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−元々は映画関係を目指していたという事ですが?

安藤裕子(以下A):周りが就職だなんてなってる時に何がしたいかなって考えた時に、―――高校の時に一回映画を作ったんですけど―――、それが自分の中で胸が騒いだっていうかちょっと忘れられなかった。なんかモノ作るのが凄く楽しくて、大学の授業も文章書いたりするのが楽しかったりから、何か作るものがしたいって。お話を作ったりするのも好きだったから、それが絵になって形になって動いて、ちゃんと人に見えるようになったら楽しいだろうなって思ったから、(映画作りを)したいなあとは思ってて。でも、思ったけど、・・・仕事になってないですね(笑)。

−結果的には(笑)。そもそも安藤さんは子供の頃からモノ作りが好きだったそうですが?

A:絵をずっと描いてて。・・・ちっちゃい頃はうまくしゃべれなくて、同世代の友達が作れなかったんですよ。幼稚園もあまり行かなかったし。だからお絵かきとかしてたんですけど、上手に描けると母親が褒めてくれたりして、それがコミュニケーションになってた子供でした。しゃべんないんだけどほくそ笑みながら「どうなの?」みたいな顔をして(笑)、褒められる事で存在確認みたいなのをしてたのかな。

−モノ作り=コミュニケーションになっていたんですね。

A:そんな感じで普通に小学校に入って、高学年になったらちゃんと女の子として・・・ギャルデビューとかするんですけど(笑)。急にコロって変わりましたね。

−その転機などは覚えていますか?

A:自分は動きも遅いし、奔放な両親だったんで幼稚園らしい構い方を容姿的にもされてなかったんですけど、女の子ってそういうのをイジめるじゃないですか。だから怖くて女の子には近寄らないようにしてたんです。自我とかも芽生えてなかったから小学校入ってもほわ〜っとしてたんですけど、3〜4年生くらいの時に初めて友達ができたんですよ。そのコはが私よりほわ〜ってしてたんですけど、見てたら心配っていうか気になっちゃって。「大丈夫?これくらい出来なきゃおかしいでしょ!?」みたいな気持ちになってきたら(笑)、自分が出てきた。ある時、席替えでもう席が決まったのに、気の強い女の子がその友達の席の前に立って「そこあたしだから!」って奪い取った事があって、その理不尽さが許せなくて初めて人に対して意見を言ったんですよ。ずっとほわ〜っとしてたから小さい時の記憶ってあんまりないんですけどその事はずっと焼きついて残ってて。自我の放出っていうんですか、「あ、あたしちゃんといるじゃん。っていうかみんな図々しいよ!」みたいな気持ちに変わって段々、普通に人ともしゃべれるようになってきたんですよ。で、5年生になったらお姉ちゃんがいた影響もあって、・・・デビューしたんですね(笑)。

−その頃は音楽っていうと?

A:テレビに出てる人とかを普通に聴くくらいでしたね。小学校低学年の時はC-C-Bが大好きだったんですよ。幼稚園から小学校1年生かけてくらいの時に『毎度おさわがせします』っていうドラマが見たくて見たくて仕方なくて、でも放送が21時からだから見ると学校を遅刻しちゃうんですよ。その内先生に「何でこの娘は遅刻ばっかするんだ?」って親が呼び出されちゃって結局見るのが禁止になったんですけど、どうしても見たかったので影からそっと覗いてたら親が諦めて見せてくれたっていう、思い出のドラマなんです。

−苦労して見てたんですね(笑)。では初めて買ったCDは?

A:それがねえ、その頃はまだ音楽にあまり興味がなかったんですよ。ただ中1くらいになるとみんなマセてきてCD買いにいったりするじゃないですか。丁度TLCとかがデビューして流行ってた時期だったんですけど、私ブラックミュージックとかまったく興味が湧かないんですよ(笑)。でも周りのコたちがそういうのを買いにCDショップに一緒に行ったんで、何となくつられて買ってみた。タイトルも名前もわかんないような、当時流行っていた何かだとは思うんですけど、それが初めて買ったCDですね。結局買った後、封を空けてないですけど(笑)。

−買った所で完結しちゃったんですね。では今でも覚えているCDなどはありますか?

A:中学時代はまったくCD買ってないですね。高校入るくらいの時はお姉ちゃんがサーファーっぽい人と付き合っていたせいか、パンク寄りだったんですよ。いや“寄り”って事もないんですけど、普通に当時流行り出していたGREEN DAYであったりOffspringだったりRANCID。後、姉妹間で凄い流行ったのがBAD RELIGION(笑)。

−C-C-BからBAD RELIGIONへというギャップが凄いですね(笑)。

 「アンドウユウコといってもあの某テレビ局の大御所アナウンサーぢゃありませんよ♪」等というお寒い枕言葉をどれくらい使われた事があるのだろうか。多分、実際使っちゃったのはコレが初めてだろうし、お寒いならわざわざ書く事もないというものだ。それと“ぢゃ”がウザい。ともあれ2004年は1stアルバム『Middle Tempo Magic』発売をはじめ、アーティストとしての安藤裕子を飛躍させた1年だった。11月に行われたライヴでも緊張で硬くなっていた初々しさと共に、非常に伸び伸びとした持ち前の素晴らしい歌声でオーディエンスを魅了していた。あの場に居た誰もが『Middle Tempo Magic』の完成度と安藤裕子の存在感を再確認し、次なる展開を期待していたハズ。そして2005年春、そうした期待に応えるかのように彼女から届けられたシングル『あなたと私にできる事』。という訳で今までの彼女からまた一つ脱皮した、ストレートで耳触りの優しい珠玉のミディアムバラードとなった本作の、そこに至るまでの経緯や心象を彼女自身の言葉で語ってもらいました!歌から感じ取れる彼女とはまた違った魅力満載のインタビュー、今回は『hotexpress』初登場という事でプロフィールや幼少時代の事から語ってもらいました。

対談

安藤裕子
×
Yuki Sugioka


1st SINGLE
「あなたと私にできる事」

01.あなたと私にできる事
02.lovely second way

CTCR-40204
¥1,050(tax in)

2005.4.27 in STORES

安藤裕子 オフィシャルサイト>
http://www.ando-yuko.com/

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または過去の作品を知りたい方は
こちらまで

安藤裕子

A:BAD RELIGIONはホントに好きで、海外とか旅行で行くたびに向こうのCDショップに行って買ったりしてました。後はNIRVANAとか、女の子とは合わなかったけど当時流行っていた音楽を普通には聴いてましたね。後、当時はクラブとかパーティとかでも懐かしの音楽とかかかってましたよね、EARTH, WIND & FIREとか。そういうのも混ざったりとかしてて、あんまりミュージックっぽくなかったっていうか。で、この前高1の日記が出てきたんですけど、そこに「YELLOWに行ったら大人っぽくて居場所がなかった」って書いてあった!(笑) クラブとかも混沌としてて、色々混ざってたような。所謂テクノサウンドみたいのは大人にならないと出会わない訳で、全然いい素材はないんですよ、私の育ってきた環境に(笑)。

−ではいつ頃から映画や音楽に本格的に興味を持つようになったんですか?

A:私、昔はお酒強かったんですよ、内臓も健康だったみたいで。で、ある時飲み会みたいのがあったんですけど、そこで他人と会う事が嫌いだって気付いちゃったんです。しかもお酒飲むと落ち込むんですよ。

−嫌な思い出がフィードバックしたりするとか?

A:すーって冷めて他人の笑い声とかが遠くなっていく感じがするんですよ。それで凄い落ち込んで辛いなって、いつもひとりで端っこ行っちゃって。結局「何で私こんなのに2500円も払ってるんだろう?勿体無い」って断るようになった。そしたら今度は引きこもりみたいになっちゃって、全然遊ばなくなって、ここでようやくモノ作りが出てくるんですけど、それまでも絵はちょこちょこ描いてたんですけど、文章とかを書き始めたのはその頃ですね。

−その当時はどういった作家などから影響を受けていましたか?

A:近代文学が好きだったんですよ。その頃は暗いんですけど坂口安吾さんとか結構好きで、全集読んだりしてましたね。何か自分が似てると思ったんですよね。熱がないっていうか、何に対しても怒ったりする気持ちもないし、かといって幸福感も何もない。だから凄いハマって大好きでしたね。後はふざけて有名な時代物の、脇役級の人物にスポットを当てて創作でストーリーを書いたりとかしてました。

−では歌う事を始めたのはいつ頃ですか?

A:高校の時になんちゃって映画やって、その世界が楽しそうだって思って、映画の専門行こうと思ったんだけど、受験の時に自分が怖くて辞めたんですよ。

−一本化するのが嫌だったんですか?

A:そうそうそう。私、間違えるのが大っ嫌いで、間違いを犯したくないっていうのと、迷いがあるのに決めたくないなって事で専門を選ぶのは辞めて大学に。それで大学では文章書く授業が楽しかったんで今度は、「記者になろう!」ってそういう論文書く授業とか進んで選んだり(笑)。でも何か事実を並べるだけよりは作り物の方が好きだなって思うようになって、大学3年くらいになってみんなが就職活動してた時に、やっぱり映画かなあって。全然映画なんて詳しくなかったんですけど、見ないから(笑)。けどしたいなと思ってたから、書いてたストーリーを脚本化して制作会社の人のトコに持っていったりとか、普通に手伝わせてくれ、雇ってくれってお願いに行ったりとかしたんですけど、全然雇ってくれなかったです。で、親の友達にテレビの制作会社の人がいたんで映画会社を紹介してくれって頼んだんだら、「紹介は出来るけど薦めないよ」って諭されたんですよ。どれだけ裏方が厳しいかって話もしてくれたし、私がまだ学生で時間があるから出演する方なら紹介できるよって言ってくれて、私もお調子者だったからそれなら現場の実情が見れるし楽しそうでもあるじゃないですか。高校の時に脇役演じたのも楽しかったし。じゃあお願いしますって感じで1年くらい芸能事務所にいてちょこちょこっと脇役とかやらせてもらったりしてました。で、その頃オーディションで歌ったんですけど、歌はホントそれまで意識してなくて、声も嫌いだし、大して上手くもないから嫌だなあって。でもその時Charaさんの『Break These Chain』を歌って予選を通過して、その次はまたCharaさんなんですけど『Family』を歌ったんです。歌の上手い下手でいったら周りに絶対勝てないって分かってたから、だって周りはホイットニー・ヒューストンみたいな人ばっかなんですよ?(笑) だから歌に対して素直に共感して歌おうって思ってやったら特別賞みたいなのを頂いて。故・小池聰行さんが「君の歌は上手い下手関係ない。魂が揺れるんだよね」みたいな事を言ってくれて、それが凄い嬉しかった。子供の頃にモノを作り出した頃っていうのはやっぱり、言葉にならなかったりするものをうんうんって相手に頷いて欲しいっていうのがあって、それを感覚的に思い出したんです。でもやっぱり上手く歌えないしなって、その曲に共感しないと歌えないんで、「じゃあ自分で作るか」って帰って速攻で作り始めました。




すぐできると思って鼻歌とかで作り始めたんですけど、やっぱり最初は凄いダサい曲しか出来なかったんです。メロディを作ると歌詞が湧かないし、歌詞から始めるとメロディが乗らないしって、そのダサさ加減が嫌で嫌で、「どうにか心が揺れる曲という物が出来ないものか」としばらく自分がそっちに集中した。で、そこでようやく他人の曲というのを意識するんですよ。そこまで来ないと出てこない(笑)。

−それで「試しに聴いてみよう」って思った?

A:それでCDショップ行った時に、はっぴいえんどの『風街ろまん』の4人の顔が描かれたジャケットを見て、「細野晴臣さんだな。っていうか絵上手いな」って思って(笑)、普通にぱっと何となく買った。

−所謂ジャケ買いですよね。

A:そうそう。で聴いたらメロディと言葉の絡みっていうのが違和感なくあって、「これはいいんじゃないのか!?」って。そんなに音楽聴いてこなかったですけど、元々古いロックみたいな方が好きなんですね、何となく。何かこういう事したいなって研究じゃないですけど、そういった音楽の耳触りのよさを自分で考えてたら、気を抜いた時にふって歌うメロディには歌詞や単語が乗ってたりする事があって、それは凄いはまりがいいし、曲的にもその単語がキーワードだったりするっていうか。これは私の頭で整理のつく物体じゃない、そういう風に垂れ流しで作っていく方がよいのかもって思えるようになりました。そういう風に自分が曲を楽しいと思い始めたら、音楽やりたいなって思うようになって、芸能事務所と喧嘩別れをして。

−それっていつくらいの話ですか?

A:丁度大学卒業するくらい。在学中に遊びに行ってたクラブでマニピュレーターみたいな男の子から「アレンジやりたいからお前歌わない?」って言われて、曲作ってる事伝えたら「それ持ってきて」みたいになって、デモみたいのを作ってたんですよ、事務所には内緒で。で、音楽をやりたいんだが・・・っていう話をして、レコード会社でデモ録りみたいのしてたんですけど、それは曲を頂いて歌うって形だったんで上手く出来なくて。形にはなるんだけど自分もピンとこないし、他人にも伝わらない。何か煮詰まっちゃって。もっと自分でやった物が出来ない物かなあと思って、事務所は音楽はお金にならないっていうし。ホントに色んなトコと揉めたりして、「こんなのヤダヤダヤダ〜、私は自分のやりたい事がやりたいんだ〜!」ってなって(笑)、卒業と共に就職先も失い、風来坊ですよ。

−状況的には良くないですよね。ストレスとかもたまりましたか?

A:身体壊しましたよね、やっぱり。不安で弱ってるから曲も尖ってくるというか攻撃的になってきてて。でもその当時はそのデモが元で音楽制作会社の人がスタジオを貸してくれたり今の事務所の社長とかがちょこっと噛み始めたりとかして、ちょこちょこ仲間が増え始めてたんですけど、私が煮詰まっちゃってやりたい事がわかんなくなってた。それでみんなに「やる気がないなら辞めよう」って言って全て放り出しちゃった。二度目の放り出し。ホントやる事ないですよ、どこにも所属してないと(笑)。

−その状況というのはどうやって打破していったんですか?

A:打破できないままひとりでただ曲を作ってて、「いっぱいできちゃったな〜どうしよう?」って前に一緒にやってたスタッフの何人かに聴かせたら、「それならもう一回やる?」って言ってくれて。アルバム『Middle Tempo Magic』に入ってた『隣人に光が差すとき』はその時に「お金出すから一個デモつくんな」って言われて作った曲ですね。

−じゃあ『隣人に光が差すとき』は結構古い楽曲なんですね。またこの曲は映画『2LDK』の主題歌になりましたが、これは映画の監督である堤幸彦さんが撮っていたドラマ『池袋ウェストゲートパーク』に安藤さんが出演したのがきっかけと伺ったのですが?

A:『池袋ウェストゲートパーク』は芸能事務所にいる時にお仕事で出させて頂いたんです。で、元々堤さんのファンだったんですけど、現場が堤さんのトコだとは知らなくて。けど撮影が始まって現場のモニターでカット割りとか見てたら、映像がどうみても堤さんなんですよ。で、スタッフの人に「これって“ケイゾク”チームの?」って聞いたらそうだよって答えが返ってきて。それから堤さんとちょこちょこしゃべるようになるんですけど、「好きな音楽とかあるの?」って聞かれた時に「ご存知かどうか分からないんですけど、はっぴいえんどが・・・」って言ったら「俺の青春だよ!」(笑)。そこから凄い仲良くなって、事務所に内緒で曲を聴いてもらったら、良いって言ってくれて。で、その後事務所辞めて、ライヴのリハーサルか何かで都内のスタジオに行った時に、偶然堤さんがご自分のバンドの練習にそのスタジオに来てたんです。丁度『隣人に光が差すとき』のデモが出来てたんで聴いて下さいって渡したら、堤さんが「丁度『2LDK』撮り終わってたんだけどエンディングがねえってんで探してたんだ。この曲のイメージがそのままだから使わせてくれ」って言われて。

−自分は曲のイメージと映画の雰囲気が合っていたんで、頼まれてから作った曲なんだと思ってました。

A:たまたまですよ。だから私がもし何かの才能に秀でてるとしたら、運がいいんですよ。色々つらい事とかはあるんですけど、タイミングタイミングでちゃんと人と出会えてるから、それは救われてるなって思ってて。

−ではこの曲は思い入れも強い?

A:強かったですね、初めて弱音を吐いた曲。それまではわかんないならもう、アレですよ、「鳴かないなら死んでしまえ!ホトトギス」みたいなトコがあって(笑)。初めて弱みを曲にしたから、アレンジしてもらう人に出すのが恥ずかしかったですね。恐る恐る・・・。

−この曲で弱みを見せれた理由は?

A:ホントに衝撃的に弱ってたんですかね?この時期、同期っていうかちょっと知ってた女の子が先にデビューが決まって、お披露目ライヴみたいのに呼ばれて行ったんですけどポツーンって一人。で、私イライラすると自分で髪を切っちゃうんですよ。今まではそれでも意外と可愛い感じになってたんですけど、その時は失敗しちゃったんですよ。短く切ったんですけど凄い失敗してもう救い様のない髪形になっちゃって、女の子だから凄いショックなんですよ。でもその姿で知り合いのライヴ観に行ったからもうその彼女が輝いて見えた。自分はみすぼらしいと思って落ち込んで、そんな時に作った曲で。それを出すのは恥ずかしいとか思ってたんだけど、いつもは意地悪しか言わなかったそのアレンジの人が初めて凄い良い曲だよって言ってくれて。勿論その人には「この曲の相手はアノ彼女でしょ」ってすぐバレてましたけど(笑)。それまで彼のアレンジも流行をなぞるような物が多かったんですけど、初めて自分なりのアレンジをしてくれて、私にとっても彼にとってもひとつの分岐点になりましたね。




−2003年にミニアルバム『サリー』でデビューします。この経緯は?

A:この当時も行くあてがなくて「私もそろそろ地道に働かないとヤバいなあ」って思ってた時です(笑)。デモを録って堤さんも映画で『隣人に光が差すとき』を使ってくれて、本格的に動こうって気持ちになって、インディーズレーベルから出そうから出そうかって話になってた時に、それまで一緒にアレンジとかやってた子が辞めちゃうんですよ。多分私たちに関わってくる大人が増えてきて、自分の思惑通りに行かなくなった事が、その理由だと思うんですけど、なんか大事な打ち合わせとかで事務所の人とかと厳粛に会議してる時に突然「お話があります。俺、辞めます!」って。で、それ言われた時に私キレちゃったんですよ(笑)。「ようやくここでどうにかなるかもしれないって時に・・・」ってすっごい泣き喚いて怒って。そしたら周りが引いちゃって・・・、そりゃ引きますよね(笑)。

−引くか、庇うか、宥めるか、見てるしかないのか・・・(笑)。

A:(笑)。それで周りから「お前もう帰れ。俺達はやるから、大丈夫だから!」とか腫れ物に触れるような扱いをされて。でもそこで怒鳴り散らしておいてよかったなって、後から思うんですけど。でもやるからって言っても音を作る人間が居なくなっちゃったんで困ってたら、今のディレクターの方が何処かから私の音を聴いて連絡してきてくれたんです。

−そこからミニアルバム『サリー』の制作が始まったと。ではこの作品はかなり苦労された作品なんですね。

A:この頃は探りあいですよね、言わば。どういう曲を自分がやるべきなのかよく分からなかった。けど私のゴリ押しでも曲にならないし、彼らが思い描くだけの映像には私はなれないし、どこがその共通項なのかなっていうのに悩みました。だから曲の出し方とかも凄い考えたっていうか、セカンドの『and do,record.』に入ってる『雨月』はこの時既にあったんだけど、印象の強い曲だったから「一枚目でこれがあったら私こういう人だと思われちゃう。それは嫌だな」っていれなかったり。私が例えメロディとか詞を作ってもアレンジによって違う別の世界の物になったりする訳で、ちゃんとそこまで納得をして作らないと自分で分からない物になっちゃう。そういう意味ではバランスがちゃんと分からないまま探り探り作っていって、その中で化学反応的に出来た楽曲が『サリー』。

−この曲は歌詞的にも自己紹介に近いですよね。

A:そうですね。でも『サリー』は鼻歌でたまたま英語と数字で歌ってたからああ言った歌詞になっただけで、意識した訳ではなかったです。でも曲自体はちゃんとポップスだったというか、人に聴き良い物に上がった事で、「この人達と一緒にやっていけるんだろうな」って思えたし、今聴いても面白い曲だなって、出来て良かったなって思います。

−ミニアルバムという意味でも名刺的な一枚になりましたよね。

A:私こういう感じよって言ってる部分と、ディレクターが「この曲、こんなんじゃない?」って言ってるのが混ざったっていうか、実験的な、根底にある素材を摘んだような感じですね。

−その雰囲気はセカンドミニアルバム『and do,record.』ではより強く出ましたよね。

A:ミニアルバム『サリー』でいい一枚が出来たかもしれないって思えたら、「2枚目はもっとふざけたい」って気持ちになったんですよね。周囲とも仲良くなってきてたし、自分の内側の話を漏らすようになった。『ドラマチックレコード』は人から頂いて作った曲だったし、レコーディングが終わるまで「この曲これでいいのかな?」ってずっと思ってたけど、上がった物を聴いたらちゃんと私の曲だなって思えた。『happy go lucky』は『サリー』の時に楽しかったからまた同じアレンジャーの方と一緒にやってもらったし、『雨月』もここなら入れられるなって思った。『life』は私が家で弾いて歌ったのをアレンジャーの方が面白いからそのまま生かそうよって作っていった曲。『忘れものの森』の歌詞は初対面の人には言わないだろうなって事だったけど、仲良くなったから出す事が出来た曲です。

−このアルバムは安藤さんの中で大きな一枚なんですね。

A:『and do,record.』は“私は歌を歌う人間です”って言っていいのかなって思えるようになった一枚で、大好きなんですよ。

−自分で作った曲と他の人が作曲した楽曲は歌う上で何が一番違いますか?

A:まず、曲の内容を知らない。自分が曲を作る時はメロディと歌詞が同時に出てくるんですよ。多分もう出来上がっているものを吐き出して書き出すというか。けど他人の曲はメロディが先にあるから歌詞の乗せ方が分からないんですよ。だからメロディを自分の中に入れて、そのメロディが呼んでいるお話を探らないといけない。だから決していつも自分が考えているような内容にはならないですね。逆に私が知らない、端っこの方に持っているような安藤裕子像みたいな物を引っ張り出してくれますね、「私でも結構可愛い事考えてるんだな」って(笑)。

−シングル『水色の調べ』でも他者の楽曲を歌われています。

A:『ドラマチックレコード』で味をしめて、人の曲っていうのも楽しいなって思えるようになってて。『水色の調べ』は頂いた時に歌詞がすぐ出てきたんですよ。サウンド的にも「これは絶対アイドルミュージックだ!」って思った。けどそれをどうアレンジャーの方に伝えればいいのか分からなかったから、「岡村靖幸さんの『だいすき』を細野晴臣さんが『ハイスクール ララバイ』を作った時の心境でアレンジして下さい」って頼んだら、思いっきり顔しかめられたんですけど、そんな顔した割には持ってきてくれた音はお願いした通りになっていて、「何だ、分かってんじゃん!」みたいな(笑)。ホントはアイドルに楽曲提供したかった曲でもあります(笑)。

−このシングルはジャケットに自画像を使用していますが、こうしたジャケットワークなども安藤さんは積極的に取り組んだりしているんですか?

A:『サリー』以降はジャケットやPVは自分でやりなさいっていうのがありますね。多分私が口うるさいから。人に頼んでおいて「こんなんじゃない・・・」とか(笑)。

−「もう面倒くせえから自分でやれよ」みたいな(笑)。PVでもそうした取り組み方をしますか?

A:『ドラマチックレコード』では結構細かくカット割描いて絵コンテ描いてってやっていきました。ビデオを撮り続けてきたプロの方たちが私のわがままを受け止めてくれるというか。「ススキ野っ原が欲しいんですけど・・・?」「んなもんねえよ」って言いながら一生懸命探してくれたりとか(笑)。でも自分の足で衣装集めもしたし、出る娘も用意してメイクも自分でして、そのストーリー立ても自分でやったという意味でも思い入れのあるPVですね。

−全ての物に関して自分の手を入れたいんですね。

A:ホントはそこまで思ってないんですけど、人に見せるなら何かちょっと違うもの、「ちょっと違うんじゃないの?」みたいな物を見せたくて、しばらくは躍起になって自分で色んな事をやりたいと思ってたんです。ただ最近は落ち着いてきてある程度、私の事を知ってる人に伝わっているんであれば、その人が解釈する私、みたいな物をPVやジャケットで表してもらうのもいいんじゃないかなって。だから伝達がスムーズに行く人に出会って、他人に料理してみてもらいたいですね。自分でやっちゃうと恥ずかしいから顔が見えない物を・・・とか、ちょっとブレーキがかかっちゃうんですよね。

−今回のシングル『あなたと私にできる事』のPVでは割と・・・。

A:正に他人任せにしてみたPVなんですよね。自分じゃあそこまでは恥ずかしくて(笑)。ジャケットは自分でやってて、中に細かい写真がいっぱいあるんですけど、真正面の写真は一枚もないですけど、私は好みもそっちなんですよ。だけど「『あなたと私にできる事』は曲も歌詞も分かりやすい、色んな人に伝わりやすい物が出来たんだしPVも分かりやすい物の方がいいんじゃないの?」ってPVの監督さんが言ってくれたのでお任せしました。でもそしたら「ひぃ〜!」って(笑)。女の子らしいトコを出すのが得意ではないんですけど、PVでは女性として映像を撮られているので恥ずかしくて恥ずかしくて・・・。



−話は前後してしまうんですが、昨年9月にはファーストアルバム『Middle Tempo Magic』を発売しました。

A:私は凄く他人の目を気にしている人間だと思うんです。「この人こういう人ね」って言われるのが怖くてデビューから『Middle Tempo Magic』まではなるべくバラバラな事をしようと思ってたんです。こういう感じが表に出たら次は違った雰囲気を出そう、みたいに強い感情を突出して表に出したくなかった。そういうバランスをもの凄く測って作ってたし、『Middle Tempo Magic』の出来は良かったんですけど、辿ってきた道のりとしては優等生すぎたなっていうのを逆に後から考えて。よく出来すぎたっていうか自分がもっと出来が悪いから、こんなに出来が良くていいのかなって不安になりましたね。「こういう素材を持ってますよ」って当時の自分が持っていた物は出せたんですけど、弱みとか短所とか、そういう物は出しそびれたかなっていうのはちょっとありますね。

−『Middle Tempo Magic』の中で特に気に入っている曲などありますか?

A:タイトルになっているというか、『slow tempo magic』。この曲がちっちゃい頃のC-C-Bなんですよ(笑)。ピカピカしてるっていうか、似非4つ打ちみたいな感じが凄い好きですね。

−自分は最後の2曲の、安藤さんが以前他のインタビューで言われていた「他者に対する嫉妬や妬みを歌う『隣人に光が差すとき』から、それでも前に進んで行こうとする『聖者の行進』」という並びが本当に美しかったと思います。

A:あの2曲はこうしたいっていうのが曲順を選ぶ時にあって。楽曲の中で遊ばせてもらっている時は音楽的にも歌詞的にも遊べるんですけど、真面目な事を歌ったりする時っていうのはある意味凄く不器用になって、遊べないんですよ。そういう意味では、好きな曲ってなったら『slow tempo magic』とかになるけど、自分が歌をうたう上で必要な物は?と言われたら『隣人に光が差すとき』や『聖者の行進』。普段人と会う時はチャラチャラヘラヘラしてるけど、じゃあ何の為に歌うかって言われたら、ちゃんと何かを出したいからだと思うし、そういう意味では終わり2曲がその時の自分の意思表示っていうか、アルバムの中心になるのはそこら辺です。

−昨年11月に渋谷 CLUB QUATTROで行われたライヴでも本編ラスト2曲は『隣人に光が差すとき』〜『聖者の行進』という並びでしたよね。

A:やっぱなんかアルバムのエンディングとエンディングロールみたいのが自分の中であったから、あえて崩す必要ないかなって思いました。

−あのライヴは結構緊張してましたよね?(笑)

A:緊張してましたね!人の前で歌うっていうのをずっとしてなかったから、初めとかクラクラしてて「これはヤバいこれはヤバい・・・」って。だから初めの5曲くらいは記憶がないっていうか。で、何曲目かの出だしでアレンジャーが間違えたんですよ。それが面白くて笑っちゃってたら気が抜けました。笑ってる間は曲めちゃくちゃになっちゃったんですけど、それを終えたら切り替えられましたね。後半は気持ち良くやれました。

−それでは4月27日に発売となりましたニューシングル『あなたと私にできる事』について伺いたいと思います。今回は今までの中でもストレートな楽曲になりましたが?

A:『Middle Tempo Magic』を作り終えてライヴの準備とかをしていた時期に、道の小石につまずいた感じで、もの凄く落ちてたんですよ、自分が。そんな風に色んな事が分からなくなってた時に、子供の頃からの親友から「結婚します」って手紙が来て、それを見た瞬間に嬉しくて号泣しちゃった。色んな事が全部ダメに見えてたんだけど、幸せをお裾分けしてもらった感じがして、「私もこういう暖かな物が欲しいな」って思って作ったのが『あなたと私にできる事』。ある意味、曲に引っ張ってもらえる感じ、私は凄いいじけてて弱かったんだけど曲中の人は強くて幸せで朗らかでいいなって。で、ライヴ直前に完成して、その友達も来るって言ってたからライヴで歌いました。

−ライヴのアンコールで最後に歌った楽曲ですよね?

A:そうそう。そのライヴで歌った感覚も残ってたから、アレンジもあえて手を加えずにライヴを再現した物にしたかった。ホントに色んな迷いがあって、今まで自分が言葉をあまりストレートに出さずに遠回しに逃げていたから、こういうストレートな事を書くっていうのは自分を切り替えるためにもやっといてよかった。

−ここまでストレートに出せたのは、アルバム『Middle Tempo Magic』でそれまでの区切りが一つ出来たからだと感じたんですが?

A:アルバム『Middle Tempo Magic』では多分、所謂ホリエモンじゃないですけど“想定内”の楽曲作り(笑)、をしてたんですけど想定内すぎたかなって迷いもあった。だからそれを含めた色々な迷いを払拭したかった感じがあるのかもしれないですね。こういう風な事を無邪気に言えるのはいいなって。自分の中でこういうのも出来るんだっていうのがよかった。自分の中で新しいと思いますね。CD化する時に音をCD寄りにする事が多いんだけど、収録された音源もライヴっぽいし、それをそこで終わらないようにコーラスを凝った物にしてみたりして。ただ丁度この時期は弱ってから暗い曲とかも出来たんだけど、そういうのをシングルで出すっていうのは自分の中ではないっていうか、シングルはシングルらしく聴き良い物の方がいいなって。そういう意味で前向きな『あなたと私にできる事』はこれだけ分かり易く歌詞もメロディも書けたし、自分を一個切り替える意味でも「一発目はこれで」って無理やりお願いした感じはありますね。

−カップリングの『lovely second way』についても伺いたいのですが。

A:これは高桑兄やん(高桑圭 from GREAT 3)に頂いた楽曲ですね。高桑さんはアルバム『Middle Tempo Magic』に入ってる『BABY BABY BABY』でも作曲して頂いたんですけど、今回は最初曲をくれた時に何種類かあったんですよ、もっとドープっぽいのとかもあったし。だけど所謂AORっぽいオシャレな音楽を聴いて育ってないじゃないですか、私(笑)。まったく関係ないトコで生きてきたんで、「私がこれを歌ったら面白いかな?」って思って。生まれて初めてシャッフルというビートに乗って歌うというか、そういうのをやって楽しかったんですよ、私の拙さが。私が真面目にAORの音楽を歌い上げてたら気持ち悪いと思うけど、それを拙いまんま歌う事が楽しかったし耳触りもよかった。高桑さんもそういうのを喜んでくれたと思うし。それにホントはもっとアレンジついてて違う感じだったんだけど、でもこれもやっぱりAORだよって周りも言ってくれて。だから歌詞もちょっと大人っぽいものが乗ったっていうか。

−このシングル『あなたと私にできる事』はどんな時に聴いて欲しいですか?

A:あんまり時を選ばない感じはあるっていうか、これを聴いて切なくなる人がいてもいいと思うし、幸せな気持ちになる人がいてもいいと思う。うん、いつでもいいじゃないかな。普遍性があるというか、ポップスだなって自分で思いますね。

−安藤さんの中でポップスという物に対するこだわりってありますか?

A:自分が思春期だった頃の所謂J-POP!!みたいのにはまったく興味がなくて、だけど自分がこういう歌をやっていく時に「ポップスってなんだろう」って考えたんですけど、自分がちゃんと納得できる物じゃなきゃいけないという前提の上で、誰かを限定するような押し付けがましい物じゃなく人を選ばない物、聴き手が持っている色んな心境を再現できるのがポップスの良さなのかなって。それは決して安い物じゃないし、ちゃんとそれを聴いてその人なりに勝手に夢想できるっていうか夢が描ける感じ、それがあれば何でもいいのかなって思います。

−それでは今後についても伺いたいと思います。先日、WOWOWで放送されたドラマ『狐者異(こわい)』のエンディングテーマに新曲『星とワルツ』が使用されましたよね?

A:これも昨年のライヴの時にギターとキーボードだけで歌ってた曲なんですけど、ドラマの監督の堤さんが聴いて「この曲送ってくれ」って(笑)。

−(笑)、この曲は今後シングルで発売されたりするんですか?

A:しようかなと思っているんですけど、夏に合うのか合わないのかわからんので(笑)。夏は夏用にアッパーなのが1曲あるんですよ。スカパラの皆さんが演奏してくれて、「夏以外出せねえな」っていうのが。そっちは音で遊んだっていうか、そういう感じがあって、それを今後どうしようかって話し中ですね。

−これから先、音楽以外の活動をしていく予定はあるんですか?

A:特になにも考えてないんですけど、何でもいいんですけど自分が丁寧に作れないのは嫌なんですよ、誤魔化し誤魔化しみたいなね。それは凄い負担になるから、ちゃんと丁寧に取り組めるなら何でもやりたいな。

−それでは最後になりますが、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

A:そうですね・・・。結婚したいな、なんて(笑)。

(一同笑)

−それはどう捉えればいいのか・・・。

A:嘘です!(笑) えっと、世の中色々と不穏ですけれども、この曲を聴いて幸せな気持ちになって頂けたら嬉しいです。

Interviewer:杉岡祐樹