2008-08-07
■[編集]マンガの中の文字と吹き出しについて
今日の一枚
ひっくり返って熟睡中。
マンガの吹き出しをテキトーなところに置く作家がいます。同人出身の人と絵が達者な人がよくやります。
昔と違って今のマンガは画力と画風と絵の密度を高い水準で求められます。魅力のある、読者に振り向いて貰える絵を描くには、絵に相当なウェイトを置いた修練が必要です。しかしそのため絵ばかり見てコマ割りや文字まわりをおろそかにする人が増えるという問題があります。
吹き出しをテキトーなところに置くとどうなるかというと、まず第一にマンガが読みにくくなります。そして目線が次にどこに移動すればいいのかわからなくなります。「なんだその程度か」とあなどってはいけません。
目線の誘導が上手くいっていないマンガは読者にストレスを与えます。ストレスは作品の心証によい影響は与えませんし、悪くすると読者がマンガに熱中するのを妨げたり、いい感じに引き込めていた読者を現実に引き戻したりします。吹き出しは目線の自然な動きに沿う場所に配置するのが基本です。
また、これは作家ではなく編集者が悪いのですが、変な書体・変な大きさ・変な効果の文字を写植で貼る人がいます。
マンガは絵と文字の組み合わせで見せるメディアですから、文字に適切な演出を加える必要は当然あります。しかしここで重要なのは、読者が本当に必要としているのは文字が持つ『情報』や『ニュアンス』なのであって『文字そのもの』ではないということです。文字はメッセンジャーであるにすぎません。
マンガの中で文字自身が自己主張をすることほど見苦しいことはありません。
……山口貴由が岡田芽武的な手法を脱してシグルイに至り、「剣戟シーンも音があるとスピードが落ちる気がする。無音のほうが遥かに速い」と語るようになった心理の変遷について考えていたはずが、気がついたらこんな文章に。