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社説

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「普天間」移設―協定だけでは動かない

 沖縄の米海兵隊をグアムに移すための日米間協定が衆院で可決され、今の国会で承認される見通しとなった。

 宜野湾市の普天間飛行場を名護市の辺野古に移すこととセットで、8千人の海兵隊員とその家族9千人がグアムに移動する。日本政府は約60億ドルの資金を提供する、などがその柱だ。

 基地負担の軽減は、在日米軍基地の7割が集中する沖縄県にとって最大の懸案である。なかでも市街地のど真ん中に位置する普天間飛行場の移設はその象徴だ。実現すれば、画期的なことだ。だが、協定をめぐる国会審議では数々の疑問も浮かんできた。

 まずグアムに移る海兵隊員数だ。先日公表されたばかりの09年版の外交青書も「8千人の海兵隊員および9千人の家族は2014年までにグアムに移転」と記載している。ところが削減される隊員の数は実数ではなく、定員だということが明らかになった。

 沖縄海兵隊の定員は1万8千人だが、実際には世界各地に派遣されているため、常駐するのは平均約1万3千人。その家族は約8千人で、削減予定数よりも少ない。

 実際にどれだけの兵員が減るのか、麻生首相の答弁は「わかるはずがない」だった。これでは住民負担が現状よりどの程度軽減されるか「わかるはずがない」ということだ。

 日本政府は、移転に伴ってグアムに建設される司令部の庁舎や隊舎の費用を28億ドルを上限に負担する。だが、新築する隊舎の数がわからない。28億ドルの積算根拠も説明されなかった。

 宜野湾市の伊波洋一市長は、衆院の委員会で「沖縄の負担軽減を前面に出して日米間で合意したのに、いまだにどう負担軽減につながるのか明らかにされていない。国の熱意が感じられない」と、政府の対応ぶりを批判した。至極当然の反応だろう。

 忘れてならないのは協定が国会で承認されても問題が解決するわけではないことだ。沖縄県や名護市が辺野古への移設を認めて初めて、ことは動く。

 新飛行場を造るには、沖縄県知事による海の埋め立て許可が必要だ。ところが、地元は騒音問題などを理由に反発し、仲井真弘多知事は現在の計画を沖の方にずらすよう求めている。

 政府は計画の一部修正も含めて地元と協議すると言っているが、一向に本格化しない。修正するとなれば、米国の了解が必要だ。乗り越えるべきハードルはまだまだ多い。秋までには総選挙があり、政権の行方も不透明だ。

 だからといって先送りしていては、移設そのものが振り出しに戻りかねない。日米首脳が移設を合意してから13年にもなる。協定で日本側の資金負担義務は固まるが、沖縄県民の基地負担を少しでも減らすという大目標はどうなるのか。

週刊新潮―「騙された」ではすまぬ

 週刊誌の編集部には膨大な数の告白や告発が届くという。うそも多い。しかし中には、新聞やテレビには取り合ってもらえないが、週刊誌なら目を向けてくれるのでは、と訴えてくる真実があるそうだ。

 それを見抜いて取材を重ね、世に問うのが週刊誌報道の誇りであろう。その力が衰えてしまったのか。若い記者が命を奪われた重大事件を素材にしてのこの大誤報である。

 朝日新聞襲撃事件の実行犯を名乗る男の手記を4週続けて掲載した週刊新潮が、早川清編集長の署名記事で男とのやりとりなどを詳しく書き、誤報を認め、おわびをした。

 〈こうして「ニセ実行犯」に騙(だま)された〉と題する編集長名の記事は、男の話に翻弄(ほんろう)された経緯に長行を費やし、裏付けが不十分だったことは認めた。

 ところが、肝心なことは書かれていない。襲撃事件の被害者である朝日新聞が証言は虚偽だと指摘したことにいったんは反駁(はんばく)した同誌が、突然、考えを百八十度変えた説得力ある理由が明らかにされていない。

 編集長が強調したのは「騙された」という被害者の立場である。これで、報道を任とする媒体の姿勢として納得を得られるものだろうか。

 新潮社の出版社としての対応も理解に苦しむ。

 早川編集長は新聞などの個別取材に応じたが、取材者は1人、写真はなしなどという条件をつけた。言論機関の責任者としてなぜ記者会見で疑問に答えようとしないのか。

 新潮社は「誤報を認める記事を載せたことで説明責任は果たした」として、これ以上の対処はしないという。取締役でもある早川氏は近く編集長を交代するが、誤報とは無関係という。

 一般に大手出版社は、社内の週刊誌編集部の独立性を尊重しつつも、法務など別のセクションと日常的に意見交換して、問題記事が出るのを防ぐ工夫をしている。

 だが、新潮社では編集部に取材や記事づくりほぼすべてを任せていると同社は説明している。それほどの権限があるのであれば、編集部にはなおのこと厳しい自己点検が必要だ。

 報道機関も間違いを報じることはある。だが、そうした事態には取材の過程や報道内容を検証し、訂正やおわびをためらわないのがあるべき姿だ。事実に対して常に謙虚で誠実であろうと努力をすること以外に、読者に信頼してもらう道はないからだ。

 今回の週刊新潮と新潮社の態度からは、そうした誠実さが伝わってこない。この対応に他の出版社や書き手たちから強い批判の声があがっているのは、雑誌ジャーナリズム全体への信頼が傷ついたことへの危機感からである。「騙された」ではすまない。

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