大気の温度を上げる」というような大規模なことは容易ではないのだ。鉄腕アトムに出てきた「ガロン」じゃあるまいし、地球環境を勝手に変えるほどの力はない、と思う。たかが炭酸ガスをちょっとぐらい増やしたところで、それで地球環境を変えることができると思うのは、思い上がりも甚だしい、と思う。(せいぜい 1.0度の上昇だろう。そのくらいは自然変動に比べれば、ずっと小さい。)
では、結論は? 「地球間寒冷化に逆らう方法はない」ということだ。今から20年ぐらいして、地球が温暖化から寒冷化に変わるかもしれない。その後、どんどん気温が下降して、1世紀後にはぐんと冷えているかもしれない。だとしても、「炭酸ガスを増やして地球環境を変える」というのは、思い上がりであろう。人間にできるのはせいぜい、「新時代の暖房装置を用意する」というぐらいだ。これまでの時代に、ほかほかカイロを発明したり、電気温熱衣服を発明したり、ハロゲンヒーターを発明したように、何らかの新型暖房機は出るだろう。だが、「炭酸ガスを増やして地球全体の気温を上げる」なんて、大げさすぎ。
はっきり言っておく。「地球間寒冷化に逆らう方法はない」と。人間なんていうものは、たいして力をもたないのである。できることは、右往左往することだけだ。
( ※ ただし詐欺師は、人々の右往左往に乗じて、たっぷり儲ける。 (^^); )
( ※ あ、マスコミも ですね。大騒ぎして、部数や視聴率を稼ぐわけ。「ニュースがなければニュースを作れ」という主義ですね。)
[ 付記1 ]
半世紀後に地球寒冷化が起こりかけたころの、マスコミの対処を予想する。こうだ。
「地球間寒冷化が起こった! これは大気圏に塵が浮遊して、地上への太陽光の照射が減ったせいである。その原因は、人類による大気汚染である。ディーゼル粒子や、亜硫酸ガスから生じた微細な硫酸粒子など、余計なものが大気圏に浮遊しているせいで、地上への太陽光の照射が減ってしまった。ゆえに、空気をクリーンにすることが何よりも必要だ。環境の浄化が必要である。」環境保護論者による、異常潔癖性。それが地球寒冷化のころの人類の未来だ。
「したがって、そこいらにいる汚い連中をクリーンにしよう。オヤジをつかまえて、風呂で毎日きれいに洗濯しよう。オヤジの着ている服も、毎日洗濯しよう。オヤジの頭も、毎日洗濯しよう。老人の白髪頭は汚い。赤ちゃんのウンチも汚い。世の中をすべてクリーンにするために、汚いものをせっせと排除しよう!」
なぜかって? 歴史は繰り返すからさ。 (^^);
[ 付記2 ]
「もしおまえの予想が間違っていたら、どうするんだ」
という疑問が来るかもしれない。なるほど、私の予想が間違っていて、地球温暖化論者の意見が正しい、ということも考えられる。
ただ、その点については、前項(炭酸ガスの固定)で述べたとおり。そちらを参照。
[ 補足1 ]
一応書き終えたあとで、ネットを調べたところ、「地球寒冷化」は別に私の独創ではなくて、すでに多くの人が唱えている、と判明した。たとえば、ここだ。
→ 槌田敦の見解
ここでも地球寒冷化の危険性は指摘されている。とすれば、私はトンデモ扱いされることはなさそうだ。 (^^);
ただし、である。世の中には本当にトンデモもいる。つまり、「地球寒冷化」が現実化していると本気で信じている人々だ。たとえば、これだ。
→ 池田信夫 blog
「昨年から1年半にわたって、観測史上最大の寒冷化が全世界で続いているという事実」こういう嘘を言っては困ります。なるほど、「寒冷化はすでに始まっている」という見解を唱える学者も、いることは いる。とはいえ、それはただの「見解・判断」であって、「事実」ではない。
そもそも、「寒冷化」というのは、かなり長期的な現象だ。少なくとも数十年の期間で見るべきことだ。
一方、「昨年と今年は気温が低くて、来年と再来年は気温が高い」というようなことは、ただの短期的な気象変動に過ぎず、寒冷化とも温暖化とも関係ない。なのに、たったの1年半だけを見て、「史上最大の寒冷化が全世界で続いている」と主張するなんて、大ボラもいいところだ。
なるほど、気温を見ると、「昨年と今年は気温が低い」ということは観測されたかもしれない。しかしそれを見て、「寒冷化」と言うのはおかしいし、また、そのまた前の2年間だけを見て、「温暖化」と言うのもおかしい。
要するに、温暖化説の人も、寒冷化説の人も、「気象には常に変動がある」ということを理解していない。また、気象の変動を見るときに、「2年ないし20年ぐらいの変動を、外挿法で延長してはいけない」(このまま同じ傾向が続くと考えてはいけない)ということを理解していない。どっちも、非科学的なのである。
( ※ たとえば、雨が二日続いたからといって、「このあと何日間もずっと雨だろう」とか、「もはや雨期が始まった」とか言うのは、馬鹿げている。ま、その判断が当たることもあるが、およそ非科学的である。当たるか当たらないかよりも、その非科学性が問題だ。)
( ※ もう一つオマケで言っておけば、上のブログでは「米国の」気温現象の図を見せて、「全世界の」気温現象と称している。冗談じゃないですね。米国は 全世界じゃありません。ま、書いた本人にとっては、「米国 = 全世界」なんでしょうけど。 (^^); )
[ 補足2 ]
われわれは、「こうだ」と断言する前に、まず、「われわれはよく知りえていない」というふうに自己を反省する必要がある。誇大宣伝するよりも、謙虚に自己を省みる必要がある。それこそが科学的態度というものだ。
しかしながら、気象関係においては、科学的態度というものが根源的に欠けているのである。なぜならそこにあるのは、ただの妄想と錯覚ばかりだからだ。
そして、その根底にあるのは、「無知と善意」である。すなわち、「人は、自分が正しいことをしていると信じるとき、盲目になる」ということだ。 ( → 該当項目)
[ 補足3 ]
「じゃあ、おまえはどっちを主張しているんだ。温暖化か? 寒冷化か?」
という質問には、私はこう答える。
「どちらでもない。私が主張しているのは、次の二点だ。
・ 気象の変動(自然に起こる変動)
・ 無知の知 (人類は気象の変動の理由をよく知っていないこと)」
※ なお、「無知の知」を悟ることで、新たな知見を得ることもできる。
次項では重要な知見を示す。
【 参考サイト 】
地球寒冷化は起こりつつあるのか? これは、よくわかっていない。ネット上では、「寒冷化」で検索可能。
なお、簡単なまとめは、次のサイトにある。整理されて、わかりやすい。
→ 地球温暖化問題の裏側