流麗な仮名の筆跡も美しいが、達意の文章にもあらためて感心させられた。京都・東寺の荘園だった中世の新見荘に暮らした女性「たまかき」が書き残した手紙である。
十二日付の本紙に、三好基之・元ノートルダム清心女子大教授が「たまかきと新見荘の人々」と題して「おかやま歴史塾」で行った講演が紹介されていた。手紙の写真や書き下し文もついている。
東寺の代官として新見荘に派遣された祐清と深い仲になったこと、祐清が年貢紛争で地元民に殺害された後は、葬儀を取り仕切ったことなどを報告し、東寺に「少しでも形見の品をいただければどれほどうれしいでしょう」と書いているところが有名だ。名前については最近「たま」説も出ている。
三好さんは「当時の新見にこれだけの字が書ける女性がいたか」と問題点を指摘するほど、見事な筆運びである。地方の女性が身につけていた教養の高さを物語る史料といえるだろう。
どんな女性だったのか。中世史家の黒田弘子さんが、新しい見方を示している。形見分けを要求したのは、妻としての役割を果たしたことで生じる当然の権利の主張という。中世では広く容認されていた。
なよなよとした女性というより、勉強熱心で、優しく、たくましい、しっかり者だったのではないか。