作家・東京都知事 石原慎太郎
国際線は経済再生の致命的要素
石原です。このごろ、年のせいか眼精疲労がひどくて、早く治してくれる人がいたら共産党でもなんでも入るんですがね(笑)。
最近「老いてこそ人生」なんて本を書いたら、意外に売れた。しかし、やっぱり老いてはだめだね(笑)。
この日本という国も、本当に老いさらばえてきたのかどうか。大事な部分に金属疲労が高じて、そのうちボキッと折れるんじゃないかという気もする。皆さんも日々、いろんな出来事を眺めながら、同じ不満、不安を抱いていると思う。
横田基地という、東京のほとんど真ん中に飛行場がある。もとは日本の陸軍が作ったものだが、戦後アメリカが占領したままで今日に至った。昔から兵站基地として使われていたものだが、ほとんど用途がない。発着しているのは輸送機と、大型のヘリコプターが飛んでいるだけ。閑散とした飛行場だが、しかし、なぜか在日米空軍の総司令部がある。そこでやってる業務は、例えば品川あたりで一軒ビルを借りてやったとしても不都合のない問題なんだけど、なぜか横田基地に居座っている。
私はかねがね、ここを取り戻したいと主張してきた。最低デュアルユース(共用)にしたいと思ってきた。日本の国際線は完全にパンク寸前の状態にある。三十四カ国が、日本への乗り入れを待つウエーティングリストに載っている。しかし成田は完全には完成しない。
一方、羽田は国内線専用の空港になっているが、これも完全に飽和状態だ。羽田は二十四時間開いているが、地方の空港が二十四時間営業ではないので、夜中は飛んでくる飛行機はない。ならば、国際線に使ったらいいじゃないか、と。
成田は限界に達している。横田が少し国内線のために使うことができれば、その分のスペースを羽田に空けることができる。羽田が国際化されると、非常に便利になる。
現代は、ビッグビジネスの時代。米国の大企業は、ほとんど専用のジェット機を持っている。ところが日本の空港は飽和状態なので、三カ月か、四カ月前に申し込まないと、らちがあかない。今は、そんな時代ではないということだ。
このままいくと、あと二年で日本の空は、国際線の幹線がパンクする。そういう時期を迎えて、都知事が出ていく幕じゃないかもしれないが、首都圏にとっての重要な問題だから、前内閣のときに、政調会長の亀井静香君−−これはちっとも静かじゃない男だが(笑)−−のところに押しかけた。
「ここで君が決めろ。とにかく調査費をつけて、沖合再展開するしかない。東京の案でやれ」。言ったら、彼も「そうだな」と。十三億円の調査費がついた。ニューヨークのラガーディア空港のように、半分桟橋式にした。その方法でやると、あっという間にできる。そうすると、メガフロートという案も出てきた。どっちでもいい。とにかく作ればいいんだ。
ところが、審査委員会が半年以上審議を続けているのに、まだ結論が出ない。利権、利権だからだ。メガフロートは造船界、桟橋式はゼネコンの利権に直結する。みんな同じ数字を出してくる。審査委員長が「いっそサイコロ振って丁か半かで決めようか」と言うから、「それでいいから早くやってくれ」と言った。そうでもしないと、間に合わない。
日本経済全体にとって、首都圏の空の国際線アクセスがどういう意味合いを持つかという問題を、政府はとっくに文明工学的、社会工学的視点から考えてしかるべきなのに考えたことがない。
私はワシントンに行ってその視点で説明した。
横田の問題は、単に空港問題ではない。広大な国土を持つ米国人の君たちには理解できないだろうが、日本のように、可住面積が驚くほど少ない国にとって、飛行場のように非常に広大な面積を要するインフラの建設がいかに難しいか。そういったことを、日本の経済の再生をあなた方が願うならば、理解すべきだ、という話をした。
私の会った高官の誰もが「実によくわかった。ただ石原さん、これはしかし政府間の問題だ」と言う。
「まさにそうだ。しかし今、日本の経済がここまで疲弊してきたら、日本を持ち上げるテコの一つとしても、皆さんの認識をいただきたい」と言ったら、「わかった。日米関係の将来のためにも、両政府間で真剣に合議すべき問題だ」。
ここまで到達したので、私はその後、小泉(純一郎)総理に「私は小さな錐で穴をあけた。あと大きなトンネルをあけるのは君たちの仕事だ。日本の経済再生のためにも、一つの大きな要素だから考えてくれ」と伝えた。
前置きが長くなった。私はなぜこんな話をしたか。こんなものは一知事の話すことではない。総理大臣といわず、運輸大臣なり、通産大臣なり、財務大臣なりが、日本の経済全体をマクロの視点で考えて、社会工学的、文明工学的に、経済というのは一体どういうエレメント(要素)で成り立っているかを考えて、国際空港とインフラがいかに致命的な意味を持つかを考えるべきなんだ。
まず、羽田空港の沖合展開を決めた。国の財政が逼迫しているのはわかるが、大蔵(財務)省は「石原が生意気に言い出したことだから、東京にも金を出させろ」と言っている。出しますよ。出すだけではなく、国が首を縦に振るのであれば、東京、埼玉、千、神奈川の知事会議で引き受け、債券にして会社をつくる。そうすれば、右から左に売れてしまう。
ところが、そういうことをいうと、国は絶対にうんと言わない。国の役人は自分たちの手からものを離さない。変な根性で、沽券ばっかり考えている。結局、それがずるずる重なって、今日の日本はこの体たらくになってしまった。
NOと言わぬ国のもろさ
アメリカは、経済戦略を金融戦略に変えた。モノを作って、売ったり買ったりして貿易で上がるような金は、日本に任しておいたらいい。しかしその数十倍の、見えない金融商品を売ったり買ったりして動かす、いわゆるカネ経済はアメリカが制覇する。そういう戦略に乗り出した。
日本人は結構うまいものを器用に作るから、もうけさせろ。それはいい。が、日本人がもうけた金の使い方はおれたちが決める、という戦略を立てた。今、現にそうじゃないか。日本の金利は、誰が決めているのか。アメリカの財務省だ。手先になって走った日本の元官僚もいっぱいいる。武士の情けだから、名前は挙げないが(笑)。
議員を辞めたあと私は、あんまり日本の金融事情が悪く、なおかつ工夫がないので、日本はアメリカの金融奴隷になったというサブタイトルで『「NO」と言える日本経済』という本を出した。かなり高度な難しいものを書いたんだけども、四十五万部ぐらい売れた。私もびっくりした。日本の国民もばかじゃないから、危機感も不安も感じている。
世界で一番外国に金を貸し、隣のシナ(中国)のように水爆を作っている国にもODA(政府開発援助)と称して金をくれてやって。皆さんの税金だ。この金は、向こうに返すつもりがないから返ってこまい。それでもODAにジャブジャブ金をつぎ込んでいる。橋本龍太郎君が首相のときに、どっかのセミナーで「日本も財政がピンチになってきたので、できればアメリカの国債を少し売りたい」と漏らしたら、たちまち、破竹の勢いで株が上がっていたウォールストリートで、次の日だけ四%株が下がった。
一番アメリカの国債を買っているのは日本ではないか。民間を合わせたら、三百兆ぐらいのアメリカの国債を買っている。日本はアメリカの国債をにわかに売るわけにはいかないだろうが、それぐらい「生殺与奪の権」というか、交渉の大事なカードなんだ。が、その扱い方がわからない。
いずれにしろ、世界に対して一番金を貸してやっている日本がうまくいかなくて、反対に世界中で金を借りているアメリカが一番繁栄してきた。これは変な話だ。日本人だって、そのおかしさをうすうす感じていたし、私もそのことを書いた。
有名なアメリカの銀行が宣言した。「われわれが、これから銀行として扱っていく商品は、もはやマネーじゃない。リスクだ」と。リスクというのは、デリバティブ、金融派生商品の別名。ある種の危険はあるけれども、大きな利回りが返ってくる可能性があるからリスクと呼ばれている。これをアメリカが考え出し、武器にして、世界中の金融制覇に乗り出した。大蔵省のキャリアと称して、おれたちこそ世界で一番頭がいいエリートだと思っている連中のなかで、当時デリバティブのことを知ってる人間は一人もいなかった。
日本の官僚は、金融派生商品についてわからないことが出た場合、どこに聞いたかというと米国の財務省に聞いた。財務省がわからないと、今度はウォールストリートに照会した。
ウォールストリートは、自分たちにとって都合のいい返事しかしない。日本の大蔵省は、そのころからか、もっと前からか、財務省の人間にいわせれば、彼らの「東京支店」ということだった。米国務省も、日本の外務省のことを「日本支店」と言っている。飛躍した言い方になるかもしれないが、一年ぐらい前に「ニューズウィーク」が日本特集を組んだときに表紙は星条旗のクローズアップで、その並んだ星の一番あとに星の代わりに小さな日の丸がついていた。それぐらい見くびられている。私は、日本がアメリカの五十何番目の州になることは決して好まない。
そのころ米国の雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に、後にカーター政権の特別補佐官になったブレジンスキーという男が、「日本はアメリカのベッスルである」と書いた。辞書を引くとわかるが、下僕という意味。サーバントのなかでも一番位の低い、奴隷よりはちょっと上。日本はアメリカのベッスルであると書いた。知っている人間は頭にきたが、腹を立てるだけで済むものではない。言われて仕方がない節がないでもない。その原因は、私たちがこれまで、ほとんど自己主張をしてこなかった、というところにある。
今、日本の金融界で株を動かしている半分以上は外国の投資家だ。日本人は半分を切ってしまった。そういう実態を、アメリカはちゃんと作ってきた。日本はそれに抵抗せずにいわれるままにやってきた。自己主張せず「NO」といわない。私は、そういう国は非常にもろいと思う。
急速な近代化は歴史的必然
トインビーという歴史学者がいる。別にたいした学者じゃないが、なぜ日本で人気が出たかというと、「日本人のやった近代化は、人類の歴史のなかの奇跡だ」と書いたからだ。
そう言われると、そりゃ日本人はうれしい。しかし、それはトインビーが日本の歴史を知らない証拠なんだ。日本が有色人種のなかでたった一国だけ、これだけの近代国家をかなり早くつくった背景には、いろんな歴史的必然性、蓋然性がある。
例えば江戸時代という三百年は、世界に比類がない成熟した中世だった。スーザン・ハンレーという女性の社会学者が、『江戸時代の遺産』という本を書いた。中央公論から翻訳で出ているが、彼女は非常に精緻に江戸時代を調べて、日本の急速な近代化の蓋然性がすでに歴史のなかにあったということを書いている。
けれどもそんなことはトインビーは知らない。まあ、有色人種を見下した白人の目から見て、おれたちがやったほとんど近いことを、日本人だけやった。これは人類の奇跡だ、と書いた。冗談いっちゃいけない、そんなのをありがたがるほど、こっちは安くないんだと言いたい。
福田和也さんは日本を代表する評論家になりつつあるが、その彼が数年前に非常に面白い論文を書いた。「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」という、なかなかきわどい題で、私も注目して読んだ。
福田さんは「幼稚な人間というのは、何が肝心かがわからない人間だ。肝心なことを考えようとしない人間が幼稚なんだ」と書いた。今の日本は、そうじゃないのか。
肝心なことというのは、すべて複合的にできている。ヤスパースにいわせれば、歴史とはそういうものの堆積で、非常に重層的だ。複合的なものが重なり重なりさらに重層的になったものが歴史。だから歴史に対する批判とか価値観は、さまざまあってしかるべきだ。
司馬遼太郎さんと一緒に、何度か旅をした。
「この国は変わらんな。変わっとらんなあ」と言う。
「どう変わってないの」
「だって君、これは太政官のころとおんなじじゃないか」
まさにそう。幕府が滅びて廃藩置県になって、大名の領地を没収して県に変えた。そして近代政府ができる前、明治憲法が発布される前に、大久保利通という卓抜な政治家が日本の近代化のために、太政官という官僚制度を作った。考えてみると、中央集権・官僚統制国家というのはそこから発した。そして今日まったく変わっていない。まったくその通りだ。
先日、古くから日本にいる日本語べらべらのタス通信の記者が来た。彼に「世界で一番成功した社会主義国家はどこだと思う?」と尋ねたら、「いやあ」と言うから、「それは日本だよ、君」と指摘してやった。
そして彼いわく「まさにそうですね。日本はロシアができなかった、非常に有効な官僚統制の中央集権国家を作った。私は異議ないが、しかし石原さん、しかしまだやってますな」。これには二の句がつげなかった。
その彼が皮肉に言う。「このごろの自民党を見ていると、ペレストロイカでソビエト社会主義体制が崩壊するころのソビエト共産党とよく似ている。なにも本質的なことがわかってないし、大きな流れがわかっていない。あのときのソビエト共産党と自民党は同じですね」と言うから「まさにそうだな。だから私も辞めたんだ」。自民党もすっかり発想力をなくしてしまった。党も構成しているのが昔どおりの族議員で、道路の問題なんかで議論になると、目の色変えて「おれのところにも」みたいな話になる。
私の息子がいま規制改革担当大臣をしている。あれもかわいそうな大臣だ(笑)。「権限はなしに司会者か行司みたいなもんだな、自分で相撲を取れないんだから」と言ったら、「まったくそうなんだ」と言って慨嘆した。行政改革が基本的に足りない。隣のシナも、ロシアもやめてしまった国営企業と同じことを、日本の特殊法人がまだやっている。
本来なら、全部征伐するつもりで大きな網をかけなければだめ。なのに郵政の問題と、今度は高速道路だけで委員会を作った。
あとはどうするつもりなのか。
めちゃくちゃなのが本四架橋公団だ。あんな小さな四国の島に三本も何兆円もの橋をかけて、もうかるわけがない。ところがそれに反対する政治家もいなかった。
福田君が言うように、肝心なものは全部複合的、重層的だ。それを意識して束ねていき、ものを考え、解決していくというのが政治家の責任。どんな事案だって、各省庁の絡み合いがある。
森喜朗君が首相をつとめているときに、「君、このままだと次の参院選は惨敗するぞ。せめて都市で点数を稼ぐことを考えろ」と言ったら、「何があるか」と言うから、「これから複合汚染の所産である花粉症がはやるだろう。大都会の皆さんの花粉症を治す、とアピールしたらいい」と提言した。「治るのか」と言うから、「治る。国が決めて排ガスの規制をやったらいい」。そうしたら「研究させる」。で、ひと月くらいたって「どうだ」と聞くと「通産省と運輸省と環境省がごちゃごちゃになって、縄張り争いでちっともうまくいかない。なかなか三つの役所の意見がそろわない」と言う。
そんなことは、初めからわかりきっている。だから言った。「君が、いつまでやってるか知らないが、そう長くはないだろう。しかし今、日本で一番偉い人なんだろう。役所を強引にでも束ねるのが総理大臣じゃないのか。なかなかそうはいかないといってるようじゃ、総理大臣になった意味がないだろう」
それでも、「いやいや、なかなかそうはいかない」(笑)。あげく、今日この体たらくだ。
歴史についても、政治家には責任がある。今問題になってる北朝鮮、韓国との兼ね合いにしろ、中国の日本批判にしろ、日本の歴史について外国は外国なりに解釈するだろう。それはしたらいい。しかし、「それはそうじゃない」と、私たちの感性で、私たちの精神で、日本の歴史というものを評価するのは、日本の政治家の責任だ。
なのに、みんな「あなた方のおっしゃるとおりです」ってペコペコしてばかり。官房長官時代の宮沢喜一や河野洋平が典型だ。歴史の解釈を向こうに習っている。こんな政治家が跋扈しているという現状は、本当におかしいと思う。
例えば韓国の日本の統治の問題。あれは合法的にやって、しかも世界が是として、べつに外国から文句が出たものでもない。しかも韓国、朝鮮人が自分たちで選んだ道なんだ。
その判断を、ある意味で冷静に評価したのは韓国の大統領だった朴正煕さんだ。私も何度かお目にかかった。あるとき、向こうの閣僚とお酒を飲んでいて、みんな日本語がうまい連中で、日本への不満もあるからいろいろ言い出した。朴さんは雰囲気が険悪になりかけたころ「まあまあ」と座を制して、「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価もしている」(拍手)。
いや、こんなところで拍手しなくていい。
朴さんが、「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ」と言う。
「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とする。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」
というわけで、一つの問題でも複合的にかつ重層的にとらえる目を、私たちは持たなければいけない。外交という国の威信をかけて利益を追求する、非常に複合的、重層的な交渉のなかでも、役人はそんなことできないから、政治家がしなくてはいけない。それをできる政治家がいないから、わけのわからない外交になる。
さて、日本は力がないのだろうか。依然として世界第二のボリュームを持つ国家経済を持っている国だ。どんどん新しい技術も開発されている。大阪の中山製鋼という会社を視察した。世界で初めて、微粒子の数が普通の鉄板の五倍から三倍あり、そして強度が一・七倍に達する鉄板を開発した会社だ。今、量産体制に入りつつあるという。
この鉄板ができたら、日本の自動車の強度はまったく変わる。鉄という素材が今までの素材になかった価値を持ち、性能を備える。そういうものを日本人はどんどん開発している。アメリカがこれを知ったら、どう思うだろう。
自分の持っている力を過信してはいけないけれど、しかし、何と何が足りないか、何と何は十分あるか、ということを自分で認識した上でゲームに臨めばいい。国際政治は、みなゲームだ。マージャンとか、ポーカーとか。この手のうちのカードだったらフラッシュを狙おうとか、マージャンだったらメンゼンで上がろうとか。自分の手のうちにあるものをよくわからずに、国際政治ができるわけがない。
日本の技術の有効性というものを一番知っている国はアメリカだ。次はシナ。さっき、言いそびれたが、アメリカが発明したつもりでいるデリバティブ、つまり先物買いの抽象経済を世界で最初にやったのは日本人。江戸時代に日本の堂島の米相場をやっている商人が、はじめてデリバティブをつくったんだ。
こういう歴史がありながら、私たちは何かその余韻の中でぬくぬく生きてきてるうちに、自分を見失ってしまった。
不毛の現代史教育大人が悪い
私たちが、自分を取り戻し、日本を立て直すためには、まず自分のおじいさん、ひいじいさん、おばあさん、ひいばあさんがやった明治の時代あたりの近代化の歴史を、現代からたどり直して勉強するといい。自分の関連してる日本人がたくさん出てくるんだから、みんな興味を持つ。
太古の昔の神話から学びはじめても、戦国時代くらいで授業が終わってしまう。それは別にやればいい。近代史からは、いろいろ学ぶものがある。信長の英知だって明治に生きた。明治の知恵が今生きないわけがない。
ところが今の現代史はほとんど不毛。扶桑社が頑張っていい教科書を出しただけでごちゃごちゃ言われる。
最後に面白い話をする。坂井三郎さんという第二次世界大戦の零戦の撃墜王がいた。最近亡くなられたが、外国人記者クラブでの講演でこう話した。
「ごらんの通りこちらが義眼です。私はこれを戦争で失ったが、全然戦争を恨んではいない。あれは素晴らしい、意味のある戦争だった。強いて私が後悔するなら、たくさんの優秀な部下をなくしたことだ。それ以外の後悔はない」と言い切ったら、聴衆がシーンとしてしまった。
そのあと坂井さんがにこっと笑って、「だって皆さん、そうじゃないですか。あの戦争が終わって国際連合にたくさんの国が誕生して参加しました。一国一票を持って人類の歴史を左右する、運命を左右する権利を持った。みんな白人の植民地だった国だ。やっと有色人種が世界の舞台に出た。その引き金はあの戦争ですよ」。白人の記者は憮然としていたが、私は一人で拍手した。メーンテーブルに並んでいる白人たちが振り向いて「なんだ、また石原か」ってな顔していたが(笑)。
それで私は坂井さんと仲良くなった。そのあと、ある人から、「坂井さんがとんでもない話をしている」と聞いた。
私はびっくりして、坂井さんに直接電話して、
「この話、本当ですか」
「いや、石原さん、本当です」。
坂井さんがある日の午前十時半ごろ、電車に乗った。目の前に大学生が二人座った。坂井さんはどんな話をするかなと思って聞いていた。すると「おい、田中知ってるか。五十年前な、アメリカと日本で戦争したんだってよ」。
田中が「えーっ、ほんと。マジ?」
「マジだよ、お前」
「マジか、で、どっち勝ったの」(笑)
これはすごい話だ。笑ってる皆さんの責任なんだ。私の責任なんだ。教育をほったらかしにして「先生よろしくお願いします」ですませてきた。五十数年前の太平洋戦争でお父さん、おかあさん…たくさん亡くなった。同胞もなくなった、原爆も落ちた。大学生がその戦争を知らずに、「日本とアメリカと戦争したんだよ」「うそ、マジ」「マジだよ」では、もうお話にならない。
いや、教育が一番わかるんだ。どんな人間を育ててきたか。これは学生たち、子供たちの責任ではない。私たちの責任だ。教科書の問題だって、当たり前のことを当たり前に書いた教科書が、あれだけ迫害された。事実を曲げる報道も多い。だが、産経だけは別のようだ(笑)。
みなさん産経を応援しよう。終わります。ありがとうございました。
※本稿は平成十四年十一月五日に大阪・サンケイホール、同六日に東京・新高輪プリンスホテルで、石原慎太郎東京都知事を招いて行った産経新聞創刊七十周年記念の特別講演会、「日本よ」の内容を採録したものです。