
Website of KAWAMOTO Atsushi
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・ ダイアリー(2/20-2/28)
− 2 月 28 日(曇り)
愛車のディレーラー(変速機)のワイヤーがだいぶまえから
切れていたので、千駄木のロードレーサー店「なるしまフレンド」に
修理に行くが、定休日であった。痛恨である。
(後注:「千駄木」は「千駄ヶ谷」の誤り。M くんの指摘による。3/3。)
帰りの足で、駒場の図書館で勉強しようと思ったら、
入り口に「館内整備日のため休館」という掲示が... 痛恨である。
しょうがないので近所の河合塾の自習室にモグることにする。
有馬他の部分線型空間が終わって線型写像に入る。核、跡など。
アーカイヴのページを作る。とりあえず、IMF の BG を載せる。
PDF 化がどうも上手くいかないので、全文は DVI 版のみである。
もぎこっかーで読める人はほとんどいないだろう。
駒場祭用に書いた論文は恥ずかしいので載せる予定はない。
(だったらプロフィールに書くなと言われそうだが)
− 2 月 27 日(晴れ)
有難いことに、文 II の同士である Y く んから、2/25 中段の記述に関して
コメントのメールをもらう。どうも公理を置く意味を勘違いしているらしい。
ご教示にしたがって、神谷他の「基礎的概念」を読みなおす。
「公理一つ一つの意味は、そのような(公理によって与えられた
``集合'' に基づいて、あらゆる数学的概念を ``集合'' としてとらえ直す)
作業を行う段になって初めて明らかになります」 (括弧内は挿入、p. 32)
とある。我慢あるのみ、ということか。
有難いことには違いないのだが、10 年ぐらいまえに委員長だった方から
メールをいただく。国際大会を開いたときの口座が
まだ残っててそれを引き継いで欲しいとのこと。
(後注:委員長ではなかった。全米団長や大会事務次長を
務められていたようである。3/3。)
国際大会というともう伝説のなかの話のように感じていたが、
それが自分のまえの現実と結びつきをもって現われてくるとは
なんとも不思議な気分である。
− 2 月 26 日(晴れ)
基底を飛ばして部分線型空間を先にやる。
「K 上の線型空間 V の部分集合 W の各要素に対する加法、スカラー倍が
W 内で閉じている」(神谷他、一部改変、p.106)ことの具体例が、
「空間の幾何ベクトル空間 VS における、ある平面上の矢印で表されるような
ベクトルの全体のつくる 2 次元部分空間」(齋藤、同、p.107)だとは、
何と美しい抽象化なのだろう!と少し感動。
数学を勉強してて楽しいのは、このように、既知の事実が
より一般的な概念によって俯瞰できたときだ。
これは他の学問にも言えることかもしれない。
− 2 月 25 日(晴れ)
昨日の疲れからか、起きたら午後であった。
齋藤『線型代数入門』を読み進めるが、基底でつまる。
有馬他『よくわかる線型代数』や神谷他『経済学のための数学入門』の
助けを借りるがよくわからない。明日から方針を少し変えて、
有馬他の演習問題をしらみつぶしにしていくことにしたい。
神谷他はひさしぶりに読んだが、「実際」、「実は」のような冗語が
多いような気がした。また、導入部に経済学上の応用例を入れてくれてるのは
いいのだが、それ以外はよくある公理系が天下り的に示される形式で、
厳密なのだろうが、理解しやすくはない。公理がなかったときにどうなるかを
説明してくれると、分かりやすくなるのではないかと思った。
(自分で考えろということなんだろうけど)
そうでないと、公理がどう効いてくるのかが分かるまでに
だいぶ我慢しなくてはならず、辛抱強くない人間にはいささか辛い。
KMUN の U 女史と電話会談。昨日のご報告など。
− 2 月 24 日(雨)
JMUNS の総会のため上智大へ。委員長就任後初の総会であったが、
まずまずの成果が上がったのだろうか。
KMUN との共同覚書は無事承認された。
これで、私の1年間の任務の半分が終わったようなものだ。(というのは言い過ぎか)
宇都宮大で MUN の新団体を設立しようとしている人たちとも対面できた。
次の課題は、この団体の運営を軌道にのせることなのだろう。
総会後は新宿で追いコン。乾杯の挨拶のようなことは明らかに性分に合わないのだが、
おそらくは無難にこなせた。参加者が 3 ケタともなるとさすがに混沌としてくる。
4 年生に知らない人が意外なほど多かった。
− 2 月 23 日(晴れ)
最近、佐藤文広『数学ビギナーズマニュアル』(日本評論社、1994年)という
本を読んでいる。この本は、数学そのものについて書かれているわけではない。
そうではなく、数学における慣習的なことがら、つまり、慣れている人にとっては
当たり前過ぎて敢えて意識しないのに、部外者にとっては説明も無く使われて
疎外感を感じるようなことがらについて書かれている。
たとえば、ギリシャ記号の読み方、黒板と活字での字の綴りかたの違い
(数学書を独学していると意外に困るのがこの点で、本に書いてある記号を
どうノートに書き写したらいいのかが分からない)、「高々」「ユニーク」「天下り」
といった独特の表現、「明らか」とされたときの含意、数式の後にもピリオドを
打つ理由、などである。読んでいて、数学を勉強してて感じていた違和感が
いくつも氷解していった。
− 2 月 22 日(晴れ)
恵比寿の東京都写真美術館に行った。木村伊平、土門拳らのドキュメンタリー写真の
特別展が開かれていた。印象に残ったのは、廃山となった筑豊炭田の子供たちの
様子を捉えた土門による写真群だ。
思い出したのが大瀧雅之助教授が講義の雑談で話していたご自身の原体験である。
大瀧助教授の故郷も炭坑街で、廃山の日を境に、多くの労働者が失業しその結果、
急激に人々の生活の貧窮が進んだという。
このときに受けた衝撃が大瀧助教授を経済学の道に進ませるきっかけとなったそうだ。
(活字になっているものだと、『景気循環の理論』のまえがきに記述がある)
大瀧助教授の専攻分野は私の知る限り純粋理論に近いものだ。純粋理論を専攻する人は
数学が好きな人と同じように、理論自体が好きなことが多いように思える。
私が直接会った人のなかで例外は大瀧助教授だけである。
なぜ研究をするのか、という問いに対する答えが、研究が好きだからというので、
不足しているとは思わない。しかし、自分の原体験を語れたほうが、
どこか筋が通る感じがする。
職を失って呆然とする大人と手をつないでいる子供。
孤児院から行く当ても無く脱け出し、結局保護されて職員に諭される子供。
そんな写真を見ていて、ふとそんなことを考えていた。
− 2 月 21 日(晴れ)
今日から春休み、ということでようやく勉強ができる。
この春休みの目標はずばり「線型空間」である。
「位相をやってる」などと言えればかっこいいのだが、
あいにくまだ太刀打ちできない。ということで、早速、
齋藤『線型代数入門』の 4 章を読み始めた。
有馬他『よくわかる線型代数』の練習問題を助けを借りつつ、
読み進める。§3 「基底と次元」に入れた。予定よりペースがいい。
最近京都大学学術出版会からアリストテレス『政治学』の
新訳が出た。読みたいと思っていたら、今日生協においてあり、
つい衝動買いしてしまう。ン千円もした...
装丁が美しく、書棚に映える(と言って満足していてはいけない)。
JMUNS の総会準備。方々にメール、電話。いろいろ気をもむ。
米大使館関係の勉強会が本決まり。
− 2 月 20 日(晴れ)
統計の試験は最悪だった。遅刻したうえに計算があわない。
いっそ不可にしてもらって来年受けなおしたいくらい。
ともあれ今日で試験は終わりである。専門の試験を振り返ると:
吉川さんのマクロは過去問と傾向が同じで助かった。新古典派を
ほとんど勉強しなくて正解だった。ゼロ金利やデフレなどの時事関連が
出るかな、と思ったが 1 つも無し。諮問会議の議員という立場が影響している
のだろうか。ただ、マクロ経済学が理解できた感じが全くしない。
solow の成長論とかをどこかでしっかりやらないと。
企業経はやや不満が残った。最後の問題の証明が不完全な出来。
経済史は回避。講義は 3 分の 2 以上でていたが、教官と問題関心が
あわなそうでこわかったため。
会計は良問が多い。さすが斎藤先生だ。「『どうすべき』ではなく『なぜ』
を問うのが学問」という最終講の言葉が印象深い。
現代経は量が多すぎて手首が疲れた。福田さんの分に授業で触れてないことが
あったような気がした。
試験後、新宿のラーメン屋「武蔵」へ。とんがり飯が上手い。
にんにくが効いてて良かった。ただ、試験後で疲労がたまっている身に
「こってり」のスープはすこし重かった。
並んでる最中に UNIC と、もぎこくの M 女史から立て続けに電話があった。
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