週刊争論

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[519] 犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
WEB多事争論編集委員
投稿日
03/23 19:38

全国学力テストに公立校として唯一不参加だった犬山市。きょう、市教委が多数決で、09年度の参加を決めた。

06年、テスト参加を求める田中志典市長が当選して以降、瀬見井久教育長と対立。委員を入れ替えるなどして、去年秋には参加派が過半数となっていた。

「少人数授業」や児童同士が教えあう「学びあい」など、独自の教育改革を行っていた犬山市。以前、取材で訪ねた際、瀬見井教育長は、こう話していた。

「自ら学ぶ力は、自ら進んで学ぼうという意欲を子どもが持つこと。その意欲は学ぶ喜びが動機付けでないといけない。学ぶということは本来は非常に楽しいことなんです。」「ところが国がやろうとしているのは、競争を動機付けにして学力の向上を図ろうという考え方。しかし、競争を動機付けにするということでもって自ら学ぶ力を育むことができるかといったらこれはできないです。これが非常に重要な、国がやろうとしている考え方と犬山の考え方の大きな違いなんです。」

教育に「この方法が絶対」というのはないだろう。逆をいえば、10の教育現場があれば、10の試行錯誤があっていいと思っている。上から決められたものを下に流す、というような画一的な方法が、「自ら学ぶ力」を育むことに貢献するだろうか?それこそ現場の「真の怠慢」につながらないだろうか?
全国学力テストにかかる費用は07年度が77億円、08年度が58億円。
その意義についての多事争論、お待ちしています。

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[521] Re:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
ton_paris E-MAIL
投稿日
03/24 00:10

 どうしてこの世代の人たちは人の上に立っているのに自分のことしか考えられないのだろうか?もう少し子供のことや教育というものの重要性そのものについて考えられないのか?こんなことを思ってしまう事件ですね。
 学力テストをうけようが受けまいがそんなことは当の子供たちはどうでもいいと思っていると思います。問題はそれがどれほどの意味を持つテストかということです。小学校の段階で全国の順位や偏差値を出されたってそれが何?と言う感じもしますし、それをもとに学習計画や方針を立てられてもそれも怖いと思います。単なる目安くらいにしか成らないものに大人がよってたかってわいわい騒ぐことそのものが滑稽に見えます。
 
 そもそも学力って何なんでしょうか?
全国一斉テスト行われるのは、選択式のマークシートのテストですよね。こんなもので生徒の思考力が表現力やイメージ力などを含む真の学力がわかるはずがないじゃないですか?
 個人的には教育長が言っていることの方がまだ現実的だと思いますがこの教育長の問題は、視野が狭いということではないかと感じます。自分の意見以外ののものを認めない押し通そうとするという官僚的なにおいがします。

 学力テスト?そんなのどうだっていいじゃない。という人たちがもっと増えれば日本は良い方にかわると思いますけどね。

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[530] Re[2]:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
孤高の熟年
投稿日
03/24 17:41

ton_parisさんが指摘したように、学力テストの学力ってなあに?という問題ですね。古今東西このテストっていう代物は、たとえば中国の「科挙」のように『差別化』の手段として、主として用いられてきたんですね。功罪はいろいろあると思いますが、すべてがダメで無駄だとも言い切れないと思います。
要は方法論=やり方の問題でしょう。一律化のために導入されたマークシート方式ですが、こいつで真の意味の実力が測れると思っている人は、あまりいらっしゃらないのでは?
あと、世界的な背景も学力テスト偏重にドライブをかけているのではないでしょうか。いわく、やれ東南アジアの学力レベルが日本より遥かに高い・・・・云々。
どなたか、もう少しましな学力判定方法を考えていただけませんか。

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[548] Re[3]:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
松尾 E-MAIL
投稿日
03/25 10:58

国語、数学のテスト結果で大人たちが一喜一憂する姿は滑稽に思えてなりません。
「学力向上」という言葉の背後に「いい学校を出ないと幸せになれませんよ」「勝ち組になれませんよ」という発想が見え隠れしてしまう。そして、それを押し付けている気がして、あまりいい気はしません。
5教科の必要性を一切否定はしませんが、あまりにも価値観狭いように感じます。
偏差値教育がいいと思っている人は必ずしも多くないはずなのに、
どうしてもそういう方向に向かってしまうのも不思議です。

アインシュタインは、学ぶことにおいて重要性なのは好奇心だと言いました。
アインシュタインのような天才を例に挙げるのは適当ではないかもしれませんが、
それでも、やはり何かを学ぼうとする時、好奇心がなければやっぱり続かないし、やってて面白くないと思います。

実際の学校はどうでしょうか。
私の実感では、機械的に何か覚えさせられることのほうが多いように思います。
たとえば数学の公式を訳も分からず覚えさせられて、どんどん先に進み、そして少しずつ脱落していく。
言われるがままに、公式を覚えていくより、立ち止まって「なんで?」と考える人のほうが素質があるように思います。しかし、そういう人たちは結局置いていかれるわけです。個人的には授業の進度なんてどうでもいいし、いっぱい立ち止まればいいと思っています。

言われるがまま、勉強していい大学に入ったからと言って、本当に考える力が身につくか疑問です。むしろ変に物わかりがよくなって、考えなくなるのではないでしょうか。授業時間や内容の増加よりも、どんなことでもいいから(5科目に特化する必要もなく)、いかにして好奇心を持たせるか、何かを知る楽しさを実感してもらうことに知恵を使ったほうがいいと思います。知識なんて後からなんとでもなります。
知る楽しさを覚えれば、子どもは大人に言われなくても、勝手に自分で追求していくと思うのですが、どうでしょうか。

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[551] Re[4]:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
孤高の熟年
投稿日
03/25 13:43

米村でんじろうさんの工夫を凝らした実験を通しての興味の引き出し方、
秋山 仁さんの算数や数学への型にはまらない取り組み方、
・・・・・日本の旧来の「教育」ではやや異端視されていたような、こういったアプローチの仕方が各教科に積極的に導入されていけば、もう少し未来は明るいのにと思います。

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[559] Re[5]:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
松尾
投稿日
03/26 00:54

私は、先生にもっと自由にやらせていいのではないかと思っています。
教師になろうと思った方なら、
自分が教える教科に対して、それなりの楽しさを知っているのではないでしょうか。脱線するくらいの授業が、広がりがあって面白い。
国語の現代文で生命の話題が出てきたら、理科に飛んだっていいのではないでしょうか。
先生も生徒の質問に対して分からないことがあれば、子どもと一緒に考えるくらいのゆとりが欲しいものです。
人生20年ちょっとで、すべてが決まるかのような発想から抜け出すべきだと思っています。

学力低下で、よく家庭や学校に責任があると言う人たちがいます。
日教組が悪いと言った大臣もいました。
犯人捜しをしている限り解決策は出てこないように思います。
人はそれぞれの環境が違えば、持っている情報も違いますし、あまりに乱暴な議論だと思います。
何かを知ったからと言って、たいして物事は変わらないし、実用性が感じられないと思わされてしまう社会に問題があるのではないかと思います。

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[528] Re:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
K
投稿日
03/24 15:57

 学ぶことに喜びを感じる人ばかりなわけがないでしょう。人によってはスポーツに喜びを感じるだろうし、芸術に喜びを感じるかもしれない、漫画やゲームなどの娯楽に喜びを感じるかもしれない。学問が楽しいものだという独りよがりの学問賛美・学問礼賛はほどほどにしていただきたいです。
 勉強に喜びを感じる子供なんて極少数しかいませんよ。楽しさや喜びは勉強することの一般的な動機にはなりません。すべての子供達が学ぶことに喜びを感じていたら、そのほうが奇妙でありおかしな社会ですね。自ら進んで勉強し、学びに喜びを感じる子供はよっぽどの秀才か、学者でも目指している人だけでしょうね。
 だからこそある程度の競争を、もちろん競争が単なる弱者否定の暴力的な争いになってしまってはいけませんが、することによってモチベーションを生み出すことは重要です。

 また、何でもかんでも現場に任せればいいという安易な発想は極めて危険です。なぜなら自治、自由を与えることによって、現場主体の優れた教育が行われていればよいですが、逆に愚かな教育が行われた場合には歯止めがきかなくなるからです。簡単なことですが優れた教師もいれば、愚かな教師もいます。後者に自由を与えるのは非常に危険であり、無思慮です。
 上意下達の意義を見直すべきでしょう。

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[556] グレーゾーンの意見は?

投稿者
ton_paris E-MAIL
投稿日
03/26 00:00

この報道をよく見たり聴いたりしないで書くので大変申し訳ないのですが、例えば当の受ける子供たちの意見や親たちの考えを何らかのアンケートなり調査をした結果判断されたものなのでしょうか?

これがもしその結果を反映したものであれば市長の判断には納得できます。しかしそれなしで単なる市長の独断でやったとしたらこれもまた乱暴な話ですよね。逆にテスト業者とのつながりや文部科学省からの圧力などを考えない訳にはいかなくなります。

話は変わりますがこのような時代にあってまだ学力とかいっていることが不思議です。学力偏重で育てられた方々によって、偽造やねつ造が横行したり、格差が広がる現在の社会が作られている事実を忘れては行けません。

いずれにしてもいまの子供たちに必要なのは幅広い人間関係を築くことができる人間力を養うことなのではないのでしょうか?最低限の学力は必要なので、そのために行うというのであって、画一的に全国の学校がすべて受けなければならないというのは変だと思います。

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[561] 『ニュース23』に出演した養老猛司さんの言葉

投稿者
WEB多事争論編集委員 吉岡 弘行
投稿日
03/26 02:24

 これまでの皆さんの論を拝見していて、ふと思いだしたことがありましたので記しておきます。
 2006年の『筑紫哲也ニュース23』では、年末に3夜連続で放送時間を30分枠大してスペシャル番組をお届けしました。
 放送作家の大御所でスタッフから“センセイ”と慕われていた和泉二郎さんが、3夜目のオープニングの「筑紫口上」を執筆されました。 
「今年一年、ニュース23では、年間テーマとして『変』を掲げ、さまざまな時代の変化をお伝えしてきました。政治の世界では小泉政権から安倍政権へと変わり、知らない間にいろんな物事が決まっていく、なんともつかみどころのない変な一年でありました。世界的温暖化による気象の変貌も気になりました」
 こんな口上で番組は始まりました。そして、ゲストに水道橋博士、中川翔子タン、養老先生らをお招きしてこの年におきた様々な「変」について語っていただいたのです。
 プログラムのひとつに「教育の変」というコーナーを設け、12年前にいじめで自殺した大河内清輝くんのお父さんをたて軸に「自殺の連鎖」や「教育基本法改正」、「高校の未履修問題」といった2006年のトピックをちりばめたVTRを流しました。
 また、「考えてみよう どこか変」というコーナーでは、「世論調査で右往左往する日本人」、「流行りの脳トレ」、「教育勅語を暗唱する幼稚園児」などを取り上げました。
 紹介するのはその際のトークコーナーで発せられた“養老語録”です。
 ひとつめは、「学校は付録」。
これは解剖学者として東京大学などで優秀な学生を教えてきた養老さんならではの至言だと思います。人生という大きな流れにおいては、小・中・高・大といった学校は、たかだかその流れのどこかについたオマケにしかすぎないというわけです。
オマケはいろんな趣向がこらしてあって、豪華で楽しい方がいいに決まっています。しかし、所詮はオマケにしかすぎないのだと諦観することの大切さにどれだけの親や教師が気づいているでしょうか?
 次は、「脳は鍛えても意味はない」。
第一線の脳学者の言葉です。私はやったことがありませんが、ニンテンドーなんとか・・といったゲーム機を使っている人、あるいは子供に使わせている方がいたら、この言葉を肝に銘じておいてください。流行りの「脳トレ」は暇つぶしくらいに考えたほうがいいとゆうのです。「全国学力テスト」もそんなものなのかもしれませんね。「脳トレ」は楽しそうな感じがしますが、「全国学力テスト」のほうは
やらされる側にしてみると苦痛なだけに、たちが悪い感じです。
 最後は、「世論調査に必然性なし」。
これは深い言葉です。「必然」とは必ずそうなることを意味します。最近の例でいえば、「小沢代表は代表職を辞すべきだ」という世論調査に6割以上の人が賛成していますが、現実はそうなりませんよね。小泉元首相の靖国参拝に多くの人が否定的でも、ご本人は気にしませんでした。(参る日を変えるというセコイ手を使ったにせよ・・・)
「世論調査」を「全国学力テスト」に置き換えてもいいのかもしれません。テストでいい成績がでたからといって、必然的にその学校や自治体が優秀とは限らないのです。例えば東大受験の本番で、山勘で勝負した学生が受かって、まんべんなく勉強した生徒が実力を発揮できずに落ちるといったケースはよくあることでしょう。
「勘を働かせて山をかける」ということは人生にとって重要なことです。
 養老先生のことですから、どこかで「全国学力テスト」についてのコメントをしているかもしれません。目にされた方は教えてくださると幸いです。
 

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[1840] Re:『ニュース23』に出演した養老猛司さんの言葉

投稿者
ネルソン
投稿日
04/17 00:33

> 「世論調査で右往左往する日本人」
> 「世論調査に必然性なし」

う~ん、週に一度は世論調査をやっているマスコミの方にそんなことを
言われても当惑するというか……。昔はこんなに頻繁にやっていた記憶が
ないんですが、内閣支持率調査なんかついこの間まで毎週毎週、全ての新聞社と
TV局でやっていて、支持率が下がるたびに新聞の一面で「レイムダック麻生」
「もはや国民は支持していない、解散すべき」とやっていましたよね。

その当事者に右往左往だの、必然性なしだの言われちゃ、じゃあアレは
なんだったの???って聞きたいです。

そういえば視聴率のサイトで見たんですが、TBSの視聴率が終日一桁台という
ものすごい事態になっているそうですね。マスコミには全国学力テストは
ありませんが、数字が出て序列化されるのは嫌なものでしょうね。

あと養老孟司先生は、虫取りの話や書評は面白くて好きなのですが、愛煙家の
せいか「煙草に害はない」などとおっしゃっているのを読んで以来、御説
全てを鵜呑みにしないようにしています。

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[562] Re:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
岡部
投稿日
03/26 10:19

>>全国学力テストにかかる費用は07年度が77億円、08年度が58億円。

こんなに費用をかけなくてもできるんじゃないですか?

単純な疑問でごめんなさい。

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[1825] Re[2]:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
不惑 E-MAIL
投稿日
04/16 23:54

ゆとり教育の問題点は、多くの私立学校では、ゆとりなど関係無い教育が、
行われていることだと思います。

資本主義である以上、貧富の差があるのは、仕方が無いが、
貧しい親の元に産まれた子供が、貧しい教育を受け、将来の人生の選択肢が、狭まっていく国になっていくことを、望む人はいないと思います

私は、安部政権以降の、ゆとり教育見直しを、支持しますし、全国一斉テストも
支持します

それは、比較的貧しい家庭の子供が通う公立学校の 教師のスキルアップに寄与するものだと 信じるからです

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[1831] Re[3]:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
ブーメランストレート
投稿日
04/17 00:21

橋下知事の実体験に基づく公教育改革はその証左ですね。
「ゆとり教育」「教師の裁量にすべて委ねよ」という意見を持つ人々は
たいてい恵まれた家庭の出身で充実した環境を与えられてエリート
コースを進んだような人々です。つまり、家庭の経済力による
「学力格差」をのぞんでいるのです。吉岡君の意見はまったく
学力格差助長を推進させるものです。

格差社会を叫んでいるマスコミ人は、ほとんどがこの格差社会の
勝ち組なのです。自分の力で手に入れた座ではないから、平気な
顔で格差社会批判をしている。ところが、いざ格差是正が自分の
利益に影響するとなると、平気で政権批判という形で反対運動を
起こす卑怯者どもです。規制緩和で新聞・書籍の再販制度廃止が
とりあげられたときもそうでした。テレビ局の免許も同じ問題です。
地デジへの補償だって同じ。マスコミ人はそうやって恐喝、じゃ
ないですね、勝ち取ってきたわけですね。すごいなー。

マスコミ人たちがこうして格差固定しようとする邪な行いは決して
許してはいけません。

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[1839] Re:犬山市が全国学力テストに参加へ 教育長はこう話していた

投稿者
17
投稿日
04/17 00:32

>「ところが国がやろうとしているのは、競争を動機付けにして学力の向上を図ろうという考え方。
>しかし、競争を動機付けにするということでもって自ら学ぶ力を育むことができるかといったらこれはできないです。

「学力テスト」という名ではあっても、このテストで量られるのは子供を指導する教師の力量であり、競争もまた子供ではなく教師の間にもたらされるものであるのでこの弁はあたらないと思います。
「なぜ学力テストの結果が良かったのか・悪かったのか」を考えていくと、最終的にはその地域ではどんな指導が行われてきたのかに行き着くと思います。
結果の悪かった地域でも、結果の良かった地域で行われている指導方法を学び、良いものを取り入れて生かしていけば、それは結果的に全国的な学力の底上げにつながるのではないでしょうか?

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