Website of KAWAMOTO Atsushi

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・ ダイアリー

− 5 月 7 日(火)

本郷・赤門前の瀬佐味亭で,立花隆に会う.
東大研究の取材かと訊いたら,「いや,病院です」とのことだった.


− 5 月 2 日(木)

O さんの処女作(共著)が収められた
 今井晴雄・岡田章編『ゲーム理論の新展開』 (2002 年,勁草書房)
を買う.


− 5 月 1 日(木)

神取ゼミの新歓パーティー(於研究室).
去年に引き続きワインの利き酒をする.今年は当てることができた.

研究室からの夜景がきれいだった.


− 4 月 30 日(水)

植田ゼミで Freixas and Rochet の Ch.1 を発表.


− 4 月 23 日(火)

Micro workshopO さんの発表を聞く.


− 4 月 19 日(金)

Shadow Workshop で神取・植田両ゼミの先輩の J, Y 両氏の卒論の発表を聞く.


− 4 月 17 日(水)

唯一就職希望していた某行と,どうやら縁がなったようなので,
本格的に大学院進学を考えることにする.

植田ゼミの選考会.


− 4 月 13 日(土)

11 日のミクロを復習. MWG(*)の該当箇所を読む.

(*) 「MWG」:経済学を専攻する世界中の大学院生が持っているミクロ経済学の教科書.
約 1000 ページ,5Kg の分量があり持ち運びが極めて困難.

私の手元にある MWG は,2000 年の 4 月に野暮用で NY に行ったとき,
Union Square の古書店で購入した中古のハードカバー版である.
新品より 3 割ほど安かったので喜んで買ってしまったが,
帰国後そのことを現在神取ゼミの同僚の Y 氏に(駒場 743 教室にて),
軽装でより安価なペーパーバック版が生協で売っていることを指摘されてショックを受けた記憶がある.

あれから 2 年,結局今日までページを開くことはほとんどなかった.
帰国の日,衣類を掻き分けてトランクに詰めこんだ苦労もいわば徒労に終わったわけである.


− 4 月 12 日(金)

林先生と初めて話す(!).同先生の少人数講義へ応募.


− 4 月 11 日(木)

今学期の木曜日は,修士課程 1 年向けコア科目(数学ミクロ,マクロ)が集中している.

初日のせいか,前ニ者では立ち見が出た.
数学は実数.コーシー列の分割(patision)から導出した説明に少々戸惑う.
ミクロは選好関係,マクロは消費関数を扱った.


− 4 月 9 日(火)

神取先生と面談.KMR を引用した論文として
 Ben-Shoham, Serrano, and Volij (2001), ``The Evolution of Exchange'' mimeo.
を紹介してもらう.


− 4 月 2 日(火)

吉川ゼミの F 氏に薦められた
 長沼伸一郎物理数学の直観的方法』第 2 版(通商産業研究社,2000 年)
を読む.
理工系向けだが,半分くらいの話題は経済専攻でも楽しめる.
第 2 版で加わった最終章「三体問題と複雑系の直観的方法」には,
予定調和的な経済観に対する批判があり,鋭いと感じる.

最近は就職対策に金融政策関連の時事的出版物ばかり読んでいたので,
久し振りに理系っぽい雰囲気に浸ることができた.


− 3 月 25 日(木)

神取ゼミのウェブサイトを更新.


− 3 月 20 日(水)

調布のグリーンホールで「ビューティフルマインド」の試写会.

主人公が Nash と経済学界で話題(?)の本作だが,
アカデミー賞候補となるだけあって筋立てもしっかりしてる.
精神病患者の哀しみに満ちた内面,そしてその周辺の人々を描いた作品として
後世にも残っていくのだろう.


− 2 月 27 日(水)

Amazon.co.jp から Freixas and Rochet (1997), Microeconomics of Banking が届く.表紙が美しい.


− 2 月 25 日(月)

植田ゼミのお遊び合宿で富士急ハイランド(山梨県・富士吉田市).

主要アトラクションである「どどんぱ」「フジヤマ」の両者を体験.

ジェットコースターというものに今まで乗ったことがなかったので,
最初に乗った「どどんぱ」は新鮮な非日常的感覚を味わえる.

先頭の席に座ったせいもあってか,覆いの無い飛行機に乗っているような気分.

一方,「フジヤマ」は出発直後の頂上部分における富士の展望が絶景である他は,
定型を脱しておらず,とくに後半部は冗長と言わざるを得ない.(ある ML への投稿の再録)


− 2 月 19 日(火)

神取ゼミの同僚 NY 両氏と KMR 勉強会.
私が 6 節を,N 氏が 7 節から 9 節を発表.一応読み終わるが,定理 5 の証明で,
γN < 1 と γN > N-1 のときになぜ handled similarly できるのか,などいくつか疑問点が残った.

ケンブリッジ大のセン教授の東京大学名誉博士(HP はなかなか酷い)授与式と記念講演を見に行く.
N 氏が日記に,「偉い人は何でも自分の思った(≠証明した)ことがいえるという感じだった」と書いていたが,私も同感.

近年,国連開発計画世銀などの国際機関で,途上国の開発戦略として,
経済成長より貧困削減等の社会開発を重視する風潮があるが,
この風潮のいわばイデオロギーとなったのがセンの「潜在能力アプローチ」である.
専門外の人の間では,センはこの「潜在能力アプローチ」で知られている.

しかし,本来センが有名になったのは「潜在能力アプローチ」を提唱したからではなく,
それ以前に経済理論で業績を残しているからだ.この点を専門外の人は誤解していることが多い.

科学的業績とイデオロギーは区別されるべきで,科学的業績で権威のある人が唱えた
イデオロギーが正しいかどうかは,その人に権威があるかどうかではなく,
イデオロギー自体を検討することでなされなければならない.


− 1 月 6 日(土)

有楽町のシネ・ラ・セットで「アメリ」.
エスプリが小気味良く効いている.


− 1 月 4 日(木)

日経の経済教室に青木昌彦氏の投稿(21 面).
氏の提唱する経済分析のツール「比較制度分析」を踏まえて最近の経済政策が論じられている.

氏のように,先端の経済理論を経済政策に応用しようとしている学者は,
少なくとも日本には,他にほとんどいないと思う.

私は,これまでの大学生活の様々な側面(読書,サークル運営... )で,氏の問題意識の影響を受けた.
(12 月 8 日上智大でのスピーチも,間接的にだが,多くの影響を受けている.)

暇があれば,私なりに氏の紹介を書いてみたい(エッセイ「私と青木昌彦」みたいな感じか).


− 1 月 3 日(水)

ヒックス『経済史の理論』(講談社学術文庫)を読み進める.
理論経済学者であって専門の経済史家ではないヒックスが,
市場経済の形成の「モデル」を叙述している.

事実の描写に重きを置く他の多くの経済史の書物に比べると,
一般性が重視されており歯切れが良い.私の好みに近い.


− 1 月 2 日(水)

今まで 1 枚も書いてなかった年賀状を書く.
原則として JMUNS 等関係者には送らないことにする.


− 1 月 1 日(火)

年初であるこの日に卒業後の進路の希望を決意しようという考えもあったが,
やはり不自然なので,もうすこし悩むことにする.

とりあえずリクナビに登録.そして,いくつかの企業の採用関連ページを閲覧し,ブックマークする.
日経のページに筆記試験の過去問があった.国語や時事の問題が案外難しい.

日経の特集に林文夫先生のインタビュー記事(29 面「甦れニッポン人‐学問の殻破る」).
いままで基礎研究に沈潜してきた林先生が,政策提言にも関心を向けるという.

すでに頻繁にマスコミに登場する日本人経済学者たちとは格の違う研究業績のある林先生が,
これからどのような提言を行っていくのか注目していきたい.

(この記事も書いた藤巻秀樹記者は,政策決定の現場に関わりはじめた経済学者を紹介する
記事をこれまでも多く書いている.)

神取ゼミの同僚 NY 両氏の日記にならって私も年初の抱負を. 今年のキャリアと勉学上の目標は
(1) とりあえず卒業後の進路を決める,(2) 満足のいく卒論を仕上げる,の 2 点か.


− 12 月 31 日(月)

午後から,任期終了を記念して(?),拙宅で JMUNS などの同僚による「宴」のあとの宴.
帰り際,代々木上原の東京ジャーティーに案内.

今日で正式に,JMUNS の委員長職の任期が満了である.
暇があれば,委員長としての 1 年を回顧するエッセイを何本か書いてみたい.


− 12 月 30 日(日)

実用英語検定(英検)準一級の問題集を解き始める.語彙力の弱さを痛感.

大会後は三島由紀夫の小説「宴のあと」で描写されていたような空漠感に
襲われることを予想していたが,そのようなことはなかった.ひたすら気分がよい.


− 12 月 29 日(土)

AJMUN 2001 の最終日.
各会議の反省会,総会本会議での委員会決議等の本採択・大会宣言採択,閉会式など.

大会宣言採択は今年初めての企画だったこともあり,練れきれていない部分が目立った.
昨年まで行われていた安保理非常任理事国選挙に見られたような余興的な感覚で臨む者もいて,
各参加者が企画の趣旨を共有していなかった.

今回の大会は高校生の参加・活躍が目立った.模擬国連活動の裾野を広げるうえで,
非常に好ましいことであり,何人かが「大学生になっても模擬国連に関わりたい」と
言ってくれたときはこのうえない悦びを感じた.

アフターで先輩の M 氏と 2 人で,紹興酒を一本空ける.気持ち良く酔えた.


− 12 月 28 日(金)

AJMUN 2001 の 3 日目.会議と懇親会など.

時間ぎりぎりだったが,なんとか合意可能な宣言案を作成できた.
交渉分野が多岐に渡ったので(農業,サービス,知的所有権,環境問題,アンチダンピング,投資... ),
全ての分野の交渉過程にコミットできなかった点が残念であったが,
対立構造が複層的になっていたこともあって,総じて楽しめた会議だった.


− 12 月 27 日(木)

AJMUN 2001 の 2 日目.ほぼ終日にわたって会議を行う.

閣僚宣言案をコンセンサスで採択するために
最も障害となると目した農業分野での合意形成に傾注する.


− 12 月 26 日(水)

池袋のホテルメトロポリタンAJMUN 2001 が開幕.

開会式にいらした UNIC 所長の高島氏に後任を紹介.
同時テロ後の国連の行動について述べた,開会式での高島氏のスピーチは,
例年の基調講演者よりもむしろ聴き応えのあるものだった.
報道機関出身者らしく地に足のついた自分の言葉で語っていたと思う.

夕食後から模擬会議.
 設定:「世界貿易機関閣僚会議」,議題:「新たな国際貿易体制の設立」
という会議にインド担当として参加(参加者向けサイト).

23 時過ぎから,来年度の各地域諸団体幹部の顔合わせ.
「全国模擬国連団体代表者名簿」を配布.このような名簿の作成は実は画期的なことなのだが,
画期的であるということを感じさせないようにしたのも今年の成果だと思う.


− 12 月 25 日(火)

実用英語検定(英検)準一級の試験(来年 1 月 27 日)に申込む.


− 12 月 23 日(日)

神取ゼミの同僚 Y 氏の日記(22 日)に「今週川本君は元気がなかったような気がする」との指摘.
確かに今月は私のこれまでの生涯のなかで最も多忙なのかもしれない.
心配してくれる友人がいることほどありがたいことはない.

横浜美術館.常設展のイサムノグチが良かった(例えば「死すべき運命」).
美術館自体の建築としても,表の広場と一体となった外観や,開放感のあるエントランスが素晴らしい.
大型の企画が無いため来客が少なく,建築を味わう余裕があった.


− 12 月 22 日(土)

駒寮裁判で上告棄却の最高裁決定.
寮跡脇の空地に難民キャンプを張ってる元寮生たちは冬を越すつもりなのだろうか.


− 12 月 20 日(木)

上智大で新旧合同の事務局会議(#10).
事務局の役割について質疑応答形式で説明する.

自分にとっての最後の事務局会議に辿りつくことができた.


− 12 月 19 日(水)

KMUN の U 女史と電話会談.KMUN は同女史が代表職に留任するそうだ.


− 12 月 18 日(火)

駒場で野矢茂樹「科学哲学概論」を聴講.

夕刻から,本郷の「ルノアール」で日銀茶話会.
体育会出身の人とも話すことができ,想像していたより幅広い人がいることを知る.
どの人も理論をよく勉強していると思った.


− 12 月 16 日(日)

高校の同期で現東北大の Y と大久保の「」.
しょうゆ味のスープが非常に良い.また行きたい.

その後,彼から最近の競馬事情などについて説明を受けつつ,市ヶ谷まで歩く.

夕刻から,母校(西日暮里)の食堂で同期会.260 名もの男だけの集団に身を投じることは近年なかった.


− 12 月 14 日(金)

昼過ぎに,JMUNS の同僚の O 女史が本郷に来訪.
教育学部ラウンジで,女史が持参した,後輩に贈る 20 枚を越えるカードにコメントを記入する.


− 12 月 13 日(木)

神取ゼミの同僚 NY 両氏と KMR 勉強会.
私が 3 節(the model)の途中までを発表.準備不足がたたる.


− 12 月 10 日(月)

早朝に「公共経済」の宿題を解く.2 限に提出.

昼過ぎに,JMUNS の同僚の Y 女史が本郷に来訪.
経済学部ラウンジで,女史が持参した国連協会宛の助成金依頼書類に署名・捺印する.


− 12 月 9 日(日)

上野の森美術館で「ニューヨーク近代美術館(MOMA)展」.
昨年 4 月に MOMA に行ったときに感銘を受けたブランクーシの彫像「ソクラテス」と再会.


− 12 月 8 日(土)

上智大で JMUNS 第 4 回総会.
のべ 94 名の参加者を集める.私が目にした最近 3 年間の総会で最も出席者が多かった.

事務局員選挙の立候補者に遅刻が目立ったのにはあせらされたが,無事全員承認される.

総会の最後に 1 年間を振り返ってのスピーチ.
要旨はつぎの通り(私の記憶と再構成による非公式な記録.実際はより平易に,具体的に話した.).

(1) 委員長としてのこの 1 年間の方針と成果

外部から持ちこんだ理想型を当てはめようとするのではなく,既存の慣習・制度を活用,改善することで
よりのぞましい組織となるように心がけた.

次期委員長候補 E が直前のスピーチで用いた比喩を借用すれば,
快適な空調を得るために,「今ある扇風機を壊してクーラーを作る」というより,
「今ある扇風機を修理したり,改良したりする」ようなアプローチである.
(ちなみ彼は前者のアプローチを取りたいと,このときは言っていた.)

この方針を説明する際,マルクスのある著書からつぎの言葉を引いた.
 人間は,自分で自分の歴史をつくる.
 しかし,自由自在に,自分で勝手に選んだ状況のもとで
 歴史をつくるのではなくて,直接ありあわせる,あたえられた,
 過去からうけついだ状況のもとでつくるのである.(村田陽一訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)


組織(一般化すれば社会)では,その成員が一時期に急激に変化することはない.
このため,成員が持つ過去の記憶により,慣習・制度が生まれ,
組織内の,あるいは組織全体としての行動の制約となる.

ただ,この制約(「直接ありあわせる,あたえられた,過去からうけついだ状況」)は,
組織の改良を阻むものとなるとは限らない.成員に共有された記憶を活用することは,
組織の改良のための行動の前提となる成員間のコンセンサスを得やすくしうる.

私は,過去から与えられた制約を取り払おうとするのではなく,この制約と積極的に対峙して,
この組織を改良する道を選んだ.

具体的には,例えば,新支部発足の支援や関西との関係正常化に取り組んだ.
その際,支部や東西関係といった既存の枠組みをより好ましいかたちで生かすことに注意した.

また,研究会・支部・全米大会代表団派遣事業・全日本大会運営事務局に対しても,
それぞれが事実上独立して運営されている現状を追認し,
それぞれが円滑に連携でき,ひいてはそれぞれの活動が
より魅力的なものとなるような環境の整備に腐心した.

以上で説明した方針は,いわば「今ある扇風機を修理したり,改良したりする」作業であったが,
単なるルーティンワークにとどまったわけではなく,クリエイティブな成果を導くことができたと考えている.

ただ,このサークルも設立から 20 年近くになり,外部環境の変化
(学生の嗜好の変化,長期の不況による資金調達の困難など)に対し,
将来にわたっても,既存の慣習・制度の活用やマイナーチェンジで応じることができるとは言いきれない.

「今ある扇風機を壊してクーラーを作る」ような組織をイノベーションするアプローチも,
それが実現可能ならば,評価しうる.

(2) 私個人がこのサークルを選んだ理由=このサークルの価値(選ばれる理由)

このサークルの価値,ほかのサークルにない魅力とは何か,という点について
議論を深める必要性が,事務局員選挙の政策表明などの際に取りざたされたので,
この問題について次のとおり私見を述べた.

私はこのサークルの価値,選んだ理由は,このサークルが「外に広がりがある」ことだと思っている.
このサークルは,研究会・支部での活動を基盤としながらも,各研究会・支部合同での活動や,
他地域の研究会・支部との交流の機会も多い.また,全日本大会には
普段研究会・支部で活動していない人たちも参加し,その人たちの一部が
今年のように新支部を設立することさえある.
全米大会への参加を通じ,海外の模擬国連参加者と交流の機会もある.
模擬国連活動にとどまらず,外務省・世銀・米国大使館と協力して,
それぞれ欧州青年団日本研修・世銀総裁との対話集会・大使館員によるブリーフィングのような,
知見を広げる貴重な機会をもっている.また,マスコミからも活動を注目されている.

このように,研究会・支部という基礎がしっかりとしていながら,そこに安住せず,
外部からの刺激を取りこむ懐の深さがある――「外に広がりのある」イメージ――こそが,
私がこのサークルを選んだ理由であり,この 1 年間,委員長として,維持し高めようとした価値である.
(スピーチの要旨終わり)

前日睡眠 1 時間だったうえに,ドリンク剤を飲んだ直後だったので,やや高揚しながら調子よく話せた.
自分でいうのも難だが,スピーチの技術はここ 2,3 年で大きく向上したと思う.

スピーチの後,後輩の H から花束をもらった.
花束をもらったことは今までなかったのではしゃいだ気分になる.

アフターは六本木の「HUB」.主催者なのにビンゴの景品を当ててしまう(団体ロゴの入ったパスネットカード).


− 12 月 7 日(金)

JMUNS の K 氏と中央食堂で昼食.彼の進路の希望は私にとって意外なものだった.

深夜(というか 8 日の早くない朝)まで総会の資料作成に追われる.
明日の選挙の最後の立候補者が,立候補の意思表明をしてきたのは午前 1 時 39 分,
政策表明文を提出したのは午前 4 時 20 分だった.


− 12 月 6 日(木)

神取ゼミの同僚 NY 両氏と,確率過程の勉強会.
Y 氏が渡部『マルコフチェーン』 6 章以下を報告.

いよいよ来週から Kandori, Mailath, & Rob (1993) を読み始める.


− 12 月 5 日(水)

植田ゼミで,Brealey & Myers の 16 章(The Dividend Controversy)を発表.配布資料(PDF).
MM (Miller-Modigliani)定理などを扱う.
「配当額をどのように決めても企業価値(株価)には影響を与えない」というお話.
この定理では非課税が仮定されているので,キャピタルゲインが捕捉されない
個人投資家の実感には当てはまりにくいそうだ.

ウラで外資系金融の説明会があったため参加者が少なかった.

アフターは「こだわり屋」.日興ソロモンでディーラーをやっている OB の人と話す.
実務家のなかで,世代間の人口格差で経済成長を説明することを考えている人がいる,
という話に興味を惹かれた.


− 12 月 3 日(月)

高校の同期の H に,渡部隆一『マルコフチェーン』(共立出版,1979 年)のコピーを貸す.

明後日の植田ゼミでの発表の準備.


− 12 月 2 日(日)

後任人事関係で各方面と調整.


− 12 月 1 日(土)

渋谷の TWP事務局会議(#9).
次週の総会対策,全米大会代表団派遣事業の団体内での位置付けなどについて話す.
後者は,意外にも,公式の場で直接の当事者以外も含めて議論されることが今まで無かった.

アフターは青山の「いろはにおへと」.同僚の O 女史日記に報告がある.


− 11 月 30 日(金)

神取ゼミ.佐伯・亀田編『進化ゲームとその展開』(共立出版,「認知科学の探求」シリーズ)に所収予定の
 神取道宏「ゲーム理論と進化ゲームが開く新地平――多彩な学問分野を通底する新しい分析手法」(未定稿,2001年11月)
をもらう.
進化ゲームの話にとどまらず,先生の社会科学観が述べられている.


− 11 月 29 日(木)

母校の同期 S 氏 が留学先のソウル大で模擬国連をしたそうだ.
氏の日記(11月15日,写真あり).

福田「国際金融特論」の中間試験.
固定費用とサンクコストを区別し落とす.基礎の脆弱さが露呈.


− 11 月 28 日(水)

駒場で澤田「経済学理論 II 」(マクロ経済学).
投資決定のミクロ的基礎付けなど.


− 11 月 27 日(火)

JMUNS の活動のため早大.
週末のシミュレーション(模擬会議)の反省会.
早大の教室の壇上に立つのも最後なのだろう.

その後,高田馬場の「和民」で打ち上げ.


− 11 月 26 日(月)

総合図書館で母校の同期でボート部前主将の T と偶然会い,第二食堂で昼食.
後継者がどのように選ばれたかなどについて話す.

日銀の本店見学会に参加.
本店旧館は,城山三郎『小説日本銀行』にある通り,「城砦」のような建築だと思った.

その後,付近の喫茶店で,母校の同期で今年内定した H と S と,
彼らの卒論の構想などについて,3 時間近く話す.
2 人とも,卒論に確率過程を使うかもしれないとのことだったので,
渡部隆一『マルコフチェーン』を紹介しておいた.


− 11 月 25 日(日)

合宿 2 日目.
ICC 規程非締約国に対する安保理による司法協力の強制に関して,
規程の解釈宣言を行う内容の決議を起草.

結局,安保理常任理事国とそれ以外の国の間での合意には至らなかったのは残念だったが,
アカデミックな意味で総じてレベルの高いシミュレーション(模擬会議)だったと思う.

オリセンに行くのも最後かもしれないと思うと感慨深い.


− 11 月 24 日(土)

JMUNSの活動のため代々木のオリセンで合宿.
議題:「国際刑事裁判所(ICC)の設立」,設定:「国連総会第六委員会」.



− 11 月 22 日(木)

神取ゼミの同僚 YN 両氏と,確率過程の勉強会.
N 氏が渡部『マルコフチェーン』 5 章を報告.


− 11 月 21 日(水)

世銀スタッフの人と I 氏 と食事に行く予定だったが,先方の事情により延期.
二日酔い気味だったので助かった.


− 11 月 20 日(火)

JMUNSの活動のため早大.

全米大会派遣事業の次期代表団員選考に区切りがついたことを受け,
同僚の H とともに,O 団長のお疲れ会(於高田馬場).

会の後,下落合の O 邸に寄宿.派遣事業の将来像などについて夜更けまで語る.


− 11 月 19 日(月)

講義「国際金融特論」に対する質問のため,福田助教授と面会.
やはり,消費 CAPM の説明の際の板書には間違いがあった.


− 11 月 17 日(土)

JMUNS の OB で現日銀職員の F ,H 両氏と,F とともに対面(於渋谷).いわゆる「OB 訪問」.

両氏とも法学部出身だが,経済のことも相当勉強していると思った.
同時に,学問として学んだことを仕事として生かせることを羨ましく思う.

この後,F と「山頭火」.チャーシューが非常に良い.

下北沢で散髪,Right-on で冬物を調達.


− 11 月 16 日(金)

YN 両氏と渡部隆一『マルコフチェーン』を読む.吸収状態,平均到達時間など.
ときおり両氏の議論のレベルについていけなくなる.(私には群論の素養などない)

神取ゼミErev & Roth (1998) AER の最終回(?).


− 11 月 14 日(水)

澤田「経済学理論II」の課題であった「Baumol のトライアングル」
(ある時点での GDP と,その時点から今日までの成長率の相関を示す)を提出締切当日に作図.

Penn World Table のデータを用いるのだが,ダウンロードがうまくいかず
不必要な時間を費消する.

植田ゼミ.インフレ・ターゲット論に関する先生の見解を聞く.
発表は回ってこなかった.


− 11 月 13 日(火)

早大の文学部ラウンジで,JMUNS の取材のため朝日新聞経済部の記者と会う.

模擬国連の活動を社会に発信する際にわれわれが置いている力点が,
模擬会議の議論の結果を発表することによって政策提言を行う点にあるのではなく,
国際政治を理解するうえで模擬国連が優れたツールとなりうることをアピールする点にあることを説明.

中途から同僚の Y 女史も加わり,AJMUN 2001 の企画内容の説明.当日も取材に来てもらえそう.

明日の植田ゼミの発表準備.配当政策に関する Miller & Modigliani (1961) の定理など.


− 11 月 11 日(日)

原宿で,国連英検のアルバイト.受験者に AJMUN 2001 のビラを配布.
中大の国際関係研究会の人と知り合い,ビラの同会での配布を依頼.

新宿で,親戚による祖母の喜寿祝い.従姉妹が JMUNS の某同僚とバイト先で知り合いであることを知る.


− 11 月 10 日(土)

KMUN の U 女史が AJMUN 2001 運営事務局会議参加のため上京されたので,
会議前に面会し,来年度への引継ぎの見通しなどについて意見・情報交換(於青山).

運営事務局会議(於渋谷)には冒頭だけ顔を出して,広報担当者などと意見交換.

神宮前で植田ゼミの OB 会.OBOG は金融系の人がほとんどだった.


− 11 月 9 日(金)

11 月 5 日に記者に電話で話した内容が,記事になっていたことを
JMUNS の同僚,Y 女史からの一報で知る.
(「テロ・WTO 問われる市場原理主義」『朝日新聞』11 月 9 日朝刊 11 面)

5 日の電話は取材というより,取材のための打ち合わせのつもりだったので,
話した内容が記事になったのは少し驚いた.

神取ゼミY 氏Erev & Roth (1998) AER のつづきを発表.
AER にも結構間違いがあるということを知る.

JMUNS の OB で,院生の K さんの日記「ECONOCLASM」に
神取先生へのインタビュー」への感想があった.


− 11 月 8 日(木)

神取ゼミの同僚 YN 両氏と
 渡部隆一『マルコフチェーン』(共立出版,1979 年)
を読む.定常,推移確率行列など.


− 11 月 6 日(火)

JMUNSの活動のため早大.


− 11 月 5 日(月)

業務説明会のため財務省.

昨日メールをもらった記者から電話.来週火曜に早大で会うことになる.
JMUNS の活動の説明が電話の主目的だったが,私の進路のことなどで
会話がはずみ 1 時間くらい話しこむ.


− 11 月 4 日(日)

昨日,日経図書文化賞を受賞した
 小林慶一郎・加藤創太『日本経済の罠』(日本経済新聞社,2001 年)
を購入.
日本経済の低迷の原因を,ゲーム理論,契約理論など最近の経済理論を用いて
分析していると紹介されていた点に惹かれた.

AJMUN 2001 運営事務局会議のアフター(於渋谷)に顔を出す.

朝日新聞経済部の記者から取材依頼のメールを受信.
JMUNS がテロや WTO に関してどのような議論をしているか取材したいとのこと.


− 11 月 2 日(金)

久し振りに湯島の「大喜」.ここが本郷界隈で一番美味い.(本郷から若干遠いが)

神取ゼミErev & Roth (1998) AER のつづき.
タイムリーなことに,来週から同僚の Y ,N 両氏と勉強会をする予定の
「マルコフ・チェーン」が先生の解説に出てくる.


− 11 月 1 日(木)

吉川ゼミの F 氏と近頃開店した「福のれん」本郷二丁目店
「がんこ」の方が断然いい.

院生の T さん(面識は無いが)の日記「恥と言い訳」に
神取先生へのインタビュー」へのリンクがあるのを発見.光栄である.


− 10 月 31 日(晴れ)

植田ゼミ.Brealey & Myers,Ch. 14.
次回の発表者に指名される.


− 10 月 30 日(晴れ)

JMUNS の活動のため早大.
議題:「国際刑事裁判所(ICC)の設立」,設定:「国連総会第六委員会」の第 1 会合.
エジプトを担当することになる.


− 10 月 26 日(晴れ)

神取ゼミErev & Roth (1998) AER のつづき.

全日本大会申込一次締切.100 名以上集まった.


− 10 月 25 日(晴れ)

7 月頃から企画に参加していたウォルフェンソン世銀総裁と学生との対話集会(於内幸町).議事録(PDF).
「リーダーの役割」について語った内容が印象に残る.(議事録の 11 ページ中段以降)

ウォルフェンソンによれば,リーダーの役割とは,(1) 目標を設定すること,
(2) どのようにその目標を達成するか見定めること, (3) その目標を達成するために自ら積極的にコミットするとともに,
(4) 人々を巻き込むこと,であるという.
そしてリーダーシップは,組織の階層によって生み出されるのではなく,リーダーが心を開いて,
自分の考えを人々に訴えかけることによって生み出されるという.

ときに職員ともぶつかりつつも世銀の組織改革に取り組んだという
ウォルフェンソンらしい見解だと思った.
階層によるリーダーシップというのは,「官僚的」な組織への批判なのだろう.
そして,ウォルフェンソンがいう「目標」「自分の考え」というのは,
組織の構成員の既成観念を打ち砕くようなことがらが含意されていたのだと思う.

ひるがえって,JMUNS における
自分の立場に当てはめてみると,はっとさせられ点があった.

私は,リーダーの役割として重要なのは,組織としての最も無駄の無い意思決定を行い,その決定の
責任をとることであると考えてきた.
もちろん,この考え方が,ウォルフェンソンのものと矛盾するものでないが,
問題はリーダーとしてのスタンスで,決定を行うのが自分の役目だと思っていると,
どうしても受身になり,無駄の無い決定を行おうとすると組織のメンバーが思いもよらないことを
積極的にやってやろうという感じにはならない.

JMUNS の現状に照らしたとき,私のこれまでの任期中の10 ヶ月のスタンスが
果たして良かったのかどうか, しばらく考えてみようかと思う.

対話集会後,懇談会があり,ウォルフェンソンと直接話せる機会があった.
スティグリッツが 1999 年に上級副総裁を辞任した理由を聞きたかったが,
私の英会話力がないのと,話題が政治的だったことからか,
聞きたいことのニュアンスがイマイチ伝わらなかったようで,
「彼はアカデミックな分野の方が向いている」といったような
あまり興味深くない回答しか得られなかった.


− 10 月 23 日(晴れ)

JMUNS の活動のため早大.
国際刑事裁判所(ICC)の設立」に関する勉強会の 2 回目.
安保理と ICC の関連についてなど.


− 10 月 22 日(雨)

村上春樹『ノルウェーの森』を読み終わる.
この手の同時代の小説は今までほとんど読んだことが無かった.
寝苦しい夜に読むのにちょうど良い.

奥野先生の講義「公共経済」で「シェパードの補題」が出てくる.
2 年前に大瀧先生の講義で聞いた以来ですっかり忘れていた.
奥野・鈴村で復習する.


− 10 月 21 日(晴れ)

法学部の「法医学」という講義にでてみる.
解剖の見学があると聞き興味を持ったため.純粋な趣味である.

教室で,母校の同期 I 氏と久し振りに会う.法学部助手に内定したそうだ.

最近ノートを使い捨て万年筆で書いている.
数式を万年筆で書くとかっこいい,と思ったのがきっかけだが,
にじみやすく不便である.


− 10 月 20 日(晴れ)

柄谷行人『マルクスその可能性の中心』を読む.
せっかくなので,時間ができたら書評を書いてみたい.


− 10 月 19 日(晴れ)

神取ゼミErev & Roth (1998) AER


− 10 月 18 日(晴れ)

神取ゼミの同僚 Y ,N 両氏と Kandori, Mailath, & Rob (1993) を読み始める.
1 年くらいかけて細部まで理解することが目標.

今日は introduction を読み,次回からは論文を読むのに必要な
「確率過程」 (とくにマルコフ・チェーン)を学ぶことにする.


− 10 月 17 日(晴れ)

植田ゼミ.Brealey & Myers,Ch. 13.


− 10 月 16 日(晴れ)

JMUNS の活動のため早大.
国際刑事裁判所(ICC)の設立」に関する勉強会の 初回.


− 10 月 14 日(晴れ)

JMUNS の活動のため上智大.
議題:「たばこ規制枠組条約」.
ちょっと駆け足な会議だった.アフターで四ツ谷の「カプリチョーザ」.


− 10 月 12 日(晴れ)

神取ゼミ.夏学期にやった実験の復習.
ドイツのテレビ局の取材がある.


− 10 月 11 日(晴れ)

神取ゼミの HPを公開.


− 10 月 6 日(晴れ)

早大で JMUNS 第 3 回総会.
参加人数があまりに少なかった.さすがにちょっとまずい.
議題は,次期事務局員選挙の公示,全日本大会運営事務局への貸付金の承認など.
貸付には例年より詳細な条件をつける.

夕刻から銀座で OBOG 懇親会.
開会時のスピーチで,「宇都宮支部発足」「同時テロに関わらず来期も全米大会開催」
「今大会は海外からも参加者招聘」などを報告.

総会会場から懇親会会場に向かう電車内で,ある 1 年生から,
予算消化のため(?),JMUNS のバッジを作ったらどうかと提案を受ける.


− 10 月 5 日(晴れ)

明日のJMUNS 総会のための資料作成.


− 10 月 4 日(晴れ)

山行 2 日目.
7 時 30 分,常念小屋発.
9 時 00 分,常念岳山頂着.360 度の展望.槍・穂高はもちろん,
富士山,八ヶ岳,中学 3 年時に登った双六,鷲羽,野口五郎も見渡せた.
下界(「カカイ」ではなく「ゲカイ」)は雲海の下で,目に入るのは山稜のみ.
視野に人工物が 1 つもない.

13 時 00 分,蝶ヶ岳ヒュッテ着.衛星電話でタクシーの予約.

14 時 20 分,ヒュッテ発.17 時 20 分,登山口「三叉」着.
タクシーで大糸線豊科駅へ.松本から「あずさ」で帰京.

タクシー車内で運転手とタクシー無線の話になる.運転手によれば:
(1) タクシー無線は,予約客が指定した乗車場所に最も近い位置にいる
空車タクシーを指定場所に配車する指示するために用いられる.
(2) 予約の受付,配車の指示を行う「センター」が存在する.
(3) 運転手の給与はほとんどが歩合給である.
(4) 運転手は配車を得たいため,「センター」に対して「ごますり」を行うことがある.
(5) 田舎のタクシー会社は,都会と異なり,流しで客を拾えることはほとんどない.

話を聞いていて経済理論のモデルにできないかと考えた.以下はアイデアの断片.

(1) は客(=需要者)と運転手(=供給者)の間のマッチングの問題である.
客の乗車希望地点は,需要する商品の好みと考えられる.
乗車希望地点,n 人の運転手の地点とも,区間 [0, 1] 上に一様分布し,
両地点が近いほど,タクシーの移動距離が少ないので,タクシー会社にとっては効率的である.
よって,乗車希望地点に最も近いタクシーを「センター」は配車する.

(2) で「センター」が必要なのは,需要が発生したことを運転手が知ることが
できないからである.(5) のように,田舎ではこの傾向が強い.

(3) のために,運転手は多くの配車を得ようとする.このため,(4) のようにして
「センター」による効率的なマッチングに影響を与えて,自分の利得を増やそうとする.


− 10 月 3 日(晴れ)

北アルプスの常念岳への山行初日.

8 時 00 分,新宿駅発(あずさ 3 号).
11 時 30 分,穂高駅着(大糸線).タクシーで登山口「一の沢」へ.

12 時 30 分,登山開始.紅葉を愛でつつ快適な行程.
15 時 40 分,常念小屋着.早速,ウィスキーをコンロで温めたお湯で割って飲む.

小屋は鞍部に位置する.数学用語(微分法)の「鞍点」(峠を越える経路については極大点で,
かつ尾根の極小点.例えば杉浦『解析入門 I 』p.150 参照)を連想.

夕食後,月を眺めつつカップ麺を食す.満月から2日後くらいだったため,
月光が強い.影ができるほどだった.


− 10 月 2 日(晴れ)

人目を忍んで(?),官庁説明会(於東大経済)に参加.
外務省・内閣府の個別説明を聞く.

前者は,昨今渦中の欧州局ロシア課の人が話す.
外相周辺の裏話もあり面白い.
アンケートに省員の知り合いを書く欄があり,
JMUNS の渉外事務等で知り合った人を羅列していくと
結構な数になり,居合せた友人を驚かすことができた.

後者は,旧経企庁の業務が気になっていたが,採用後は部門に関係無く配属されるそうだ.

明日は,経産,財務等の個別説明があるらしいが,山行のためいけない.


− 10 月 1 日(雨)

冬学期から始まるブラウン少人数講義(国際金融,使用言語:英語)のテキスト:
 McCallum, B. International Monetary Economics. が,
amazon.co.jp から届く.

内幸町の世銀東京事務所で,開発問題に興味のある学生とスタッフの方の懇親会.
財務省国際局の人も来ていた.
全米大会派遣事業の同期 O 女史とも久し振りに話す.
WFP のインターンでバングラデシュに滞在した際,強盗に襲われた話などを聞く.


− 9 月 30 日(雨)

三島由紀夫『宴のあと』.
精力を傾注して準備したイベント(「宴」)が
過ぎ去った後の空漠感が印象的.


− 9 月 29 日(晴れ)

渋谷の TWP事務局会議(#8).
事務局員選挙公示,全日事務局への貸付,10 月 6 日の総会準備など.
次回 12 月 2 日の会議で今年度の最終回となる.
来期への引継ぎを意識しなければならない時期になってきた.

「引継ぎ」は,あらゆる団体の存続にとって本質的な意味を持つ.

団体が対外的に信用されるには,構成員の顔ぶれが
交代したとしても,組織の名で行った対外的な約束や,
根幹となる目的,運営の原則が維持されなければならない.
いわば,構成員に依存せずに,団体としての対外的な
同一性を保つことが必要なのである.

そして,同一性を保ちつつ,構成員の交代を行うプロセスが 「引継ぎ」であると言える.

構成員の変動のスパンが短い学生団体にとって,
引継ぎの持つ意味は一般の団体より大きい.

引継ぎも含めて,役職の任期中の責任が全うされることを
自戒をこめて記しておくことにする.


− 9 月 28 日(晴れ)

経済学研究科修士課程入学試験の合格発表.
知人の受験者は大体受かってるようだ.

石井スポーツ新宿店で North Face の軽登山靴を購入.


− 9 月 27 日(晴れ)

我が家で,中学来の友人 H と山行のプランニング.
日程は 10 月 3・4 日,目的地は常念岳または甲斐駒ケ岳にする.

H と地元を散策.我が地元には,モスク消防研究所など,観光スポットが意外に多いことに気づく.


− 9 月 26 日(晴れ)

渋谷のプリンストンレビューで TOEFL の無料模試を受ける.
その場でスコアが出た.2 年前に本試験を受験したときと比較して
CBT 換算で40 点近く上昇していた.(元が低すぎただけだが)


− 9 月 25 日(晴れ)

内幸町の世銀東京事務所wb-students 関連のミーティング.

ミーティング終了後,I 氏と新橋でお食事.


− 9 月 24 日(晴れ)

渋谷の TWP.施設利用団体登録を更新.

2 年前の今ごろ,サンフランシスコ滞在の際,ホームステイさせてもらった夫妻に
テロ事件の見舞いの e-mail を書く.


− 9 月 23 日(晴れ)

神取先生へのインタビュー(9 月 19 日)の編集.


− 9 月 21 日(雨)

途上国開発の分野でよく耳にする「マイクロ・クレジット」の経済学的な裏付けを知りたくて,
 黒崎卓・山形辰史「マイクロ・クレジットの経済学 − 開発経済学ミクロ的アプローチ(5)」『経済セミナー』8月号
を読む.

マイクロ・クレジットが「通常の銀行の融資対象とならない貧困層を対象とする」
「担保をとらない」という方針をとりながら,高い返済率を維持している
ということを聞いていて,そのメカニズムを知りたかった.
貧困層が対象では信用力がないだろうし,担保をとらないなら借り手に
モラルハザードが発生しそうだからである.

この論文によると,マイクロ・クレジットが成り立つ鍵の 1 つは,借り手をグループ化して,
返済に対して連帯責任を負わせる点にある.
本来貸し手である銀行が行うべき顧客の審査・監視を,グループ内で行わせることで,
モラルハザードなどの問題を防ぐことができるそうだ.

借り手同士の方が銀行より,お互いのリスクの高低に関する情報を多く持っている,
と想定されている点が面白いと思った.
貸し手と借り手の間の情報の非対称性の問題の解決になっているわけである.

ただ,実際問題としては,事業として採算があっているわけではなくて,
外部からの資金提供に多くを依存しているそうだ.


− 9 月 19 日(晴れ)

神取先生の研究室にて,先生に,学部時代の想い出などについてインタビューする.
ゼミのホームページのコンテンツとするため.


− 9 月 16 日(晴れ)

O さんの修士論文が Journal of Economic Theory に受理されたことを記念し,
渋谷の「コーンバレー」で祝賀会.

2 次会を経て,Z さんとともに,O さん邸にお邪魔する.ワインを振舞っていただけた.

論文・本を読む際は,単に知識を得ようとするのではなく,
数式の展開を丹念に追っていく読み方をするようアドバイスを受けた.


− 9 月 14 日(曇り)

内幸町の世銀東京事務所.10 月 27 日の総裁との対話集会(予定)の準備の勉強会.
所長さんの話を聞く.

その後,もぎこくの人たちと新橋でアフター.


− 9 月 12 日(曇り)

「民法(1)」(大村敦志)の試験.
「任意規定と強行規定の違いについて述べよ」なんて問題があった.
経済学部生相手とはいえ,いくらなんでも甘く見すぎだと思う.

夏学期の試験はこれで終了.


− 8 月 10 日(晴れ)

駒場の数理科学研究科図書室で,
佐々木力『20 世紀数学思想』(みすず書房,2001 年)を借りる.

同書を知ったのは,6 月頃の毎日新聞の書評だった.
ゲーム理論でも重要な業績を残した大数学者フォン・ノイマンの
マンハッタン計画や戦後の「軍産学複合体」への関わりについて,
数学者の社会的モラルの観点から論じていると紹介されていた点に
興味を持っていた.

同書は,上記のことがらのほか,ヒルベルト以降の数学基礎論論争に
ついても触れられていたが,この分野に知識の無い私には
話の雰囲気しか分からない.
それでも,文脈なしに頭ごなしに学んできた公理論的集合論に
少し親しみが沸いてきた気がする.

しかし,やはりより興味を惹きつけられたのは,
社会的モラルに関する記述であった.
分析的知性にすぐれた者が,総合的判断力の 1 つとしての
モラル的感性を欠落しがちになる傾向がある,
とする筆者の示唆が印象に残る.

筆者は,対ソ戦略への貢献からゲーム理論に対して否定的であるが,
この点に関する詳細な議論が無く残念であった.

駒場寮の回りに白壁が立てられ,数人の警備員が巡回していた.
報道によると 8/8 かららしい.「執行」の雰囲気があった.


− 8 月 9 日(晴れ)

渋谷のTWP.全日事務局会議におそらく最初で最後の参加.
関西大会のレビュー.全日の参加申込書を渡す.

下北沢で JMUNS の同期の飲み会.T 氏の誕生日を祝う.(8/11 記)


− 8 月 7 日(晴れ)

神取ゼミの 3 年生会.ゼミのサイトの暫定版を公開.(8/11 記)


− 7 月 13 日(晴れ)

神取ゼミ.アフターで,先生ご出席の打ち上げ.
ゼミ生の Y,N 両氏と EMA を読む勉強会を立ち上げる話になる.
私はついていけなそうだが.


− 7 月 12 日(晴れ)

6/16 に購入し実は不要であった LAN カードを,もぎこくの T 氏に半値で売却する.

生協で,青木昌彦『比較制度分析に向けて』(2001年,NTT 出版)を見つける.
ほとんど著者名と標題を見ただけの衝動買いであった.(\5800-)

夏休みに試験勉強の合間に読んで,経済学のなかに自分のフィールドがあるのか
探してみることにしたい.

世銀東京事務所の方から電話がある.
今年 11 月に世銀総裁が来日する際,学生と対話する機会を作れるので,
その機会を活用したイベントの企画立案に団体として参加しないか,といった内容.
これほど大きな話が舞い込んでくるとは思わなかった.

KMUN の U 女史と電話会談.開閉会式での JMUNS の代表者としてのスピーチについて.


− 7 月 11 日(晴れ)

植田ゼミ.香港合宿中に,証券取引所の見学を行うことになりそう.


− 7 月 10 日(晴れ)

神取「ゲーム理論」.最終講義だったのに,拍手するタイミングが無く,惜しかった.

竹村「数理統計」,矢島「線形代数特論」ともほとんどついていけない.


− 7 月 9 日(晴れ)

飯田橋の FSUN.Y 女史,O 氏,K 女史を紹介.
前回(6/25)に比べて穏便に済む.

3 氏と今後の対応を協議した後,O 氏と新宿で個人的に話す.事務局改革など.


− 7 月 8 日(晴れ)

駒場の教養学部図書館.エルミート行列がよく分からない.

もぎこくの T 氏に呼び出され,笹塚で,9 月から米国メリーランド大に留学するM 氏の壮行会.


− 7 月 7 日(晴れ)

午前に上智大で事務局会議(#7).
夜行列車「ながら」を利用した関西大会へのアクセスなど.
いまだかつてない拙劣な議事進行だった.猛省.
抽象的な事務局論をやりたかったのだが,時間の関係でそれどころではなかった.

午後は同大で関西大会事前勉強会.
少ない広報の割には人の集まりがよく,この面ではまずまず成功であった.

夜は同大付近で打ち上げ.1 年生の参加が少なかったが個人的には楽しめた.
3 年生同士で話すとどうしても話が将来のことになる.


− 7 月 6 日(晴れ)

神取ゼミWalker & Wooders (1998) の発表の続き.

論文のどのような箇所に,先生がこだわるのかを見ていると色々と参考になる気がする.
(どう参考になるのかちゃんと説明できないのが未熟の顕われ... )

横浜まで行ってひよけんの打ち上げに参加.


− 7 月 5 日(晴れ)

本郷の喫茶店にて,東大経 M2 で全米団 OB の K さんに会う.(経緯は 6/17 他参照)
ネットで知り合った人と会うのは初めてだった.

最近の私にとっての重大な問題の一つである将来の選択に関して相談する.

話をしていて,最近経済学に対するモチベーションが下がっている理由が分かってきた.
・自分の興味のある分野を勉強していない.数学等に取られてする時間が無い.
・3年生になって経済学を学ぶ環境が急激に変わって,自分に対する自信が失われた.

K さんは途上国の開発という自分が進みたいフィールドをしっかり持っていると思った.
そこが,私に最も足りないことなのかもしれない.

KMUNM 氏から,関西大会の参加申込み状況に関するメールをもらう.
7/5 現在のJMUNS からの参加は 67 名でノルマは達成できそう.


− 7 月 4 日(晴れ)

植田ゼミのアフターの後,S くんと「がんこラーメン」に.
夜間限定メニューのつけめんを注文.

少し,おやじさんと話す.開店時も広告を一切やらなかったそうだが,
店の前で呼びこみをしただけで客が集まったそうだ.


− 7 月 1 日(晴れ)

国連英検のアルバイトのため水道橋の日大. 全日本大会のビラを配布する.


− 6 月 29 日(晴れ)

神取ゼミWalker & Wooders (1998) の前半を発表.担当の半分くらいで時間切れ,次週持ち越し.

OHP を使うのは初めてだったせいか,操作に手間取って聴衆の反応を気にする余裕が無かった.
先生の前で話すと経験したことの無いような緊張を感じる.


− 6 月 28 日(晴れ)

明日の神取ゼミでの発表の用意.SLiTeX という OHP 用の LaTeX を使用.


− 6 月 25 日(晴れ)

午前に青山の UNUUNIC,午後に飯田橋の FSUN で委員長の引継ぎ報告.
午前は N 女史,午後は加えて M 氏,H 氏,I 女史も参加.

FSUN では元衆院議員の人と話す.会計基準の明確化や OBOG 組織の確立などを要望された.
我々への期待が,想像を越えて大きいことが分かった.
今年と昨年の支援金である,計 70 万円分の領収書を切った(120 円の領収書用紙で).


− 6 月 24 日(晴れ)

合宿 2 日目.会議には参加せず.
関西大会総会第二委員会のバックグラウンドガイドに目を通し,コメントをつける.


− 6 月 23 日(晴れ)

下北沢の区役所出張所で都議会選の不在者投票.

駒場の教養図書館で「数理統計」宿題.フィッシャー情報行列など.

代々木のオリセンひよけんの合宿に合流.
深夜,同期相手に,自分の将来像を語るはめになる.


− 6 月 22 日(晴れ)

神取ゼミ.シミュレーションの検証が終って理論に少し入る.
いよいよ来週は発表の番が回ってくる.


− 6 月 21 日(雨)

「小泉内閣メールマガジン」を受信する.
総理大臣のメッセージが無編集で届くのは,画期的過ぎて気持ちが悪い.


− 6 月 20 日(雨)

www.skygate.co.jp で,中華航空,香港台北周遊のチケットを押さえる.
7/18 羽田発,\63,400.他社でもっと安いのもあったが満席だった.
skygate は即時に空席紹介できる点や,online で申込みが完了する点が便利.

今週末はもぎこくの合宿なので都議会選の不在者投票に行かねばならないことに気づく.


− 6 月 19 日(晴れ)

気分転換のためミクロのコースワークに出てみる.

自分の部屋を若干整理する.それだけのことで,気分が上向く.

渉外関係の調整で,のべ 5 件電話連絡.


− 6 月 18 日(晴れ)

駒場の教養学部図書館と三号館図書館.H さんに久し振りに会う.


− 6 月 17 日(晴れ)

植田ゼミの H 氏の電話で目覚める.香港渡航の件で相談.

東大経 M2 で全米団 OB の K さんに,日記の感想を送ったところ
返事をいただいた.(K さんについては 3/15 参照.)



− 6 月 16 日(雨)

全米団帰国報告会.
報告を行ったのは今年の団員たちであるが,
聞いてるだけの自分にとっても区切りがついた気がした.

もぎこくの A 氏に,大学での LAN 接続にイーサーネットアダプタは
不要であったと指摘される.ショックは大きい.

下落合の新団長邸(新居)に寄泊.彼にはお世話になりっぱなしである.


− 6 月 15 日(雨)

先生の海外出張のため,神取ゼミはお休み.

「数理統計」の推定論を復習.不偏推定,最尤推定量など.
実はそれほど難しい式展開はしてないことに気づく.


− 6 月 14 日(雨)

本郷でもぎこくの A 氏と会う.学生他団体のイベントのポスターを見ながら,
全日本大会の対外広報戦略についての見解を聞く.

新宿のソフマップで 10BASE-T イーサーネットアダプタと
イーサーネットケーブルを購入.LAN 接続用.


− 6 月 13 日(雨)

植田ゼミの合宿の打ち合わせ.
行き帰りは単独行動になりそう.
九竜や,あわよくば深圸(*1)にも行きたいので.
(*1:シェンジェン,「圸」は異体字.本来は土偏に川.機種依存文字なので避けた.)

「民法 I」(大村敦志)の雑談で,大村教授は,時効の利益の放棄を禁止した規定(民 146)は,
先のことが分からないのに行う判断を法令が留保している,という点で個人的に好きだ,
とおっしゃってた.

動学ゲームにおける限定合理性の議論と関連付けられそうだと思った.


− 6 月 12 日(雨)

最近,「線形数学特論演習」で,ξ という極めて書き写しにくいギリシャ文字が
よく出てくる(ちなみにクシーと読む).慣れてないので,文字だと認識しづらい.

大学での LAN 接続の方法が知りたくて,『情報処理 Navigator』という
学内向けの,相談員による ECC システムの解説本を購入する.
見た目は(学内向けにしては)ちゃんとしてそうな本だが,
文章の書き方がいかにもおたくっぽい.買って損したと思った.

もぎこくの友 H 氏の教示に従い,格安航空券のリサーチ.
東京−香港往復で,\60,000 台のものが結構あることを発見.


− 6 月 11 日(曇り)

hotmail のアドレスを取得.(kawamoto1979@hotmail.com)

関西大会の参加費用を振り込む.

植田ゼミの合宿の打ち合わせ.
先生の海外主張の予定を縫って,香港に行くことに.

Krugman & Osfeld (2000) を読む.
授業を切って独学するつもりが,忙しさにかまけてご無沙汰していた.
最近は理論や数学ばかりやってたので,久し振りに経済の勉強をした気がした.

(今日から句読点の体裁を変更.数式,英文との親和性を考慮して.)


− 6 月 10 日(曇り)

下北沢の「よってこや」.こぎれいで今風の雰囲気.
とんこつ味で,悪くは無い.

駒場の教養図書館で石井『線形代数講義』.
ようやく連立方程式の話に入る.今まで抽象概念に耐えてきた甲斐が
あって楽しく読める.

もぎこく某後輩のサイトの日記にアクセスしたら 777 番目だった.
一杯おごってもらえるらしい.


− 6 月 9 日(晴れ)

高田馬場の「黒蘭ラーメン」.「がんこ」の土曜スペシャルメニューを試したかったが,
行列する時間が無かった.

早大でJMUNS の第 2 回総会.
「宇都宮支部」の設立が決定する.
議論もほどよく白熱し,私が目にしたなかでもっとも生産的な総会だったと思う.

これで,委員長業務も一段落がつく.明日からは勉強時間が少しは確保できそうだ.
この日記も今後は更新頻度が向上する予定.


− 6 月 8 日(晴れ)

神取ゼミ.Excel によるシミュレーションで fictious play の検証.


− 6 月 7 日(晴れ)

宇都宮の Y 女史と,電話で 6/9 の総会の事前調整.


− 6 月 6 日(晴れ)

「数理統計」の宿題の積分計算が分からず,
大学受験参考書の藤田他『大学への数学』を読み返す.
(数学 III & C 編なので,初読は大学次だが)
収束式や置換積分の定石がほとんど身についていないことに気付かされる.


− 6 月 4 日(晴れ)

委員長引継ぎの報告のため,外務省に行く.
国際機関人事センター,国連行政課,国際交流サービス協会で名刺交換.


− 6 月 3 日(晴れ)

駒場の教養図書館で「数理統計」の宿題.昨日の疲れからか,頭が働かない.

下北沢で鞄を買う.


− 6 月 2 日(晴れ)

上智大で事務局会議(#6).新歓活動の総括,総会の準備など.正味約 6 時間,頭脳を酷使しつづけた.
かなりの疲労を感じたが,充実もしていた.

次回からは,組織の在り方のような理念的な話をできそう.


− 6 月 1 日(晴れ)

久し振りの神取ゼミ.じゃんけんの分析の続き.
先生のベイジアンの説明が分かりやすかった.

アフターは学士会館のビアガーデン.岩井,河合(院)両ゼミもいた.


− 5 月 31 日(晴れ)

本郷で,昼休みにわせけんの T 氏と会食.WTO の話など.


− 5 月 30 日(晴れ)

大手町の国連協会.委員長引継ぎのご挨拶.


− 5 月 28 日(晴れ)

JMUNS 総会(6/9)の会場となる早大 15 号館 201 教室を視察.


− 5 月 27 日(雨)

近所の書店で,神取先生がモデルとなった人物が登場するというエッセイ集(門下生は必読?)
村上春樹『やがて哀しき外国語』(講談社文庫,1997 年)を購入する.

父親の本が平積みになってるのを見かける.


− 5 月 26 日(晴れ)

駒場の教養図書館で「数理統計」の復習.χ2 分布,t 分布など.

近頃,大学受験数学において,(概念の本質を差し置いて)計算問題を多量に
解かせることに,一定の合理性があることを切に感じる.
原理的にはさほど困難でない積分や行列の数式展開が自力で出来ない.

九州支部研究担当の I 君と電話会談.サマーセッション(8/23-25)の件.


− 5 月 25 日(曇り)

「線形数学特論」は切ることにする.復習が追いつかないため.

五月祭のため神取ゼミはお休み.

全米団団長の O 氏と電話会談.次回事務局(6/2)の事前調整.


− 5 月 24 日(雨)

よつけんを訪れた KMUNM 氏,I 氏を接受.
I 氏とは内生的成長理論の話題になる.


− 5 月 23 日(雨)

植田ゼミ.Brealey & Myers (2000) の Ch. 4-5 で株価決定など.


− 5 月 22 日(雨)

国関研の先輩, O さんの研究室にお邪魔する.
Oyama (2000) と Oyama (2001) をもらう.


− 5 月 21 日(晴れ)

「数理統計」「線形数学特論演習」の両宿題を何とか形にする.
ここ 3 日で 20 時間近く数学に費やした.
積分や行列の計算への不慣れがたたる.

「貿易・国際金融」で,通産白書(5/18 発表)の執筆者が話す.
平凡なフリーフィングだったが,1 つだけ面白い話があった.
それは「自由化達成度と交渉力のジレンマ」.

曰く,WTO などでの交渉では,すでに関税が低い先進国ほど,
関税を引き下げる余地が低いため,交渉力が低くなるそうだ.

この状況を一般的にモデル化できたら面白いと思った.


− 5 月 20 日(晴れ)

「基底に関する線形写像の表現行列」で行き詰まったが,
半日費やして何とか理解できた.時間は要したが,基底の意味や,
多項式を線形空間のなかで捉えることのイメージを得られたのはよかった.


− 5 月 19 日(晴れ)

駒場の教養図書館で「数理統計」「線形数学特論演習」の復習と宿題.

日頃から感じていた数学を勉強するコツを下に書き留める.
(1) 数式はかならず,自分の手で書き写す.本を見ただけで分かった気にならない.
 → 忙しくてこれをする時間がないときに,スランプになりやすい.
(2) n 次元の場合しか書かれていないときも,2 次元,3 次元の場合を自分で考える.
 → 適宜,図を書いて日常的な空間把握を援用する.(とくに微分積分で)
(3) ベクトルをゴシック体のフォントにしてない文献を読むときも,書き写すときはスカラーと区別がつくようにする.
(4) 独学の際は,公理→公準→定理→系→補題の形式で書かれるような formal な「体系書」,
 定義・公理が導入される文脈を説明してくれる「教科書」,「演習書」の 3 種を揃える.

(4)は,法律学など他分野にも適用できそうだ.
(例えば民法総則なら,四宮・能見が「体系書」,内田や伊藤メソッドが「教科書」)


− 5 月 18 日(晴れ)

5/8 に提出した「数理統計」の宿題が採点されて返ってくる.
へこまされる.週末の両日とも,久し振りに予定が入っていないのが救いである.

5/22 提出予定分の宿題を解きはじめる.

M 氏から 5/13 の日記に関してコメントをいただく(氏の BBS にて).

JMUNS の全会員向けに,総会・関西大会の案内メールを書く.


− 5 月 17 日(晴れ)

昨日,久し振りに深酒したせいか,朝から気分爽快である.

本郷の「がんこラーメン」.スープがいい.レンゲがないのが惜しい.

神取ゼミの S 氏と発表の打ち合わせ.
Walker & Wooders (1998) の§3 までを受け持つことに.

エアロバイク.心拍数 120 で 20 分,150 で 20 分.

関西大会へのロジスティックの件で,前委員長の N 女史に電話で相談.


− 5 月 16 日(晴れ)

植田ゼミ初回.Brealey の Ch.3 まで.さすがに 130 ページは進まなかった.
新歓コンパ.「特融」の威力を見る.

聞くところによると,「数理統計」はコースワーク(院初年度向け基礎科目)
より難しいそうだ.ちょっと安心する.


− 5 月 15 日(雨)

「数理統計」.後半,「たたみこみ」からついていけなくなる.
ヤコビ行列や多重積分の知識が足りないのだろう.

Walker & Wooders (1998) を一応通読し終わる.
既存の実証研究での混合戦略均衡の当てはまりの悪さの原因を,プレーヤーのゲームへの
習熟度の低さに見出し,テニスのトッププレーヤーのサーブとレシーブのように,
習熟したプレーヤー間のゲームでは均衡理論通りにプレイされることが示される.

実証研究なので,χ2 適応度検定など統計的にテクニカルな話が中心.

プレーヤーがゲームを習熟していく過程を動学的に描けたら面白いと思った.


− 5 月 14 日(晴れ)

Brealey.口語表現が多く不必要に手間取る.


− 5 月 13 日(晴れ)

合宿 2 日目.
投票行動では定数増関連の決議は全て落ち,拒否権の制限のみが通る.
定数増の議論は典型的なゼロサムゲームなので,設定を工夫しない限り
成果を出すのは難しいだろう.

「線形数学特論」の復習.固有多項式など.


− 5 月 12 日(晴れ)

代々木のオリセンひよけんの合宿.設定:総会本会議,議題:「安保理改革」.
直接執行に携わってないと何事も気楽である.


− 5 月 11 日(晴れ)

神取ゼミ.じゃんけんのデータを,まずは「虚心坦懐に」見ていく.

ひよけんのため慶大日吉.I 氏をお連れする.
発言時間制限動議の賛成理由説明で早速ご一緒する.


− 5 月 10 日(雨)

Brealey を読み始める.
週末を使えないのに,来週までに120ページ読むのはちょっときつい.


− 5 月 9 日(晴れ)

渋谷で上京されたM 氏,I 氏と飲む.実は I 氏と話すのは初めて.


− 5 月 8 日(雨)

「数理統計」「線形数学特論演習」の宿題を提出.どちらも不満足な出来.


− 5 月 7 日(晴れ)

明日提出の「数理統計」課題を解く.白紙同然が 2 題も残る.よろしくない.
どうも収束の扱いが苦手である.


− 5 月 6 日(晴れ)

関西出張 2 日目.

立命館大・衣笠キャンパスを視察.共同覚書発効の地「立命館大学衣笠セミナーハウス」
にも訪れる.午前中に,A 氏,U 女史,M 氏とミーティングをしたあと,帰京の途につく.

結局,1 泊 2 日の京都滞在でミーティング計 15 時間,睡眠 0 時間だった.

今日で連休が終わりなのだが,ここまで勉強しないとはあまりに予想外.


− 5 月 5 日(晴れ)

関西出張初日.

京都・四条烏丸の「中京青年の家」で関西大会運営事務局会議.
大会名称「第 1 回模擬国連会議関西大会」が正式決定する.

議事進行が自分のやり方と対照的で参考になる.

河原町に移動して会食.その後,U 女史邸へ.

夜半から,M 氏邸で,A 氏,M 氏,T 氏と研究関連のミーティング.
結局,完徹で話しこむ.


− 5 月 4 日(雨)

Walker & Wooders (1998) を読み始める.


− 5 月 3 日(雨)

終日自宅.「線形数学特論演習」と「数理統計」の宿題を解く.完了せず.


− 5 月 2 日(雨)

八重洲ブックセンターで Brealey, Principles of Corporate Finance を購入.

KMUN の U 女史から 5/5 の会議の資料が届く.


− 5 月 1 日(晴れ)

1 限と 5 限の合間に広尾の都立中央図書館へ.
目当ての本が 1 冊しかなかった.

恵比寿の「一風堂」.有名店だそうだが,総じて特徴が無い気がする(特に麺).

矢島「線型代数特論演習」.急に速くなった.
復習をちゃんとやらないとついていけなくなりそう.


− 4 月 30 日(雨)

代々木のオリセンで開かれた SCN フェアを視察.
急遽,学連理事長と会談.おかげで事務局に遅刻である.

渋谷で事務局会議(#5).昼食を抜いたためか,頭の回転が鈍い.

1000 番目は Y 氏だったそうだ.順当か.


− 4 月 29 日(雨)

明日の事務局会議のための資料作成に半日費やす.

アクセスカウンターが 4 ケタに.1000 番目は誰だったのだろう.
もっとも,このカウンターはすぐ故障するので,アクセス数は
精度の低い近似値に過ぎないのだが.


− 4 月 28 日(晴れ)

上智大でもぎこくの 4 研究会合同シミュレーション.
参加人員約 160 名.昨年同様 3-321 教室が満杯となる.

何度もスピーチをする羽目になるが,アドリブが利かないのは相変わらず.

今日は,シミュレーション,アフターとも本当に楽しかった.
もぎこくにいて良かったと久しぶりに思った.


− 4 月 27 日(晴れ)

神取ゼミ.混合戦略均衡を実験で検証.
Y 氏と 250 余回じゃんけんする.
じゃんけんで肘が痛くなるのは初めてである.


− 4 月 26 日(晴れ)

竹中平蔵入閣.どうせ経済学者を登用するなら,もっと本格派を起用できないものか.
例えば,浜田宏一,青木昌彦とか.

もっとも,「派閥均衡」を廃し,その道の専門家を起用するという流れを始まったばかり.
米国のサマーズのような,学者としても業績のある人物が閣僚となる日も来るのだろう.

植田ゼミの選考に受かる.
Brealey, Principles of Corporate Finance という本を読むらしい.


− 4 月 25 日(晴れ)

ある国連会議での世銀代表の声明を読む.
trade-off や transaction cost のような経済学の術語が多い.


− 4 月 24 日(晴れ)

矢島「線形数学特論演習」の初回.
春休みに線型空間を独学した甲斐があってか楽についていける.

経済学部図書館のライブラリーツアーに参加.
初めて書庫に入る.単純に書籍の量に圧倒される.
知識の集積としての大学,という素朴な観念に実体が伴った感覚か.


− 4 月 23 日(晴れ)

総合図書館で開発金融のリサーチ.
世銀の融資戦略の変遷を追う.

総裁選予備選には思うところは多いが,
今日のところはとくに書き置かないことにする.


− 4 月 22 日(晴れ)

下北沢で散髪.

植田ゼミの応募資料を作成,提出.


− 4 月 21 日(晴れ)

自由が丘でひよけんのシミュレーション.約半年振りだった.


− 4 月 20 日(晴れ)

神取ゼミ初回.クールノー競争の実験.意外に面白い.
先生の研究室で新歓パーティー.ワインのシャドウ・テースティングに挑戦.


− 4 月 19 日(雨)

ゼミ選考の発表.神取,矢島,ブラウンとも通った.一安心.


− 4 月 18 日(晴れ)

一橋大でもぎこくの説明会.これで 4 研究会 5 大学を廻った説明会も終わり.
研究会ごとの特色は,人が替わっても失われないことを改めて実感.

風邪薬を換える.奏効したのか症状が小康.

昨日の「数理統計」の復習.積分の存在,一様収束がよくわからない.


− 4 月 17 日(晴れ)

本命ゼミの面接.予想外なことに,先生に提出書類(4/12 参照)を読んでもらえておらず,
アピールが書類に書いたことに終始してしまった.もっと効果的に与えられた時間を
使えた,と悔いが残った.

30 人が応募したと聞かされ,びっくり.倍率 3 倍である.

「マクロ」「ミクロ」「統計」「企業経済」の成績を聞かれ,優じゃなかった
科目に対して,「難しかった?」とつっこまれ,ややヒヨる.
シラバスには,上 4 科目を履修していることが望ましい,とされていたが,
「履修する」とは「優をとる」という意味であったようだ.

中学来の友人 H が日銀に内定したそうだ.就活の体験談を聞くが,末恐ろしい限り.


− 4 月 16 日(晴れ)

駒場でもぎこくの説明会.
相変わらず声を出しづらい.


− 4 月 15 日(晴れ)

自宅で療養.20 時間ほど睡眠.


− 4 月 14 日(曇り)

疲労の蓄積と,一昨日の寝不足が悪かったのか,風邪をひく.声が出づらい.
風邪を引くのは 5 年ぶりくらい.

四ツ谷の外堀土手で花見.参加人数がハンパじゃなく多い.


− 4 月 13 日(晴れ)

ゼミの応募.予定通り,神取(ゲーム),矢島(線形),ブラウン(マクロ動学)に出す.

慶大(日吉)でもぎこくの説明会.ひよけんらしく 3,4 年が多い.


− 4 月 12 日(晴れ)

上智大でもぎこくの説明会.

ゼミの応募資料を作成.PDF.朝の 4 時までかかる.


− 4 月 11 日(晴れ)

大村「民法 I 」.経済学部生向けということで,適用される場面
(不動産取引,金融取引など)ごとに解説するらしく,結構手加減してくれるようだ.

石井『線型代数講義』と『民法判例百選 II 』と浜田昭八『監督たちの戦い』
(日経ビジネス人文庫)を購入.浜田は,2 年くらい前に日経夕刊に
連載されていたコラムの単行本で,グラウンド上の戦いのみならず,
フロント・親会社との戦いを描くことで,プロ野球監督の中間管理職としての
側面を浮かび上がらせている.組織における人間学の書として面白い.


− 4 月 10 日(晴れ)

神取「ゲーム理論」の雑談によると(雑談なのに OHP が準備されていた),
Nash の生涯を描いた映画が今冬に公開されるらしい.

ブラウン,矢島両ゼミの説明会に参加.ブラウンは IS-LM を超えたことを
やるのがコンセプトのようで,まさに自分の問題意識にあう.
矢島は固有値をやるとシラバスに書いてあったが,実際は,
石井恵一『線型代数講義』を使ってもっと基本的な線型空間の
解説もしてくれるそうだ.

飯田橋でもぎこくの説明会.思ったより緊張しなかった.


− 4 月 9 日(晴れ)

授業開始.伊藤元重の話芸に舌を巻く.

内幸町の世銀東京事務所.委員長引継ぎの報告を兼ね,立食形式の
懇談会に参加.所長さんにエコノミストの採用方法について聞く.

2000 年大会の会議ツアーに参加した人と偶然お会いする.
向こうは僕の顔を憶えてくれていたようだが,私の方は失念していた.


− 4 月 8 日(晴れ)

渋谷で,関西大会(仮)の関東担当分会議の BG スタッフミート.
顔ぶれが新鮮だった.

ゼミ選考の提出書類を書き始める.これまでの 2 年間と,
これからの構想をまとめるような作業で,なかなか楽しい.


− 4 月 7 日(晴れ)

駒場でもぎこくの新歓.大盛況.その後,駒寮ツアー,野球場脇で花見.
ふと,2 年前,自分が入学したころ抱いていた迷いが想起された.
まぎれもなく,そのときの選択が今の自分を生み出している.
桜越しに見た駒場の空は 2 年前と同じ色をしていた.


− 4 月 6 日(晴れ)

花見に千鳥ヶ淵や靖国神社.靖国は久しぶりだった.
「教科書にない」英雄の像が立ち並び,境内で猿回しが行われているなか,
花びらが散っていく光景は,白黒フィルムを通して見た方がリアリティがありそう.
「戦前」を切り取ったテーマパーク,か.


− 4 月 5 日(晴れ)

ゼミ説明会 2 日目.ゼミ間で人材にかなりばらつきがあるのを感じる.

Krugman & Obstfeld, International Economics
志賀浩二『固有値問題 30 講』など 5 冊の教科書を購入.
志賀は 2 次の線型写像から話を熾していて案外とっつきやすそう.


− 4 月 4 日(晴れ)

シラバスをもらう.夏学期の時間割は 3/27 に考えたもので良さそうだ.
A. ブラウン助教授の小人数講義は多世代重複モデルを扱うらしい.
授業は英語使用とのこと.英会話学習のインセンティブにしようかと考える.

学生主催のゼミ説明会初日.植田ゼミに興味を惹かれる.


− 4 月 3 日(晴れ)

下賀茂寮に忘れてきた携帯電話(4/1 参照)が郵送されてくる.

『戦争と平和』第 1 部第 2 編.日本語の現代文なのに,辞書を引かないと
分からない語彙が多い.党派的な行動や勲功を求める気質など,
官僚機構内の人間描写が面白い.


− 4 月 2 日(晴れ)

自転車旅行 3 日目.
9:30 頃,戸田寮発.P17−R414 で沼津を目指す.大瀬崎からはほぼ平短で快適.

14:00 頃,沼津着.浜辺は風が強いが,松林が連なり趣がある.
P380 で三島.源頼朝が平家討伐を祈願した三島大社に参拝.

17:00 頃,三島発(東海道線).熱海,小田原で乗換え,19:00 頃,下北沢着.


− 4 月 1 日(晴れ)

自転車旅行 2 日目.
9:00 頃,下賀茂寮発.国道 136 号線(R136)を北上.
晴れだが,風がありやや寒い.上はゴアテックス,下は長めの短パンを着用.

伊浜付近の休憩所で寮に携帯を忘れてきたことに気づく.寮に公衆電話から
連絡したところ,管理人さんに見つけてもらえた.郵送してもらえることに.

海沿いを走る R136 はアップダウンが厳しい.だが,眼下に,穏やかな海や
険峻な絶壁,のどかな漁村風景を見ることができ,眺望が変化に富む.

堂ヶ島温泉手前の松崎で地魚の寿司を食す.堂ヶ島過ぎの恋人岬は,
270 度以上の展望.この旅で初めて富士を目にする.

土肥から P17.県道らしく,国道よりアップダウンが激しいが,
トンネルが少なく,眺望を楽しめる.戸田の手前から急な下り坂.
その中途での富士の眺めが素晴らしい.稜線の左側がほぼ下端まで見える.
夕暮れ時だったため,陸地と海の色が溶け合い海に浮かんでいるかのよう.

18:00 頃,戸田寮着.客は私一人だった.(最大収容人員は 120 名)


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