2009-04-13
■ひとつめの杭
音楽家のヤン富田氏は著書のなかで、かつて試したある作曲法について書いている。まずはレコード屋さんへいき、もっともかっこいいジャケットデザインのレコードを買ってくる。しかし、レコードを聴いてはならない。ジャケットを眺めながら「このレコードに収録されているのはいったいどういう音楽か」を想像し、作曲をするのだ。
この手法はさまざまなジャンルに応用できそうな気がする。たとえば洋服のデザインをする人が、ある特定の人物をおもい浮かべながら「あの人に着せたらすごく似合うであろう服」を製作をする、といったしかたである。想像力を喚起するなにかをまずはひとつ設定しておき、方向性を絞ったうえで製作にとりかかる。
おもうに、表現ではスタート地点においては360度どこへでも向かうことができるから、逆に一歩目を踏みだすのがむずかしいようにおもうのである。表現という行為はあまりに自由すぎるために、なにかしらのとっかかりがなければ始めようがない。仮にひとつめの杭を打ち込むことができれば、そこから道筋がつけられる。この手法をどうにか日常に生かせないものかとわたしは考えた。
たとえば家で料理を作る場合。スパゲッティーを作ったときに「もし松屋だったら、これにみそ汁をつけるにちがいない」と考えてみる。そしてみそ汁の追加。そこから料理の個性を広げていくのである。また、友だちに旅行の失敗談をおもしろおかしく聞かせるときにも工夫が必要だ。旅先でねんざしたという話題も「もしスピルバーグだったら、両足を宇宙人のビームでばっくり切断されて、上半身だけの人間が血の海を這って逃げだしたことにするはずだ」と考えてみる。そしてうそエピソードの追加。そこから話題に多様性が生まれていく。
独創性や画期的なアイデアを生むには、その方向性を定めるひとつめの杭が必要になるとわたしはおもう。そして、その杭はあらゆるところに散在しているのであり、それらをどう活用するかは、われわれがどこに視点を置くかにかかっているのだ。