コンパについて2009年4月15日 エッセイ コメント (2)
こんなん書いてしまっていいんだろうか。
まぁいいや。
微かな吐瀉物の香りが立ち込める中、私はグラスをこくこくと傾けて美しい伊豆の海を眺めておりました。周囲からおぞましいうめき声やグラスの割れる音などが聞こえてきますが、私の耳には平然とした波の音しか届きません。時折必死に私にしがみついてくる人や、パイの実をぶん投げてくる人もいましたが、それは初めて飲む酒に溺れた哀れな人たちの末路、私には関係がないのです。そう、私は東大のオリエンテーション合宿に来たのです。
合格発表から三日以内という期限を持つ、早く金をくれと言わんばかりの慌ただしい書類手続きも終わり、私は同じドイツ語を第二外国語として履修する四十人余の新入生が所属する20組というクラスに入り、お互いをより良く知るための合宿へと向かうことになったのです。当日、周囲には本物の東大生―そう、私のようなパチモンではない本物!―がいるわけですから、粗相のないようにと必死に笑顔で振る舞っていたものです。しかしいざ伊豆行きのバスに乗り込んだと思ったら、なんと一時間ほど遅れてくる生徒さんがいるとのこと。ですが流石東大生、周りの誰も文句を言いません。単純に寝ていただけかもしれませんが、それでも生の東大生の耳にはたとい寝ていようと死んでいようと、あらゆる情報が入ってきているはずなのです。
そうしてずるずると延期され、二時間遅れの出発となったバスはいざ伊豆へと向かいだしたのです。天下の東大生たちは受験中の長時間の勉強が祟ってか恐ろしく身体が弱いらしく、あちらこちらで聞こえてくる液体音。やれビニール袋を貸せだ、やれ水を飲ませろだ、生東大生の皆様はテキパキと適切な指示を出して不運にも車酔いしてしまった同僚たちを介抱します。東大生は動揺しないんだなぁと大変感心しながら、私はティッシュで足の裏にこびり付いた隣のラサール出身の東大生様の消化されかかった朝ごはんを拭き取っていたものです。
体調不良を訴えだしたクラスメイトも多く、定期的にバスはサービスエリアへと寄って行きます。なるほど東大生は勉学には強くても身体は弱いとみえる。だが屈強な精神と大量のビニール袋に助けられ、私たちは遂に伊豆の下宿へと辿り着いたのです。はぜるような波の音、芳醇な潮の香り......。自然の旋律と芳香に囲まれつつ、私たちはすっかりぐったりしてしまった同僚たちをバスから引きずり降ろしたのでした。
しかしついたのは既に四時、楽しいグループゲームなどをする暇もなく(そして多くの人々は体力もなく)、元気な生徒たちは下宿に残ったKOされたクラスメイトを憂いつつとりあえず海へと向かいました。いざ海に来たところで特にすることもなかったわけですが、そこは流石の東大生、みなさん「東大生参上」と砂に書いたり、海に足を入れてみては「ひぃ冷たい」と叫ぶなど、有意義な時間を過ごしていました。私も彼らに見習い「くそ暇」と浜辺に書いたりしておりました。
しかし事が急変しだすのは夜のコンパです。このために合宿に来たといっても過言ではありません。夕食を済ませた後、大量のお酒が運ばれてきました。まずは缶チューハイ、慣れてきたらジントニック、締めは日本酒......。夢のような酒三昧に思わず舌鼓を打った私でありますが、飲み始めてから十分としないうちに、隣で言い争いが始まったことに気付きました。でもご安心を、これは決して喧嘩ではないのです。生の東大生のように聡明なお方がたが喧嘩なぞするわけがないのです。そう、これは言うなればディベート。互いに詭弁を弄して酒を楽しんでいるのです。あぁ、なんという勉学へ通ずる崇高な精神!
「おまえぁ、鹿児島のラサールだろぉ!オイぃ、田舎だな!」「なにおう、貴様の九州だって田舎ではないか!」「あぁン?おめーのところ、自販機あるのかよ!」「な、それはないが!だがどうした!エスカレーターはあったぞ!」「まぁまぁ、どっちも田舎だぁ」「んだとぉ、お前なんて栃木じゃねぇか、このだっぺがぁ!」
私はその様子をけらけらと笑いながら見ていたわけですが、ふとそこでパイの実の投げ合いという応酬が始まったのです。流石は東大生、こんな宴の席でも身体を動かすことは決して忘れない。その何とも言えない志の高さに感銘を受けながら、私は次々とチューハイを空けていったのです。(断わっておきますが、私はザルです。ですがお酒の飲みすぎはよくありません。先輩との付き合いということもありますし私は飲んだわけですが、みなさんはどうぞ酒の席ではお気を付けを)
そんな楽しい宴会が夜九時から次の日の朝五時まで続いたわけですが、結局そこまで残っていたのは私と数名の先輩だけでした。けろりとしていた私はポテトチップスを食べながら、横で寝ているかの麻布からのクラスメイトの寝ゲロを避けたりしていたわけですが、そろそろ潰れた人たちを運ぶぞぉということになり、私はグラスを置いてずるずると同僚たちを「おい、そこはトイレじゃないよ」などと注意しながら部屋から引っ張り出していったのです。
そんなこんなで私の合宿は終わりました。東大生の飲みっぷり、吐きっぷり、潰れっぷりには大変感服しました。この何とも素晴らしい経験から、私はある一つのテーゼを導いたのです。
東大生バカだろwwwwww
では稚拙な文でしたが、ここまでありがとうございました。
まぁいいや。
微かな吐瀉物の香りが立ち込める中、私はグラスをこくこくと傾けて美しい伊豆の海を眺めておりました。周囲からおぞましいうめき声やグラスの割れる音などが聞こえてきますが、私の耳には平然とした波の音しか届きません。時折必死に私にしがみついてくる人や、パイの実をぶん投げてくる人もいましたが、それは初めて飲む酒に溺れた哀れな人たちの末路、私には関係がないのです。そう、私は東大のオリエンテーション合宿に来たのです。
合格発表から三日以内という期限を持つ、早く金をくれと言わんばかりの慌ただしい書類手続きも終わり、私は同じドイツ語を第二外国語として履修する四十人余の新入生が所属する20組というクラスに入り、お互いをより良く知るための合宿へと向かうことになったのです。当日、周囲には本物の東大生―そう、私のようなパチモンではない本物!―がいるわけですから、粗相のないようにと必死に笑顔で振る舞っていたものです。しかしいざ伊豆行きのバスに乗り込んだと思ったら、なんと一時間ほど遅れてくる生徒さんがいるとのこと。ですが流石東大生、周りの誰も文句を言いません。単純に寝ていただけかもしれませんが、それでも生の東大生の耳にはたとい寝ていようと死んでいようと、あらゆる情報が入ってきているはずなのです。
そうしてずるずると延期され、二時間遅れの出発となったバスはいざ伊豆へと向かいだしたのです。天下の東大生たちは受験中の長時間の勉強が祟ってか恐ろしく身体が弱いらしく、あちらこちらで聞こえてくる液体音。やれビニール袋を貸せだ、やれ水を飲ませろだ、生東大生の皆様はテキパキと適切な指示を出して不運にも車酔いしてしまった同僚たちを介抱します。東大生は動揺しないんだなぁと大変感心しながら、私はティッシュで足の裏にこびり付いた隣のラサール出身の東大生様の消化されかかった朝ごはんを拭き取っていたものです。
体調不良を訴えだしたクラスメイトも多く、定期的にバスはサービスエリアへと寄って行きます。なるほど東大生は勉学には強くても身体は弱いとみえる。だが屈強な精神と大量のビニール袋に助けられ、私たちは遂に伊豆の下宿へと辿り着いたのです。はぜるような波の音、芳醇な潮の香り......。自然の旋律と芳香に囲まれつつ、私たちはすっかりぐったりしてしまった同僚たちをバスから引きずり降ろしたのでした。
しかしついたのは既に四時、楽しいグループゲームなどをする暇もなく(そして多くの人々は体力もなく)、元気な生徒たちは下宿に残ったKOされたクラスメイトを憂いつつとりあえず海へと向かいました。いざ海に来たところで特にすることもなかったわけですが、そこは流石の東大生、みなさん「東大生参上」と砂に書いたり、海に足を入れてみては「ひぃ冷たい」と叫ぶなど、有意義な時間を過ごしていました。私も彼らに見習い「くそ暇」と浜辺に書いたりしておりました。
しかし事が急変しだすのは夜のコンパです。このために合宿に来たといっても過言ではありません。夕食を済ませた後、大量のお酒が運ばれてきました。まずは缶チューハイ、慣れてきたらジントニック、締めは日本酒......。夢のような酒三昧に思わず舌鼓を打った私でありますが、飲み始めてから十分としないうちに、隣で言い争いが始まったことに気付きました。でもご安心を、これは決して喧嘩ではないのです。生の東大生のように聡明なお方がたが喧嘩なぞするわけがないのです。そう、これは言うなればディベート。互いに詭弁を弄して酒を楽しんでいるのです。あぁ、なんという勉学へ通ずる崇高な精神!
「おまえぁ、鹿児島のラサールだろぉ!オイぃ、田舎だな!」「なにおう、貴様の九州だって田舎ではないか!」「あぁン?おめーのところ、自販機あるのかよ!」「な、それはないが!だがどうした!エスカレーターはあったぞ!」「まぁまぁ、どっちも田舎だぁ」「んだとぉ、お前なんて栃木じゃねぇか、このだっぺがぁ!」
私はその様子をけらけらと笑いながら見ていたわけですが、ふとそこでパイの実の投げ合いという応酬が始まったのです。流石は東大生、こんな宴の席でも身体を動かすことは決して忘れない。その何とも言えない志の高さに感銘を受けながら、私は次々とチューハイを空けていったのです。(断わっておきますが、私はザルです。ですがお酒の飲みすぎはよくありません。先輩との付き合いということもありますし私は飲んだわけですが、みなさんはどうぞ酒の席ではお気を付けを)
そんな楽しい宴会が夜九時から次の日の朝五時まで続いたわけですが、結局そこまで残っていたのは私と数名の先輩だけでした。けろりとしていた私はポテトチップスを食べながら、横で寝ているかの麻布からのクラスメイトの寝ゲロを避けたりしていたわけですが、そろそろ潰れた人たちを運ぶぞぉということになり、私はグラスを置いてずるずると同僚たちを「おい、そこはトイレじゃないよ」などと注意しながら部屋から引っ張り出していったのです。
そんなこんなで私の合宿は終わりました。東大生の飲みっぷり、吐きっぷり、潰れっぷりには大変感服しました。この何とも素晴らしい経験から、私はある一つのテーゼを導いたのです。
東大生バカだろwwwwww
では稚拙な文でしたが、ここまでありがとうございました。
コメント
は東大生ではなく、大抵の合格者が全員だと思いますw。
…あれ、未成年者居ないね?w
現実的に建前だろうがなんだろうが未成年の飲酒は犯罪。このようなところに書くのは慎むべきと思いますがね。