2008年07月03日

◆ 省エネという自己満足

 最近、省エネがブームだが、そこで言う「省エネ」とは、ただの自己満足のためになされるにすぎない。「省エネをするって私って、なんてすばらしいんでしょう」という自己満足。

 ──

 現代の省エネ型だの自己満足にすぎない、という点については、前にも述べた。たとえば、こうだ。
  要するに、「省エネをしよう」なんて、誰も思っていないのである。「省エネの努力をしよう」と思っているだけだ。つまり「省エネをしているフリをしよう」と思っているだけだ。他人から見て、省エネの努力をしていると見えれば、それでいい。現実に省エネをすることなんか、誰も考えていない。
 そのことが、世界の現実を見るとわかる。
       *     *     *

 湯水のごとく石油を浪費しながら、一雫の節約をして、「ああ、あたしはなんて善人なのかしら」と自惚れる。ま、気分はいいでしょうけどね。有閑マダムの趣味でしょうか。
( → 省エネの指標は努力か?
 また、こうも述べた。
 「8倍ものコスト負担をかけてエコをやろう」というのは、ただの狂気の沙汰だ。
( → エコ値上げ
──

 さて。
 「8倍もの金をかけてまで省エネをやる」
 というのは、およそ狂気の沙汰である。(太陽光発電の補助金について。)
 では、なぜこういう狂気の沙汰をやるのか? それが問題だ。その理由を示そう。

 その本質は、同じ項目で述べたとおりだ。すなわち、
 “(百分の1しかやらないとしたら) 「エコの効果もまた百分の1にすぎない」ということの裏返しにすぎない。”

 ということだ。つまり、「決して全面的にはやらない」ということだ。

 要するに、「太陽光発電」という施策は、決して本気ではやらないのである。なぜなら、本気でやれば、ものすごいコストアップを招いて、国民の生活が破壊されてしまうからだ。
 ただし、百分の1だけやるなら、国民の生活が破壊されることはない。そして、そのとき、「効果もまた百分の1にすぎない」ということは無視される。効果なんか、どうだっていいのだ。負担さえ少なければ、効果なんかなくたっていいのだ。

 そして、このことは、一言で要約できる。
 「人々は、省エネをしたがっているのではなく、省エネのフリをしたがっているだけだ」

 と。前にも何度か述べたとおり。百分の1だけやっても、実効性はない。しかしそれでも、百分の1の金銭を負担することで、「自分たちは省エネを実行しているんだ、そのために苦労しているんだ」という自己満足を得ることができる。

 結局、環境保護なんか、どうだっていい。自分が省エネをしているという自己満足さえ得られればいいのだ。それが今の省エネ運動の実態だ。そして、そのことが、「高コストだが効果のない方法を、ちょっとだけやって、自己満足する」ということから、明らかになる。



 さて。このあと、さらに根源的に考えよう。
 人々は、「地球のため」に省エネをしているのではなく、「地球のために省エネをしている自分は善人だなあ」と思い込むために省エネをしている。地球のためではなくて、自分のために省エネをしている。エコではなくて、エゴである。……そこに本質がある。
 そして、そのまた根源には「人々のエゴで状況は最適化する」という古典派経済学の発想がある。こういうエゴ優先主義を捨てることこそ大切なのだ、ということを人々は理解できない。

 結局、人々は、あくまで自分の利益(自己満足)のために行動しているだけであって、愛とか思いやりとかはないのだ。そのせいで、かえって自分たち自身や地球環境を破壊してしまう。

 では、どうすればいいか? 
 「省エネは大切だから政府は金を出せ」というような朝日流のエゴイズムを取るよりは、まずは「どんな省エネをしようが文明人はすべてエネルギーを浪費する罪深い存在なのだ」と自覚する方がいい。自己満足よりは、自己反省をする方がいい。そうすれば、「レジ袋有料化で省エネはOK」とか「百分の一の太陽光発電で省エネはOK」いうような、馬鹿げた発想から脱することができるだろう。

 ──

 ここで、私の立場を示せば、こうだ。
 「省エネは善だ」という主張が多いが、省エネをいくらやっても、人間は悪なのである。太陽光発電をしようが、風力発電をしようが、水力発電をしようが、原子力発電をしようが、どれを取っても悪なのだ。善などは一つもない。そもそも鳥獣の生命を奪って食うということ自体が、環境破壊であり、悪である。そして、その「悪」を逃れるすべはないのである。われわれは文化生活を送る限り、否応なく、環境破壊的なことをするしかない。
 私は「原子力発電をなすべし」という立場を取るが、ここでは、「それが善だから」という理由で主張するのではなく、「それの悪が最小だから」という理由で主張する。
 そして、ここでは、その「悪」をあくまで自覚している必要がある。その上で、廃棄物処理や危険性などの問題を減らす必要がある。
 ともあれ、「善」なる方法などは、どこにもない。そのことを自覚し、人は常に自己を反省する必要がある。そして、それは、「省エネをする自分はすばらしい」という自己満足や自己陶酔とは、正反対のことなのだ。

 ──

 [ 補記 ]

 なお、具体的な悪を示せば、次の通り。
 (1) 火力発電  …… 地球温暖化による気象変動・地球破壊。
 (2) 水力発電  …… 山や海岸線の自然破壊。
 (3) 風力発電  …… 鳥の衝突死や景観破壊
 (4) 太陽光発電 …… 莫大なコスト負担による人間生活の基盤の破壊。
 (5) 原子力発電 …… 核の危険性や廃棄物処理の先送り。

 以上のうちで、問題が顕在化しないのは、(5)のみである。(5)は未来の人間が賢明ならば解決できる。他のものは、たとえ未来の人間が賢明だとしても、現代の人間がすでに地球を破壊してしまっており、それはほとんど回復不可能だ。



 [ 付記1 ]
 省エネをするとき、自己満足のために省エネをするのでは駄目だ。(前述の通り。)
 とはいえ、たいていの人々は、そのことに気がつかない。省エネを声高に訴える人ほど、そういうものだ。
 たとえば朝日はやたらと紙面に無駄記事を書いて、資源を浪費する。さらには、経済記事のリードでは、「ですます体」を用いて、無意味にスペースを浪費する。「簡潔に記事を書く」という記者としての最低限のこともできていない。こういうふうに、自分ではさんざん浪費する連中が、世間に向かって「省エネをしましょう」というデタラメ・キャンペーンをやって、世間を間違った方向に誘導する。

 [ 付記2 ]
 そういうデタラメキャンペーンに載せられた人々は、「省エネは大事だ」と唱えることで、「自分は善人だ」「自分は正義の行為をなしている」と思いたがる。
 こうして、省エネというのは、正義の行為というより、正義の皮をかぶったファッションとなってしまう。今の省エネブームは、ただのファッションなのである。
(だからマスコミはファッションとして報道する。売れる記事のために。  (^^); )

 [ 付記3 ]
 省エネは、理念やファッションのためになすのではなく、実効性のためになすべきだ。そして、そのための指標は、「コスト・パフォーマンス」である。
 たとえば、燃料電池であれ太陽光電池であれ、莫大な金をかけても効果が少ないのであれば、そんなことに莫大な金を出すべきではない。そのことをちゃんと知るべきだ。(合理的立場。)
 なお、こう主張すると、文系のお馬鹿さんは、こう反論するだろう。
 「正しいことのためには、いくら金をかけても、やるべきだ。燃料電池であれ太陽光電池であれ、正しいことなのだから、莫大な金をかけて当然だ」
 しかしここには、数字を使った発想がない。数字を使えば、こうなる。
 「コストパフォーマンスを高める」
 ということは、「金を節約する」という意味ではない。次の意味だ。
 「同じコストをかけて、効果を最大化する」
 たとえば、千億円をかけたとしよう。その千億円を、燃料電池や太陽光電池の補助金のために使えば、金のほとんどは無駄に消えてしまう。一方、金を有効に使えば、その何十倍か何百倍もの効果を得ることができる。
 ここでは、「金の節約」ではなくて「効果の最大化」が問題である。

 [ 付記4 ]
 しかしながらマスコミは、「実効性」などは考えない。なぜか? たぶん、文系の人ばかりで、理系の発想が欠けているからだろう。

 ちなみに、朝日の投書欄でしばしば、数学音痴の意見が掲載される。「数学なんて頭が痛くなるだけだった。だから自分は逃避した。数学を勉強しないでよかった」と。
 しかし、数学とは、数式をいじることではなくて、「物事を論理的に考える」ということだ。そして、そういう素養のない人々が、自分の気分のために、莫大な金を浪費して、環境保護をだいなしにする。
 朝日の記者も同様だ。彼らを見れば、数学的思考を欠いているということが、いかに危険であるか、よくわかるだろう。彼らは数学的思考を欠いているせいで、地球そのものを破壊してしまうのである。
( ※ なお、言い添えておくと、これは文系の人への悪口ではない。念のため。……本項を読んで納得できる読者ならば、上記の難点はないので、安心してほしい。駄目なのは朝日のような人たちだけ。)



 [ 余談 ]
 余談だが、笑い話のような名案がある。
 「太陽光発電に莫大な補助金が出るのなら、補助金をもらったあとで、太陽電池を他人に売却する」
 たとえば 300万円の太陽電池を購入して、100万円の補助金をもらって、そのあと 250万円で売却する。差し引きして、50万円の儲け。……現実には何もしないで、帳簿の操作だけで、50万円をちょうだいする。
 で、これは、別に違法でも何でもない。「補助金の搾取」みたいなものだが、あくまで合法的である。強いて言えば、「民法上の契約不履行」になる恐れはあるが、国はいちいちそんなことで裁判に訴えたりはしない。(訴訟費用の方がかかるからだ。もし訴訟したら、その方が税金の無駄遣いになる。)
 というわけで、「太陽光発電への巨額補助金」という提案は、相当にお馬鹿な提案である。そして、馬鹿がいれば、馬鹿を食い物にして儲ける人が出てくる、というのは当然の摂理だ。金をドブに捨てたがっている人がいるのなら、その捨てた金を拾って何が悪い? (市場原理ですかね?)



 【 参考記事 】

 太陽光発電については「補助金で普及させるより、技術開発に資金を投入せよ」と私は主張してきた。これを補強する情報がある。記事を引用しよう。
 ソニーが新型太陽電池、製造コスト最大10分の1
 ソニーは製造コストの安い新タイプの太陽電池を開発した。原材料にシリコンを使わない。半導体技術の代わりに印刷技術の応用で作れ、製造費が現在普及しているシリコン型の5分の1から10分の1になる見通し。安定性を高め、光を電気に替える変換効率で実用化への目安とされる10%を達成した。
 開発したのは色素増感太陽電池。この春、スイスの研究者が持つ基本特許が切れた。次世代太陽電池の最有力候補で、国内外で研究開発が盛ん。ソニーが太陽電池を事業化するかどうかは未定だが、新技術を武器に新規参入する可能性が出てきた。
( → 日経
 これが実現すれば、現状の太陽電池はすべて無駄になる。そのための補助金もすべて無駄になる。いや、無駄よりもっとひどい。なぜなら、補助金を出すことで、「あとでゴミになるとわかっている工場を建設するための補助金を出す」ことになり、国産の太陽電池メーカーを破産させかねないからだ。
 たとえば、この補助金のせいで、シャープやサンヨーがシリコン型の太陽電池を大量生産する工場を建設する。その後に、ソニーが新型太陽こ電池を量産して、シャープやサンヨーの工場は巨大なゴミになりはてる。
 この場合、国の補助金は、「ゴミとしての工場を造ること」のために費やされ、シャープやサンヨーは「ゴミとしての工場を造ったせいで倒産する」といことになりかねない。……結局、国の補助金は、ゴミの生産と日本を破壊するテロ活動のために、費やされることになる。

 太陽光発電の推進論者(たとえば朝日)は、日本人を洗脳して、日本を破壊する活動に携わっているのだ。もしかしたら、破壊工作をするテロリストかスパイなのかもしれない。おお、何という頭のいい破壊活動! 何も爆弾を使わないで、言葉一つで日本を莫大に破壊する。その頭の良さには、舌を巻くね。   (^^);
posted by 管理人 at 18:40 | Comment(3) | エネルギー・環境1
この記事へのコメント
最近見る様に成った。
原則的にブログオーナーの姿勢に共感出来る。

 「省エネという自己満足」
私は、「ファッション」と捉える。
善か悪かなど関係ない。
世の中省エネが流行の最先端。
省エネと云えれば良いのだ。
本当に省エネになっているかどうか関係ない。

 エコ、省エネに関して正しい定量的な評価を欲しい。この「定量的」は必須。百歩譲って定性的評価も「?」が多い。

 電気自動車はCO2排出=0。それはそれで正しい。
しかし、電気を使うから、電気を作る為のCO2は?
 海面上昇でツバルは沈む。地盤沈下は無いのか?
海面上昇が起こっていれば、グローバルな現象。
ツバル近隣地域や日本でも起こっていると考えるのが自然。
日本やツバル近隣で土地が海面上昇で無くなっている?
 本当に科学的、と云うより問題があるならば
現状を正しく認識する必要がある。
特に、議論の前提条件。
地球温暖化。CO2が原因か?
レジ袋、削減してなんぼ?
遺伝子組み換え作物。安全性評価は?
農薬に対する、作物内の「農薬」様物質の評価は?(食物も馬鹿でない。害虫に対する防御は行う)
 余り長いコメントは好きでない。
上記コメントに対して私はブログなどで積極的な
情報進は行っていない負い目がある。
時期を見てブログを立ち上げようと思う。
その際、貴サイトを参考にしたいと考える。
Posted by OnPapa at 2008年07月04日 22:53
 上の質問への回答は、次項で示される予定です。お待ち下さい。
Posted by 管理人 at 2008年07月04日 23:55
 日本国民一人一人が、ちょっと考えれば誰でも理解することのできるトリックが、何故解らないのか?何故解ろうとしないのか?
 年間くもりや雨日は三分の一日ある。
個人の居宅に太陽光発電・置を村り付けても、実用化レベルの蓄電・置が開発されてない今、くもりや雨日は既存の発電所から消費する電気全てを供給して貰わないと存在生活できない状態である。
 晴れの日は電力会社に対して電気を買え、くもりや雨の日は電気を売ってくれでは、信じられないほどの効率の悪い発電所が日本中に出来上がる。この非効率な発電所の負担は取り付けていない家庭に配分されるので、結果的に電気料金は更に高くなる。
 こんなことを推進したら一箇所だって既存にある発電所を減らすことは絶対にできなく、省エネや環境改善をうたい文句にした社会の罠であり、罠は仕掛けた者へ利益が渡る仕組みになっている。
Posted by 計算された罠 at 2009年01月01日 12:42
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