2007-12-23
■[雑学]弾幕の薄い左舷(さげん)
今日は事務所に山積みになったマンガや同人誌を処分する予定だったのですが、雨が降っていたので休養日に切り替え。猫を抱いて終日寝てました。たまには何もしない休日もいいものです。
さて。デザイナーの杏東ぢーなさんのblogに次のようなサイトが紹介されておりました。
○みぎげん/ひだりげん ×うげん/さげん 専門用語正式呼称普及同盟
かつての『宇宙戦艦ヤマト』で、劇中人物が台詞で
「右舷/左舷」を「うげん/さげん」と
「みぎげん/ひだりげん」の方が、
世間一般ではマイナーとなり、
これに忠実なシナリオに対して「間違っている」と、
指摘する困った状況が後を絶たない始末です。
うーん。「右舷/左舷」を「みぎげん/ひだりげん」と呼ぶのは大日本帝国海軍と海上自衛隊だけでして。民間でも海上保安庁でも陸上自衛隊でも使うのは「うげん/さげん」の方のはずですし、辞書にも基本的には「うげん/さげん」しか載ってないんですよね。それに地球防衛軍や連邦軍といった、日本の海軍が母体になったとは考えにくい軍隊で「みぎげん/ひだりげん」を使うのも違うような気がします。
日本海軍や海自を題材にした作品で「うげん/さげん」を使うのは間違いですけど、このサイトみたいに一見「うげん/さげん」を全否定しているように見える主張のしかたもちょっとどうかと思った次第です。
※追記
■[編集]ライトノベルはイラスト化するシーンを選ぶべきか
※注:このエントリはフリーランスの編集者の、一個人としての意見にすぎません。電撃文庫の方針とは全然まったくこれっぽっちも関係ありませんので、ご注意ください。
Haenschen klein...:指定として軸がずれている
面白いのは、某編集氏によると「一番盛り上がるところはあまりイラストにしない。盛り上がるところから少しずらしてイラスト指定にする」のだそうです。同じことは複数から聞いたので、テクニックとしてかなり普及してるのではないかと思います。
「一番重要なシーンは挿絵にしない」というテクニックを私に最初に教えてくれたのは、田中芳樹の「纐纈城綺譚」でした。
この作品の挿絵は藤田和日郎氏が担当しているのですが、氏が巻末の解説か何かに書いていたと記憶しています(現物が手元にないのでうろおぼえですが)。
小説家は多かれ少なかれ文章でしか表現できないと思っていることがあるから、それを小説にします。だから本当に伝えたいと思っているキモの部分は文章でなければなりませんし、そこを絵にしてしまうのは僭越極まりない行為ということになります。
ライトノベルの場合も基本的には上記の事情を理解した上で絵にするシーンを選ぶべきです。ただライトノベルはイラストが非常に重要であるので、出し惜しみしていると商機を逃す可能性があります。ではどうするべきでしょうか。
ライトノベルの場合、「物語のキモ」と「読者が絵にして欲しがるシーン」とは意外とズレがあることが多いように思います。露骨な例をあげると、シャワーシーンだったりヒロインがデレたりする場面は、読者にとっては極めて重要かもしれませんが、物語的にはおおむねそんなに重要ではありません。
こうした「ビジュアル的には重要だが、物語的にはクリティカルでない」シーンを選んでイラスト化していくのがよいのではないかと考える次第です。
■[雑学]ヒトがトラを噛んだ話
MSN産経ニュース:中国の動物園でトラ殺される 毛皮はがされ発見
22日の新華社電によると、中国湖北省宜昌市の動物園で20日、絶滅の危機にあるシベリアトラ(アムールトラ)が殺されているのが見つかり、地元警察当局が捜査を始めた。毛皮をはがされた上、頭部や足も持ち去られていた。
愚地独歩かピクルのしわざじゃネーノ? という刃牙ファンにありがちな感想はさておき。「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」の典型的なニュース。動物園でシベリアトラが人間に襲われて殺されました。毛皮狙いだった模様。
ちなみに「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」は1882年「ニューヨーク・サン」紙に載った、アメリカのジャーナリストC.A.デイナの言葉。しばしばイギリス新聞界の王ノースクリフ卿アルフレッド・ハームズワースや「ニューヨーク・サン」紙の記者J.B.ボガートの言葉とされることがあるのですが、それはどうも間違いのようです。
さらにおまけ。書いていて今気付きましたが、C.A.デイナといえば前に書いたエントリで引用した「ニュースとは『ひとをおしゃべりに駆り立てる何か』」であると言った人と同一人物ですね。どちらも含蓄のある言葉です。