出版ジャーナリズムの一部に、本来の道を逸脱した「売らんかな主義」がはびこってはいないだろうか。
一つが奈良県の医師宅放火殺人を題材にした講談社の単行本をめぐる調書漏えい事件だ。もう一つは、朝日新聞襲撃事件の実行犯を名乗る男性の「実名告白手記」を掲載した週刊新潮の誤報である。
調書漏えい事件で奈良地裁は、取材協力者で、少年を鑑定した精神科医師の崎浜盛三被告(51)に、適用例が極めてまれな秘密漏示罪で有罪判決を言い渡した。
事件の発端は、調書を引用した草薙厚子さん(44)の著書「僕はパパを殺すことに決めた」がプライバシー侵害で問題視されたことにある。被告は調書を見せたのは正当な行為と主張。「少年には広汎性発達障害があり、殺意はなかったことを社会に理解してほしかった」としている。
情報提供した医師の軽率さはあったとしても、取材源だけの責任を追及した捜査当局の判断を追認した判決は、内部告発や情報提供の動きを萎縮(いしゅく)させかねない。表現の自由や国民の知る権利が損なわれる恐れも大きい。
そうした判決をもたらしたのは著者と講談社の姿勢である。医師との間に交わした(1)コピーはしない(2)直接の引用はしない(3)原稿の事前確認をする―という三つの約束をほごにした。社内の一部にあった懸念の声を無視して出版に踏み切っただけでなく、著者は取材源を法廷で明らかにしてしまった。結果的に公権力の介入を招き、言論・報道の自由を脅かすことになった。
「週刊新潮」の誤報事件では、新潮社が最新号で謝罪記事を掲載した。「こうして、だまされた」というタイトルを掲げ、十ページを割いて取材から掲載に至るまでの経緯を明らかにしている。ひとことで言えば「裏付け取材」が不足していた、という釈明の内容だ。
取材の過程で何度かおかしいと思ったともいう。だが、手記に登場する右翼団体、関係者へはもちろん当事者の朝日新聞社への十分な取材も怠っている。地道な作業をしていれば、虚偽かどうか分かったはずである。
気になるのは、謝罪と反省はしながらも全体として自らを「被害者」の立場に置いた経過説明になっていることだ。いま必要なのはなぜ誤報をしてしまい、しかも数々の疑問点を指摘される中で、二カ月近くも放置してきたかの詳細な検証と公表ではないのか。
今回の誤報は「虚報」と言ってもいいだろう。この謝罪記事では不十分と言わざるを得ない。外部識者ら「第三者」の目で問題点を洗い出し、自らに厳しい結果も受け入れるべきである。
二つの事件は、読者への重大な背信だけでなく、出版ジャーナリズム全体の信頼にもかかわる。出版不況のただ中とはいえ「売れる」ことだけを優先する姿勢では自殺行為である。ジャーナリズムの原点に返って、信頼回復に全力を挙げてほしい。
|