2008-06-03
■[その他]不運を嘆く時間があるなら、運をつかむ準備をしよう
今日の一枚
きりり。
家に届いた「とらだよ」の88号に、ゴージャス宝田先生のインタビューが!
キャノン先生誕生秘話やゴージャス宝田先生のヒストリーなどが語られているのでファン必見です。そして「キャノン先生トばしすぎ」をまだ読んでいないOVER18のそこのあなた、いろいろな意味でもったいないので今すぐ購入して読みなさい。吼えろペンを読んで「ああ、そうだろう!?」とか言ってる場合じゃない!!!!!!
さて。今日はダンコーガイのエントリのある一節を読んで思ったことを少し書きます。
たしかに、どんな運がやってくるかは選べない。「実力も運のうち」というのは確かにそうで、その気になれば自分が人間に生まれたことや男女に生まれたことも運なのだから、すべて運に還元しようと思えば出来る。それでも、我々は雨が降れば傘を風に対して向ける。この「風に対して向ける」という行為そのものも運と呼んでしまっていいのか?
運は風のようなもので自分ではどうしようもないけど、それに対して衝突断面積(cross section)を調節することは出来る。幸運にはより当たりやすく、不運にはより当たりにくく
成果に対する私の考え方は、基本的には「はじめの一歩」の鴨川会長と同じ
努力したものが全て報われるとは限らん。
しかし!
なのですが、上の発言を読んで「"努力"という言葉を"準備"と置き換えたら、また違った世界が見えてくるのではないか?」とふと思いました。
「MOONLIGHT MILE」というマンガがあります。このマンガの主人公の猿渡吾郎は、クライマーとして五大陸の最高峰を制した後にさらなる高みを求めて月に渡る男なのですが、そのアプローチの仕方は大変ユニークでした。月に降り立とうと思えば、普通は懸命に勉強して宇宙飛行士の狭き門を目指したりするものですが、彼はそんなリスキーな努力はしません。代わりにしたのは大量の重機操縦資格の取得です。月に次世代エネルギーが大量に埋蔵されていることが判明したこの世界で、彼は月の開発ラッシュが必ず訪れると予想し、宇宙開発技術者に求められるであろう技術と資格を押さえて"その時"に備えたのです。
猿渡吾郎は運良く月に行くことができましたが、彼の行動にはやみくもな努力とは一線を画する視点があります。技術と資格を押さえても月に行けるとは限りませんが、それでも「宇宙飛行士に選ばれる」などという馬鹿みたいな確率に賭けるよりは、ずっと分のいい投資です。「宇宙開発のための技術者を募集する」という幸運が降ってきたときのために彼はしっかりと準備をし、その結果幸運をつかむことができたのです。
自分の運のなさを嘆く人は世の中にたくさんいます。しかしそういった人たちの大部分は「幸運に当たりやすくする」努力をしていません。またたとえ幸運が直撃したとしても、それを受け止め活用できるだけの準備ができていないように私には思えます。「宇宙開発の技術者募集!」という政府公報は、普通の人の目にはチャンスとは映りません。営々と準備を重ねてきた人だけが「やっとチャンスが巡ってきやがったぜ」とうそぶくことができるのです。
一世一代のチャンスが巡ってくるかもしれないその日のために、しっかりと準備をしておきたいものです。