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ラノ漫 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-10-20

ぐっすり

[]深山靖宙サイン会電撃大王12月号

多摩坂です。怒涛のお仕事ラッシュが終わったので帰ってきました。


さて。今日はご連絡が2つあります。まず1つ目。10月28日にとらのあな秋葉原1号店で深山靖宙さんのサイン会が開かれます。電撃コミックス乃木坂春香の秘密」1巻の発売記念&秋葉原エンタまつり2007協賛企画です。


明日21日から受け付け開始ですのでよろしくお願いします。担当ですので当日は私も会場におりますが、ノコギリや鉈を使ったNice boat.なあいさつはご遠慮ください。死ぬと困るので。


2つ目。電撃大王の12月号が発売されました。

電撃大王 2007年 12月号 [雑誌]

電撃大王 2007年 12月号 [雑誌]

アニメの二期がはじまったということで、「灼眼のシャナ」が表紙。付録アニメ版権のイラストが大量に載ったシャナ小冊子で、誌上通販もシャナタオルになっております。


今月は「灼眼のシャナ」「とある科学の超電磁砲」「トリコロ」すべて載ってますが、トリコロは来月から単行本作業で少々お休みをいただきます。ファンが随喜の涙を流す、すごい本を作りますので、申し訳ありませんが完成までしばらくお待ちください。

[]上手になるとか学ぶとかいうことにはリスクがある

ヨーロッパに一人の貴族がいました。「音楽情熱をもって愛している」と自称するこの貴族は、ある作曲家対位法のレッスンをしてほしいと申しこみました。ところがこの貴族、じつは対位法のことなどはどうでもよく、レッスンそっちのけでこの作曲家の作品にけちをつけはじめます。毎回スコア片手に一音符ごとにああだこうだ言い、作曲家の作品に価値が無いことを理論的に証明して、意気揚々と引き揚げていくのでした――。


理論と実作曲の区別もつかない貴族にからまれた、気の毒な作曲家の名前はハイドンといいます。モーツァルトベートーヴェンに影響を与え、後に「交響曲の父」「弦楽四重奏曲の父」と呼ばれるようになる、古典派を代表する大作曲家です。


さて。「ハーバード・ビジネス・レビュー」の2007年4月号に「知識の呪い」という話が載っているそうです。こちらの記事を見て知ったのですが、「知識はあればよいというものではない。知識を身につけてしまうと、それが「当たり前」になってしまい、同じ知識を共有していない人々の気持ちがわからなくなる」といった話が書いてあるようです。


実際、知識には危険な副作用があります。専門家と呼ばれる人々は、普通の人とは物事の前提が違いすぎるために感性がずれていることが多いですし、大学教授に浮世離れした人間が多いのはよく知られたことです。ちなみに、ラーメン評論家と呼ばれる人たちがいますが、冷静に考えると彼らはラーメンばっかり食べている、非常に狭い嗜好の蓄積を持つ人々であり、彼らの好みと普通の人の味覚が一致するとは私には思えません。


ラーメンの話はさておいて、私の仕事の話をします。私は主に中高生をターゲットにした商品を作っているのですが、作るにあたっては彼らの2倍以上ある人生経験と知識の蓄積が、実は一番邪魔になります。「私が知っていること」と読者は何の関係もないのに、知識やそれに付随したプライドがよけいなことを言ってくるのです。


「そんな薄い話でいいのか」「○○○でもうやられてるじゃないか」「いい歳して何くだらないことやってるんだ」「若いのに媚びやがって」etc...。心の声はいろいろなことを言ってきます。しかしそれは30がらみのヘビーユーザーの知識と蓄積を前提にした意見です。中高生を中心とするライトユーザーの意見ではありません。ここのところを取り違えると、無駄に複雑で盛り上がりに欠けるマニア向けの作品ができてしまいます。


前島賢氏はかつて「スレイヤーズが好きだった10代の僕を、どうやって肯定すればいいんですか!」と言いました。かつて楽しかったものが楽しめなくなるというのは「知識の呪い」に他なりません。


作り手は知識を蓄えつつ、この呪いと戦わなければなりません。読み手も、まあ煩悶するのもひとつの楽しみかとは思うのですが、同じ読むなら面白く読んだほうが人生有意義ですから、自分が積んだ知識に振り回されずに個々の作品と向き合ったほうがよいのではないかと思う次第です。


※追記

このエントリのタイトルは糸井重里さんの発言からの引用。冒頭のエピソードはハイドンモーツァルト研究家としても知られる、スタンダール「ハイドン」からの引用です。