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痴漢無罪判決―二重の悲劇を防ぎたい

 電車内の痴漢事件では、物証などが得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合が多い。被害者の思い込みにより犯人とされると反論が難しく、慎重な司法判断が求められる。

 おとといの最高裁判決はこのように述べて、強制わいせつの罪により一、二審で有罪判決を受けた防衛医大教授の男性に、逆転無罪を言い渡した。

 63歳の男性は3年前の朝、東京の私鉄の満員電車に乗っていて、痴漢の疑いで逮捕された。車内で17歳の女子高生の下着の中に手を入れ、体を触ったというのが起訴事実だった。

 男性は当初から無罪を主張した。物証や目撃証人はなく、女生徒の供述が信用できるかが争点となった。

 最高裁小法廷の5裁判官の意見は二つに割れた。多数意見の3人は、女生徒の供述には疑いが残ると判断した。根拠として、女生徒が積極的に被害を避けなかったこと、それなのに男性を駅長に突き出した行為は必ずしもそぐわないこと、被害のあと途中の駅でいったんホームに出ながら、再び男性のそばに乗車するという不自然な行動をとったことを指摘した。

 有罪の立証は検察の責任であり、その立証に合理的な疑いがあるなら無罪としなければならない。この刑事裁判の原則を踏まえ、最高裁は痴漢事件の特質から、いっそう慎重な姿勢を示したといえる。痴漢事件では下級審でも無罪判決が目立つが、さらに裁判や捜査に大きな影響を与えるだろう。

 ただ、反対意見を述べた裁判官は、女生徒が反撃に出たのは我慢の限界に達したからで、同じ車両に再び乗ったのも、ほかの乗客に押し込まれたからであり、女生徒の供述は信用できると判断した。

 被害者の供述しかない裁判では、判定がいかに難しいかを改めて思い知らされる。警察には、初めの捜査の段階で、物証や目撃者の確保にこれまで以上に努めてほしい。

 しかし、それでも、痴漢事件の捜査には、人違いによる冤罪の危険がつきまとう。また今回の無罪判決により、相手が不起訴や無罪になったりするのなら、と被害者が訴えること自体を尻込みするのも心配だ。

 そうである以上、大事なことは痴漢被害を未然に防ぐ手だてを、いかに社会全体でとっていくかだ。

 電車での痴漢被害は、都内で届けられただけで年に2千件前後ある。首都圏では17の鉄道会社が44路線で女性専用車両を設けているが、ふつうは1列車に1両だけだ。もっと増やすことを考えてほしい。

 痴漢行為は卑劣な犯罪だ。被害を受けた女性に大きな傷を残すだけではない。冤罪によって人生が狂ってしまう新たな被害者を生むかもしれない。この二重の悲劇を防ぎたい。

消費者庁―新しい器に魂を込めよ

 消費者行政の司令塔となる「消費者庁」が年内にも発足することになった。与野党の修正協議がまとまり、今国会で関連法が成立する見通しだ。

 欠陥商品や詐欺まがいの商法、いい加減な表示など、消費生活にかかわる問題は、担当する役所がいくつにもわたり、縦割り行政の弊害をもろにかぶってきた。それを串刺しにし、消費者の安全や安心にかかわることを一元的に進める態勢をとる。

 効用はそれだけにとどまらない。産業の保護育成に重心を置いてきた霞が関の伝統を、生活者重視へと揺り動かす。そんな深い意義が込められた行政改革でもある。

 内閣府の外局となる消費者庁は、表示や取引、安全にかかわる法律を受け持つほか、適当な法律がない「すきま事案」にも対応する。業者に勧告、命令を下し、他の役所に措置をとるよう求めることもできる。自治体の消費生活センターが身近な相談窓口として拡充されることも決まった。

 だが、この仕組みをうまく動かすためには多くの宿題が残っている。

 消費者の安全にかかわる情報をどう集め、分析し、発信するか。各地のセンターに寄せられる相談以外に、警察や消防、病院などから情報をどう吸い上げるか。具体的な制度設計はこれからだ。事故米問題では業者名の公表をめぐって混乱が起きた。事案を発表する時のルールづくりも必要だ。

 被害者を救う手段も備えられないか。日弁連や民主党は、行政機関や消費者団体が消費者に代わって損害賠償請求訴訟を起こす制度などを提案している。検討を急いでほしい。

 消費者庁は職員約200人でスタートする。多くは他省庁で消費者行政部門にいた人たちだ。専門知識を生かしつつ、出身省庁やその所管業界に気兼ねせずに機敏に動き、ものを言う、強力な「消費者Gメン」の組織になれるかどうかがカギになる。

 業界の情報は所管省庁がつかむことも多いが、消費者庁への連絡を怠ったり、甘い対応をしたりすることを許してはならない。あつれきを恐れず、消費者側に立つ覚悟が必要だ。「消費者問題調整庁」では意味がない。器には、魂を込めなければならない。

 この点で、同庁の働きぶりを有識者が監視する「消費者委員会」の役割は重要だ。政府案では消費者庁の中に置かれていたが、民主党の主張を一部とりいれ、対等の立場で内閣府に属することになった。他の役所に注文をつけられるよう権限も強化された。

 消費者庁は福田前首相の肝いりで法案が作られたが、解散・総選挙がいつあってもおかしくない政治状況の中で、成立が危ぶまれていた。消費者の利益保護を最優先に歩み寄った与野党の決断を評価したい。

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