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- 2004 年 3 月 28 日(日)
- WB-Students 同窓会.興味のある方はどうぞ.
- 2004 年 3 月 4 日(木) 〜 21 日(日)
- ネパールとインドを旅行.主要な行程は次の通り.デリー→カトマンドゥ→ポカラ→スノウリ→バナラシ→アグラ→ジャイプル→デリー.
- 2003 年 10 月 12 日(日)
- 学会(於明治大)を見学.
大竹文雄氏の招待講演が面白かった.「誰が所得再分配政策を支持するのか?」をアンケートで調査し,賛成か否かを従属変数,サンプルの個人属性などを独立変数として,分析した研究の発表.個人属性の1つに「危険回避度」があるのだが,この代理変数として,「外に出かけるときに,天気予報で降水確率が何%以上だったら傘を持っていくか」という質問の「何%」を採用しているところが面白かった.
一般に,危険回避度を推定する際,クジに対する選好を調べることが多い.すなわち,「確率 p で1000円もらえるが,確率(1-p)で何ももらえないクジ」と「確実に500円もらえる権利」があったとき,「両者の価値が同じだと感じる p はいくらか?」を聞くのである.高い p を要求する人は,リスクの低い選択肢を好む人,すなわち危険回避度が高いことになる.
理論的には,この「クジに対する選好」の方が危険回避度の推定として収まりがよさそうだが,「クジに対する選好」と実際に行なった資産選択の関連を調べた研究では,資産選択の理論と整合的な結果が得られないことが知られているそうで,大竹氏らは,回答者の想像力に依存しそうな「クジ」より「日常的で理解しやすいリスク環境」を探したそうだ.筆者も,昨年度の神取ゼミで「じゃんけんでの行動」を危険回避度によって説明する仮説を検証する際に,この「クジに対する選好」を調べる実験に参加したが,仮説の成立は示せなかった.
これに対して大竹氏らの研究では,「雨傘を携行する最低降水確率」を危険回避度の代理変数とすることで,危険回避度と「再分配政策の強化を支持」の間に有意な正の相関があることを示した.危険回避度を推定する際,「日常的で理解しやすいリスク環境」か否かで結果が別れるというのは,経済実験の分野にも含意があるかもしれない.
ちなみに,降水確率10%の予報ながら小雨がちらついていたこの日,筆者は折畳み傘すら持ってなかったに対し,W 氏はちゃんと持参していた.
- 2003 年 10 月 11 日(土)
- 浮間舟渡(板橋区)で,警察庁内定者とソフトボールの練習試合.
- 2003 年 10 月 10 日(金)
- 府中の試験場で,第一種普通免許を取得.
やたら長い待ち時間中,前から気になっていたGQ という雑誌を読む.この雑誌,ヴィジュアル重視にしては毎号政治ネタが充実してるのが異色(今号は,「小沢一郎研究」,「選挙ポスター比較」,「美人政治家特集」).
- 2003 年 10 月 9 日(木)
- ブラウン「マクロ経済学」(後期)の初回.結構難しい.時系列分析(VAR など)の知識が前提なのか?
- 2003 年 10 月 8 日(水)
- 院に復帰.イラン行き後このページをしばらく更新していなかったこともあり,同僚のW 氏に「行方不明説が流れてた」と言われる.
河合正弘「国際金融特論」の初回.どうも学部生向けっぽい(「マクロ経済学」の定義に象徴されていたと思う).ただ,一つ知らなかった事実について言及があった.今年 2 月に日銀総裁が替わってから,為替介入は不胎化されてないそうだ.
- 2003 年 10 月 7 日(火)
- 内定式.鰻をご馳走になった後,次官室を表敬訪問.帰宅すると,驚いたことに内定先から親宛に祝電が届いていた.
- 2003 年 9 月 30 日(火)〜10 月 1 日(水)
- 高校の同期の T 氏(現MOFA)と那須岳(栃木県)へ.30 日:黒磯駅(東北本線)―那須岳山麓―峰の茶屋―煙草屋(泊).1 日:煙草屋―牛ヶ首―茶臼岳―峰の茶屋―朝日岳―三本槍岳(那須岳最高峰,1916M)―北湯入口―那須湯本―黒磯駅.
30日の峰の茶屋では,小笠原沖にあった台風の影響で,風速30メートル以上の強風に見舞われる.目を開けることができず,呼吸も苦しかった.「煙草屋」は露天風呂付き.東京近郊でありながら車で行けないのも売りのようだ.夜は湯に浸かりながら星空を愉しめた.
1日は,30日ほどの風はなく,天候に恵まれる.茶臼岳周辺はロープウェイでアクセスできることもあって,本格的な装備で紅葉を狙うアマチュア・カメラマンの姿が多く見られた.三本槍岳からの下りの稜線では,登山道の整備工事中で,ヘリよる資材のピストン輸送が始終行われていた.那須湯本でも温泉に入ってから家路につく.
- 2003 年 9 月 25 日(木)
- イラン航空 800 便で,帰国.
- 2003 年 9 月 14 日(日)
- 明日のイラン航空 801 便(成田15:35発)でテヘランへ.シラーズ,イスファハーン,ヤズド,ケルマーン,バムなどを回って,25 日帰国予定.
- 2003 年 9 月 13 日(土)
- 神取ゼミ OB 会.
- 2003 年 9 月 12 日(金)
- Power Shot A70 (Cannon 製)を購入.
内定者飲み.
- 2003 年 9 月 9 日(火)
- 広尾の在日イラン大使館.査証を受領.
- 2003 年 8 月 28 日(木)
- 林先生と面談.以下は講義の質問の後にした雑談のメモ.
メモ:DP(Dynamic Programming) を応用したマクロの実証研究は多くない.その理由として,DP では均衡を求めるだけでも大変だということがある.例えば,財政金融政策の有力なモデルとしては,``Ramsay''と``reputation'' があるが(政策当局が,自らの実行する政策にコミットできる場合を扱うのが前者,できない場合が後者),前者は均衡の計算がかなり煩瑣であり,後者は解概念を何にするかでさえ定説がない.
複雑で扱いにくいモデルを使うくらいなら,IS-LM モデルのような精緻さでは劣るが簡潔で扱いやすいモデルを用いる,というのが実務での現状かもしれないが,(DPを活用した)動学的一般均衡モデルには厚生経済学的な分析ができる利点がある.すなわち,「社会的に望ましい政策」を個人の効用で裏付けて定式化できる.一方,例えば IS-LM だと国民所得が上げることが当局の目標とされるが,それは暗黙の仮定であって,ある期の国民所得が増えることが国民にとっては本当に望ましいかは(経済学的な意味においても)明らかではない.
動学的一般均衡モデルを実務に応用しようとしている例としては Eichenbaum-Christiano がある.彼らは自分たちで開発したモデル(ただし価格硬直性は仮定)を欧州中銀に売り込んでいる.
- 2003 年 8 月 1 日(金)
- 教習所の入所手続き.
- 午後から,W,Y
の両氏と Political
Economics 勉強会.5章(Partisan Politician)はなかなか面白い.
- 2003 年 7 月 14 日(月)
- W,Y
の両氏と Persson and Tabellini, Political
Economics の勉強会.
ところで,ここ 1 週間ほど神取・八田・植田の各先生に就職(内)内定のご報告をしたが,「あ,そうですか」,「よかったですね」,「おめでとう」とは言われても,「なぜ院に残らないんだ」,「君には失望した」,「裏切り者!」とはお世辞にも言われなかった.数ヶ月前までは研究者志望だった者としては,恥ずべきことだろう.
- 2003 年 7 月 13 日(日)
- 「スパイ・ゾルゲ」.
- 2003 年 5 月 10 日(土)
- サークルOBの H,Y,N の各氏/女史と北の丸公園にフリスビーをしに行く.が,守衛さんにフリスビーは禁止だと注意され,東御苑に移ったがここでも注意された(構わずやってたが).東御苑は,なぜか意外に知られていないが,都心と思えないほど敷地が広大で気持ちいい.閉苑のアナウンスが「歌会始」みたいなイントネーションで行われる.
- 2003 年 5 月 7 日(水)
- 金子守『ゲーム理論と蒟蒻問答』を読み始める.最近,私の近辺で読んでいる人が多いようだ(K 氏,W
氏,Z 氏...
).
- 2003 年 4 月 13 日(日)
- 消費者金融の上限金利規制の是非をめぐって,父親と神学論争.
- 2003 年 4 月 9 日(水)
- 派遣事業の後輩による「全米通信」.
- 2003 年 3 月 2 日(日)
- 「マクロ経済学」(主として
2 年生向けの半必修科目)は,受験者 297
人中 109
人が不可になったそうだ(林先生のHPより).予定の採点基準だったら
215
人が不可だったそうで,これでもゲタ付きらしい.
- 2003 年 2 月 24 日(月)
- 「上級ミクロ経済学」の試験.担当教官はハネムーン中,ということで試験監督は松井先生だった.
- 2003 年 2 月 20 日(木)
- 新宿の「品川亭」で NMUN
2000
の追いコン.社会人・関西在住者を含め,(開始時には新幹線で「三河安城」を通過中だった人も含め,)9時過ぎに全メンバー
12 名が揃う(!).
- 2003 年 2 月 18 日(火)
- 卒業のかかった「近代日本経済史」の試験.
- 2003 年 2 月 15 日(土)
- サークルの追いコン.乾杯のスピーチで,「(参加している)93人全員と話して帰りたい」などと調子よく挨拶.朝まで飲む.後輩からもらったカードを見て,柄にもなく切ない気分になる.
- 2003 年 2 月 8 日(土)
- 恵比寿のQED クラブで,神取先生の結婚式.
- 2003 年 2 月 6 日(木)
- 計量特論の最終回.結局,4
章(同時方程式一般化モーメント法)まで進めた.「蕎麦人」で打ち上げ.先生は,学生と飲みに行くのが初めてだそうだ.数多くの印象深い話を聞くことができた(例えば,今年の「(学部)マクロ経済学」では受講者の
5 割を不可にしたい,先生が学部長になったら学費を
5 倍にして毎年 2
割の学生を放校にしたい,とのこと).伊藤隆敏が,4
月から経済学研究科に来るそうだ.
- 2003 年 1 月 30 日(木)
- 計量特論.中原伸之氏(日銀前審議委員)の
voluntary
な「コンサルタント」をしてた,との小話が披露された.来週飲み会をすることも決定.
神取ゼミの最終回.来月 8
日の先生の結婚式の二次会で受けつけを手伝うことになる.
- 2003 年 1 月 24 日(金)
- Shadow
Workshopで先輩のO 氏や同僚のK 氏の発表を聞く.
- 2003 年 1 月 21 日(火)
- 上級ミクロ.契約理論は「設定が複雑な割には,結果が茫洋としてることが多い」とのコメント.うーん,プロにこう言われてしまうと...
新宿の文化シネマで「K-19」.
- 2003 年 1 月 18 日(土)
- 植田ゼミで伊香保に温泉旅行(19日まで).幹事だったが,W
氏の助力もありとくに滞り無かった.
- 2003 年 1 月 17 日(金)
- 植田ゼミの同僚の S
氏に薦めれた山崎豊子『沈まぬ太陽』を読み始める.同書は,以前,サークルの元同僚の
T 氏にも薦められた(氏の係累がモデルの
1 人になってるそうだ).
- 2003 年 1 月 10 日(金)
- 卒論を提出.PDF(1213KB).
- 2003 年 1 月 5 日(日)
- 卒論.同僚の K 氏に手痛いミスを指摘される.
- 2003 年 1 月 4 日(土)
- 高校の同期の Y 氏と「ギャング・オブ・ニューヨーク」.現代的な米国の価値観(民主主義や人種間の平等など)は祖先の犠牲の上に成り立っている,というのがメッセージか.
卒論.神取/植田ゼミの先輩の Y
氏から早速コメントをもらう.
- 2002 年 1 月 3 日(金)
- 卒論の草稿(PDF,560KB)を植田先生の勤務先に速達で郵送(年末に許可をとっていた).
ブックマークを更新.
- 2003 年 1 月 1 日(水)
- 年明けは,サークルの元同僚の O
女史からの(時限設定があったと思しき)メールと,dviout
(*1)で自分の名前と abstract
の間に表示された文字列「2003 年 1 月 1
日」によって知ることができた.
卒論.intro と concluding remarks
以外は最低ラインを確保か.システミックリスク(Allen
and Gale, 2000, JPE)についても関連を議論したいが時間的に苦しいかも.ちなみに,現時点では
reference が 3 本しかなくて(DD,KMR,Freixas
and Rochet),寂しい.
*1:TeX file を表示するソフトウェア.
- 2002 年 12 月 30 日(月)
- 卒論.WinTpic
で均衡間移動の遷移図を作る.なかなか楽しい.
- 2002 年 12 月 29 日(日)
- 卒論.どうも計算間違いがあったようで,当初の予想と全く逆の結論になる(独占的な銀行の方が取り付けがおきにくいようだ).こっちの方が直感的にしっくりくるので,intro
が書きやすくなりそう.
- 2002 年 12 月 28 日(土)
- AJMUN 2002
の懇親会に顔を出す.
- 2002 年 12 月 20 日(金)
- 卒論の TeX 打ちを始める.
- 2002 年 12 月 19 日(木)
- 神取ゼミの忘年会.先生が 2
月にご結婚されるそうだ.(おめでとうございます!)
先生に,植田先生の卒論に対する反応を伝えると,「学生は教官の一番悪いところをマネする傾向がある」から,「複数の人の意見をなるべく聞くと良い」とおっしゃってた.うーん,含意するところは...
- 2002 年 12 月 18 日(水)
- 植田先生に卒論の相談.現在の日本経済との対応を突っ込まれるなど,反応は芳しくなかった.
院試論文のアイデア(バブルを進化ゲームで説明する)を話したときは,植田・八田両先生の反応は良かったが,神取先生の反応はサッパリで,今回はこの逆である.理論・応用のどちらの専門家にも面白いと思ってもらうのは難しいようだ.
- 2002 年 12 月 15 日(日)
- 卒論.効用関数を自然対数に特定すれば,主張(独占的な銀行の方が取りつけが起こりやすい)が証明できそう.u'>0,u''<0 くらいの仮定でもできそうな気がするが,証明の過程で効用の逆関数が出てきたりして,手におえなかった.
福引きで当てたお買い物券で,竹森俊平『経済論戦は甦る』とドールキン『指輪物語第1部』上1,を買う.
- 2002 年 12 月 14 日(土)
- 自宅で,両親主催のホームパーティー.
- 2002 年 12 月 12 日(木)
- 発表のダブルヘッダー.スライド作成のため
1 時間(午前9:00-10:00)しか寝れなかった.
計量特論.昨日
HP で告知があり,2限が休講.なんでも,「偉い人」と会わなくてはいけなかったらしい.3限は,Hayashi,
Ch. 2(Large-Sample Theory)の EMPERICAL EXERCISE.担当分に,非常に小さい誤差(0.01
ちがうとか)が残って,どうしても
replicate できない箇所があると思ったら,プログラムの中途で分散を求める際,Matlab
command の cov
を使ったのがまずかったことが判明(Hayashi
では,分母を n,cov は n-1
で定義している.細かい話だ...).
神取ゼミで,卒論の中間報告.OHP
使用(スライドのコピーに余部が出たので,希望者がいれば進呈します).Diamond-Dybvig
モデルを 40 分くらいで紹介した後,同モデルの修正のアイデア(銀行が競争的であるとする仮定を外し,独占企業として行動する場合を分析する)を話す.植田ゼミでの発表(4月30日,5月16日)を下地にするという苦肉の策だったが,アイデアに対する先生の反応は予想外によかった.久しぶりに希望が見える.いろいろアドバイスももらえた.もっとも,それほどちゃんとサーベイしたわけではないので,すでに同じことをやった人がいないかが,心配(ご存知の方がいらしたら,教えてください).
- 2002 年 12 月 10 日(火)
- 「バブルネタ」で卒論を書くことを断念.理由は,10月末から進展が全く無いことも去ることがながら,Abreu
and Brunnermeier, "Bubbles and Crashes"
forthcoming in Econometrica
や,近年のサーベイ Brunnermeier (2001), Asset
Pricing under Asymmetric Information - Bubbles, Crashes ,
Technical Analysis and Herding に触れて,圧倒的な基礎力不足を感じたことがある("Knowledge"
などが分かってないと,やりたい定式化ができないっぽい).
Diamond and Dybvig (1983) や Allen and Gale (2000), JPE
の回りで何かできないか考える.
- 2002 年 12 月 5 日(木)
- 計量特論.小ネタが豊富だった.(1)
日銀の次期総裁は誰か?という取材を Asian
Wall Street Journal 紙から受けたそうで,その際,「伊藤隆敏か植田和男がいい」,「イングランド銀行総裁はエコノミストがなった.エコノミストが中銀総裁になるのがトレンド」と答えたそうだ.(2)
Federal Reserve Bank
のエコノミストは,論文発表に応じてサラリーが決まるそうで,その際,JPE
なら 20 点,FRB の機関誌なら 1
点という風にポイント換算されるそうだ.なんかエゲつない...
(3) Hayashi,
Ch. 2(Large-Sample Theory)の EMPERICAL EXERCISE は
Mishkin (1992) のデータを元にしているが,データを入手する際,彼に「free
dinner
をおごる」など,大変な苦労があったそうだ.
- 2002 年 12 月 2 日(月)
- ご他聞にもれず,卒論が順調と言えない.院試用に書いた論文のモデルはほとんど土台にならないと気づいたのが
10 月末だったが,それから進展がない.最近やっていることは,もっぱら文献漁り.
植田先生がゼミ中に紹介していた Allen
and Gale (2000), "Financial Contagion,"JPE
(Diamond and Dybvig, 1983 の拡張.地域ごとに銀行が一つづつあって,一つの地域で生じた流動性危機が他地域に伝播するモデル.金融の「システミックリスク」を分析したいようだが,むしろ通貨危機のイメージに近そう.)に引用のあった
Allen and Gale (2000),"Bubbles and Crises," Economic
Journal
が目にとまる.「情報の非対称性」+「有限責任」に起因する
Risk Shifting をバブルの原因としている点が新しいようだ.
- 2002 年 11 月 30 日(土)
- サークルの同期の K 女史らと南青山の「ダンシングモンキー」.
- 2002 年 11 月 27 日(水)
- 植田ゼミの後輩の T 氏邸で鍋パーティー.
- 2002 年 11 月 26 日(火)
- ひさしぶりに早大.後輩に混じって打ち上げに参加する.早稲田に行くことも,今後当分無さそうだ.
- 2002 年 11 月 14 日(木)
- 神取ゼミ.ギボンズで「繰り返しゲーム」を勉強した後,同僚の
K 氏が「ODAモニター」(外務省主催)で訪問したニカラグアでの体験を発表.純粋理論のゼミで,先生も交えて,途上国の開発に関して議論が交わされた光景は,実に新鮮だった.
- 2002 年 11 月 3 日(日)
- 母校の同期と,日帰りで両神山.行程は,三峰口駅(秩父鉄道)―日向大谷口―清滝小屋―山頂―(復路同).天候に恵まれ,とくにトラブルもなかったが,登山口に下山できたのは,日没とほぼ同時で少し危なかった.このコースを日帰りで往復するのは,健脚向きだそうだが,その指摘は正しそうだ.
帰路のタクシーで,日向大谷口と三峰口駅の間にある温泉に立ち寄れた.また,三峰口駅前の鍋物屋でクマ肉・イノシシ肉という珍しい食材を味わえた(もっとも,前者はゴム鞠のように固く,「味わう」余裕はあまりなかったが...).
数年前の地図には記載のある白井差口からの登山道が,近年閉鎖されている.タクシー運転手によると,その理由は地主とのトラブルにあるらしい.登山者のマナーの悪さなどが背景にあるようだ.
写真.
- 2002 年 11 月 2 日(土)
- 3 日から那須岳に行く予定であったが(10
月 9
日追記参照),現地で積雪があったそうなので,参加者に登山初心者がいることを考慮し,目的地を両神山(りょうかみやま,1724M,埼玉県)に変更する.
- 2002 年 10 月 29 日(火)
- 神取先生と面談.八田先生と同様の問題点を指摘されるが,何が問題なのかより深く認識できた.「経済モデルとは何で無いのか」が少し分かってきた気がする(と言っても,それを言葉で表現するのは難しい).
- 2002 年 10 月 27 日(日)
- 八田研究室バイト.昼休みに,先生に,一昨日思いついた卒論のアイデアを聞いてもらうが,本質的にほとんど改善になってないことに気づかされた.「含み益」を持ち出さざるをえないのは変わってなかった.
- 2002 年 10 月 25 日(金)
- 卒論.院試の面接で,松井先生からアドバイスされた点(KMR
モデルは,ランダムマッチング・ゲーム以外にも当てはめうる)を踏まえて,ステージ・ゲームをサーチっぽい設定に代えてみる(バブル資産を手にした人は,売る相手を探さなくちゃいけなくて,それには手間がかかる.その手間は,売れる相手に出会える頻度――売れる相手がたくさんいるかどうか――に依存するような設定.).だいぶ,ad
hoc さが緩和された気がする.(8月22日の草稿では,「含み益」などという会計用語を持ち出さざるを得ないほど,モデルの設定の正当化に苦労していた.)
- 2002 年 10 月 24 日(木)
- 林・少人数講義.Hayashi
を読んでて,section 1.5
の最尤法関連の箇所から急に分かりにくくなったと思ったら,順番を入れ替えた改訂版が用意されていた.
サークル関係者向けの BBS を設置.ここ 2
ヶ月ほどで,「1 つの BBS
に複数のコミュニティが共存すること」の難しさを学んだ.
- 2002 年 10 月 23 日(水)
- 確率勉強会.
- 2002 年 10 月 22 日(火)
- 神取先生に頼んであった,奨学金出願用の推薦文を受け取る.意外にも,サークルでの活動についても触れられていて,ちょっと感動(1
度くらいしか,話した憶えがないのに...
).
来週の火曜に,卒論指導をしてもらうアポを取る.
- 2002 年 10 月 19 日(土)
- 植田ゼミ OB 会.3 次会で始電まで飲む.
- 2002 年 10 月 18 日(金)
- 母校の同期の F 氏に,理学部 1
号館を案内してもらう.同館は,安田講堂の後方に位置し,内部には,ノーベル賞の小柴名誉教授が参与を務める素粒子物理国際研究センターもある.理系の建物にお邪魔する機会などほとんどないので,新鮮で面白かった.
夕方から,F 氏のほか,I,T
の両氏と,上野の「やぶそば」.各氏の専門は,それぞれ,天文,刑事訴訟法,物理→医学で,さながら異分野交流会.2次会は,銀座のクラシック・バー「ガス灯」.両店とも,I
助手激賞の店.
- 2002 年 10 月 17 日(木)
- 5 日と 9 日の日記を追加.
元重ゼミの
I 氏に,機種変更を批判される.
- 2002 年 10 月 16 日(水)
- 立松和平『光の雨』(新潮社,2001年).昨年映画化された,連合赤軍事件(1972年)に材を取るノンフィクション.「政治の季節」とよばれた
1960
年代の最終盤である同事件に至る,(当世風にいう)テロリストたちの敗北劇を,当事者だった元死刑囚がわれわれの世代に語りかける(2030
年の設定だが,未来を描く側面は乏しい).わずか
30 年前に日本社会の「革命」を目指す集団が存在し,ごくごく一部にとはいえ支持を得ていたという事実に,想像が及びきらない.そして,その事実が,(北朝鮮関係の報道を除いて)今日の国内の社会に痕跡を残さないことにも,驚きを感じる.
- 2002 年 10 月 12 日(土)
- 村上春樹『海辺のカフカ』.良い作品だとは思うが,なんか最後の最後で観念的になってしまって,後味があまり良くなかった.
- 2002 年 10 月 10 日(木)
- 林・少人数講義.初回ということで,線形代数の復習.2限は日本語,3限は英語で行われた.
新棟(経済学研究科棟)2階の 202
演習室を使っているのだが,この部屋は,とくに晴れている日は,とても気持ち良い.窓から,棟南側の並木が輝いて見える.
神取ゼミ.先生が中原賞(日本経済学会)を受賞するそうだ.中原賞とは,先生曰く,「45歳以下の最も優秀な日本人経済学者,すなわち俺様がもらう賞(一同爆笑)」.
▽ 昨日発表されたノーベル経済学賞受賞者に関する解説もあった.合理性では説明できない人間の行動に注目が集まるなか,「合理性からどのようにずれた行動を人間はとりやすいか」を明かにした点に意義があるそうだ.
- 2002 年 10 月 9 日(水)
- 植田ゼミ.「日銀による銀行保有株の買い取り」に関連して,この政策が実質的に公的資金導入と同一の効果を持つのに関わらず(注1),政府ではなく日銀が行うのは,なぜか?そして,日銀が行うと,政府が行う際には必要になる政治過程を経ないので,財政民主主義の観点から問題があるのではないか?と先生に質問.先生の答えは,この政策が本来,政府の役割であるという直感は正しい,だが現状では,株安と銀行の財務の状況が非常時であること,政府の施策(株式買取機構など)が不十分であること,財務大臣の認可を得た措置(日銀法43条)であることから正当化されるそうだ.
筆者の感想.この政策は,日銀が行うとはいえ,財務大臣の認可を要する特例措置であり,日銀・政府が一体となった政策と捉える必要があるはずだ.だが,いまの雰囲気だと,日銀が完全に主導権を握っていて,政府や政治家の反応は,独立性に配慮する通常の金融政策と変わらないものだ.そうすると,後々この政策が失敗した場合の,責任の所在が気になる.本来,政府・与党も責任を負っているはずだが,このことを前提に議論が行われている感じがしない.
注1:買い取った株式が値下がりした場合,国庫納付金の減少を通じて,政府の歳入が減少する.
追記(17 日).母校の同期の T
氏と,本郷・第二食堂で昼食.ワンダーフォーゲル部の同期有志で,11
月 3 日と 4 日に那須岳(栃木県)に行くことを決定.行程の予定は,3
日:黒磯駅(東北本線)―那須岳山麓―峰の茶屋―三本槍岳(那須岳最高峰)―煙草屋(泊),4
日:煙草屋―沼原湿原―板村温泉―黒磯駅.
- 2002 年 10 月 5 日(土)
- 携帯電話を,J-T07
に機種変更.番号は変更無し.
- 2002 年 10 月 3 日(木)
- 駒場の新図書館がオープン.サークルの先輩で総合文化M2の
S さんにばったり会う.論文(8月22日)を読んだ印象を聞かせてもらえた.社会学では,期待に対して「間主観性」(フッサール)という概念でアプローチするそうだ.
- 2002 年 10 月 2 日(水)
- M1の S 氏による Matlab
講習会.計量以外にも使えそうな印象を受けた.
追記(4日): 資料(S氏作成,TXT形式,4KB).
- 2002 年 9 月 30 日(月)
- 院試の発表.受かっていた.
これで,来春から院生ということになる.私は以前から「院生」という語に良い語感を抱いていなかったが,それは,この語が「陰性」や「隠棲」を連想させるからなのかもしれない.陰性にならず,隠棲もしない院生活を送れたら,と思う.
- 2002 年 9 月 28 日(土)
- 院試の筆記試験後,専門外の軽めな文献を乱読する余裕が出てきた.
・岩見隆夫『岸信介』 ...満州での革新官僚時代と保守合同に焦点を置いている.整理不足と思しき箇所が散見.
・原彬久『岸信介』 ...岩見より網羅的.若い世代としては,安保改定にもうすこし頁を割いて欲しかった.巣鴨での獄中日記が興味深い.
・久保田勇夫『役人道入門』 ...文書編・交渉編・人事編・健康編などと,元大蔵官僚である著者の信念と経験が体系的にまとめている.
・村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』 ...上巻の中ほどが冗長で,中途で放り出しそうになったが,後半のスピード感はさすが.
- 2002 年 9 月 27 日(金)
- 院試(口述).面接官は,松井彰彦,松村敏弘,佐々木弾の
3 先生というミクロ系の顔ぶれ.
順番が,100
余人中ほとんど最後だったのに加え,面接自体も
60
分以上かかり,ひどく消耗した.当落線上なのか(?),論文の内容についてかなりテクニカルな質問を受ける(たとえば,「KMR
モデルにとってランダムマッチングゲームであることは本質的か?」など).また,ろくに読まずに迂闊に参考文献に挙げていた論文(「今後の展望」の箇所で引用していただけなので,ちゃんと読んでなくても突っ込まれないと判断していたが…)の概要を訊かれて冷や汗をかく場面もあった.もっとも,論文を改善するのに役立ちそうな
suggestion
もいくつか得ることができ,教育的な効果は高かったと思われる.
- 2002 年 9 月 23 日(月)
- グライダー講習会(運動会航空部主催).写真.
搭乗した感想:離陸時はジェットコースターみたいで,どどんぱ(富士急ハイランド)の感触に近い.上空ではおおむねスムーズだが,旋回の際に少し酔った.そのせいで,上空からの風景を撮れなかったのが残念.
- 2002 年 9 月 18 日(水)
- 箱根の彫刻の森美術館.天候に恵まれ,気持ち良く鑑賞できた.遊び心に富んだ作品が多い.
- 2002 年 9 月 16 日(月)
- サークルの先輩の
M 氏から,論文(8 月 22
日)の感想をいただく.
- 2002 年 9 月 15 日(日)
- 母校のクラス会.都庁展望台→エスニック料理店,と男子校の同窓会らしからぬコースをたどる(二次会は和民だったが).
- 2002 年 9 月 13 日(金)
- 過去問勉強会のメンバー等で飲む(於渋谷).
- 2002 年 9 月 12 日(木)
- 院試(筆記).
- 2002 年 9 月 10 日(火)
- 「上級ミクロ経済学」の試験.芳しく無さそう.
- 2002 年 9 月 1 日(日)
- 中野の地中海料理店「カルタゴ」.サークルの先輩の M
女史が民族衣装姿でバイトしている.
- 2002 年 8 月 26 日(月)
- 過去問勉強会.2名新加入(K さんの知人+神取ゼミの同僚).
- 2002 年 8 月 24 日(土)
- NMUN
2000 の同期で飲み会.
- 2002 年 8 月 23 日(金)
- 出願.
過去問勉強会.参加メンバーで大喜にて昼食後,湯島天神.大吉を引いたが,合格祈願するのを忘れた.
- 2002 年 8 月 22 日(木)
- ようやく論文が仕上がる.結局,提出前に他の人に見てもらう余裕が無かった.PDF(200KB).
BBS を再開.
- 2002 年 8 月 21 日(水)
- 過去問勉強会.
当サイトがレンタルしていた BBS
のサービス(aqua.ryjeen.com)が突然停止してしまった.無料サービスとはいえ,予想外.ログもごく初期のものしかとっていない.残念だ.別のサービスをレンタルすることにして,早めに
BBS を再開させたい.
- 研究計画書を書き終わる.
- 2002 年 8 月 20 日(火)
- 過去問勉強会.
研究計画書を書き始める(締め切りは,今週金曜!).「研究計画書をどう書くか」や「が苦心
がんばれ」を参考にする.
- 2002 年 8 月 16 日(金)
- K 氏の呼びかけで,午前
9 時から院試の過去問勉強会.
- 2002 年 8 月 7 日(水)
- 松井先生と面会.講義の質問のついでに,院試論文のアイデアを聞いてもらう.バブルを進化ゲームのフレームワークで説明するのは,均衡の存在を示すだけでは,すでにべつのフレームワークで存在が証明されているので(例えば,合理的バブルの理論),あまり意味がない,と言われた.均衡の存在だけでなく,均衡に至る経路の存在を示せれば,contribution
になるとのこと.進化ゲームをバブルや貨幣(理論的にはバブルの一種)に応用した例は,国際通貨を分析した
Matsuyama,
Kiyotaki, and Matsui (1993)
を除いてないそうだ.同論文の抜き刷りをもらった.
- 2002 年 8 月 6 日(火)
- 神取/植田ゼミの先輩で,今秋から
Princeton 大に留学する Y 氏の壮行会.1次会は,クルージングで竹橋−お台場を往復するという豪華版だった.竹橋を出たときには暮れなずむベイエリアを,お台場では日没後の夜景を見ることができて,なかなかよかった.
- 2002 年 7 月 24 日(水)
- 運動会主催のグライダー講習会(9月23日)に申込む.
- 2002 年 7 月 21 日(日)
- 八田研究室でアルバイト.昼食の際に先生に院試論文のアイデアを聞いてもらう.問題意識には興味を示してもらえる.いくつかアドバイスももらえた.▽経験上,漠としたアイデアは,人に話した直後に書きとめておくと,その後に展開が見えてくることがある.現時点でのアイデアをこの場でまとめてみることにする.
--1980年代後半の日本.今日では「バブル経済」だったと括られることが一般的であるこの時期,つぎのような思惑で行動する投資家がよくみられた.「みんながある株の価格が上がると思っているだろうから,自分も,いまその株を買っておく.みんなも自分と同じ思惑でその株を買うから,実際にあとで,その株の価格が上がる.だから,その株をいま買っておくという選択は,自分にとって得だ.」
標準的な経済学では,株式や土地などの資産の価格は,その資産が生み出す収益や,利子率によって決まるとされる.だが,上であげた投資家の思惑のなかには,収益も利子率も登場しない.登場するのは,投資家同士の思惑への予想だけである.だが,ただの予想であっても,市場に参加する投資家の大半がこの予想を共有すれば,その予想が現実のものとなりうる(思惑の自己実現).このように,経済の実態とは無関係な要因によって価格が上昇していく現象が,バブルである.バブルが発生している状況の下では,この投資家のように,経済の実態を全く見ないで投資を行う行動が合理的となりうる.
ここまでは,よく知られた話であるが,私がここで注目したいのは,上であげた思惑に含まれるゲーム的な構造だ.すなわち,この思惑を抱く投資家が「合理的」であるといえるのは,自分以外の投資家が自分と同じ思惑を抱くという予想に対して,全面的に依存しており,すべての投資家がこの思惑を変えない限り,投資家たちの行動は安定的といえる.バブル経済におけるこのような状況を,ゲーム理論(とくに進化ゲーム)を用いて定式化し,できれば政策的なインプリケーション(取引税による規制など)を引き出してみたい,というのが研究のアイデアだ.
この研究では,バブル現象のみを扱う予定だが,「投資家の思惑の自己実現」という現象は,東アジアやロシアなどの通貨危機でも見られた.今日の市場経済で見られる不安定性を特徴づける要因である可能性がある.「自己実現」の政策的な抑制が,市場経済の活力の減退とトレードオフであるか否かを見極めることは,今日的な課題といえるだろう.--
以上が,研究のアイデアなのだが,実は
1
年くらい前から漠然と考えていたことからあまり前進していない.今日は詳しく書かないが,(1)
モデルをうまく作れない, (2)
このアイデアはさほど突飛なものではないので,いかにも先行研究(バブルをゲーム論で分析した研究)がありそうなのに,見つからない,という
2 つの問題があって前に進めないでいる.(2)
に関しては神取先生に相談に行くのが手っ取り早いだろうから,近々面会に伺おうかと思う.
- 2002 年 6 月 30 日(日)
- 某イベントの決勝戦だったらしいが,八田達夫先生の研究室でアシスタントのアルバイト.今後,8
月出版予定の教科書『ミクロ経済学』のモニターや,先生のホームページの更新を担当する予定.
- 2002 年 6 月 26 日(水)
- 飯田橋で,サークルの元同僚 K
女史の留学壮行会.
- 2002 年 6 月 22 日(土)
- 駒場の喫茶店「イーグル」で,昨年の 11
月 13
日に取材を受けた朝日新聞の記者と会う.昨年会ったときはサークル関係の話をしたが,今回は私個人やその周辺の話題.「経済政策における官学の人材交流」といったテーマ.
記者は,経済部所属の人で,経済学者とよく会うとのこと.青木昌彦とも面識があるそうで,『比較制度分析に向けて』の話で盛り上がる.
- 2002 年 6 月 21 日(金)
- 植田ゼミの同僚の K 氏
が卒論の初稿をアップしている.Matsui &
Matsuyama (1995) をn×nゲームに拡張するそうで,O さんの研究とも関連があるそうだ.読んでないけど,(英語だし)なんかすごそう.
翻って当方は,いまだ進展無し.奥野・村松編『平成バブルの研究』所収の柳川論文に紹介のあった
Tirole (1982, 1985) を読んでいるが,苦戦を強いられている.
- 2002 年 6 月 17 日(月)
- 昨年の 11 月 13
日に取材を受けた朝日新聞の記者から電話連絡.22
日に会うことになる.
- 2002 年 6 月 15 日(土)
- 今日もオリセン.全米大会派遣事業の帰国報告会.
- 2002 年 6 月 14 日(金)
- 30 日から八田達夫先生の研究室で,教科書作成等のアシスタントのアルバイトをすることになった.
FIFA
ワールドカップで,日本代表が決勝トーナメントに進出決定.グループリーグのメンバーに恵まれた感も強いが,まずは上出来か.
- 2002 年 6 月 13 日(木)
- オリセンで wb-students
の懇親会.神取ゼミの同僚の
K,S 両氏と同行.
模擬国連の京都大会(2000年)や全日本大会(2001年)で知り合った人とばったり再会.
- 2002 年 6 月 9 日(日)
- 今週は無いのかと思っていたミクロの宿題が,実はアップロードされていた.なぜか,他のページからリンクされていない.(植田ゼミで同僚の
W 氏に教えてもらった.)
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~amatsui/micro02p8.pdf
- 2002 年 6 月 8 日(土)
- 「非核三原則発言」は,予想通り,ワールドカップの喧騒にかき消されたようだ.ブックマークを更新.
- 2002 年 6 月 1 日(土)
- 「政府首脳」と福田官房長官による非核三原則をめぐる発言.FIFA
ワールドカップの開幕直後というのはあまりに出来すぎ.しかも,この手の発言にうるさい朝日が
ワールドカップのスポンサーときている.世論の動向をさぐる観測気球なのか.
この発言の報道で,「政府首脳は……と述べ,これに先立ち福田官房長官は……と述べた」といった表現が使われている.時々見られるこの常套句,政府首脳=福田長官であることは明らかなのだが,非公式な記者会見(記者懇)におけるオフレコ発言とオンレコ発言を区別するために用いられているらしい.(このあたりの事情は,細川政権時の首相秘書官によるノンフィクション的小説,成田憲彦『官邸』に詳しい.)
- 2002 年 5 月 30 日(木)
- ブックマークを更新.(ちなみに,気づけば,「個人」はすべて経済専攻の人たち.最近の交友関係が窺い知れる.)
- 2002 年 5 月 28 日(火)
- AJMUN 2002 からニューズレターが届いた.後輩たちが頑張っているようだ.
- 2002 年 5 月 27 日(月)
- 今日の全国紙朝刊によると,岸信介氏が現職首相として日本ダービー(1958
年,優勝=ハクチカラ)を観戦したそうだ.経緯を調べたら面白いかもしれない.
- 2002 年 5 月 26 日(日)
- 日本ダービーの表彰式に小泉首相が出席していたそうだ.▽競馬に要人が出向くとはかなりめずらしい(首相クラス以上というと,エジンバラ公が来日した際に,当時の皇太子・同妃両殿下が同席した
1986 年の天皇賞以来か.首相へのインタビュアーだった鈴木淑子の声も上ずってた.).▽だが,ダービーのような大レースだと,観客は
20 万人近くになる.これだけの大人数を前に自分の姿をさらせることは,物理的にほとんどありえない.また,レース終了後で,観衆は熱気を帯びているだろう.勝利した人気騎手と握手したり,軽くスピーチでもすれば,観客への影響力は絶大なはずだ.むしろ,この点に目をつけなかった政治家が今までいなかったことが不思議なくらいである.▽スポーツイベントは,ヒトラーの例を見るように,いままで多くの場面で,政治家に利用されてきた.それでも,競馬に着目した者はこれまでほとんどいなかったと思う.貴乃花への「感動した」に続き,またか,という気もするが,このあたりで抜け目が無いのが,小泉首相の才覚なのかもしれない.
- 2002 年 5 月 25 日(土)
- 最近,更新の頻度が低い理由の一つとして,生活が定型化しており,書くほどのネタがないことが挙げられる.だが,その定型化された日常(の一部)を書き留めておくことも,あながち無意味ではないかもしれない.
・ 木曜日
1限:経済学のための数学
2限:上級ミクロ経済学
3限:上級マクロ経済学
4限:神取ゼミ
1限から3限は大学院との合併.1限・2限は同一教官が担当だが,1限は英語,2限は日本語.英語で数学の授業を聴く,というと大変なのかと思ったが,板書で話の内容を理解することが多いので,あまり関係ない.▽数学・ミクロを同一教官が担当しているというのは,非常に良いことだと思う.ミクロの講義の中で数学の準備をする必要がなくなるし,数学は経済理論に使われるものから学ぶことができる.▽3限は,正式な履修はしていないので,気楽に聴いている.BIS
規制など,コアコースっぽくない話題が出てくることもある.▽4限のゼミの今年のテーマは繰り返しゲームだそうだが,じゃんけんの実験をしたりと繰り返しゲームとは関係無いこともやっている.昨日は,自分の効用関数の形を実際に測ってみるという,興味深い試みをした.▽夜に,ネット上で,1限・2限の宿題が出る.これを1週後までに仕上げなければならない.
・ 金曜日
当初,会社法とコーポレートファイナンスの授業に出ていたが,余裕がなくなったのでやめた.木曜の復習や宿題.
・ 土曜日〜月曜日
自宅にいるか,近所の駒場キャンパスにいく.アルバイトをしてないため,財政的な余裕がないこともあり,家に引きこもってることが多い.▽木曜の復習や宿題をやる.暇をみて,TOEFL
の対策や大学院試験用の論文(院試論文)のことを考える.さらに暇なら,来学期の計量経済学の少人数講義に備えて,数理統計の復習をしたいが,なかなかできない.
・ 火曜日
1限:契約理論
4限:証券市場
4限の柳川教授は,一見いいかげんなようでありながら,説明が分かりやすいのがすごいと思う.
・ 水曜日
2限・3限:現代日本経済史
5限:植田ゼミ(隔週)
2限・3限は,卒業のために,予定外にも履修せざるを得なくなった.だが,この機会に,戦後日本経済に関するいくつかの定型化された事実を押さえておくのも悪くないかもしれない.あまり冴えない講義なので,出席する価値はあまりないのだろうが,惰性もあり,今のところ半分以上出席している.▽5限のゼミは
Freixas
and Rochet という,情報の経済学で銀行業を分析した本を読んでいる.方法・対象とも新鮮なので面白い.
- 2002 年 5 月 18 日(金)
- 上智大図書館所蔵のSolution Manual for Microeconomics
Theory を入手.
同書は,都内で所蔵している大学が 2
校しかないという意味で貴重な文献.ページがついていないなど簡素な作りだが,500
ページ以上ありそう.
当ウェブサイトの体裁を変更.
- 2002 年 5 月 16 日(木)
- 植田ゼミ.Freixas
and Rochet の発表の続き.
流動性への需要がいつ発生するかが不確実な状況な下では,金融仲介機関が介在することによって,社会的な効率性が高まることを示すモデルなど.
同書は,大学院レベルのミクロ経済学の知識を前提としていて,議論の行間にある条件が多く省略されてあって,理解に苦労させられる.3
年生もいる学部のゼミで扱うのは無理があるかもしれない.
kawamoto1979@hotmail.com