産経新聞も共同通信も往生際が悪い。辞書の引き方について、私ごときがとやかく言うべきではないと思うが、何故私が皇室に対して正しい表現であると判断したかについて述べようと思う。
よーく目ん玉ひん剥いて見ろ!
いや-さか【弥栄】(名)ますます栄えること。
――を祈る。
平成20年12月23日、宴会の儀にて麻生太郎首相は
「お招きいただきました一堂を代表致しまして、
陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄(いやさか)を
心よりお祈り申し上げます」と述べた。
い-や【弥】(副)ますます。
程度がはなはだしいさまをあらわす副詞「や」+接頭語「い」。
さか-える【栄える】(動)さか・(ふ)ゆ・う ((下二段活用))
│ 勢いが盛んになる。繁栄する。
↓ 国が――・える。
さか・え【栄え】(名)栄えること。繁栄。
「栄う」の連用形。
ここで、例え手元の辞書に載っていなかったにせよ、以下が分かります。
いや-さか・え【弥栄え】(名)ますますの繁栄。
なお「日本国語大辞典」には【弥栄え】が有るそうです。私は持ち合わせていませんが、これは容易に推測できます。
平成21年4月10日、
天皇皇后両陛下結婚50周年祝賀行事にて
麻生太郎首相は「皇室の弥栄(いやさか)えを心から祈念し、
国民を代表してお祝いの言葉とさせていただきます」と述べた。
私はこれに関して幾つか検討した。
まず、麻生首相は自身のウェブサイトにおいて、既に「弥栄(いやさか)」
を用い、昨年末にも同じ語を用いていることからみて、確実にこれを
知っていた。これは事実だろう。
以前に使っていて誤るとすれば、それは「かんだ」(「セリフをーむ」の意)
に過ぎず、言い違えたというのは酷である。
古典に少なくとも【弥栄】のみで「いやさかえ」と読むものもある。
現代においてそれが極めて特殊であるとしても、先に記した
「弥+栄え」であったなら、現代文として通る。
ひとつの語「弥栄」ではなく、複合語「弥+栄え」を使ったとするならば、
「ますます」と「栄え」の両方を強調することが出来る。
以上により、
宴会の儀(=天皇陛下の誕生日に毎年行われる)では
「いやさか」を用いたが、
両陛下結婚50周年という、両陛下にとって二度とない、
また、皇室にとっても極めて珍しいであろう事柄に際し、
この上ない慶びを表し、さらにこれを一段強め、
「いやさかえ」(弥+栄え)を用いた
と考えてもなんら不思議はないという結論に至った。
もちろん、ただの言い間違いである可能性も否定できないが、
このように複合語を用いた可能性も否定できない以上、
それが言い間違いであると断定するに足る証拠は何一つない。
ただ、産経新聞のいう「文脈上」というのはわからないでもない。
そもそも「いやさか」という単語が現存しているのだから、
「弥+(【栄う】の連用形【栄え】をわざわざ使う必要はない」
という点においては、確かに記事校閲の際、疑問出しして
良いところだ。
確かに少々回りくどい表現であることは間違いないが、
それはあくまでも「一般的に」という注釈がつく。
この行事はどう考えても一般的ではない。
しかし、だからといって、間違いとは断定し得ない。
はたしてこれを即座に訂正して良いものだろうか。
私なら疑問出しに留めると思うが。
共同通信の見解は論外だ。
手元の辞書になければ間違いとするのなら、専門用語も方言も、おおよそが間違いになってしまう。先日も書いたが、それは辞書の使い方を間違っている。日本国語大辞典でさえ50万語レベルに過ぎない。辞書はあくまでも紙面で記事にするときに、その言葉が適切であるかどうかを検証する道具であって、他人の言葉遣いの正誤をただす為のものではない。
上記のごとく解釈可能である以上、「いやさかえ」は間違いとする見解は撤回すべきである。
掲載各社には「言い間違い」との見解の撤回を求める。