忠魂塔碑 / 水戸市松本町 建立時期:昭和八年(1933) 所在地:水戸市松本町13-33 水戸殉難志士の墓苑、一号墓所と二号墓所の間に鎮座する回天神社境内に立つ碑です。昭和八年(1937)晩秋、貴族院議員・室田義文(よしあや、1847-1938)の尽力により、『忠魂塔』(題字:徳川圀順公)の築造に併せて建立された もので、碑陽に忠魂塔の由来、碑陰に発起人等の名がそれぞれ刻まれています。 昭和四十四年(1969)、明治百年記念事業の一環として、松下幸之助氏、塙瑞比古氏等の提唱により、回天神社が創建され、忠魂塔の敷地は同神社の神域となり現在に至っています。 室田義文の経歴については、水戸市教育委員会が市制110周年を記念して刊行した『水戸の先達』(2000)に 、水戸所縁の先達110人のひとりとして簡潔にまとめられており、その冒頭で忠魂塔や諸生党慰霊碑等の建立について触れています。 また、貴族院書記として室田翁と面識のあった山本秋広氏は、喜寿を過ぎた室田議員を「なかなかの元気で、見るからに幕末の志士を偲ばすような気骨稜々たる人物」と評し、諸生党慰霊碑の造立に関しては「多年外交官として世界を汎く渡ってきただけに視野が広く、考えがコスモポリタンである」と述べています。(山本秋広『紀山文集第八巻・明治初期の茨城』(1967)より引用) [篆額] 神社東側に、「忠魂塔保存寄附芳名碑」2基と並んで、「回天神社碑」が建てられています。 [題額] 回天神社の由緒・沿革について、境内回天館で戴いたパンフレットから以下に転載させていただきました。 回天神社 「室田義文翁米寿祝賀会」における、中崎水戸市長の祝詞と室田翁の謝辞。 室田義文翁米壽祝賀會(水戸) |
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