編集委員の声

No.39に関するツリー

[39] 無知の涙。

投稿者
WEB多事争論編集委員Q川洋子
投稿日
03/28 22:26

「日本の司法は、人を一人殺しただけでは ごめんなさいと言えば許されるんですか? そんなのおかしいとおもいませんか?」

これは、いわゆる“闇サイト殺人”で、愛する一人娘をむごい手口で殺害された、母親の言葉。被告の3人に言い渡された刑は、二人が死刑、一人が無期懲役。

自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。
だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。ただ、想像するのは、殺された娘の、思い。
彼女は、母親に、「犯人に死を!」とさけんでほしがっているだろうか。

思うのは。

私が事件に巻き込まれてしまって、殺されても、
家族や、愛する人には、犯人の死刑を望んでほしくはない。と、いうこと。
自分が殺されたあとに、
憎しみいっぱいに犯人の死を望むことで、前に進もうとしてほしくはない。
そんなことしたって、失った命は、戻らない。

自分の娘と、娘の友達を手にかけた畠山鈴香は、二審でも無期懲役。
殺害された豪憲くんの父親のコメントも、やはり、
「2人の子供を殺害しながらいずれ社会復帰できる判決。このような世の中でいいのか」

二人殺したら殺していいのか?そんな世の中がいいのか?
死刑は、国よる合法的な殺人だ。
それを望むことは、殺人を、認めてしまうことなんじゃないか。
そんなの、自分が被害者なら、死んでも死にきれない。
と、思うのですがー。

偽善なのかなあーーー。

永山則夫の文章に、いまさら衝撃を受ける日々なので。

罪がある
犯罪者である
人生の敗北者である
そこには悲哀な物語があろう
がしかし負けたのだ人生に
詩だけは知ってくれるであろう
人間であったことを
(永山則夫「無知の涙」より)

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[40] Re:無知の涙。

投稿者
H.T
投稿日
03/28 23:43

井上波さんの正しい戦争って..の争論の覧や戦争の覧でも述べさせて頂いたのですが、復讐は復讐を生む、死刑も似ていると思うのです。やはり、私も自分が被害者だったら、愛する人に、死刑で復讐をしてほしいとは思いません。
以前テレビで、アメリカの死刑囚の公開死刑についての特集をみた事があります。爆破犯だった死刑囚の死刑が執行された時、被害者の家族であるの一人の老婦人がこう言いました。「あぁ..これで(死刑を執行してしまった事によって)私自身も、あの死刑囚と同じ人殺しの立場に落ちてしまった。」と。
被害者の気持ちを考えると非常に悩むべき深く難しい問題ですが、死刑の前に、まず終身刑の制度の設立について、司法には考えて頂きたいと思っています。

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[41] Re:無知の涙。

投稿者
伊賀 敏
投稿日
03/29 00:00

山口母子殺人事件でもそうですし、それ以外の裁判でも同じです。 すべての人が異口同音に言われるのが「不満」なんですよね。


じゃあ、何に対して不満なのか?


よく考えてみると、司法に対する不満なんですね。 裁判に関わった人の99.9%は不満が残ると答えているのです。 有罪率と同じですね。


司法は国民に対するサービスなんですが、国民は司法サービスに満足していないというのが現状です。


懲役400年があってもいいし、再審がもっと簡単に行えるようになってもいい。
裁判は弁護士と検察官と裁判官の司法試験合格組の仲間内談合みたいなもので、被告や被害者ですら、ほとんど発言しないわけです。


真実は解明しないし、適当な落とし所を探って、刑の相場を符丁で談合するんですよ。 これには関係者は愕然とするでしょう。 こんなものか?と思いながら結構短い時間と共にすべてが過ぎ去ってゆく。 納得もしないし、満足もしない。 


死刑で終わりか、そうではないのかではなくて、被害者、遺族の心のケアや情報開示、フェアーな裁きや罪への考え方のレクチャー。 先にやるべきことはもっと一杯あると思いますよ。


被害者や遺族でさえ司法を批判できない、すくみ社会ですね。

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[81] Re:無知の涙。

投稿者
おいおいおい
投稿日
04/14 19:42

麻生総理に対する捏造の読み仮名間違い追求

これこそ、無知の涙でですな!!


おーーーい、吉岡、早く弁明しに出てこいよー-

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[82] Re:無知の涙。

投稿者
774n
投稿日
04/14 21:57

>>自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。

ただの思考停止ですね

>だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。

他者の痛みになんらの斟酌をしないのですね。
「理解するつもりもない」
というひどい言葉を被害者の親族に言い放つのですか そうですか

>ただ、想像するのは、殺された娘の、思い。
>彼女は、母親に、「犯人に死を!」とさけんでほしがっているだろうか。

今、ここに居ることのできない人の言葉が聞こえるのですねw
あなたは霊媒師ですね(棒

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[83] Re:無知の涙。

投稿者
長文
投稿日
04/14 22:44

死刑の論議は色々な立場からの意見があり、時に感情論にもなりつつ進むもので、存置派・廃止派ともにイデオロギー的な議論になることもしばしばです。
ですので、どんな意見でもそれなりの論拠なり説得力があるものだと思いますが、理解できないのはこのトピックのような廃止派の人たちによる遺族の方々への攻撃です。
このQ川洋子さんの意見は特に酷いものだと思います。

>自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。
>だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。
と、遺族感情を理解するつもりはないとするのはまだ分からないのではないですが(それでもこの言い草はどうかと思いますが)
>ただ、想像するのは、殺された娘の、思い。彼女は、母親に、「犯人に死を!」とさけんでほしがっているだろうか。
被害者を持ち出して、亡くなってしまってるが故に誰にも分かるはずのない被害者の感情を勝手に自分に都合の良いように想像する。しかも「ほしがっているだろうか」と反論しにくいように書く嫌らしさ。もし遺族がこの文章を読まれたならどう思われるでしょうか。

また「自分が死んだら」という仮定をする無神経さ。普通は「愛する人が殺されたら自分がどう思うか」でしょう。それでも「自分が死んだら」という仮定にしたのは、被害者は死刑を望んでいないという自分の理論に沿わせるためではありませんか?
遺族の感情は分からないのに、何の罪もなく突然殺された側の気持ちが何故分かるのですか?自分が被害者ならという仮定は何の意味もない、ただ遺族を煽るだけの物にしか見えません。
偽善かどうか気にしていらっしゃるようですが、はっきり言います。偽善ですらないただの自慰行為です。

サイト全体にいえることですが、「論」を自称するのであれば、最初から誘導を行うような設問の立て方は止めるべきです。
このトピックでも「国による合法的な殺人」という重要な論点が存在するのに、大半を感情的な遺族への(間接的な)攻撃に費やしてしまっている。この気持ち悪さに何故気付かないのか理解できません。

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[89] Re[2]:H.T

投稿者
長文さんへ
投稿日
04/15 01:30

先ほどは、他ツリーにてメッセージを頂きありがとうございました。孤独な中、考え方は違えども励まして下さる方がいて本当に救われました。他ツリーに少しお礼を書いたのですが、ここなら見て頂けるのではと思い、書き込みました。
レス制限あるのに使ってしまい、皆様本当に申し訳ありません!
このツリーの問題に対して私は、なかなか結論を出す事ができずにいます。考えれば考える程、悩みます。幸い、皆さん真剣に論じていらっしゃる方々が多く、大変勉強になります。倫理的な問題と遺族の感情、どちらをとるのか。難しいです。長文さんの意見も伺う事が出来て光栄でした。

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[84] Re:無知の涙。

投稿者
A・S
投稿日
04/14 22:53

あなたは『自分』が殺されたとしてもあの世(天国ではないですよ?)から『その人を許してあげて』と言うのですね。

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[85] Re:無知の涙。

投稿者
投稿日
04/14 23:29

私(=被害者)が犯人の死を望まないから、遺族に死刑を望むなというのは
おかしくないですか?
Q川さんが家族や愛する人に「私が殺されても犯人を憎まないでね」と
言われたから、たとえそれらの人が惨殺されても犯人の死刑は望まない。
というのならつじつまは合うと思いますが。
そう言われても、実際にはすんなり受け入れられないんじゃないかなあと思いますが。

私はそもそも遺族が死刑を望むことの何がいけないか分からないです。
死刑にするのをためらうほど、人を殺すのはいけないことなんですよね。
それなのに何故それだけのことをしでかした者の死を望んではいけないのですか?
人を憎むことで前に進むことの何がいけないかを、明確にしてほしいです。
>そんなことしたって、失った命は、戻らない。
とありましたが、違いますよね?
犯人を憎もうが許そうが死んだ者は帰ってこないんです。
だから何を回復のとっかかりにしようが、どっちが優れているわけでもなし、
外野がやいやい言うことじゃないと思いますが。
というか私は事故で家族を亡くしておりまして「人を憎むことで前に進むな」なんて
見ず知らずの人に言われたらさぞかし腹が立つだろうと思います。

裁判員制度の公判で遺族が発言すること、そしてそれが判決にどういう影響を与えるのか、
といった観点なら遺族が死刑を望むことの是非を問う余地はあるかもしれません。
けれども、Q川さんは死刑を望むこと自体が悪しきことだと考えているように読めました。
遺族にとってはあなたが考えるより切実な問題であることを、まず知ってほしいです。

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[86] Re:無知の涙。

投稿者
頑張れ TBS
投稿日
04/14 23:51

TBSに深いご縁のあった、坂本堤弁護士一家殺害事件のご遺族に率直にそのお考えをぶつけてみてはいかがでしょうか?
「死刑は、国よる合法的な殺人だ。それを望むことは、殺人を、認めてしまうことなんじゃないか。」と。世田谷一家殺害事件、池田小事件のご遺族に疑問を投げかけてみればより多角的に返答が得られることでしょう。
 ただ、文中の「自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。だから、遺されたお母さんの気持ちを、理解するつもりはない。」という件を拝見するといかに他人が苦しみもだえてようとそれを受け止めるあなた様のご意思がおありかどうか、またこの文章を読めば紙より薄っぺらい人間性の持ち主に心開いて話してくれる奇特な方が現れるのかどうかという懸念もございます。
 自らの命が突然理不尽にも奪われるという想定上で殺人犯・死刑に対しての存念を広く社会に振りまき、あるいは現実に夢も希望も奪われた犯罪被害者の遺族の切ない願いをも傷つけているという可能性も無きにしもありません。
尤も、「憎しみいっぱいに犯人の死を望むことで、前に進もうとしてほしくはない。そんなことしたって、失った命は、戻らない。」と相手が自分の言葉で傷つこうが憎悪を募らせようが気にも留めない方でしょうから、余計なお世話でしたね。
 これほど底抜けに割切りのいい方ばかりの世の中でしたら、直ぐにでも悩みもなけれ鬱になる方も殆どいない、オメデタイ社会になるのかもしれませんね。
 私はどんなに頼まれ金を積まれても、そんな他者の感情に思いをはせることのない、乾いた空間に住みたくはありませんが。
「他人の気持ちは絶対に分からない→理解するつもりはない」という方ばかりが住む社会には生きたいとも思いませんね。

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[87] Re[2]:無知の涙。

投稿者
H.T
投稿日
04/15 00:33

以前、ここに意見を述べさせて頂いたものです。あの時、心ではそう思っていましたが、果たしてもし自分がその立場であったら..と書き込み後もずっと考えていました。
戦争と憲法の問題とも少し似ているかと思いますが、人間としての理想と現実の間で非常に悩む問題だと思います。私にはどうしても結論が出せませんでした。
ですので、多くの方の死刑制度に対してのご意見を伺いたいです。よろしくお願い致します。

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[90] Re[3]:無知の涙。

投稿者
長文
投稿日
04/15 01:43

自分が常々疑問に思い、また残念に思っているのは死刑議論がイデオロギーの枠に組み込まれてしまっていることなんです。
左派とされ革新派とされる人々、護憲派とされる人々が死刑廃止派になる傾向が強いように思います。もちろん存置派に右の人が多いという意見ももう一方であるとは思いますが、ただ日本の世論の大半が死刑存置派であることを考えれば、死刑存置派=右派と単純にはならないでしょう。
このサイトはどちらかというと左派の方が多いように見受けられますが、ログを見ても死刑廃止の意見ばかりなのも上記の傾向を示しているように見えます。
国家が命を奪うことへの反発や人権の観点から左派と死刑廃止の意見が結びついてるのかもしれませんが、ここが自分の大きな疑問とするところです。

死刑とは「犯人が死刑に値するレベルの殺人を犯した」という罪に対しての罰であります。
全犯罪の中で殺人として起訴され有罪を受ける割合というのは極僅かであり、その極僅かな殺人罪の中で更に一部だけが死刑となっている現状を理解してください。つまり、殺人という罪を犯しているのに懲役数年ですむケースが大半ということです。
こう理解すれば、死刑という罪に当たるケースが極稀なものであることが分かります。そして「死刑に値するレベル」がかなり絞られて判断されていることも分かるのではないでしょうか?
では「死刑に値するレベル」の犯罪がどの程度か、については事例を調べていただければ分かってもらえると思います。同じ人間が起こしたと思えないような残虐なもの、無慈悲な殺人が行われたケースばかりだと理解されるでしょう。

ここで上記の疑問に行き着くのです。
すなわち死刑に値する殺人とは、人が理解しうる最悪の「人権侵害」が行われているものであるのに、何故左派の方々は加害者の人権だけにとらわれ、もっと言えば護憲や戦争を語るかのごとくイデオロギーの問題にしてしまうのか?と。
憲法の問題などは直接の被害が発生しているケースよりも観念的な政治的な議論であり、そうであるから机上でイデオロギー的に右左に分かれて争っていることも理解できます。
しかし、死刑に関しては実際に甚大な被害が発生し、遺族は現在進行の形で苦しんでいるのです。

これは左の人だけでなく右の人にも言えることですが、どうかイデオロギーの立場から発した死刑議論を行わないで欲しい。
ここの多事争論編集委員の皆さんに顕著ですが、「自分は左派で市民派で人権派だ」→「だから死刑廃止派なんだ」という経路があるのではないでしょうか?勿論その逆の「自分は右だ」→「だから死刑賛成だ」という人もいるでしょう。
繰り返しになりますが、死刑は実際に被害を受け人が亡くなり遺族が苦しんでいるのです。その現実から出発した議論でない限り何の意味もない。
このトピックのQ川洋子さんはその観念がごっそり抜け落ちてるとしか思えません。
死刑には冤罪を含め問題が多々あることも事実です。そういう点について実際の被害者のことも念頭に置きながら、そしてイデオロギー的な観念は脇において議論されることが望ましいと思います。

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[91] Re[4]:無知の涙。

投稿者
長文
投稿日
04/15 02:02

無駄な長文申し訳ありません。と謝ったそばからもう少しだけ失礼します。
H.Tさんのツリーなので H.Tさんのご意見に対して自分の意見を述べさせてください。

>以前テレビで、アメリカの死刑囚の公開死刑についての特集をみた事があります。
>爆破犯だった死刑囚の死刑が執行された時、被害者の家族であるの一人の老婦人がこう言いました。
>「あぁ..これで(死刑を執行してしまった事によって)私自身も、あの死刑囚と同じ人殺しの立場に落ちてしまった。」と。
これは難しい問題ですが、この老婦人が自らを人殺しだと思わざるをえなかったことを考えるととても辛い。
このことをもって「老婦人を人殺しだと思わせたのは死刑制度が悪い」とするべきでしょうか?自分はそうは思えません。死刑は確かに命を奪うものですが、刑罰として命を奪うのであって、殺人のように誰かの欲のために奪われるわけではないという認識がとても大切だと思います。
たとえば懲役刑は国家による監禁と同じです。もし犯人が懲役を受けたなら老婦人は「私は犯人を監禁してしまった」と思わなければならないのでしょうか?
そう考えれば老婦人が自らを人殺しなどと考えること自体が過ちだと分かると思うのです。
その場にそのことを理解して「そうではないんだ、貴方は犯人のような人殺しとは全く違う」と言ってくれる人がいなかったのかと思わざるを得ません。

もう一つ、死刑の代わりとして持て囃されている終身刑ですが、これにも大きな疑問があります。
というのも終身刑というのは生きてはいるものの一生刑務所から出られないという性質のものであり、下手をすると死刑よりも重大な人権侵害を含んでいる可能性のあるものだからです。
様々な議論があるので私もまだ意見が纏まってませんが、簡単に終身刑が死刑に変わりうるものではないということだけは言えます

上記の長文と合わせて突っかかるような物言いにまたなってしまい申し訳アリマセン。熱が入るといつもこうなってしまい反省しています。

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[92] Re[4]:無知の涙。

投稿者
H.T
投稿日
04/15 02:20

そういう傾向はあるかもしれません。左は死刑廃止、右は死刑存続、まずその観念を取っ払って、遺族の気持ちを第一に考える事が大切なんですね。ただ、まだ悩んでいる問題があるんです。
以前、報道orニュースステーションでみたんですけど、死刑が決まった後、遺族と被告が、面会などで交流する内に被告を許す気持ちがうまれた。そして遺族が死刑を望まなかった場合があったんです。その遺族は、死刑の中止を求めたのですが、結局判決どおり死刑は執行されたケースがありました。遺族は被告の死を悲しんでいました。これは非常に非常に稀なケースとは思いますが、そういう場合、私は司法は遺族の気持ちを最優先させたら良かったのではないかと思いました。皆さんはどのようにお考えになりますか?
長文さん、死刑制度について大変詳しく教えて頂きありがとうございます。
今日は、明日早いんでもう寝ます。
論の途中ですみません。お休みなさい。

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[93] Re[5]:こちらこそすみません。

投稿者
H.T
投稿日
04/15 02:28

最近、考えながら文を書くのでとても遅く、長文さんの2回目の論に気づかず、同時レスしてすみません!こちらの論には、また後日よく読み、お返事を書き込みたいと思います。ありがとうございます。お休みなさい。

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[94] Re[6]:こちらこそすみません。

投稿者
長文
投稿日
04/15 03:25

自分も文を書くのが遅く、更に性質の悪いことに無駄に長文になるという始末ですのでお気遣いなさらないでくださいw

>死刑が決まった後、遺族と被告が、面会などで交流する内に被告を許す気持ちがうまれた。
>そして遺族が死刑を望まなかった場合があったんです。
これに関して意見を述べます。
実は私は遺族の意見を刑罰の軽重に影響させることにかなり消極的です。こう言うとおそらく「お前はさっきまで遺族が苦しんでると何度も言ってただろ」とお叱りを受けるかもしれません。
弁解させてもらえるなら、私が言いたかったのは「遺族の中には」苦しんでいる方がいらっしゃるということあり、現在も苦しんでいる人がいるという事実を認識して欲しかったということなのです。

かなり現実から離れた例え話をします。ある公営住宅に身よりもなく、親戚もおらず、近所づきあいもしていないお年寄りの方々がいらっしゃったとします。このお年寄りばかりを狙い残虐な方法で殺害し、金銭を奪った犯人がいたとしましょう。
この場合、被害者には遺族も知り合いもいません。では死刑を求める遺族がいないからと言って犯人は死刑を免れていいのでしょうか?同じような殺人を行ったのに遺族がいた為死刑になるケースもあるでしょう。
果たして遺族の有無で死刑を決めてよいものでしょうか?遺族がいたとしても、暴力夫のように家族から嫌われている場合では死刑を求めないケースもありえると思います。
或いは宗教上の理由や死刑廃止派というイデオロギーの為に死刑を求めないケースも出てくるかもしれません。このように考えていけば、必ずしも遺族の感情と刑罰の軽重を結びつけるのが正しくないと考えられるのではないでしょうか?

死刑の判断はまず何より犯人が行った犯行そのもの(構成要件)を見るべきです。客観的に死刑に値する犯罪なのかの判断を行った後、犯人の更生の可能性等犯人の主体面を判断して死刑判決を行うべきでしょう。
遺族の意見というのは最後の最後で加味される程度で留めておくべきというのが私の意見です。感情的には遺族の意見を取り入れて欲しいという気持ちもあります。しかし、遺族の性質によって刑罰が左右されるのはやはり正しくない。

遺族の意見を刑罰に直接影響させることには消極的ですが、一方で加害者との対話や遺族が意見を言える機会を増やすことには私は賛成です。
修復的司法というものがあります。説明するとまた長くなるのでお調べになってください。 H.Tさんが仰ったケースのように対話による交流が新たな道を開く場合があります。そのような機会を司法は積極的に取り入れていくべきでしょう。
ただし、刑罰に関してはなるべく客観的な要素で判断を行っていく。この両面からのアプローチを上手く両立させるのが良いのではないかと思っています。

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[88] Re:無知の涙。

投稿者
名無し
投稿日
04/15 00:52

>自分の愛する人を事件で失う人の気持ちは、決してわからない。その立場になるまで、絶対に、わからない。

なるほどねえ、以前から不思議に思ってたんですよ、
マスゴミの連中って被害者や遺族にマイクを付き付けて「今のお気持ちは?」なんて平気で聞きますよね。
普通の人間なら分かる筈なんですよね、大切な人を失った気持ちなんて。
それが分からない奴だからなんですね。

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