燃料電池はもはや死んでいる、と前に述べた。
それからしばらくたった現時点になって、ようやくホンダもそれを公式に認めた。
──
燃料電池はもはや死んでいる(もはや駄目だ)、と私は前に述べた。
→ 燃料電池の死
→ 燃料電池の死2
「死んでいる」というのは、「将来的に絶対的にありえない」(永久に不可能だ)ということではなくて、「近い将来にはありえない」(現時点では夢物語だ)ということだ。
つまり、研究所の研究開発の課題にはなるが、数年以内の実用化・商品化は無理だ、ということだ。……それをもって、私は「燃料電池の死」と呼んだ。
一方、朝日やホンダは、逆のことを主張した。
「近い将来(数年以内)に燃料電池が主流になるだろう。ガソリン車の次は、燃料電池車だ」
「だから、これをどんどん推進するために、政府は莫大な補助金を出せ」
というふうに。
では、その根拠は? 例によって、エコである。
「燃料電池車は、排ガスを出さないので、とてもクリーンだ。すばらしいエコだ。だからこれを是非とも推進しよう」
というわけだ。
特に、朝日新聞の一年ぐらい前の記事では、次のような記事があった。
「ホンダは、燃料電池を近い将来に実用化する。すでに FCXクラリティ という燃料電池車を実用化して、リースで貸与開始した。燃料電池車はもはや夢ではなくて実用化しつつある」
「だから、燃料電池車の普及のために、莫大な補助金を注ぎ込もう」
ここでは、「金をかければ何でも可能だ」という勝手な思い込みがある。そのあげく、できもしないことに無駄な金をつぎこもうとする。たとえると、19世紀の時代に「核融合」または「錬金術」をめざして、巨大な金をつぎこむようなものだ。
そして、そういう勘違いを批判して、私は先の項目を書いたわけだ。
( ※ 何年か前にも「小泉の波立ち」で同趣旨のことを書いた。)
──
さて。「燃料電池の死」については、私はとっくの昔に指摘してきたが、新たな事態が起こった。燃料電池派のトップランナーであったホンダも、とうとう「燃料電池の死」を認めるようになったのだ。
朝日新聞(朝刊・特集 2009-04-15 )に、ホンダの社長へのインタビューがある。そこで、ホンダの社長がはっきりと表明している。
「燃料電池車は 10年後、20年後の乗り物だ」
と。このことが重要だ。(注目!)
これはつまりは、燃料電池派の総帥が白旗を揚げたのに等しい。
( ※ それでもまだ朝日は、自社の方針の誤りを認めていないが。)
──
なお、「10年後、20年後」という言葉だが、この数字(つまり時期)は、全然当てにならない。本当に 10〜20年後に、燃料電池車が普及する保証は、まったくない。
なぜなら、連中は、ずっと前から同じことを繰り返しているからだ。「5年後にできます、5年後にできます」と、毎度毎度繰り返しています。そうして毎度毎度、引き延ばしばかりをしている。
たとえると、
「明日、借金を返します」
と毎日毎日、同じことを言って、何十年も引き延ばしたあげく、とうとう老衰で死んでしまって、最後まで借金を返さずに踏み倒した、というようなものだ。
燃料電池車というものは、いつできるかさっぱりわからない。つまり、実用化のメドは、全然立っていない。
「燃料電池車は 10年後、20年後の乗り物だ」
とホンダの社長が述べているのは、つまりは、
「私の目の黒いうちには実用化しません」
と言っているだけのことだ。
そして、そこから先の将来では、彼はもはや死んでしまっているだろうから、自分は嘘の責任を取らないで済む、というわけだ。
(借金の踏み倒しと同じですね。)
──
朝日は燃料電池車を大々的に推進してきたし、「補助金を出せ」とも報道してきた。だが、現実は、上の通りだ。
そして、そのことを反省しないから、今になっても、朝日は「太陽光発電を推進せよ、補助金を出せ」と大々的に報道し続ける。
困った連中だ。おのれの失敗から何も学べない。
[ 付記1 ]
FCXクラリティ について説明しておこう。これは現在、公道を走っている。とすれば、燃料電池車は、実用化したと言えるのか? いや、否。
比喩的に言うと、アポロが 1969年に月面到着したからといって、それをもって「月への旅行が実用化しました」とは言えない。コスト無視の基礎研究レベルと、コスト重視の商品化とは、全然別のことだ。
それと同じ。研究室レベルでは FCXクラリティ のような燃料電池車を開発できている。だが、それにはコストが数億円もかかっている。とても実用化はできない。実用化の見込みもない。
特に困るのは、白金(プラチナ)だ。地球上の白金の量は限られている。燃料電池車を少数作るだけなら可能だが、燃料電池車を大量に作ると、白金がたちまち枯渇してしまう。どう逆立ちしたって、大量生産はできない。白金の生産量が百のときに、白金の需要が千になれば、その需要をすべて満たすことはできない。
燃料電池車を 10台生産するということと、燃料電池車を大量生産するということは、全然別のことなのだ。
[ 付記2 ]
FCXクラリティ について、朝日が「リースで貸与開始したから、実用化は間近だ」と述べたのは、とんでもない虚報だろう。
たしかに「リースで貸与開始した」というのは事実だが、その際、赤字をホンダが丸かぶりしている。2億円ぐらいのコストがかかっているのに、ごく安価で貸与している。(赤字の大部分をホンダが負担している。)
こんなことは「実用化」とは言わない。「研究のモルモットになってくれる人を募集している」と書くだけでいい。
朝日はやたらとこういう誤報を記して、世間をミスリードするので、注意しよう。(理系の科学技術力が欠落しているせいだろう。何とかならないものかね。)
[ 付記3 ]
ついでに、イヤミ。
朝日の記事(上記)は、1面の大半を使って、大量の文字数を費やして、本田社長へのインタビューを記している。しかるに、それほどの紙面を食いながら、一番肝心のことが記されていない。それは、
「なぜホンダは電気自動車に熱心ではないのか」
ということだ。ここが一番肝心なのに、質問もないし、回答もない。
そこで、私が記しておこう。核心を書き落とした記者のかわりに、私が核心を書く。
「なぜホンダは電気自動車に熱心ではないのか」
これが質問だ。そして、質問への回答は、こうだ。
「ホンダが電気自動車に熱心でないのは、燃料電池車に熱中しすぎたからだ」
つまり、夢みたいなものを追いすぎたせいで、本当に必要なものを開発するのを怠ってしまったのだ。
( ※ 学校の勉強をおろそかにして、趣味ばかりやっている、不真面目な生徒と同様。)
ホンダは落第生みたいなものだ。その点は、朝日も同様だ。朝日は、燃料電池車に熱中しすぎている。だから、電気自動車の重要性に気づかない。また、ハイブリッド車の重要性にも、気づかなかった。
私は以前、「近未来では、燃料電池車よりも、ハイブリッドが重要だ」と述べた。そのときは予言だったが、今になってそれは現実化している。
そして、それが現実化したあとで、その現実を後追いしているだけなのが、朝日だ。何の先見性もない。それどころか、虚偽の先見性ばかりを振りまいている。
[ 付記4 ]
朝日のこういう「虚偽の先見性」は、ひどすぎる。燃料電池車もそうだったが、太陽光発電もまた、二の舞だ。
朝日は、かつて燃料電池車に熱中したように、太陽光発電にばかりに熱中する。そのせいで、地球緑化(= 砂漠化の回避)の必要性については、ちっとも理解しない。やっているのは、「原発反対」というような、状況を悪化させるような策ぐらいだろう。
科学音痴の人間が、教条的な「エコ教」に染まると、ろくなことはない。エコを実現しようとするつもりで、かえって環境を破壊する。
【 関連項目 】
→ 燃料電池の死
→ 燃料電池の死2
2009年04月16日
◆ 燃料電池の死 3
posted by 管理人 at 20:23
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| エネルギー・環境2
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