空中キャンプ

2009-04-16

不都合な真実

世の中には、知ったところでかなしい気持ちになるだけの、きわめて不都合な真実がたくさんある。たとえ説明したとしても、現実のやるせなさにめまいがするだけのそうした真実を、ここであえてわたしは伝えたい。たとえば、英語ができれば、世界中にいるたくさんの人びとと自由にコミュニケーションが取れる、という例のあれである。

もちろん、英語ができればたくさんの人と意思疎通はできる。よって、この記述は決してまちがってはいない。しかし、この記述はなんというか、現実をあまりよくとらえていないのだ。たとえば、わたしの友人のアツヤ君。彼は、まったく英語はできないが、とても人当たりがよく、親切な男であり、たくさんの外国人とも友人関係にある。英語でなにかを話しかけられても、「ア、アイドントノウ……」くらいしかいえないのだが、そのアイドントノウの言い方がとてもかわいらしく、周囲は爆笑、つねにキュートな存在感で周囲を魅了しているのだ。

わたしは、アツヤ君に紹介されて、彼の友人の外国人たちと飲んだことがある。しかし、わたしと彼らのあいだにはなかなかフレンドリーな雰囲気が生まれず、いっこうに距離は縮まらない。長年、英語が好きでずっと勉強してきたわたしだが、いくら英語ができても、アツヤ君の「ア、アイドントノウ……」にかなわない。どれだけ正確な文法で話すことができても、自らの考えをはっきりと伝える能力があったとしても、それと、相手と仲良くなれるかどうかはまったく別だったのだ。考えてみればとうぜんのことなのだが、やはりわたしは落ち込んだ。

ここまで根本的な問題へ遡及するとはおもわなかった。ひょっとしてこれは、英語がどうというより、わたしの人間性の欠陥では……。そう考えると、今までの努力がすべてむだだったようにおもえて、お腹が痛くなってくる。そして、アツヤ君やその友人たちと飲むたびに、わたしは会話の輪から外れてしまったような気になって、もっとキュートな男に生まれたかったとご先祖様を恨むのだった。