コラム

2009年04月15日号

【検察と政治】
国際情報誌「SAPIO」「誰が総理を殺すのか!? 特集の1つ「疑獄史」-数多の政権を葬り去ってきた検察という名の「権力の暴力装置」というタイトルのSAPIO政界特捜班のレポートを検証するA


●特捜部の基本的立件姿勢
 私は前号で

「昭和32年以来「特捜部は法務大臣の指揮権発動がなければ政治家に対しても『目立ちすぎ、儲けすぎ、やり方が国民の常識からみてひどきずるケースは立件すると考えないと間違う。特捜部が犯罪ありと捉えれば検察は刑事司法の要として立法府より優位に立ち刑罰権を行使する』と教えられた基準と異なるからだ。検察の立件基準は50年前と基本は少しも変わっていないのである。」と書いた。

 私は「古い奴だ」読者から蔑視されようとも、国の刑罰基準をくるくる変えるべきではないと考えているので、50年前と基本は少しも変わっていないのは当然と思っている。

 ちなみに東京地検が、それまでの「隠退蔵事件捜査部」を「特別捜査部」と改称したのは昭和24年5月14日、初代部長は福島幸夫氏、32年以後のことだが、福島氏とも会った体験を持つ。

●基本的立件姿勢作成の参考
 関係者によると、特捜部が立件基準を作る参考としたのは昭和23年10月19日第二次吉田内閣成立の際の談話と吉田首相兼任法務総裁が鈴木義男芦田内閣総務総裁(弁護士)に事務引継の際、言ったという会話だったとされる。
ちなみに事務引継には福井盛太当時の検事総長、佐藤籐佐・法務府刑政長官(福井総長の後任検事総長)が立ち会ったとされる。勿論、32年以後のことだが、福井、佐藤氏にも面談経験を持つ。

「第一に民主政治の要は専ら国民の総意に基づき、私心を去り、一切の権謀を排し、公明に行動して自己の政治的責任を明らかにすることである。政界、財界、官界を通ずる綱紀の粛正と社会道義の確立である。現下の大疑獄(本誌注・昭電疑獄)は徹底的に、かつ公明適切に処理されなければならない。政、官、財界を通じて根を張った、綱紀の乱れと道義の退廃とは、この際、これを抜本的に一掃し、終戦以来失われかけた官紀を粛正し、緩みかけた社会道義を立て直して正しい者の報いられる道義の国、日本の姿を取り戻すことが祖国日本再建の根本であると信じる」(昭和23年10月19日第二次吉田内閣成立の際の談話)

「法務総裁に鈴木さんのような法律専門家がなるのもよいが、素人がやるのもよいものだ。司法権の健在は内閣の運命より大事だ。国家の消長を左右するものだ。今後もますますやってもらいたい。たとえばこの吉田が悪いことをした時でも遠慮なく縛ってくれ給え」(昭和23年10月19日第二次吉田内閣成立時、吉田兼任法務総裁が、事務引継ぎの際、鈴木義男前総裁に対し言ったといわれる会話、素人がやるのもよいものだとは兼任法務総裁だった自分のことを言ったようだ)

基本的立件姿勢作成の参考は戦後の「疑獄史」を語ろうとすれば避けて通れないエピソードと考えたので触れた次第だ。


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