2009.04.10 (Fri)
お仲間論〜〜類型化による思いこみ
類型論
類型論とは、人をある基準によって分類することによって性格を捉える考え方のことである。分類された人々の中の典型的な性格を類型的性格という。性質を分類するための分類として代表的なものにはクレッチマーとユングの気質論がある。以下の分類以外にも「シェルドンの分類(クレッチマーと同じ分類)」、「ツルゲネフの分類(ユングと似た分類)」などがある。類型論は人を分類するという点で理解しやすい性格の捉え方であるが、中間のタイプが無視されやすい、一度ある類型に分類されると別の類型への移行が生じにくい、典型的な人物像に完全に合致する人が存在する可能性が低いなどの問題点もある。これらの問題点を解消するためには、特性論的な見方も併用することが望ましい。
心理学ノート9〜人格の諸理論〜 より。
∴類型に基づく性格の把握は,複雑な性格を統一的・全体的に理解する事ができる。
ただし,中間型や混合型は無視されやすく,性格を固定的・静止的なものとして扱い,
同じ類型の人を画一化して捉えてしまう危険性がある。
「類型化」の弊害とは、
が挙げられると思う。・固定的・静止的なものとして扱われやすい。
・画一化して捉えてしまう危険性がある。
〜〜〜〜〜
あきさんの所の、 stachyoseさんのコメント。
この中で、拙記事 ものの見方と伝え方 に関するものが載っていた。
PS:
アカリさんがあきさん宛てのエントリを挙げていますよ。それを見て思ったんですが、無宗ださんのやっていることにいちゃもん付ける人って、何かというと「主観だ」で相手の主張を退けるきらいがありますね。それじゃあ相手の考えを変えることはできないでしょう。価値相対主義の弊害ですね。
http://stachyose.blog31.fc2.com/blog-entry-14.html
どの事実に基づいてどんな評価をしたのかということについて、「どんな評価をしたのか」という部分に目がいってしまうのですね。「どの事実」が咎められているのかということで議論するのがよいかと思います。中畑さんのコメント様式(事実)をアラシ行為(評価)といっていいかどうかは問題にしてもしょうがない。
ある否定的な評価を「価値観や主観の押し付け」といってしまう風潮も価値相対主義の弊害だと考えています。「人それぞれ」という台詞も使いよう。
2009/04/10(金) 18:10:17 | URL | stachyose
私はこの文章の、
無宗ださんのやっていることにいちゃもん付ける人って、何かというと「主観だ」で相手の主張を退けるきらいがありますね。
この部分を、類型化による思いこみによるものと捉えている。
私は。
果たして無宗ださんのやっていることに「いちゃもん」をつけているのだろうか?
「主観だ」で、相手の主張を退けているのだろうか?
言いがかりをつけているつもりはない。
でも、「無宗ださんの言葉故に、相手に話が通じていないのではないか」と疑問を呈するのを、「言いがかり」と表現するのなら、stachyoseさんが私のしていることを「言いがかり」というのも理解できる。
だが。
私は、
と書いている。(付け加え。「存在が悪」とは、その人の人格の否定であり、ある意味「死ね」等と同じで、決して言ってはならないと思っている。これは、上に挙げた1.2.とは又別の問題。)
「主観だから」といって退けてはいけない場合があることを明記しているのだ。
よって、「私」は「主観だと言って相手の主張を退けている」には値しない。
この状態はstachyoseさんの「類型化による思いこみ」だと思っている。
私の主張は、状況理解と行為理解 の記事にも書いたが、
荒らし行為を擁護している人は誰もいない。
「相手にも非はある」とは思うものの、「酷いこと」をすることは肯定しないし、当然支持もしない。
である。どんな理由があるとはいえ、「死ね」、又は「いなくなればいい」「絶滅してくれてもいい」とかいう言葉を発していいとは思えない。
〜〜〜〜
stachyoseさんのコメントで、成程と思うこと。
どの事実に基づいてどんな評価をしたのかということについて、「どんな評価をしたのか」という部分に目がいってしまうのですね。「どの事実」が咎められているのかということで議論するのがよいかと思います。中畑さんのコメント様式(事実)をアラシ行為(評価)といっていいかどうかは問題にしてもしょうがない。
此処の辺りは、私の主張
にも繋がると、私は思っている。「相手にも非はある」とは思うものの、「酷いこと」をすることは肯定しないし、当然支持もしない。
又。
このコメント中でstachyoseさんが提示しているご自分の記事 価値相対主義 それ自体はとても勉強になった。
だが、ブログ上での単なる否定的意見に対して根拠の提示を要求することも反論を試みることもなく、「相手の主観」や「押し付け」として処理してしまう人々が多く存在するという事実は、価値相対主義が現代社会に蔓延しているのではないかという危惧を抱かせる。
此処の辺りなど、特に。
ただ、『「相手の主観」や「押し付け」として処理してしまう人々』で想起している人が、例えばstachyoseさんと中畑さんとでは違うんだろう。
きっと。
(でも、それはまた別の話、なのだろうか。)
〜〜〜〜〜
stachyoseさん。
私は、以前もあなたに言いました。
私の言葉に対する批判を、別の方のブログのコメント欄に書いているよりは、私に直接言って欲しいと。
stachyoseさんがそれに対してどう思っておられるかが、分かりません。
あきさんの所にトラバするのも、何だか変なので・・・・価値相対主義の記事に、トラバさせていただきます。
記事本文中には『stachyoseさんがそれに対してどう思っておられるかが、分かりません。』と書きましたが、正直、stachyoseさんは「あえて」拙ブログに足を踏み入れないのではないか、そう思っていましたので(すみません)。
先ず、「類型化」について。
私は、
・思考理解のための手段である
・ただ、「類型化」だけでは取りこぼしてしまう部分もある。
と、そう思っています。
「現象の把握」→「類型化」の段階で、取りこぼしてしまうものもあるのではないか、というものと、あくまで「理解するための手段である」ということを忘れて、類型化だけでよしとしてしまうということです。
(これは、疾病・障害診断の場面でも見られるものではありますが・・・・)
本題。
>「主観だ」で、相手の主張を退けているのだろうか?
についてですが。
要は、相手の価値判断を「主観の押しつけ」なんて言っちゃったら話はそこで終ってしまうということです。
話を止めない方法には、二つあると思っています。
1.価値判断についての説明を試みる。
(http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-1177.html本文中にも書きましたが、無宗ださんの「悪い行為を行う人間は悪人である。」というのは、理由として筋が通っていると思います)
2.「主観」だとされないような説明を試みる。
(例えば、「1000件以上のコピーコメント」や、「死ね」というコメントは、主観というよりは「してはいけないこと」に属していると思います)
そして、「悪」だ、いや違う、という主観の押し付け合いでは話は進まないと私は思っています。
だから、主観に左右されるような表現はよしましょうよ、ということです。
上手く書けなくて済みません。
「結局」という締めくくりにおいて、「荒らし行為」という主張を「主観だ」といって片づけてしまっています。そして、「荒らし行為」とされた中畑さんのコメント様式を擁護することにもなっています。
此処、申し訳ないのですが2つに分けます。
先ず、「荒らし行為」という主張を「主観だ」といって片づけてしまっています。について。
「荒らし行為」という、普遍的な定義はありません。
だから、「普遍的な定義に基づいた批判」というのは、出来ないと思っています。
でも、それが「片づけていい」とは思っていません。
「荒らし行為だと思う」というものに基づいた批判というのは可能だし、通常のコメントシーンで1日1000件以上のコメント等が必要かといわれると「不要」です。
不要な行為をさせないために、批判するために、先ず身を正せというのが以前から私の言っていたことです。(そしてその言葉は、私自身にも跳ね返るということは承知です。)
そして、「荒らし行為」とされた中畑さんのコメント様式を擁護することにもなっています。
すみません・・・・どうして『そして』という文節で繋がるのかが理解し切れていません。
「1000件以上のコピーコメント」や、「死ね」というコメントを批判するために必要だと思っているからなのですが・・・・。
ここのところ、もう少し教えて頂けるとありがたいです。
>私の言葉に対する批判を、別の方のブログのコメント欄に書いているよりは、私に直接言って欲しいと。
できるだけそうします。
ありがとうございます。
文頭にも書きましたが、どうも直接言われないと「批判するのではなく、反論させないようにしているだけだ」という感じがしているのです・・・・最も、これは私の感じることであり、それをstachyoseさんに押しつけるつもりはないのですが。
あきさんのところは、アカリさんが見ていることを想定して書いてはいましたけどね。
2009/04/10(金) 18:10:17 のコメントだけのことでしょうか、これは?
正直、「見えると分かっていて、他人のブログでHNを出して批判する」というのは、「どこで批判されているか分からない(これはネット上である以上仕方ないと思っています)」のよりも、私は嫌です。
あと・・・・stachyoseさんは、ご自分のコメントを見た私が逆上してあきさんのブログで反論をはじめ、結果として「あきさんの意見」についての話がうやむやになるかもしれない、とは思いませんでしたか?
あきさんとの話に集中する意味でも、私に対する言動はあきさんのブログでは控えた方が良かったのではないか、私の所かご自分の所でお書きになった方が良かったと、私は思っています。
「退ける」にひっかかりますか?否定するという意味合いで使っていますが、語弊がありますでしょうか?
私は、「退ける」という表現からは、「否定する」という意味ではなくて「相手の主張に対して聞く耳持たない」「寄せつけず追い返したりする」という意味であると感じて、「それはしていない」と反論しているつもりでした。
「退ける」という言葉について、おっしゃっている意味の返事に、なってますでしょうか?
さて。
中畑さんのコメントからは、いろいろな意味が想起されるので、確認させて下さい。
○「恨み」とは、どのようなものだと思っていますか?
論が認められないこと?過去のしがらみによる私怨?
○「理論武装」の理論部分については、正当だと思いますか?
○どのような事由があっても、理論として正しければ、理論としては認めるべきかとは思います。そこについては如何でしょうか?
罵倒したら反論された、程度の悔しさから出た私怨ですね。
>「理論武装」の理論部分については、正当だと思いますか?
この手の理論は相手(この場合は私)を罵倒するための理論ですから、自然に「私を悪」として扱いはじめます。
理由や動機もなく突然非論理的なことを言い出したりするキチガイのように扱うわけです。
無宗だは私の言い分を聞きませんし、確かめもしませんし、質問にも答えません。「議論は不可能」と言えば何となく聞こえは良いのですが、これは逃げです。
stachyoseは無宗だを擁護していますし、行動もだいたい同じです。
こんなものは正当とは言えませんね。
>どのような事由があっても、理論として正しければ、理論としては認めるべきかとは思います。そこについては如何でしょうか?
理由があるなら結果は変わりますよ(笑)
裁判でもそうですしね。
「どのような事由があっても」なんてざっくりと決められるものではありません。
アカリさんの弁でいけば罪が確定すれば罰の重さは全て同じになります。
私の場合は全てに理由と経過と、そして現在の結果があります。
結果といっても時間がたてば変わっていくでしょう。
○「恨み」については、了承しました。
「誰に対する悔しさか」というところで、私は少し勘違いをしていたようです。
○「理論武装」の理論部分
中畑さんのお答えは、「理論」ではなく、「理論の成り立ち」部分についての反論です。
私は、
1)「理論としてどうなのか?」という検証作業
2)とある現象にその理論を適用できるか否か
という順番で考えています。
(また、無宗ださんの「議論は不可能」の言葉について思うことはありますが、今は話がずれてしまうと思うのでコメントは控えさせてください。)
>理由があるなら結果は変わりますよ(笑)
ここについて。
裁判の話を出してくださったので、そこから。
例えば、「傷害」についてでも、「傷害罪」「暴行罪」、そして「傷害罪」の中でも「業務上過失傷害罪」などがあります。
理由によってどういう状況となるかが変わる、という意味では、中畑さんの「結果は変わりますよ」というのに、私も同意します。
ですが、私が今此処で考えているのは「論としての正当性」なのです。
ですから、
『どのような事由があっても、理論として正しければ、認めるべきかとは思います。』ではなく、
『どのような事由があっても、理論として正しければ、理論としては認めるべきかとは思います。』と書きました。
私は、「理論」と「理論の適用」とはまた別の問題である、と思っています。
この記事は。
stachyoseさんの、『何かというと「主観だ」で相手の主張を退ける』というのが、私自身に当てはまるのか、中畑さんには、stachyoseさんには、そして他の方々にはどうか、ということを考えたくて書きました。
〜〜〜〜
>私の場合は全てに理由と経過と、そして現在の結果があります。
これは、中畑さんについてもそうだと思いますし、他の方々についてもそうだと思っています。
ですから、殊更に「私の場合」と記載される必要性を、私は感じていません。
「批判したり結果を出したり」するなら、理由は必要と思っています。
(http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-938.htmlにも書きましたが。)
私が今回、「理論として正しければ、理論としては認めるべき」と書いたのは、事実の認識の「仕方」について書いたもので、現状認識そのものについてではありません。
「理由」「経過」「結果」の話とは、また別の問題だと思っています。
〜〜〜〜
stachyose さんについては、http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-1063.htmlに返事が貰えていない以上、ここから先には進めないと私は思いますし、
今のところstachyose さんは私と話す意思はさほどないようです。
ただ、中畑さんからコメントいただいて、私自身考えが纏まっていなかった部分について、もう少し考える気になりました。
他の方との話は、こういう事があるのでありがたいですね。
ありがとうございます。
私は「理解するための手段」として「類型化」をしていません。「類型化」は主に表現、伝達の手段としてやっていることであり(「現象の把握」→「類型化」という順序)、逆の順序は意識的に避けています。だから、アカリさんの指摘は私にとって的を外したものです。かつ、アカリさんこそが「類型化による思い込み」で私の思考を「類型化による思い込み」としているのではないでしょうか。
この話を続けることに意味があるとは思えないので、ここで一旦切って、他の部分への応答は次のコメントで。
私は「主観の押しつけ」と言ってしまう人々の態度を問題にしているんですが、話を逸らすんですか?
さらに2の『「主観」だとされないような説明を試みる。』は私の問題意識の否定ですよね。私は文句を付ける側に対して、価値判断を必要としている部分を単なる主観として片付けることがダメだといっているわけですよ。それなのに、アカリさんは主張する(価値判断をする)側に主観だとされないように努力しろといっている。全く噛み合っていませんね。
アカリさんの言い分によると、「普遍的な定義」のない言葉の使用は「主観に左右されるような表現」なんですよね?それを「よしましょう」といっているということは、多くの言葉が使用不能だといっていることと等しいと思います。
価値判断が影響するような抽象的表現をどの現象に当てはめて使用するかは個人間で差があります。言葉は伝達のための道具ですからあまりに常識からかけ離れた使い方では役に立ちませんが、おおよそ何を指し示しているかが分かれば「普遍的な定義」がないことは大した問題にはなりません。問題になったとしても、当事者間で何を指し示しているかの共通認識を形成させればよいでしょう。価値判断が影響するような抽象的表現に対して「主観だ」というのは愚の骨頂です。
中畑さんのコメント様式を「アラシ行為」と表現することは常識から外れていますか?中畑さんに対して「アラシ行為」を止めるようにいった時、それが何を指し示しているかが伝わらないことがありますか?もし、これらの問いに対する答えが「Yes」ならば、「アラシ行為」という表現について「主観だ」ということもありえるでしょう。しかし、「No」ならば、中畑さんのコメント様式を「アラシ行為」だといって非難している人の主張を貶め、結果的に中畑さんのコメント様式を擁護することになっていると思います。
>どうも直接言われないと「批判するのではなく、反論させないようにしているだけだ」という感じがしているのです・・・・
それはアカリさんがそう感じているだけで、実際は違います。このように思い込まない方が、アカリさんの精神衛生上いいのでは?
>正直、「見えると分かっていて、他人のブログでHNを出して批判する」というのは、「どこで批判されているか分からない(これはネット上である以上仕方ないと思っています)」のよりも、私は嫌です。
そうですか・・・。では、我慢してもらうしかないですね。前者だって「ネット上である以上仕方ない」でしょう。私はやられても構いませんけど。アカリさんは名指ししない批判をエントリにしていることがありますが、それはよいのですよね?私にしてみれば、それこそ「反論させないようにしている」という印象を持ちます。
>あと・・・・stachyoseさんは、ご自分のコメントを見た私が逆上してあきさんのブログで反論をはじめ、結果として「あきさんの意見」についての話がうやむやになるかもしれない、とは思いませんでしたか?
想定していませんでした。逆上してきたら、それはアカリさんが気を付ける話であって、私に問題があるわけではありません。自分の意見を公開するならば、それをどこでどのように批判されても構わないという覚悟を持つべきでしょう。
Aに直接伝えるつもりがなくても、Bと話している過程でAの意見に対する批評が出てくることはあります。今回はアカリさんがA、あきさんがBです。
では意見の削除や罵倒は「荒らし」じゃないとでも?
混線してきているので、とりあえず話を確認させてください。
●「類型化」の問題 について。
私は、
1.「具体例→類型化」
2.「類型化→具体的な事例に当てはめる」
1.にも2.にも「考えるべき所はある」と書いています。
stachyoseさんのコメント
『アカリさんがあきさん宛てのエントリを挙げていますよ。それを見て思ったんですが、無宗ださんのやっていることにいちゃもん付ける人って、何かというと「主観だ」で相手の主張を退けるきらいがありますね。』
には、
1.の要素もあるし、2.の要素もあると思います。
又、「理解」か「表現・伝達」かということについて言えば、「私はこの現象をこのように理解している」という「表現」であるため、目的の差違はこの場合は考慮に入れる必要はないと思います。
○『無宗ださんのやっていることにいちゃもん付ける人って、何かというと「主観だ」で相手の主張を退けるきらいがありますね。』 について。
私のこの記事は、この言葉に対する反論です。
stachyoseさんは私の名を挙げてこう言いました。
でも私は『無宗ださんのやっていることにいちゃもん付ける』にも、『何かというと「主観だ」で相手の主張を退ける』=『「主観だ」で、相手の主張を「寄せつけず追い返したりする」』→『「主観だ」で、相手の主張を「否定する」』にも、私自身は該当しないと思っています。
(だから、あきさんのブログで「それは違う」と、(私にとって)間違った情報の訂正を求めても良かった訳です。
「あの場所でstachyoseさんが私の言葉の批評をする必要があったのか?」という疑問をもっています。
・・・・まあ、「場所」のことは傍流ですので、今言っても意味がないでしょう。)
○「主観の押しつけ」と言ってしまう人々の態度 について。
その態度が、「相手の主張を退ける」=「相手の主張を「寄せつけず追い返したりする」』→『「主観だ」で、相手の主張を「否定する」』、とstachyoseさんが考えている、ということですね。
○「当事者間で何を指し示しているかの共通認識」 について。
此処のstachyoseさんのコメント、少し違和感があります・・・・
「中畑さんのコメント様式」:これは「何を指し示しているか」という問題で、
「中畑さんのコメント様式を「アラシ行為」と表現すること」:これは「表現」の問題です。
これから、私自身がネットに関わりにくくなるのと、あと話の内容を混線したくないので、○項目(●項目はstachyoseさんが「不要」と書いていますが、これも必要でしたら)の一つずつ書いていきたいのですが。
stachyoseさんにとって、どの話が一番重要ですか?
どの話から書きましょうか?
(他の、重要な話をもらしていましたら、お知らせ下さい。)
>>中畑さんのコメント様式を「アラシ行為」と表現することは常識から外れていますか?
>では意見の削除や罵倒は「荒らし」じゃないとでも?
これは、stachyose さんの言葉に対する反論と見なしていいですか?
(だとすると、この件に関して最優先にしてもいいと私は思います。
如何ですか?)
単に言葉の一部に茶々を入れただけ、とかいうお気持ちでしたら、コメントをご遠慮頂くとありがたく思います。
アカリさんに私の考えを理解してもらいたいわけでもなく、否定的な意見を他所で書いて嫌な気持ちにさせたいわけでもありません。したがって、ここで積極的にアカリさんと議論したいということもありません。
ネットに関わりにくくなるのなら、もうやめませんか?
少しだけ、内容にも触れておきます。
●「類型化」の問題
「類型化」される対象に入っていることに納得できないってことですか?
>1.の要素もあるし、2.の要素もあると思います。
ちょっと何を言っているのかわかりません。
>又、「理解」か「表現・伝達」かということについて言えば、「私はこの現象をこのように理解している」という「表現」であるため、目的の差違はこの場合は考慮に入れる必要はないと思います。
これは言葉遊びですよ(笑)
理解するための手段と「理解している」と表現・伝達するための手段は全く違います。前者は理解前の話、後者は理解後の話です。
類型化の弊害を語るなら、目的の差異は考慮に入れなければなりません。
○私のこの記事は、『無宗ださんのやっていることにいちゃもん付ける人って、何かというと「主観だ」で相手の主張を退けるきらいがありますね。』に対する反論です。
>『無宗ださんのやっていることにいちゃもん付ける』
これには該当しますよね?文句付けたことあるじゃないですか。
>『何かというと「主観だ」で相手の主張を退ける』=『「主観だ」で、相手の主張を「寄せつけず追い返したりする」』→『「主観だ」で、相手の主張を「否定する」』
前のコメントで説明したように、個人の価値判断が影響するような抽象的表現などに対して「主観だ」ということで実質的に相手の主張を短絡的に退けているんですよ。私の書き方がマズイ面もあるのでしょうけど、あまり言葉尻を捉えて反応せずに、どんな態度を批判されているのかに注意を向けて欲しいです。
要は、価値判断の入り込む所で「主観だ」などというのはやめましょうということです。
○「主観の押しつけ」と言ってしまう人々の態度 について。
これを項目立てしている意味がよくわからないです。
○「当事者間で何を指し示しているかの共通認識」 について。
違和感があるといわれても・・・
「違和感がある」って口癖だと思いますが、具体的に説明してもらえないと、こちらも応えようがありません。
>stachyoseさんにとって、どの話が一番重要ですか?
>どの話から書きましょうか?
上にも書いたように、私は積極的に話す気にはなれません。応えられるかどうかわかりませんが、アカリさんが自由に選べばいいことだと思います。
>「荒らし行為」という、普遍的な定義はありません。
>だから、「普遍的な定義に基づいた批判」というのは、出来ないと思っています。
上のコメントでアカリさんはこのように述べていますね。
それにも関わらず、以下のようなことを言っています。
>荒らし行為を擁護している人は誰もいない。
ここで使用している「荒らし行為」とは何を指しているのでしょうか?
>これを項目立てしている意味がよくわからないです。
>応えられるかどうかわかりませんが
お前の肩の上に乗っかってるものは、帽子を飾る台じゃないぞ。
少しは真面目にやれ(笑)
>これは、stachyose さんの言葉に対する反論と見なしていいですか?
いえ、反論に移行するための準備段階に当たる質問です。
返答次第で、反論にも、単なる応答にも、世間話にもなります。
>単に言葉の一部に茶々を入れただけ、とかいうお気持ちでしたら、コメントをご遠慮頂くとありがたく思います。
stachyose「さん」は、私が「SWを中傷した」という「事実」は「しっかり」と「認識しておくべき」だそうで。
いつ、どこでどのように「誰から初めて」SWを中傷したのか言って欲しいですわな。
私は突然SWに「悪」と罵倒されたのが初めてで、以前にはSWを中傷した覚えなどはありません。
無宗だの罵倒エントリで強引に中傷扱いされている事を言っているのだとしたら、あまりに理解力のない態度といえますな。
私があきさんの所に書き込んだのはアカリさんに対する「露骨な誘い出し」だそうです。
http://gorozou3130.blog17.fc2.com/blog-entry-44.html
このような名指ししない批判は私が嫌でも我慢すべきだと思いますか?
>これを項目立てしている意味がよくわからないです。
>応えられるかどうかわかりませんが
お前の肩の上に乗っかってるものは、帽子を飾る台じゃないぞ。
少しは真面目にやれ(笑)
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・「現象の把握」→「類型化」
・「類型化」→「現象の把握」
前者はいいけど、後者はアカリさんが書かれているような弊害があると思います。で、私は前者はやっているけど、後者をやっているという自覚はありません。Tamanegiさんは「類型化」をよくやりますが、後者が多いと以前から思っていました(余談かな・・)。
>「主観だ」で、相手の主張を退けているのだろうか?
にお答えします。
以下に引用するアカリさんの意見が「主観だ」といって相手の主張を退けている部分です。
1.「悪」というのは、主観のものである。だから、「悪」というレッテルを貼ることは自分の価値観の押しつけである。
この部分がなんで問題になるかというと、「価値相対主義」のエントリを見ていただければよいかと思います。要は、相手の価値判断を「主観の押しつけ」なんて言っちゃったら話はそこで終ってしまうということです。
また、次の意見も「主観だ」で片づけている部分とみなしました。
結局。「悪人」も「荒らし行為」というのも、主観のものだけど。
「結局」という締めくくりにおいて、「荒らし行為」という主張を「主観だ」といって片づけてしまっています。そして、「荒らし行為」とされた中畑さんのコメント様式を擁護することにもなっています。
「荒らし行為」と言えるかどうかが重要なのではなく、「荒らし行為」と解釈された言動に問題があるのかないのかが議論の中心になるべきでしょう。
>私の言葉に対する批判を、別の方のブログのコメント欄に書いているよりは、私に直接言って欲しいと。
できるだけそうします。ただ、直接言わないことを失礼なことだとは思っていないので、約束はしません。私自身、どこで何を言われているかわかりませんが、それはネットで活動しているかぎり、仕方のないことです。反論の機会を奪われているわけでもありませんし。アカリさんの考え方を変えたいと思ったら、直接言いますよ。あきさんのところは、アカリさんが見ていることを想定して書いてはいましたけどね。
(追記)
アカリさんが「付け加え」を根拠に私の見解を否定している部分をみて、もしかしてと思ったのですが、「退ける」にひっかかりますか?否定するという意味合いで使っていますが、語弊がありますでしょうか?